第32話 親殺し
昼ぶりにセビリアにやってきた。
陽は沈みかけて入るものの、夜になるにはまだ早い。
だけどすでにそこかしこから酒の匂いが漂い、甲高い叫び声や雄たけびがあがっていた。
通りにはハンターのみならず、一般の人間も堂々と闊歩しており、誰であろうとかまわずに酒や食事をふるまっている。
……おかしい。
この街にも天上人が来たはずだ。
何の被害もなく乗り越えたのか?
街にも人にも被害らしい被害は見られない。
精々いつもより石ころが転がっている程度。
「そんなことより、医者だ。……ギルドに行けば!」
この街に知っている病院なんてない。あいつがいれば、怪我なんてどうとでもなったから。
当ては一つしかなかった。
「うおっ! 『狂人』だ!」
「きゃあああ!! 『躯作り』よ!!」
俺が通りに姿を現せば、大通りをにぎわせていた歓声は途端に悲鳴に変わる。
「どけ! 邪魔だ!!」
のんきに呑んだくれている連中を力づくでかき分けながら突き進む。
連中が倒れようがなんだろうがどうでもよかった。
ただ必死に足を動かした。
やがて、見慣れたギルドの前に付き、いつも以上に乱雑にドアをあけ放つ。
途端に、
「ゥ!」
むせかえるほど強烈な酒の匂いと熱気。
男臭い汗のにおいと耳をふさぎたくなるような大声。
――なんでこいつら、こんなに楽しそうに騒いでんだ?
――あいつが、今も死にそうに苦しんでんのに。
腹の底から湧きあがるいら立ちを抑えようともせずに、俺は足を踏み鳴らして奥へと進む。
大通りと同じく、ギルド内も俺が現れた時点でバカ騒ぎはやんで、しんと静かになった。
俺の足音だけがギルドの中に響き渡る。
受付の前には、いつものハンターの行列はない。
すぐに受付嬢が現れたが、いつもはまだ真面目にしている受付嬢も、この時ばかりは顔が赤かった。
「な、なにようでしょうか?」
のんきに酒を飲んでいる連中が腹立たしくて、乱暴に机を叩く。
「薬だァ!! 薬をよこせ!! 火傷に効く薬!! 軟膏でも膏薬でもなんでもいい!! ありったけよこせ!」
「は、はいぃい!」
すぐに受付の後ろにいた職員たちが動き出す。
「あと医者! 腕のいい奴だ! 金なら出すからすぐに連れてこい!!」
「す、すぐに!!」
放り出すように金を投げ出せば、すぐに受付嬢も奥へと下がる。
だけれど、酔っているからか、動き一つが遅い、もたついている。
――イライラする。
「クソクソクソ……」
だんだんと足を踏み鳴らす。
早くしろ、頭の血管が切れそうだ。
一秒がとても長く感じる。周囲のすべてに腹が立つ。
それでもこらえて待っていると――
「おい、『狂人』」
俺の肩を掴む奴がいた。
「……あぁ?」
振り返れば、どこかで見たようなゴリラ顔がにらみつけてきた。
ゴリラには遠く及ばない握力で俺の肩を握り締めてくる。
「お前がいると酒がまずくなるんだよ」
言われた言葉の意味が理解できなかった。
「もうお前の勝手には我慢がならねぇ。仲間は殺すわ、好き勝手な行動をしてオレの戦友に怪我を負わすわ、少女を殺そうとするわ、挙句の果てに天上人が来てもついに何もしねぇと来た」
「……離せよ」
ふつふつと、抑えていた殺意が湧き上がってきた。
「今までは天上人と戦えるってだけで何とか我慢してきたが、もううんざりだ!! この街についにお前を超える英雄が出たんだ! 天上人なんて敵じゃねぇ! 裏切者のクソ野郎!! お前なんか御用じゃねぇ! とっとと出ていけこの『親殺し』が!!」
「――離せっつってんだろうが!!」
掴んできた手をひっつかみ返して、朝と同じように男を投げ飛ばそうとした。
しかし、
「お前はもう用済みだ!!」
「今までの恨み晴らしてやる!!」
「エウラリアとテネリフェの仇! ここで討ってやる!!」
次々とハンターたちがつかみかかってくる。
投げようと男に伸ばした腕を掴まれ、羽交い絞めにされる。
「邪魔すんじゃねぇ!」
「邪魔はテメェだ『親殺し』! 散っていったハンターたちの仇! ここで討ってあいつらへの手向けにしてやる!」
「お前が持ってる財産も全部この街のために使ってやる! それでも足りないくらいの罪がお前にあるんだよ!」
「死ね! エウラリアの仇だ!!」
次々とハンターたちが殴り掛かってくる。
今までおびえて陰口叩く程度だったのに、いくら酒が入っていたとしても異常な気勢。
こんなことしてる場合じゃねぇのに!!
「邪魔すんなら、テメェら全員殺してやるぞ!」
「やってみろ! こっちには英雄がいるんだ! お前なんて敵じゃねぇ!」
英雄? 誰だ?
