第26話 代償
「なんでテメェがここにいんだよ」
扉を開いた瞬間、突如飛んできた短剣に、銀髪の魔法使いの子が驚き息を呑み込んだ。
……これは、わたしも予想できなかった。
料理を教えてくれた彼女が、飛んできた短剣で料理されるのを見るのはさすがに嫌だ。
わたしは彼女よりも先に体を割り込ませて、あの人の前に出る。
「わたしが招いたの。……彼女はいい人。それに、見張るって約束したから」
彼が彼女と戦うのを止めた時に、彼と約束したこと。彼も覚えていたようで、舌打ちして視線を外す。
「そういえばしたな。……まあいい。どうせこいつは天上人じゃない。もうわかったから用はない。とっとと出てけ」
彼は再び威圧するように彼女をにらみつける。
……彼女を追いだすのは、やだ。
「彼女は友達だから、追い出したくない」
「はぁ?」
彼は意味不明とばかりに眉を顰めた。
わたしは堂々と部屋に入り、ベッドに座っている彼の隣に座る。
「今回は、早く起きたね。……一日も経ってない」
「焦げくせぇんだよ。火事が起きてマルコスが来たのかと思って飛び起きた」
「そっか、ごめんなさい。……火事が起きたのは本当だよ。居間がちょっと燃えちゃった」
「はぁっ!?」
怒っている彼の驚く顔を見るのが久しぶりで、つい笑ってしまう。
それを見て、また彼は元の怒り顔に戻る。
……その顔の目元には、一向に良くなっていない深く黒ずんだ隈がある。
今回は睡眠時間がすごく短い。睡眠負債はかなり溜まっているはずなのに。あまりよくない。
驚きから立ち直ったのか、旅人の彼女も部屋に入り、ベッドの向かい側にある椅子に腰かけ、お鍋をベッドと椅子の間にある机の上に置いた。
その料理を見て、彼は睡眠不足で悪くなっている目つきをさらに険しくした。
「なんだよこれは」
「なにってご飯よ。聞いたわよ、あんたパンしか食べてないんでしょ? そんなんじゃ力も出ないし、体にも悪いよ。バランスよくいろんなもの食べないと、楽しくないよ」
「食事に楽しさなんていらねぇだろ。食えりゃ一緒だ」
「何言ってんの、よく食べてよく動くからよく寝れるのよ。よく動いてるあなたが寝れないのは、食事が良くないからじゃない? おいしいものを食べれば、気分も落ち着いて疲れも取れるかもしれないよ」
なるほど、彼女はここまで考えて料理を作ってくれたんだ。
すごい、やっぱり魔法使いは頭がいい。
わたしも料理を覚えれば、この人の役に立てるかもしれない。
わたしも手伝って作ったご飯を、食べてほしい。
パンじゃない久々のごはん。
きっと彼も喜んでくれるはず。
――だけど、彼の顔はひどく不快そうに歪んでいた。
「飯なんかで変わるわけねぇだろ。ちゃんと食ってんだよ。それで変わんねぇんだから飯のせいじゃねぇ」
吐き捨てるように言った。
その言葉が、深く胸に刺さった。
魔法使いの彼女が反論する。
「だから、いつも同じものなんて味気ない食生活してるからでしょ。たまには違うおいしいものを食べれば、変わるかもしれないじゃない」
「おいしい? ……何喰ったって、味なんかわかんねぇんだよ。意味ねぇことして家燃やすくらいならとっとと出てけ」
「――っ」
彼の言葉に、
「あんたねぇ! 彼女がせっかく作ってくれた料理を前にして、なんてこというの!? 彼女はずっとあなたのこと考えて、役に立ちたいと思ってご飯を作ったのよ! それを意味のないこと!? あんたには人の心ってもんがないの!?」
彼女が激高した。
だけど彼にその言葉は届くことなく、苛立たし気に膝を揺らし、床を踏み鳴らす。
「うるせぇな、なんなんだよてめぇはよ。人の家に転がり込んで勝手に口出しすんじゃねぇ。いつからてめぇはこの家の人間になったんだよ」
「…………っ」
彼の言葉に、彼女はこぶしを握り、歯を食いしばる。
わたしは何を言うこともできなかった。
やがて彼女はわたしを見て、料理を彼の前に差し出した。
