第7話 買い物
会議があった翌日に、僕はいつもの通りに鍛錬場に赴いた。
そこでもいつも通りにアティリオ先生が待っていたので、昨日会ったことを話した。
僕はこのとき、初陣か、気を付けて行けよ、とか、準備を怠るな、とか言ってくれるだろうと思っていた。
先生なら、きっと何か教えてくれるだろうと。
しかし、
「……早……る」
聞こえないほどの、蚊もなくような小さな声で、先生は何かをつぶやいた。
「先生?」
呼びかけると、先生ははっとしたように顔を上げ、いつものように不愛想な顔で聞いてきた。
「出発はいつだ」
「明日です」
「なにっ?」
先生がわずかに目を見開き上ずった声を出した。
「…………」
「せ、先生?」
その後に沈黙が落ちる。耐えきれず声を掛けるも先生は黙りこくったまま。
さすがにいつも冷静な先生がこのようになると、僕も落ち着かない。
ただでさえ、明日初陣なのだ。
歴戦の先生から何かアドバイスでも心構えでも聞いておきたかったのに、先生本人に余裕がないとなると、不安になってしまう。
それでも辛抱強く待っていると、先生は顔を上げて、
「明日が初陣となれば、前日は鍛錬を行うわけにはいかない。今日は一日、ゆっくり体を休め、明日に備えろ。町にでも出て、必要なものでもそろえてくるといい」
僕の肩に手を置いて言った。
その声と表情は、いつもの落ち着いた先生だった。
先生の固く大きな手がどこか心強く、息を吸って、大きく胸を膨らまして、
「はい! 行ってきます!」
大きな声で返事をした。
即座に敬礼をして、踵を返して来たばかりの鍛錬場を後にする。
戦いに行くといった時の先生の様子も気になるけれど、不肖とはいえ弟子が戦いに行くのだ。
弟子なんて持ったことはないけれど、自分の知り合いが戦場に行くとなったら、僕だって落ち着いてはいられない。
先生でも戦場に出るということは怖いことなのだ。
先生を安心させるためにも、気を引き締めて、入念に準備をしなければ。
◆
鍛錬場から戻り、自室で私服に着替えてさあ町に出ようといったところで、
「お、ウィリアムも休みだったんだな! 俺もだ!」
「私もよ。なんだか先生方が忙しくしてるみたいね。休みにしてくれたわ」
オスカーとソフィアに会った。
二人ともちょうど外に出るところだったようで、軍服じゃなくて私服だ。
用事はきっと僕と同じだろう。
「明日のために支給品じゃ賄えない物を買っておかないとね。さ、行きましょ」
溌溂と歩き出すソフィアの後ろを僕とオスカーがついて行く。
「そういえばオスカー、前に言っていたいい武具屋、教えてよ」
「おう、いいぞ。俺も行きたいところだったからな!」
武具に関してはもちろん軍から支給される。
ただ、軍の支給品は一般兵用であり、神気を纏う僕たち天上人には合わなかったりする。
神気を纏う人間は少ない。
神気をある一定以上纏う人間を聖人と言い、体が頑丈かつ膂力が大きく向上する。
だから、普通の武具では脆くてすぐにダメになってしまうなんてことはざらにある。
遠征のことが知れ渡っているのか、町はいつになく活気立っていた。
「普段は遠征出立日は大抵鍛錬があって町に来ないからわからなかったけど、すごい期待されてるんだね」
僕が周囲を見渡しながらつぶやくと、ソフィアが程よく豊かな胸を張って鼻高々に言った。
「それはそうよ。帰ってくるたびにほぼ無償で資源やら食料を分けてくれるんだもの。私たちは普段高額な給金をもらってはいるけど、生活に必要なものはほとんどお金がかからないのは、この遠征のおかげなの」
「すげぇよな。上層で食料を生産している様子もないのに、この遠征だけで上層全部を賄えるんだから、そりゃ盛り上がるってもんだ」
二人の話を聞いて改めて、この遠征の大事さが身に染みる。
そうだ、この遠征はこの国に生きる人たちの希望なんだ。この街の外は人類の敵である悪魔の巣窟。
戦うすべのない人たちには、悪魔に囲まれた今の状況は不安で不安で仕方ないはずだ。
となれば、遠征部隊を率いる天上人に期待を寄せるのは当然で、天上人が国の象徴とされるのも納得だ。
実際には、天上人に並ぶ実力を持つ人はアティリオ先生を含め何人かいるが、彼らは基本城の外に出ない。
グラノリュース天上国、なんて言うくらいだから、この国の天上人の地位と名声は非常に高い。
……その末席に名を連ねているのだから、僕たちはこの遠征で気張らなければいけない。
「ほらウィリアム! まだ始まってないんだから、そんな固い顔しないで楽しみましょ!」
いつの間にか立ち止まっていたらしい。
僕を気にしたソフィアがびっくりするくらいに顔を近づけていた。
「な、なんでもない! 早くいこ!」
「あ、ちょちょっと!」
びっくりして、声がどもってしまった。
恥ずかしさを隠すために、僕はソフィアを追い抜いてオスカーと一緒に武具屋に走った。
◆
武具屋といっても、上層は大きな壁に囲まれていて、その外に出ない限り争いごとは起きない。
天上人とはいってもろくに手柄を上げていない下級の僕たちには専属の鍛冶師なんていないから、町か支給品で我慢しなければいけない。
