第22話 バケモノ
全身から自身の血か誰かの血かもはやわからないほどの血がしたたり落ちる。
俺の歩いた後を、筆を引きずったかのような赤い色が染め上げる。
「なあ、フリウォル。オマエも仲間と一緒がイイダロ?」
「ひ、ひぃい! ……ば、バケモノ、バケモノ!!」
フリウォルが涙を浮かべながら、逃げようと背中を向ける。
サーフボードに乗って空を飛ぶあいつを追いかけるすべは俺にはない。
……なんてのはもう過去の話だ。
「な!? なんで飛べるんだよ! それも道具もなしに!」
身一つで俺は空中に飛び上がる。
アア! 空を飛ぶのは、なんて気持ちいいんだろう!
「アハハハハハ! イッヒヒヒヒヒ!!」
「く、来るな!!!」
フリウォルが見えない風の刃を乱発してくる。
恐怖でおかしくなったのか、散発的で的外れな攻撃。まったくもって脅威じゃない。
「魔法ってのがどう使えばいいのか……オシエテやるよ」
腕を振るう。
途端に、周囲に散らばっていた短剣が一斉に動き出し、小魚の群れのようにフリウォルを向く。
「な、なんで!? なんでカットスの技をお前が使えるんだ!?」
「なんでだろうなぁ!? 自慢の頭で考えたらどうだ!? 空っぽの頭でヨォ!」
短剣が一斉にフリウォルに殺到する。
「畜生、なんで! なんで!?」
迫りくる短剣の対処で手一杯のフリウォル。自身を中心に竜巻を発生させて、短剣をすべて吹き飛ばす。
俺ははるか上空へと飛び上がる。
「クソ! こうなったら――っ!? どこだ!」
竜巻が晴れ、しかして俺を見失ったフリウォルがキョロキョロとあたりを見やる。
敵の姿を見つけられない奴は、お手上げとばかりに上空を見上げる。
上空にいる俺と目があった。
「――うわああああ!?」
「――チッ」
上から切りかかった俺の剣を、フリウォルは直前で回避するも、完全にはよけきることはできなかった。
奴が乗るサーフボードの先端が斬り飛ばされる。
それ以外にも、
「あああ!? 腕が、僕の腕がぁあああ!?」
フリウォルの左手が斬り飛ばされた。
「アハハハハ!!」
笑いを上げ、すぐさまフリウォルに追撃しようとするも、奴はすでに痛みと恐怖で混乱に陥り、地面に真っ直ぐ落ちていった。
あざ笑いながら、俺も地面に降りたち、無くなった腕を抑えながら、体を引きずるように逃げようとするフリウォルをゆっくり歩いて追いかける。
「どうした? 散歩か? ここはオマエタチの庭だもんなァ? 散歩くらいスルよなぁ。俺も一緒にイイカ?」
「来るな来るな来るな!!」
もはやそよ風程度にしか感じない風魔法を使いながら、必死にフリウォルは逃げ出す。
「情けないなぁ……先生の鍛錬を受けないから、痛みに弱くなるんだよ」
俺を見て見ろよ。
こんなに短剣に刺されて穴だらけになっても、普通に戦えるんだから。
「あ、そうだ。秀英! 強秀英!! 僕を守れ! 上級天上人になりたいんだろ!! カットスが死んだ! 枠が空いた! 僕の役に立て!!」
見苦しく叫ぶ。
そういえば、秀英がいたな。
秀英を蹴とばした場所を見る。
「いない?」
秀英が倒れていたはずの場所には何もない。見渡せども彼の姿はない。
どこだ?