「確かにあたしはなんていわれてもしかたないと思う。だけど、この料理はこの子があんたのために一生懸命作ったのよ。味なんかわかんないなんて言わないで、まず食べてあげたらどうなの?」
彼女の言葉に、彼はわずかに押し黙る。
「…………」
わたしと、わたしが手に持っていた料理を交互に見た。
「……チッ」
舌打ちとともに、机の上に置かれたお皿を手に取った。
本当はわたしと彼女の二人だけだと思ったから、すぐに食べれるように盛られているのは二つしかない。
しかもそのうち一つは、失敗しちゃった黒く焦げたもの肉団子が入ったもの。
そしてそれは、彼が持っているお皿に入ってる。
「あ、それはわたしが作った失敗した焦げたやつだから……こっちのうまくいったほうを――」
「焦げたやつでいい」
「――っ」
彼は躊躇なく、焦げたやつを口に運んで食べた。
次々と、何を言うでもなく、きれいに食べる。
……いつ見ても、彼の食べる姿はどこか上品で、きれい。
カチャカチャと音はしないし、食器には食べ残しなんてない、まるで洗ったあとかのようにきれいに食べきっている。
そのまま、彼はあっという間にご飯を平らげた。
机の上に食器を置いて、ひどく小さな蚊の鳴くような声で。
「……ご馳走様」
確かにそういった。
その瞬間に。
「……っぁ」
胸の奥から、何かが爆発的に湧きあがってきた。
視界が急に滲みだし、喉から何かがせりあがってくる。
「う……うぅ」
「えっ?」
「…………」
彼女は心配してわたしに駆け寄ってきてくれて、彼は何も言わずに部屋を後にした。
「う、うぅうう……えぐっ」
「どうしたの? 大丈夫?」
魔法使いの彼女があたしの肩に手を置いて、顔を覗きこんでくる。
でもその顔もよく見えない。
「……食べてくれた……ごちそうさまっで、いっで、ぐれだ」
「…………そうね、きっとおいしかったのよ。頑張った甲斐があったね」
優しく頭を撫でてくれる彼女の手が暖かくて、思わず彼女の小さな胸に抱き着いた。
「ぅぁああん……」
泣きついても、彼女はなにも言わずに抱きしめてくれた。
――彼に喜んでもらえるのが、こんなにも嬉しいなんて。
「ぁぁああ……」
声にならない声を上げて、わたしはただ泣き続けた。
◆
気持ちが悪い、気分が悪い、胸糞悪い、吐き気がする。
頭は痛いし、喉奥には突き刺すような痛みがある。
俺は部屋を出て、家の周囲にある大岩を飛び超えて、あの二人に見えない位置でへたり込み、嘔吐した。
「――オエウェエエッ!! ……ぐえ、ええっ!」
食ったばかりの肉団子が、ぐずぐずになって地面に広がる。
食った時とは違う、ツンとした匂いを伴い、見るに耐えない粘ついた液体と化していた。
「……最悪の気分だ……」
口元から垂れる胃液を拭いながらつぶやく。
火の匂いで目を覚ました瞬間から、気分は最悪だった。
腹のあたりでぐるぐると無数のワームがうごめいているような不快な感覚、喉から口にかけてまでをずっと誰かの指が撫でまわしているかのような気色悪い感触。
最悪なのが、よりにもよって出てきた飯が肉団子だったことだ。
「――ゥウッ!!」
最悪の光景と触感を思い出す。
また吐き気がした。
もはや出すものもなく、ねばついた胃液が出てくるだけ。
「味なんてわかんねぇんだよ……」
胃液すら吐き出せなくなったところで、口の中を魔法で作った水ですすぎ、吐瀉物の上に吐き出した。
見るに耐えないものを、足で土をかけて覆い隠す。
匂いが少しするが、時間が経てば消えるだろう。
「はぁ……」
溜息を吐きながら、岩にもたれて座り込む。
「クソ……虫うるせぇ……」
視界を飛び交う虫を払うも全然消えない。
当たり前の小さなことにすらイライラする。
こうなることはわかっていた。
わかっていてもやる覚悟はあった。
あの殺人鬼、カットスの記憶を根こそぎ奪ったのだ。おかげで奴が使う魔法や技を手に入れたが、奴の狂気じみた快楽殺人の記憶まで受け継いでしまった。
