第27話 蝕まれる自我
嬉しいからか、急に泣き出した黒髪の子を抱きしめて撫で続けると、泣きつかれたのか彼女は眠ってしまった。
「こんなにいい子を泣かせるなんて、あいつはまったくもって最低ね」
まったくもって呆れるわ。
なんだかんだ言って、ちゃんと綺麗に食べてるし、あたしには聞こえなかったけど彼はごちそうさまを言ったらしいし。
彼がきれいに食べた食器を手に取って、息を吐く。
「ずいぶんときれいに食べたわね。それに食べ方も上品だったし、実は生まれはいいとこの出なのかしら」
ベッドで横になっている彼女を見る。
「彼女が姿勢よく品よくしてるのは、彼を見てるからかな。口の悪さだけは似なくてよかったわ」
笑みがこぼれる。
元孤児で教養も体もろくにできてないって聞いていたけど、今の彼女を見てそんなことを思う奴が一人もいないでしょうね。
姿勢はしっかりと伸びて、顎は引かれて、目はちゃんと相手を見る。
意外にもこれが全部できる人はそう多くない。
この三つができるだけで、ずいぶんと立派に見えるもの。
そのうえ、彼が食べたように彼女もテーブルマナーをしっかり守っているなら、上流階級のお嬢様って言われてもみんな信じるんじゃないかしら。
「それはそうと、あいつはどこに行ったのかな……ん?」
家の者が誰もいなくなってしまった家で困っていたところ、机の上にあるものを見つけた。
仮面と短剣、そしていつもあいつが身に着けている壺が二つ。
そのうちの壺を恐る恐る手に取ってみる。
思ったより軽い。
壺は見た目の割には頑丈そうで、叩くとコンコンと音がする。少し振れば、乾燥した固い何かがこすれる音がする。
……なるほど、確かにこれは骨っぽい。
開ける前に、なんとなく壺を持ち上げ、底を見る。
するとそこには何かが書かれていた。
「ソフィア? ……人の名前? まさか」
気になって、もう一つの壺の底も見てみるとそこにもオスカーという名前が書かれていた。
壺を落としてしまわないように、机の上に置いて、ゆっくりとふたを開ける。
思ったより硬い。
「フンッ……」
気合を入れて蓋を引っ張る。
すると、勢い余って壺が倒れ、中身が一気に机の上に散らばり、白い粉塵が部屋の中を舞った。
「やべっ!」
慌てて壺を戻し、落ちたものがないか確認する。
幸いにも、机の下に落ちたものは少なく、すぐに回収できた。
だけど、安心することはできなかった。
なぜなら、その中身がやはり異常だったから。
「やっぱり骨……それも頭骨」
砕けていてわかりにくいけれど、中に入っているのは確かに骨。
眼窩の一部だったり、大きく球を描いた骨があったから、間違いなく頭蓋骨。
ばれる前に、壺の蓋を閉めて元の位置に戻す。
「『
できれば本人に聞きたいところだけど、あの様子じゃ難しそう。
……素顔は見たけど、ひどいものだった。
顔の造形自体は悪くないと思う。
だけど、状態が悪すぎる。
肌は荒れ、目元はくぼんで黒ずんでいて、寝不足のせいか目は爛々と血走っている。目はどこか濁っていて、しゃべっているときもほんのわずかに顎が震えていた。
何かがおかしい。精神を病んだとしても、明らかにおかしい。
彼の力には、彼の過去には。
やはり何かある。
「調べつくしてやるわ」
寝てしまった黒髪の彼女の部屋から出て、『雷槌』を探す。
といっても、そう時間も経っていないから、すぐ近くにいるはずなのだけど。
「いない」
家中探してもどこにもいない。
温泉かと思ったけど、脱衣所に服も何もないし、恐る恐る入ってみても誰もいなかった。
岩や木に囲まれ、そう広くない敷地内で見つからないとなると、外に出たのかな。
「あんな状態で外に出るなんて、評判を考えたらできないでしょうに」
溜息を吐く。
セビリアでの彼の悪評はとどまるところを知らない。
誰もが殺人鬼のように恐れ、忌避する。彼らからすれば、ハンターが殺されるなんて実害が出ているのだから、当然かもしれない。
それでも彼に何も言えないのは、それだけ圧倒的に強いから。
「まああたしからすれば、全員馬鹿ばかりとしかいえないけど」
ハンターにしたってあいつにしたって。
頭がいいのは、眠ってしまった彼女だけね。
とにかく、あいつが家の敷地内にいないとなると、外に出たってことになる。
帽子を脱いで、ほうきを取り出してまたがる。
「よいしょっとっ」
そして一気に地面をけり、空へと舞いあがった。
この瞬間はいつもたまらない。
体に空気があたしを地面に縛り付けようと押さえつけてくるのを無理やりはねのけて、そうして空へと飛び出した時の爽快感と浮遊感が癖になるほどたのしいのだ。
さて、空に飛び出したはいいけど、あいつを探さなきゃ。
家からこの街まではそれなりに距離がある。普通に歩けば半日かかるけど彼も飛べるからあまりあてにはできない。
といっても、マナの変化は彼が部屋を出てから感じられなかったから、魔法で飛んで行ってはいないはず。
となると、徒歩で移動しているはずなんだけど……。
「見つからない……ん?」
周囲をゆっくり見下ろしているときに、
「……ェ…………」
小さなうめき声が聞こえた。
とても小さく、木々の葉がこすれる音で紛れてしまいそうだったけど、確かに聞こえた。
近くにいる。
家の頭上まで戻ってきて、じっくりと耳を澄ませながらあいつを探す。
そして。
いた。