武具屋に寄っても、あまりいいものは無かった
ただ品ぞろえは豊富で、僕がよく使う槍に関してはたくさんあった。
まあ、この店を利用するのは、精々が護身用の短剣だったりを買いに来る人がほとんどで、かさばる上に扱いにくい槍は使われないんだろう。
多少重くてもいいから頑丈な槍を選んで、僕はかなり早く準備は終わってしまった。
一方で短剣を獲物にするオスカーは、いいものがたくさんあって困っているようで、まだかかりそうだった。
そして、もう一人はというと、
「ねえウィリアム。この仮面かっこよくない? あ、でもちょっとごつすぎるかなぁ。少しいじれば、スマートに息もしやすくなると思うけど」
なぜか手に竜のような仮面を持って僕に見せてくるソフィア。
彼女は特に武器を選ぶ気はないらしく、ずっとなぜあるのかわからない仮面が売っている区画にいた。
まあ仮面というか、兜を扱っているのだろうけど、彼女が持っているものは兜と呼ぶにはあまりにもなものだった。
「なんで仮面? ソフィアが魔法を主体にしているから武器を使わないのはわかるけど、それなら兜もいらないと思うんだけど。そもそもそれ兜と呼んでいいのかもわからないし」
疑問をそのままにぶつけると、ソフィアは人差し指を一本たて、舌を鳴らしながら左右に揺らした。
「甘いわね、ウィリアム。私たちの上にいるのはあのカットスよ? 女と見るや寝室に脅して連れ込むような下種よ? 女だってばれないようにするには、仮面が一番じゃない?」
「……ああ、確かに」
ポンと一つ、拳を手のひらに軽く乗せる。
「それでどう? どっちの仮面が怖そうに見える?」
ソフィアの両手にある仮面。
片や竜を模した仮面、片や犬を模した仮面。
どっちが怖いかと聞かれれば、そりゃあもう。
「竜の方が怖いと思うよ。犬の方は耳の部分がかわいく見える」
「あらそう、私がこれ被ったら、余計男が寄ってくるかもしれないわね」
「あ、あはは……」
容姿にすら自信満々な彼女を見て、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
事実なので否定はしないし、したら電撃が飛んでくるので何も言えない。
それにしても……、
「その仮面、口元が変わってるね。開くの?」
「顎の動きに連動して開くようになってるみたいよ。これつけながらでもレーションを食べられるようにって」
レーションとは、軍事用の食料のようなものだ。細長くてぼそぼそしている口の中の水分すべてを奪い去るような食料だ。栄養価は高いが、あまり食したいとは思えないもの。
「まあ、食事中につける気はないから別になくてもいいんだけどね。食事中も仮面をつけるなんて、いやなことがありましたって言ってるようなものだしね」
頷く代わりに肩をすくめる。
ソフィアは気に入ったようで、店員のところに行って仮面を買った。
入れ替わりのように、欲しいものを手に入れたオスカーが僕のところにやってきた。
「ようウィリアム。もう武器はいいのか?」
「オスカー。うん、もともと槍は頑丈で投げられればいいからさ。投げる分には支給品で十分だから、ただ頑丈であればそれでいいんだ。そっちはどう? いいもの見つかった?」
「おうよ! 軽くて丈夫な魔法陣が刻まれた上物があった! 給金全部はたいちまったぜ!」
「え?」
二つの意味で驚きがあった。
まずオスカーが給金全部はたいて短剣を買ったということ。
下級とはいえ、僕たちは天上人。
給金はかなり多い。それを全額使いきるとなると、かなりの上物、いや業物だ。
何よりそれが魔法陣が刻まれているというのが大きい。
「魔法陣って、刻める人がほとんどいないんじゃなかったっけ? 刻むだけで効果が出る魔法陣なんて、それこそかなり精密に刻まなければいけないから、誰でも作れるものじゃないはずなのに」
「ああ、たまたま一個あってな。高額過ぎて誰も買い手がつかなかったらしい。どうにか交渉して、手に入れたんだ」
オスカーが新品の短剣を手に取り弄ぶ。
全額無くなったことよりもオスカーはいいものが手に入ったことが嬉しいようだ。鼻歌を歌いながら、危なげない動きで短剣を投げたり回したりしていた。
魔法陣が刻まれた剣、いわば魔法剣はただの剣とは性能がけた違いだ。
刻まれた陣によって効果は違うらしいけど、オスカーのはシンプルなもので、頑丈になって切れ味があがるものだ。
オスカーの短剣自慢を聞き流していると、ソフィアが戻ってきた。
彼女はご機嫌なオスカーを見て、呆れたように腰に手を当てる。
「まったくもう、おもちゃを買ってもらった子供じゃないんだから、あまりはしゃぐとみっともないわよ」
「そうはいっても、嬉しいものを嬉しいといったほうが、店側も嬉しいってもんだろ? 隠す必要なんざないって」
「程度ってものがあると思うけどね。まあでも、二人ともいいものが見つかったようでよかったよ。さあ、もう日が遅い。帰ろうか」
僕の提案に、二人は笑って頷き、横に並んで歩き出す。
さあ、準備はできた。
いよいよ、明日だ。
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