奴には自傷癖があった。人を傷つけることに快楽を感じていた。
今、俺は奴の気持ちがわかる。
自分の身体を傷つけたいと思ってしまうし、人を殺したいとすら思ってしまう。
――自我が保てなくなりそうだった。
「これで何人目だ? ……もうわかんねえな」
数えようとして指を立てていくも、その指も震えだす。
他人の記憶だ。他人の身体で動いた記憶だ。
今の俺の身体とは違う。
自分の体のはずなのに、動かし方に違和感があり、どう動かせばいいのかわからなくなる。
寝不足のせいか、記憶を奪い過ぎたせいか、頭痛がする。
ずっと頭の中に靄がかかったように思考がおぼつかない。
だけど、もうすぐだ。
「カットスを殺した。あと二人だ。フリウォルとカベザはカットスよりも席次が下だ。殺すのはたやすい。は……ハハハッ」
そう、あと少しなんだ。
あと少しで、この国を滅ぼせる。そのためになら、なんだって捨てる覚悟がある。
「……それが、強くなるってことですよね……先生」
先生の言葉を思い出す。
『強さとは、覚悟だ。たった一つ、譲れないもののためにすべてを捨て去る覚悟を持つことだ』
先生の言葉は、いつだって正しいんだ。
俺は出来損ないじゃない。カットスだって殺せた。
『お前のようなバケモノと行くつもりはない』
ふと、昨日の去り際の秀英の言葉が降りてきた。
自嘲気味に笑う。
「その通りだよ、秀英。……俺はバケモノだ。そうなる覚悟はできてんだ」
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
自分の身体と記憶を一致させる。これは俺の身体だ。他の誰でもない、俺の身体だ。
体を動かす感覚に違和感が無くなるまで、深呼吸を繰り返す。
……だけど、うまくいかない。
頭が痛い、吐き気が邪魔をする。
それどころか――
『自分の行いを私のせいにするつもりか?』
いるはずのない黒髪の偉丈夫の幻影が現れた。
『こんなことのために、記憶の魔法を作ったんじゃないの。悪用するなら返して』
泣きたくなるほど会いたかった、青髪の女性の幻影まで。
さらに追い打ちをかけるように、
『イッヒヒヒ、綺麗な体シテルナァ! オレサマにくれないか?』
つぎはぎだらけの醜い黒衣の男まで現れた。
「うるせぇ」
聞きたくなくて、耳を抑えて目をつぶる。
それなのに三人の姿はまぶたの裏側にまで現れて、その声ははっきりと耳に残った。
『人のせいにするならば、その体を私に寄こせ』
『私も生きたかったの。生きる気が無いなら、くれないかしら』
『イヒヒッ、復讐果たして気分は爽快かぁ? オレサマはずっとここにいるぞ?』
三人が暗い笑みを浮かべて俺に向かって手を伸ばしてくる。
「うるせぇうるせぇうるせぇ! 俺の体だ、邪魔すんな!」
カットスの手を払いのけるも、俺の手はすり抜け、奴の体は俺に迫る。
三人の手が迫ってくるのが怖くて、手当たり次第に払いのける。
……だけど、全然消えてくれない。
「あああああ!!」
幻影を消したくて、手当たり次第に拳を振るう。
それでも全然消えてくれない。
曖昧な痛みだけが体に残る。
なんで、どうして――
あと少しなのに。
「はあ……はぁ」
周囲に何もなくなって、いつの間にか、三人の幻影は消えていた。
疲れて、また家の周囲にある大岩にもたれるように座り込む。
抑えようと思った手の震えは収まるどころかひどくなる。
「眠れそうにないな……これからは、気絶してもすぐに起きそうだな」
これからは一層、人としての生活を送ることはできなくなるだろう。
すでに味覚はない。
睡眠もろくに取れず、徐々に嗅覚もまともに働かなくなっていく。体も震え、食事もとれない。
でも問題ない。
予想が正しければ、もう数日と経たずに奴らは動き出すはずだ。そのときに、今度こそ。
――全員殺す。
もう後を気にする必要はない。
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