第31話 揺らぐ情緒
――視界一杯に黒髪が広がった。
最初、それが何かわからなかった。
だけど――
「ぁぁああああ!!」
「――ッ!」
聞こえた悲鳴の主を、間違えるはずがない。
だけど、こんなことは、あり得ない!
「テメェ!!」
「あぁ?」
動かない足も入らない腕の力も無視して立ち上がり、奴に向かって短剣を突き出した。
とっさに奴は飛び退り、距離を取る。
「ぁ、ああ……」
「オイ! 馬鹿テメェ!」
ぼやけていた視界が徐々に鮮明になる。
代わりに頭が沸騰していく。
俺を誰かがかばって傷を負った。
傷を負ったのは、誰でもない。
「ふざけんなよ……なに邪魔してくれてんだ!」
「……」
黒髪に眠たげな顔をした赤目の少女。
ただ傷を癒せて使えるというだけで連れてきたみすぼらしい少女。
なんでこいつにかばわれなきゃいけねぇんだ。
なんでこいつがここにいるんだ。
「なんだ、女がいたのか? 『親殺し』の分際でずいぶんといい思いしてんじゃねぇか。俺にも紹介してくれよ」
さっきまでとは一転して、自分の足でゆっくりと迫ってくるマルコス。
「飛び込んできたからついうっかりばっさり焼き切っちまったが、まあ不可抗力だよな? 仕方ねぇ。あーあ、一瞬見た感じじゃ、かなりいい顔してたのに、今となっちゃ無残なもんだ」
倒れる彼女を抱きかかえ、容態を確認する。
彼女の整った顔は見るも無残に焼けただれ、眠たげな瞳はくっついてしまったかのように閉じられたまま。
体はもともとのみすぼらしい服装がさらに焼け焦げ黒く炭化した肌に焼き付いていた。
何よりも、彼女の身体を肩から脇腹にかけて深い切り傷が刻まれていた。
早く手当てしなければ、命がない。
「まあいいや、どうせお前の寿命がほんのわずかに伸びて、ついでに一人死体が増えるだけだ」
「……殺す」
「あ? なんだ?」
彼女を抱えたまま、立ち上がる。
一歩、奴に向かって踏み出して。
「……お前を、殺してやる。殺してやるぞ!!」
◆
「ああああああああ!!!」
「クソなんだよコイツは! 死にぞこないがしつこいんだよ!!」
短剣を必死に振り回す。
剣術も戦術も関係ない、ただの子どもの喧嘩のような稚拙な攻め。
右手に持っていた短剣は、簡単にマルコスの剣で弾かれた。
左手は倒れた少女で埋まっている。
「これで、死ねや!!」
マルコスの剣が命を狩ろうと振るわれる。
短剣もすぐに出せない。奴の火を噴く剣の前では間に合わない。
――でも、必要ない。
奴の剣が首に迫った瞬間に。
「――なっ!?」
俺は奴の剣に噛みついた。
腕も足も力が入らない。だけど、顎にはまだ入る。
「くそ、こいつ、この野良犬め! 離しやがれ!」
刀身が一気に燃え上がり、口が燃えていく。
熱い熱い熱い熱い!!
口が、顔が燃えていく。
だけど。
こいつにくらべりゃなんでもねぇ!
