第2話 家族になる方法



 僕は軍人だ。

 僕と一緒に街を歩いているオスカーとソフィアも軍人だ。

 といってもまあ、今日は七日に一度の休養日。訓練も勉学もない遊びに使うしか道はない日。


「ねえねえ見てこれ。似合うと思わない?」


 露店に置かれていたアクセサリーを見てはしゃぐソフィア。

 それを見て、横にいたオスカーもはしゃぎだす。


「おう! 似合う似合う! ソフィアは何付けても似合うな。いやほんと、羨ましいくらいだ」

「あらそう、じゃあこれオスカーもつけてみたらどう?」

「いや、女ものじゃん」


 オスカーの言う通り、ソフィアは美人だ。

 何を付けても似合う。

 見た目の年齢的には十代後半か二十代前半といったところだ。黙っていれば楚々としているのに、喋り出すとちょっとわがままなお嬢様って感じだ。

 一方でオスカーは見た目は悪くないんだけれど、いかんせん体格がいいから似合うものは限られている。

 なんというか、ごつすぎるのだ。何着てもゴリゴリの森に住んでいそうな原住民になってしまう。


 二人から一歩引いたところで露店を見ていると、ソフィアが振り向き、僕の体に合うように服をかざしてきた。


「ウィリアムにはこれ。ウィリアムは力の割に細身だから、オスカーよりは似合うわね」


 そういう彼女の手にあるのは、ひらひらとした露出の多い下着。


 ……いや、何が似合うの?


「いや、なんで女もの着けさせるの? これが似合うって言われても何も嬉しくないよ」

「いいじゃない、世の中には男の娘っていう言葉があるのよ」

「はい?」


 よくわからないが背筋が凍りそうだ。このままでは、僕は女にされてしまう。

 ここはゴリゴリ男児のオスカーに助けを――


「おっと向こうに武具屋があるぜ! 行ってくるわ!」

「あっ! こら! 逃げんな!」

「二人でよろしくなー!」


 スタコラサッサよいこらせと、オスカーが止める間もなく去ってしまった。


 むう、参った。

 これではソフィアの獲物が僕一人、これでは逃げられない!


 僕だって武具を見に行きたいのに!


「あら、二人っきりね。ウィリアム、嬉しい?」


 ソフィアはいたずらっぽく笑い、僕の腕に抱き着いてきた。


「え? いや、別にいつも一緒にいるから特段――」


 つねられる。


「イダダッ!」

「え? なんて?」

「とっても嬉しいですハイ!」


 くそう、なんて暴力的なんだ。

 ただ腕に組みついてきているから、なんというか、その、柔らかい上にいい匂いがする。

 乱暴に振りほどけないのは、悲しいかな男の性だ。

 あまり彼女を女として意識することはしないけれど、さすがにここまでされるとドキドキしてしまう。


 いや、もう仮面が欲しい。今の顔を見られたくないな。


 案の定、ソフィアにばれた。


「あれぇ、ウィリアム。もしかして女の子に慣れてないの? 興奮しちゃった?」

「ま、まさか!? ソフィアにそんな感情抱くわけないじゃないか!?」

「え、それどういうこと?」

「あ、いえ、なんでもないです」


 どうしよう、どう答えても墓穴掘る気しかしない。

 うん、でも経験がない僕には、素直に認めるということがとてもハードルが高かった。ソフィアからの追及をどうかわそうか、必死に頭を巡らせる。


 だけど、


「ねえ、ウィリアム。何か思い出したりとか、した?」


 どこか切実に聞いて来た。

 未だどぎまぎしている僕を知ってか知らずか、ソフィアはさらに僕の腕にすがるように抱きついて来た。

 余計に心臓がうるさくなる。


「元の世界のこととか、家族のこととか」


 その質問に、性欲とは別の意味で、鼓動が止まりそうになった。


 元の世界。


 残念だけど、何も思い出せない。


「ごめんね。ソフィアやオスカーがいろいろ手を尽くしてくれてるのは知ってるけど、僕は何も思い出せない……。二人に迷惑をかけちゃってるよね」


 さっきまでの浮ついた気分が一気に覚めて、どこか申し訳なさがこみあげてきた。


 だけど彼女は一度きょとんとして、くすくす笑った。


「迷惑? まさか。オスカーも言ってたでしょ? 私たちは家族よ。それはウィリアムが元の世界のことを思い出しても一緒。血のつながりが無くても、過ごした時間は短くても、私たちの関係は変わらないわ」