どこの誰だか知らねぇが、そいつがこいつらをそそのかして俺の邪魔をしてくるのか。
なら必ずそいつを――
「クソ殺す!!」
羽交い絞めしてくる後ろの男の顔をひっつかみ、強引に棍棒のように振り回して周囲を蹴散らした。
それでも絶え間なくギルド中のハンターたちが襲い掛かってくる。
乱闘騒ぎどころではない、本気の殺し合いの中、戻ってきた受付嬢の声が響く。
「み、みなさん!! やめてください! 抑えてください! その人は――!」
「フィデリアさんだって、いつもこいつに脅されてただろうが! やり返すなら今しかねぇ!」
「違うんです! その人は――」
――受付嬢が戻ってきたということは、薬がある!
「薬はァ!?」
「あ、はい!! あります! ありったけあります! でもお医者様はみんなで払っていて――」
受付嬢が持つ籠に手を伸ばす。
「こんな奴に使う薬は一つもねぇ!! 薬は全部この街のためにと薬師が汗水らして作ったんだ! 街に害しかもたらさないコイツに使うなんざ俺たちが許さねぇ!」
受付嬢が持つ籠に伸ばした手を、無名のハンターが払いのけた。
その行為に、心の底から殺意がわいた。
「……殺す!」
袖から短剣を取り出して、振り被る。
そのとき――
「この騒ぎは……一体何?」
ギルドの入り口から、よく通る声が聞こえた。
◆
「この騒ぎは……一体何?」
聞き覚えのある声。
少し高い女の声が聞こえた途端に、あれだけ騒いでいたハンターたちは静かになった。
代わりに、言葉よりも雄弁に、連中の雰囲気が高揚していく。
やってきたのは予想通り、馬鹿みてぇな魔法使いの恰好をした銀髪の女。
「ちょっと席を外している間に――ってえ?」
「テメェか! この魔女が!!」
「あんた! その剣はなに!? どうしたの!?」
白々しくも心配してくる魔法使い。
「英雄様! こいつに裁きの鉄槌を! 指導してくれたハンターを殺して勝手極まりない行動をとるこいつには、しかるべき償いを!」
「そうだそうだ! 裏切り者の『親殺し』には、地獄を味わわせてやるんだ!」
「殺せ! 殺せ! あの二人の仇を取るんだ!」
魔法使いが来たことで、連中は一気にまとまり、こぶしを突き上げ唱和する。
「『親殺し』! 『親殺し』!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
――理解した。
天上人を撃退した英雄とは、この女か。
魔法が使えるなら不可能じゃない。
……こいつを、ほんの少しでも信用できると思った俺がバカだった。
ああ、そうだ。この世界の連中は全員同じだ。
全員敵だ。
殺すべき敵だ。
もう薬なんざどうでもいい。どうせ受付嬢が持ってきた薬も毒入りとか麻薬とかだ。
もういい。
この世界の連中には頼らない。
――一人残らず、この街全部を殺してやるぞ。
「しねぇええ!!!」
唱和するハンターの気勢にあてられたのか、一人が俺の背中に剣を突き刺した。
「ガッ!」
「ちょ!? あんた!?」
背中からの衝撃に、息が止まる。
慣れ親しんだ激痛。
前に倒れそうになるのを、足を出して必死にこらえる。
「は、はは! やった! やったぞ! 俺が『親殺し』をやったんだ!!」
邪気にまみれた笑い声が背中から上がる。
振り返る。
いたのは、まだ若い顔の赤いしてやったと顔に書いてあるような笑いを浮かべる男。
――手始めにこいつからだ。
「は、ははは……は?」
背中に刺さった剣を引き抜く。
一気に背中から噴水のように血が噴き出し、滝のように地面に落ちる。
それでも俺は歩みを止めず、剣を持って男に迫る。
「お、おい……嘘だろ? なんで動けるんだよ!?」
「……死ね」
「待ってくれ! ほんの出来心だったんだ! 殺すつもりは――」
人間モドキの首に俺の血にまみれた剣を振り下ろす。
剣が男の首に落ちる。
寸前で。
「邪魔すんな……ッ」
「するわよ……あなたにこんなことさせない」
魔法使いが邪魔をした。
男との間に割り込んで杖を構えて結界を張った。
魔法使いが入ってきたことで、命乞いをしていた男は途端に気勢を取り戻し、距離を取りながら指さし勝ち誇る。
「はっは! 俺たちには英雄様がいるんだ! お前なんかに勝ち目はないぞ!」
「あぁ?」
「――ヒィ」
部屋の中に青白い紫電が舞う。
急に現れた閃光にハンターたちは慄いた。
「ば、バケモノ……」
誰かが言った。
「バケモノだ」
「バケモノだ!」
「バケモノだ!!!」
次々と伝染病のように広まる。
やがて病に侵された亡者どもは、生者に石を投げつける。
「出ていけ! 化け物!」
「死ね!」
「バケモノ!『親殺し』!!」
――もう限界だった。
「こいつら――、あ、マズッ――」
ギルドに雷が落ちた。
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