口内は焼け、剣に焼き付きそうになっても、噛み締めたまま動くことを許さない。
思わぬ行動にマルコスの動きが一瞬止まったその隙に、俺は右手で短剣を取り出して、奴の心臓めがけて突き刺した。
しかし、
「――ッ! チィ!!」
奴が剣から手を離し、その場から飛びのいたことで、短剣は心臓の位置からわずかに逸れて、奴の肩口に深々と突き刺さった。
「ああ!! クソクソクソ!! 俺がこんな奴に傷を負うなんて!!」
奴は剣一本で上空へと飛び上がり、肩に刺さった短剣を乱雑に引き抜いた。
気の抜けた剣を口から落とし、俺はマルコスの方へ少女を抱えたまま歩む。
「火傷、冷やさないと……川……水」
沈める勢いで少女の全身を川に浸す。
本当なら顔も火傷があるから水に浸したいけれど、今の状態で沈めれば彼女は最悪溺死する。
早くこの場から離れて手当てしなければ。
「あぁ……もうめんどくさくなってきたなぁ」
「いつまでも遊んでるからそんなことになるのよ。窮鼠猫を噛むって知らないの?」
「噛まれたところで所詮鼠だ。致命傷になんてならねぇよ。ま、それにどうせこれで終わりだ」
あいつらが邪魔だ。殺すのは後回しだ。
だから――
「……ん?」
「どうしたヴァレリア」
ずっと様子を静観していたヴァレリアが怪訝な声を漏らす。マルコスもさすがに彼女の疑問は無視できないようだった。
「川の水位が下がってる?」
「ああ? ……確かに下がってる気がするが、それがどうした?」
俺は少女を川から出して、全周囲から守るように抱えてうずくまる。
膝まであった川は今はもう足首くらいまで下がっている。
次々と川上から流れてくる水も不思議と量が減っていく。
「ま、何が起きてても問題ねぇだろ」
マルコスは何も気にせず、一本だけになった剣を俺に向ける。
剣から炎がちらちらと湧きあがり、一気に猛然と燃え盛る。
奴が俺たちに向けて炎を放つ、直前で。
「っ! 待ってマルコス! 今火を撃てば――」
ヴァレリアが制止する。
しかし止まることなくマルコスは火を放つ。
「死ねやあ!!」
叫び、炎が目前に迫ったときに。
「死ね」
――世界が白く染まった。
◆
あたしが逃げようとするフリウォルとカベザに向けて追撃をかけようとしたときに、街の外でひときわ大きな爆発が巻き起こった。
「なに!?」
「なんだ!?」
「あの方角は!」
遠目に見てもわかるほどの巨大な白い爆発。
山間の川全部を呑み込もうとするかのような大爆発。
爆風はあたしたち三人の身体をひどく煽って揺らし、爆音は肌どころか山すべてを震わすほどの威力を持っていた。
周辺一帯から一斉に鳥が飛び立ち、ざわめく。
唐突な爆発にあたしだけでなくフリウォルとカベザも驚いていた。
だけど、彼らの驚きはあたしと少し異なり、何かを心配してるようだった。
「あそこにはマルコスとヴァレリアが!」
「何かあったのか!?」
マルコスとヴァレリア。
その二つの名には覚えがある。
確か、『火星』と『水禍』の異名を持つ最強の天上人。
あの二人まで来ているとなると、状況は非常にまずい。だけどあの爆発が起きたということは、あたし以外にも誰かが天上人と戦っているということ。
そんなことができる人間は一人しかいない。
「あいつ……」
落雷が起こらなかったから、てっきり隠れているのかと思っていたけれど、そんなことはなかった。
いや、戦っているのはいい。問題はあの爆発。
あんな大規模な爆発は、あたしですら引き起こせるかも怪しいくらい。
「あんたたち! あの光について何か知ってるの!」
あの光がマルコスという男が引き起こしたなら、あたしでも手を焼くかもしれない。情報を引き出すために二人に問いかける。
二人は、あたしに背を向けて見苦しく逃げようとしながら言った。
「知るかよ! 知ってたとしてもお前なんかに教えるもんか!」
「フリウォル! 早く二人に合流しよう! どうなるにせよ、一度態勢を立て直さなければ!」
「そうだった!」
二人は一目散に逃げだした。
追撃しようか迷ったけれど、もしあの爆発が連中の仲間が引き起こしたものならば、一対四では分が悪い。
町の近くとなれば、なおさら。
やるなら、もう少し準備が必要だと思い、追撃するのはやめることにした。
「ふぅ~……」
二人の姿が見えなくなったことで、安堵の息を吐く。
