第23話 あなたに加護を



 無事に《魔氾濫スタンピード》の原因となる悪魔を討伐し、その副産物的に思わぬ収穫も得たことで、あたしは意気揚々と軍を相手にするために反対側の西に移動した。


 だけど――


「おえぇ……」


 耐えきれず、あたしはお腹の中身を吐き出した。


「あんなの……普通じゃない……狂ってる……何もかも」


 軍とハンターの戦いを見守るつもりだったのに、戦っていたのはあいつ、『雷槌らういつい』一人。

 一人しかいないなら助けようかと思ったけど、激しい戦いに割り込めずに静観していた。

 静観してしまった。

 そこで起きたことを見て、あたしは後悔した。


 来るべきじゃなかった。


 あんなおぞましい狂気に満ちた光景を見ることになるなんて。


 山に挟まれた標高が低い谷間に流れる、元は豊かできれいな川の畔は、今は目を覆いたくなるほどの血と臓物の海と化し、鼻がおかしくなるほどの血の匂いに満ち満ちている。

 透明できれいだったはずの川は真っ赤に染まり、上空から徐々にカラスたちが血肉を漁りにやってきて、死体の肉をついばんでいく。


 地獄絵図とはまさにこのこと。

 だけど、この光景すらまだマシに見えるほどの狂気がさっきまではそこにあった。


『雷槌』、いや、『狂人』。

 対峙したときにも常軌を逸していると思った。

 でも、甘かった。

 彼の狂気は、あたしの予想をはるかに大きく超えていた。


 彼が倒した敵、確かカットスと呼ばれていた敵も確かに頭のイカれた奴だった。

 空間魔法を利用した大量の短剣を操ることも、つぎはぎだらけで異様に広がる不気味な口も。

 十分に『狂刃』の名に恥じない男だったけど、『狂人』ははるか先をいっていた。


 何よりも――


「あいつは……敵の力を奪えるの?」


 カットスを殺した後、『狂人』はカットスの技を使えるようになり、おそらく飛べなかったはずなのに、難しいはずの単身飛行を軽々と行っていた。


「もしかして、あいつが『躯作り』なのはその力が関係しているの?」


 ほんのわずかに傷がある自分の首に手を当てる。

 もしあそこであたしが死んでいたら、あたしの技をあいつが使えるようになったりしたのかな。


「……本当に恐ろしい……確かに、『狂人』ね。いや、『狂人』ですら生ぬるい」


 赤く染まった世界で、生きているのはおそらく彼一人。

 でもその彼も今は地に付し倒れこんでいる。


 このままだと彼の命も危ない。

 だけど、うかつに近寄る気にもなれなかった。


 襲われたら? 殺されたら?