「ソフィア……」


 彼女の手に僕の手を重ねる。


 とても暖かい。だけど小さいな。


 僕には二年前――ここに来るまでの記憶がない。

 それからの記憶にはいつだって二人がいる。

 二人は僕の記憶を取り戻すために、不安を取り除くためにいろいろ手を尽くしてくれていることを知っている。

 僕には知られないように、なんでもないことのように振舞っているけれど、かなり頑張っていることを知っている。


 こんな小さく、細い手で。


「ねえ、ウィリアム」

「なに?」


 ソフィアは組み付いていた腕を解き、僕の正面に躍り出る。

 腰を折り、上目遣いで屈託なく笑う。


「これだけ彼女っぽいことしても何も思い出さないってことは、きっと元の世界で彼女なんていなかったでしょ? 全然女慣れしてないし!」

「はぐあっ!?」


 天真爛漫な見惚れる笑顔で言われた言葉にダメージを受けた。

 あれ、さっきまで真剣な話だった気がするのに、なんでこんな傷つけられるんだ。


 僕は必死に取り繕い、歪な笑顔を浮かべながら、


「そういうソフィアはどうなのさ。そんだけ言うんだから、さぞかし男遊びしたんじゃない? 残念だなぁ、僕はあまり男遊びの激しい人は好きじゃないんだ」

「な、何言ってんのよ! 別に私は男好きってわけでも遊び人でもないわよ! ただ単に動じないってだけ、二人が初心すぎるから落ち着いちゃうだけよ!」


 珍しく彼女が顔を赤くして狼狽したのを見て、逆に僕は落ち着けた。


「へぇ、ま、そういうことにしておいてあげるよ。ソフィアのために僕は初心で居続けるとするよ」


 よし、これでソフィアのために女慣れしてない演技をしているという言い訳ができるぞ!


 言ってて、すごく恥ずかしくなってきた。

 ここは人の往来がある。

 大通りってほどたくさんの人がいるわけじゃないけれど、通り過ぎる人が僕たちを見て、ひそひそと話し、どことなくニヤニヤしている気がする。


 中には立ち止まって見つめる人が出てくるくらいだ。

 だけど、ソフィアはまったく気にしてない。

 それどころか、


「ねえ、ウィリアム。家族って基本的に血のつながっている人たちのことを言うでしょ?」

「うん? そうだね。父親とか母親とか兄弟とかはみんな血がつながっているし、基本的には仲の良しあしはともかく、そういう人を家族っていうね」


 ソフィアの質問の意図がわからなくて、単なる一般論の家族を述べる。


 彼女はクスリと笑い、僕の顔に一気に顔を寄せて――


「血のつながらない、自分で選べる唯一の家族ってなにか。知ってる?」

「え――」


 鼻先が触れる。

 お互いの吐息を感じる。


 ――血縁もゆかりもない他人が家族になる方法。


「私と、本当の家族になろう?」


 唇に柔らかい感触が伝わった。


 彼女は僕にキスをした。


 周りの喧騒も彼女の長いまつげも何もかもが時を止めたようにゆっくりになる。


 永遠にも感じるほど、だけど実はほんの一瞬。


 彼女は離れた。


「…………」

「…………」


 呆然と目をしばたたかせる僕に対して、ソフィアはすぐに俯き背中を向ける。

 でも一瞬だけ見えた彼女の顔は、すごく真っ赤だった。


 きっと僕も、同じような顔だろう。


 周りが囃し立てている気がするが、このときばかりは気にならなかった。

 回らない頭を必死に回して、言葉にならない言葉を紡ぐ。


「そ、ソフィア。……えっと、僕は――」


 必死に絞りだそうとしたとき、


「おーい! ウィリアム! お前にいい槍があったぞ!」


 底抜けに明るいオスカーの声がやってきた。


「業物の武器がたくさんあって、二人ともちょっとこっちこ……お? どうしたお前ら」


 様子のおかしな僕らを見て、オスカーが訝しむ。

 背中を向けていたソフィアは、オスカーの方にゆらりと向いて。


「うがああああああ!!」


 獣のごとくとびかかった。


「ああ!? なんだソフィア!? どうした!? 酒でも飲んだのか!?」


 急に襲い掛かってきたソフィアに反射的に構えるオスカー。

 さらにソフィアだけでなく、いつの間にか集まっていた周囲の人たちまで、邪魔をしたオスカーに罵詈雑言と共にとびかかる。


「めっちゃいいところだったのに! 邪魔スンなボケ!」

「感動の瞬間まであと少しだったのよ!」

「この甘酸っぱい感情をどうしてくれる!」

「な、なんだ! この人たちは!? 俺に人と話す権利はないのか!?」


 さっきまでの空気が一変して、他人まで巻き込んだ馬鹿騒動に早変わりした。

 僕はずっとついていけずに、ただ立ち尽くしている。


 暴れる二人を見て、僕は少し安心していた。


 ソフィアの言葉の意味。

 家族になろうと言ってくれた。他人が家族になる方法は一つだけ。



 彼女は僕にプロポーズしてくれたのだ。


 なんて嬉しいことだろう。



 ……だけど、素直に喜ぶことができなかった。



 とても自分が彼女に釣り合える人間だとは思えなかったから。



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