あの爆発は気になるけど、今近づくのは危険。だから町の安全を確認してからできるだけ早く調査しないといけない。
魔力の残滓を調べれば、多少時間がかかっても何か手がかりはあるはずだから。
あたしはエフィメラからほうきに移り、飛竜の角ばった顎を撫でる。
「ありがと、またよろしくね」
「クルルゥ……」
心地よさそうに目を細め、エフィメラはあたしの帽子の中に飛び込んでいく。
普通なら大きな飛竜が帽子に入るわけないけど、そこはさすがは大魔法使いのあたし。
不思議も不思議、見事にエフィメラは帽子の中に納まって、跡形もなく姿を消した。帽子の中を覗いても、そこには普通の帽子があるだけ。
「さて、町に被害はないわよね」
帽子を被りなおし、町へと降りる。
小さいとはいえ、こぶし大の岩が降ってきたのだから、けが人や死者が出てもおかしくない。
最悪が起こらないことを祈りながら、町へと降りると――
「英雄様の誕生だ!!」
「俺たちにもついに魔法使いの味方ができたぞ!!」
「天上人二人を圧倒しちまった!! すげぇよあんた! 最高だ!」
途端に歓喜に湧いたハンターたちに囲まれた。
「ちょちょちょっと!? なになになに!? なんなの!?」
「お嬢ちゃんすげぇよ! あのフリウォルとカベザをのしちまったんだぜ!? 天上人二人はもう、敵じゃないといったも同然だ!!」
「あんな大量の隕石をあんな派手に防ぎきるなんてほんとにすげぇよ! どんな天上人も敵じゃねぇ!」
「今日は祝杯だ! このセビリアに正真正銘の英雄がやってきたんだ!」
あっという間にあたしを囲んだハンターたちは、あたしの疑問に答えることなく乱暴に腕をつかんで担ぎ上げ、まるでパレードのようにあたしをどこかに運んでいく。
「ちょっとぉ~!!!???」
叫びは歓声にかき消され、誰に届くことなくむなしく消えていくのだった。
◆
走る、走る、走る。
荒い息を吐き出しながら、震える足に鞭打って森の中をひた走る。
先の爆発によって舞い上がった川の水が、雨のように降り注ぎ、森の中に水たまりを作る。
その水たまりを踏みつけて、びちゃりと水を跳ねさせる。
「待ってろっ!」
腕の中の少女は何も言わない。
こひゅーこひゅーと、手入れを怠った笛のような、おかしな音を立てながら虫の息を吐く。
降り注ぐ雨も、今は彼女の熱い身体を冷やしてくれる気がしてありがたかった。
あの爆発の後、マルコスとヴァレリアは町の方へと向かったカベザとフリウォルして、先の爆発の影響と町に行っていた二人の焦った様子も相まって、撤退していった。
俺が死んで、あとは軍に任せればいいとでも思ったのか、すんなりと。
山の斜面を駆けのぼり、いつもの見慣れた家に着く。
地下に潜るのも面倒で、岩を吹き飛ばし、乱雑に扉を開いて靴も脱がずに家の中を駆けまわる。
いつも使っている血に汚れたベッドの上に彼女をゆっくりと寝かせる。
「火傷火傷……傷口冷やして……氷!」
魔法で桶に水を張り、氷を作る。
大量に作って、彼女の体に触れないようにゆっくりと、ベッドごと濡らすつもりで水をかけていく。
合間合間で彼女の体に触れて冷えたかどうかを確認するも、まだ全身がとても熱い。
少女の身体から放たれていい熱量じゃない。
「足りない足りない足りない……クソクソクソ!」
魔力が枯れるほど目いっぱいに氷水をつくり、彼女にゆっくりとかけていく。布に氷水を含ませて、彼女に被せる。
だけど、一向に容体はよくならない。
このままじゃ――
「……そうだ! 薬! 町に行けばきっと医者がいる!!」
思い立つよりも先に体が動き、家から飛び出していた。
体中が痛い。
足も腕も頭も痛い。
頭はふらつくし、耳鳴りはひどい。
口は焼けたせいか、今も火がついているかのように猛烈に熱い。
だけどそれ以上に。
胸が痛い。
「あいつがいれば、治るんだ。だから、あいつを治すんだ!!」
何度も道なき道を歩んで、木にぶつかりながら、町へと一気に駆け下りた。
自分が誰かとか、もうどうでもよかった。
自分があの町に何をしてきたのかとか、考えもしなかった。
――ただ、胸の痛みを治したくて、ひたすら走り続けた。
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