 力を奪われ、カットスと同じように首のない躯になって転がるなんて死んでもごめんよ。


 むしろここで、彼を殺すべきなんじゃないか。

 他人の力を奪えるなら、彼はこの先、さらに多くの人を奪い、その狂気でもってこの世界に混乱をもたらすことになるかもしれない。


 いずれ彼はあたしにも牙を剥き、力を奪おうとしてくるかもしれない。


 懐にある杖に手が伸びる。


 ……殺すべきか。


 でも、知りたいことがある。この先のことも考えると、このまま彼に死なれるのも困る。


 ……まだ早い。


「すぅ~、はぁ~……よしっ!」


 深呼吸して意を決し、彼を運ぼうとしたときに。


 じゃりっと、変な音が聞こえた。


「ん?」


 すぐに杖を取り出して警戒し、周囲を見やる。


 すると一人、森の中で隠れるように町の方へ去っていく人影が見えた。


「ハンターかしら。ギルドに報告に行ったのかな?」


 杖を懐にしまう。

 あたしは振り返って、『雷槌』のもとへ向かおうとした。


「あれ?」


 あたしよりも先に、彼のもとに向かう人がいた。


「あ、あの子!」


 パン屋で出会い、あたしを襲った『雷槌』を止めてくれた人。

 黒髪赤目の女の子は、倒れている彼の元へ駆け寄って彼を背負いだした。

 周囲の惨憺たる景色には目もくれず、華奢であり、人を背負っていることも忘れるほどに軽やかな足取りで、彼女はこの凄惨な場所を後にした。


「あ、ま、待って!」


 我に返ったあたしは、急いで彼女の後を追った。



 ◆



「待って!」


『雷槌』を背負っていく彼女に追いついたのは、セビリアとは違う山の中に向かうけもの道の途中だった。

 人一人軽々背負う彼女は、あたしの声を聞いて素直に止まってくれた。


「来てたんだね……」


 彼女の声音から警戒心は見られない。


「まあね。軍が来てるって聞いてたから、何かしないとと思って。ハンターたちじゃ魔法使いの相手なんてできないだろうから」

「そう……ハンターたちは?」

「たぶんもう四半刻すれば、あの場所に気付くんじゃないかしら」


 隣に並ぶと、彼女は特に何を言うでもなく、再びどこかに向かって歩き出した。

 重傷を負っている男の身体からは、絶えず血があふれ、少女の身体を赤く染めている。

 だけど彼女は何も気にすることなく、足を進めていく。


 ……この二人は、いったいどういう関係なんだろう。


「ねぇ、どこに向かってるの?」

「わたしたちの家」

「家? こんな外れの山奥に家があるの?」

「……本当は他の人には絶対に秘密なんだけど、あなたにだけは特別……だけど、秘密にしてね?」


 特別なんて言ってくれたのが嬉しくて、あたしはすぐにうなずいた。


「絶対守るわ。あんたは命の恩人だもん」

「恩人? ……助けたかな?」

「あれ、忘れちゃった? ほら、こいつに襲われたとき、止めてくれたじゃない」

「ああ」


 そういえばそんなこともあったかと、彼女は遠くを見て声を漏らした。

 今日あったばっかりのことだけど、あわただしくて数日前のようにも感じてしまう。

 そのあとは特に何か話すこともなく、歩き続けた。

 歩いていると、やがて目の前に大岩が現れた。


「あれ、落石かな。道がふさがってるね」

「いや、ここだよ」

「え?」


 彼女の言葉に驚き、再度大岩を見渡すも特に家らしきものは無い。ならば魔法かと思ってマナに気を配るも特になし。


「ねぇ、どこに入り口が――ってあら?」


 振り向けば、彼女はあたしのすぐ後ろの足元の土を払いだした。


「下にあるの」

「わお」


 大岩のすぐ脇、落ち葉や土に隠されて見えないように下につながる木戸があった。


「ずいぶんと用心深いのね」

「彼が人嫌いだから……もとはただの漁師小屋。それを周りに見えないように石と木で囲って地下から入るようにしたの」

「なるほどねぇ。確かにあの大量の岩の罠を作るには、ここらへんを拠点にしないと難しそうだもんね」


 扉をくぐり、地下を通る狭い通路をくぐりながら話を聞いた。地下だから小さな声でも声が通る。

 といっても、地下通路はそんなに長くない。四角い木材が積まれただけの簡素な階段を下りて、真っ直ぐな通路を精々が十歩歩いた程度でまた上につながる階段を登る。


 階段を登り切ったあたしの視界に飛び込んできたのは、


「わぁっ」


 素朴なんだけど、見たこともない様式の家がそこにあった。森に紛れるように茶と緑色に塗装され、家の外側、見えるような位置に通路があり、通路と部屋の中には仕切りがあった。

 見たことのない変わった様式の家。


「驚いた? ……和式っていうんだって」


 彼女はうっすらと微笑んであたしを見る。

 素直にうなずいた。


「驚いたわ。どこの地方の様式かな。少なくともこの国の様式じゃないよね?」

「さあ……詳しいことはわたしも知らない」


 おそらく玄関であろう扉を、彼女が通れるように開けておくと、彼女は小さく頭を下げてから家の中に入る。

 あたしもそのまま扉をくぐり、ゆっくり閉める。

 鍵ももちろんかけておく。


「靴は脱いで」

「脱ぐの?」

「脱ぐ」


 寝る時以外に靴を脱ぐことに驚いて聞き返すも返答は変わらない。戸惑いながらも靴を脱ぎ、彼女に倣って靴をそろえて家に上がる。

 家はそこまで大きくない。

 二人暮らし、ということを考えれば少し広いかもしれないけれど。


 彼女は勝手知ったるという感じで、廊下を少し進んだ先にある部屋に入る。

 あたしも追って中に入る。


 そこは、ひどく簡素な寝室だった。


「ん……」


 小さな息を漏らしながら、彼女はベッドに男を寝かす。

 彼が寝かせられた寝具を見て、


「……うっ」


 あたしはうめき声を漏らしてしまった。

 なんでって?