家の周囲を囲う大岩に隠れるようにへたり込んでいる『雷槌』がいた。
彼の近くに降りようとほうきの高度を下げた時、
「うるさいうるさいうるさい……俺の身体だ、邪魔スンナ!!」
手当たり次第に周囲の木々に拳を振るい壊す音と狂乱じみた叫びが聞こえた。
「なにあれ……」
ほうきを止め、呆然とする。
まるで近くに誰かいるかのような振る舞いに思わず息を飲む。
そのまま彼はこぶしをひとしきり振るい、周囲の木々をなぎ倒した後、疲れたのか家を囲う大岩にもたれるように頭を抱えて座り込む。
そのまま動かなくなった。
今まで何度も見た彼の異常な行動、だけどこれは極めつけだ。
悪霊にでも取りつかれたのかな。
少しばかり警戒しつつ、膝を抱える彼の前に降りる。
「ねぇ」
「…………」
あたしのちょっと乱暴な問いかけに、彼はゆっくりと顔を上げにらみつけてくる。
彼からしたらにらみつけているつもりはないのかもしれないけれど、ひどくくぼんだ目元と濁った眼のせいか、気圧されるような威圧感がある。
それでも負けじと胸を張り、堂々と声を張る。
「あんた、どうしたの?」
「…………なにがだ」
「今の。なにか叫んでたでしょ」
「気のせいだろ」
「この木を見ても?」
あたしが後ろにある倒れた木を指さすと、彼は舌打ちした。
「雷でも落ちたんじゃないのか?」
「だとしたら音が聞こえなかったし、あなたの落とした雷でしょ」
「さあ、自然現象だろ」
「そんなわけないでしょうに」
敵意があるわけじゃなかったので、あたしは彼に向かって足を進める。
すると、どこかツンと来る酸っぱい匂いが鼻をわずかにくすぐった。
「あんた……まさか、吐いたの?」
「…………」
また沈黙。
即ち肯定。
彼の座る大岩のすぐそばに、動かされたばかりで周囲とはわずかに色の違う地面がある。
彼は食べた後すぐにあの場を後にした。
「あの子が作ったものは、口に入れたくないってこと? 吐き出すほどまずかったってこと?」
「……焦げてたしな。ただの肉団子なんて食う気なんて起きやしねぇ」
こいつ――ッ!
胸から湧きあがった感情が一直線に頭に向かい、沸騰しそうになった。
だけど寸前で思いとどまり、深呼吸して飲み干した。
「あの子、泣いてたよ。あんたに食べてもらえて、ご馳走様って言ってくれて嬉しいって。たったそれだけで泣いてたの。どう思う?」
「ハッ、そんなもんが嬉しいなんて終わってやがる。どこの家庭でも普通に起こる日常だ」
彼は鼻で笑った。
「その日常が彼女にはないんでしょ? あんたがそうしてる。治療してくれる彼女に対して、名前も付けないなんてあんまりだと思わない?」
「だとしても俺はやめる気はない。嫌ならとっととでてきゃいいんだ」
むべもない。
確かに嫌なら出て行けばいい。彼を見捨てていけばいい。
だけど彼女はそうしない。
「彼女はあんたが大切なのよ。わかってあげないの?」
「なら俺の気持ちもわかってほしいもんだな。いつまでも周りをちょろちょろちょろちょろ。ちょっと使えると思って拾っただけなのに、とんだ拾いもんだぜ」
「……もう少し言葉を選んだら?」
「本心を飾る気なんざないんでね」
いちいち言い方が神経を逆なでするようで腹が立つ。
彼女を物のようにいうのが気に入らない。
だけど彼の矛先はここで変わる。
「お前もだ、魔法使い。いつまでもうろちょろしてんじゃねぇ。とっとと失せろ」
彼は本気であたしを睨みつけてきた。
あたしは肩をすくめた。
「あたしは旅人なの。風の吹くまま気の向くまま、あたしの好きなように行動するの。あんたの指図は受けないわ」
「ここは俺の家だ。お前の気の向くまま行動する権利はない」
「今ここはあんたの家の外でしょ、ならあたしの気の向くままにする権利はあるわ」
屁理屈の応酬に、彼は舌打ちして立ち上がる。
「そんなにあいつが気になるなら、どこにでも連れていけ。友達なんだろ、別の町にでも国にでも好きにしろ」
この場から逃れるように、彼はどこかへ歩き去ろうとする。
「そうしたいところだけど、あの子は離れる気はないでしょうね。彼女の世界はここしかないから」
「馬鹿な奴だ。あの顔なら、預かってくれる家なんぞいくらでもあるだろうによ」
「顔で選ぶようなもの好きなんてろくな家じゃないわ。あの子の持つ価値を真に理解できる人なんて数少ない」
彼女の美貌もそうだけど、雰囲気やたたずまい、何より奇跡の力を行使できる彼女の意志の強さは、ほかでもない、彼女だけが持つ力。
……でもそれは、彼だけに見せる力。
ほとんどの人は、彼女の価値を理解する機会すら与えられない。
「あいつの価値はすぐにわかる。力を理解する必要なんざない。普通の生活を送るには過ぎた代物だ」
でも彼は、彼女の価値をいらないものだという。
彼にとっては、彼女の存在は本当にただの物扱いということなのかな――
「あいつがいつも行ってるパン屋で十分だ。あそこは娘夫婦が少し前に死んだからな」
「――っ!」
彼の言葉に、驚いた。
「あんた……」
「ここはもうすぐ灰になる。とっとと出て行くんだな」
その言葉を最後に、彼は森の奥へと姿を消した。
残ったあたしは、胸の中にある違和感が明確な形で応えに近づいていくのを感じていた。
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