目の前には満身創痍のフリウォル。戦えるのは秀英だけ。
まあいい、彼の役割を考えれば、俺の邪魔をしてくることは考えにくい。
俺はただ、目の前にいるフリウォルにとどめを刺せばいいだけなのだから。
「や、やめろ、来るな来るな!!」
見苦しく泣き叫ぶフリウォルの首に向けて、
「じゃあな、愚かな子供」
剣を振り下ろす。
◆
フリウォルに振り下ろした剣。
それは奴の首に食い込むことはなかった。
食い込むどころか、甲高い音を鳴らして弾かれる。
「なっ――」
「無事ですか! フリウォル様!」
「秀英!」
フリウォルを秀英が守ったのだ。
秀英に守られたことで、フリウォルが希望を見たとばかりに顔を綻ばせた。
「秀英! ありがとう! 本当に助かった! 頼む! 僕が逃げるまでそのバケモノから守ってくれ!」
「わかりました! 一刻も早くお逃げください!」
「ありがとう! 戻ったら必ず君を推薦するよ!」
フリウォルはこれ以上ないほどの満面の笑みを浮かべ、秀英に背を向けて逃げ出した。サーフボードは叩き割れ使えない。
あいつは強引に腕の痛みも忘れて自分の体に風をぶち当て逃げたのだ。
あっという間に森の奥に姿を消したフリウォル。
血と臓物の海となった谷間に残ったのは、俺と秀英だけ。
俺は剣を下ろす。
「秀英……」
「なんだ」
先生の記憶が確かなら、彼は敵じゃない。
彼は、辛いはずなんだ。
だから俺は、
「秀英、俺と来い。今なら死んだってことにして抜けられる。あそこにいたって地獄のだけだ。お前がいれば、勝てるんだ!」
手を伸ばした。
生きのこった唯一の同期。手段は違えど、同じ目的のために師とともに戦う同士だ。
彼もこの国を変えたいはずだ。
だからきっと、この手を取るはず。
これ以上ないタイミングなのだから。
「ウィリアム」
「なんだ?」
いまかいまかと返事を待つ。
しかし、
「バケモノの手を取ることは決してしない」
「……なんだと?」
彼は俺の手を払いのけた。
「俺は天上人。この国に尽くす義務がある。非道に与するなど誇りが許さん」
言っている意味が理解できなかった。
払われた手に、ぽつんと空から降ってきた雫が落ちる。
秀英に言われた言葉が頭の中でこだまする。
――俺が非道?
――どっちがだ!
「非道を行っているのはあいつらだ! 平気でこの国の連中を虐げる! 懸命に生きる人の命を踏みにじる! お前の誇りは、お前の正義はそんなものか!」
「俺は俺の信じる道を信じている! そしてそれは、決して今のお前を信じることでは決してない!」
「何を――」
「これを見ろ! この場所を!」
秀英が叫び、両手を広げる。
「この場所は今地獄だ! 血と臓物にまみれ、多くの者は理解もできずに焼かれ押しつぶされた! この場所は今、世界で一番赤く染まっている! それをやったのは誰だ!」
「――っ」
「お前だ! 『狂人』!!」
秀英の言葉に、頭をがんがんとぶたれた気分に陥った。
そのたびに、体中の血が沸騰する。
「俺をこんな風にしたのは、この国の連中だ!! 俺からすべてを奪った。記憶も家族も人生も! 何もかも! 奴らからすべてを奪って何が悪い! 仇を取って何が悪いってんだ!」
「俺が言っているのは行いではない! お前の心だ! お前の大切な家族はこんなことを望むのか!」
「知るか! 俺の家族はもういない! 奪われた! 奪ったお前らがそれを言うのか!」
戦っていることも忘れて叫び合う。
秀英は俺に槍を向ける。
「お前の言う通り、奪った俺たちの言葉に意味はない! だが、お前を信じて託していった者の言葉まで亡きものにするつもりか!」
「――ッ!」
「お前のようなバケモノと行くつもりはない。……さらばだ」
フリウォルが逃げ切ったのを確認して、秀英は俺を警戒しつつ下がっていく。
俺はなおも、秀英に手を伸ばし、声を掛ける。
「秀英! 俺と来い! お前は死ぬぞ! それでいいのか! たとえ俺と組まずとも! そこにいては、いずれお前も同じ運命をたどることになる!」
秀英は一度足を止め、
「望むところだ」
それだけ言って、今度は完全に背中を向けて走り去っていった。
俺はただ、その背を見送ることしかできなかった。
「ちくしょう、あと少しだったのに……畜生!」
遅れて、フリウォルを殺せなかった悔しさが湧きあがる。
――空から、大粒の雨が降り始めた。
同時に腹の奥から、
「――ウゥプ!!」
おぞましい何かが湧きあがり、口の中から飛び出した。
「オウェエエッッ!!」
赤い何かと酸味のある透明な液体。ツンと来る異臭を吐き出した。
「……はぁっ……うぅっ!!」
一度吐き出しても、また何度も何度も何度も湧き出してくる。
腹の中をいくら吐き出しても、一向に収まらない。
吐き出したそばから、吐瀉物は大雨に打たれ川へと流される。だけどその上にまた吐き出した。
止まらない吐き気と気持ち悪さをそのままに、俺は気を失った。
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