 そのベッドが元から赤く染まっていたから。

 部屋の中からは鉄と血の匂いがする。


 いったい、今までどれだけの大けがを負ってきたのか、想像するのもおぞましい。


 いけないっ、彼が危険な状態にあることには変わりない。

 あれだけ動けていたのだし、聖人だから命に別状はないのかもしれないけど、それもこのまま血を流していれば話は違う。


「手当てしないと! えっと、たしか帽子の中に包帯と傷薬が……」


 あたしが帽子を取り、中を漁って旅用にと用意していた薬箱を探していると、


「大丈夫。すぐに治すから」

「え?」


 彼女が言った。

 そして唐突に服を脱ぎだした。


「え!? 何してんの!?」

「なにって……彼を治すの」


 一体何がおかしいのかと言わんばかりに、赤い瞳の彼女は首を傾げた。


「治すのになんで服脱ぐの!?」

「なんでって……脱がないと治せないでしょ?」

「何を治すつもりなの!? 傷よね? 傷を治すちりょーよね!?」


 言いながらもするすると服を脱ぎだす彼女を、あたしは顔に手を当て見ないようにする。

 といっても、指の隙間から見てたけど……。


 ま、まあ同性だし、あたしが彼女の裸を見るのはまあいいでしょう。

 でも、彼男よね?

 気を失ってるし、治療のため(?)といっても裸を見せるのはさすがに……。


 あたしが戸惑っていると、さらに彼女の行動はエスカレートしていく。


 なんと、彼が寝ているベッドにもぐりこんだのだっ。


「なにしてんのぉ!?」

「だから、治療だって……」

「全裸で添い寝が治療って、そいつは一体どんな体してんの!? それで治るのは不能だけだよっ!」

「?」


 叫びながらも彼女はベッドから出ようとしない。

 彼女の服を拾いながら、何とかして彼女をベッドから引きずり出そうとする。


 その直前で――


 あたしは、を見た。


「お願い……死なないで」


 傷だらけの彼にすがりつくように抱き着いた少女の身体から、白く神々しい力に満ちた光が放たれる。

 暗い部屋全体を、真っ白の清廉な輝きが埋め尽くす。

 質量を持った光が全身を包み込むようだった。


「あたたかい……」


 その光に触れたあたしは、不思議な感覚にただただ酔いしれた。

 暖かくて、心地よくて、思わずこの安らぎに身をゆだねて眠ってしまいたくなるような厳かで神秘的な力。


 これは――


「『加護』の光……」


 自分で言っていて、信じられなかった。

 あたしは全身を包み込むように重く迫ってくる眠気から必死に逃れようと、二人に近づく。

 そして、息を飲む。


「傷が、治っていく……」


 赤黒く染まった服の下にあった見るに耐えない傷口が、みるみるうちに小さくなり、やがて何事もなかったかのように、意外にもきれいな素肌が服の裂け目から覗いていた。


 傷口が収まったことで、彼女から放たれる光も収まり、元の少し暗い部屋へと元通りになった。


 収まってもまだ、あたしは今起こった奇跡の余韻から立ち直れずにいた。


「すごい……これが『加護』。初めて見た」


 光が収まったことで幻覚だったんじゃないかと思い、改めて傷口を見るけど、やっぱり傷はどこもきれいにふさがっていた。

『雷槌』の胸も規則正しく上下に揺れている。


「う、うんん……」

「ん?」


 しばしあたしが余韻に浸っていたところで、思い出した。


 そうだよ、この子! 今全裸で男と添い寝してる!


「ちょっと! 治療が終わったんなら出てきてよ!」

「このまま、寝たい……疲れた」

「あたしも疲れた! 寝たいのはわかるけど、全裸で男と添い寝はダメー!」


  

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