第1話 とある世界


 鈍くとも鋭い音が、屋外でありながら頑丈な壁に囲まれた訓練場に響き渡る。

 目の前から味気ない茶色の、刃引きされた木刀が差し迫る。

 僅かに視界に入る自身の黒髪も気にせず、まともに受ければそのまま切り裂かれ、爆ぜるんじゃないかと思うくらいの鋭く重い一撃に、右手に持った木製の槍を斜めにぶち当てる。


「どいしょぉ!!」

「うを!? やるじゃないか!」


 木刀の軌道に斜めにぶつかったことで、勢いそのままにスルっと刃がそらされる。相手がその感触に思わず驚き、振った勢いのままつんのめった。

 この隙は逃すまい!


「ハッ!」


 最小限の動きで防ぎ、そのまま手首を返して相手の首めがけて木槍を振るう。


「遅いぜ!」


 しかし、木刀が首に触れる直前に、相手の姿がかき消える。

 相変わらず速い!


「やるね! オスカー!」

「強くなったな! ウィリアム!」


 人の身長以上の高さに跳躍した相手、オスカーが笑いながら、落下の速度を活かして短剣を振り下ろしてくる。

 僕は槍を構え、カウンターを――


「二人ともいい加減にして――!!」


 甲高い声が聞こえ、


「あああああああああああ!?!?!?!?」

「ほげえええええええええ!?!?!?!?」


 全身に激痛が走り、筋肉が痙攣した。


「あ、あへ……」

「げほっ」


 そのまま、僕たちは糸が切れた人形のように倒れた。

 ぴくぴくと痙攣しながら、みっともなく。

 痺れて動けなくなっていると、顔に影が差し、上から声が降ってきた。


「もう、せっかくの休養日なのに、こんな日にまで鍛錬なんてあなたたちって馬鹿なの? 脳筋なの? Mなの?」


 碌に動かない首を必死に回して上を見上げる。

 逆光で見づらいけれど、今の彼女の顔は想像に難くない。


「そ、そふぃあ……ひ、ひどいよ……髪が焦げた」

「そんなに、お、おれたちを、いじめてたのしいか」


 呂律が回らない僕たちを見て、彼女――ソフィアはあごに指を当て至極愉快そうに笑う。


「なにいってんの。楽しいに決まってるじゃない。そもそもこの私をほっぽりだして二人でチャンバラごっこなんて、ひどいと思わない? 感電しても文句は言えないでしょ? それにウィリアムはもともと黒髪なんだから、焦げたってわからないわよ」


 被害者っぽく言ってるけど、僕たちにだって言い分がある。


「待ち合わせの時間に遅れてくるのが悪いんじゃないか。待ってる間にちょっと手合わせしただけだぞ」


「そうだよ、ほったらかしにする気はなかったよ。ちゃんと約束は守るって。それに黒髪でも感電したらチリチリになるんだよ」


 オスカーの言葉に賛同するようにぎこちなくうなずいた。


「ぶー、いいじゃない、どうせ碌に手入れしてない髪でしょうに。光るものを持ってるのに磨こうとしないウィリアムと違って、キラキラ光る女の子の支度には時間がかかるってわかってることでしょ? ちょっとくらいの遅刻は我慢してくれなきゃダメよ」


 徐々に戻ってきた体の感覚。

 僕は体を起こしながら、子供っぽくふくれっ面を浮かべたソフィアに言った。


「女の子って、ソフィアってもうしっかりとした大人――


 バチッ!


――ひぃっ!?」



 目の前に青白い紫電が落ち、地面が焦げた。


「なにか言った?」

「い、いえ、美人がいて待った甲斐があったなーっていっただけです……」

「ならよし!」


 お世辞……じゃなかった。真実を素直に口にすれば、彼女は途端に機嫌がよくなった。


 彼女はソフィア。

 ソフィア・エルグレース。

 艶のある黒に近い青髪に楚々とした目鼻立ちにすらりとした体形が全体通して大人っぽい雰囲気を醸し出している。

 でも話してみれば、表情はころころと変わり、口調と相まって年齢よりもどことなく子供っぽい印象を受ける。


 それがまたギャップであり、思わずドキッとするとても魅力にあふれる女性だ。



「あー、痺れた。まだ残ってるよ。木刀持つ手が痙攣してるよ」

「頑丈なくせにいじめられたがりのオスカーにはちょうどいいでしょ? 実はちょっと気持ちよかったり?」


 ソフィアの言葉に、オスカーは僅かに視線を泳がせる。


「……そ、そんなことは――」

「……え、うそ……引くわ……」


 ソフィアが一歩後ずさる。


「おい! 違うからな!?」


 離れていくソフィアに、顔を赤くしながら無駄な弁明しようとしているのはオスカー。


 オスカー・アルドレアス。

 短く刈り込んだ赤毛の髪を後ろに流し、顔には小さな傷があるせいかどこか野性味あふれる容姿。

 常に笑顔の絶えない彼は、笑いすぎて表情筋が強すぎるのか、真顔でもどことなく笑っているような印象を人に与える。

 顔だけ見れば笑い上戸のひょうきんものだけど、反面体格は大柄で筋骨隆々。


 いろんな意味でフットワークの軽い頼りがいのある男性だ。


「あっはははは!」


 二人の会話を聞いて、僕は笑い声をあげた。


「ウィリアム! 笑ってんじゃねぇ! いっとくぞ! 俺はMじゃないからな! 電気の感覚が少しだけ癖になるってだけだからな!」


 一体それのどこに誤解があるのだろう。


「あの痛みを味わったあげく、地面にひれ伏して気持ちいいって思ってる時点で、十分変態だよ。同じ目に遭ってるけど、僕には遠慮がないことから感じる親しみ以外に嬉しいことなんか一つもないよ」

「ぐはっ! ……ウィリアムの言葉が一番きついぜ……」

「あ、また倒れた」


 わざとらしく胸を抑え、再び地面に伏すオスカー。

 僕とソフィアは目を合わせ、


「踏めってことかしら」

「だろうね」


 頷きあい、足を上げる。


「じゃあ僕頭」

「じゃあ私頭」

「どっちも頭じゃねぇか!!」


 抗議するオスカーにかまわず、遠慮なしに頭を踏んだ。


「ほげ」

「……ぷっ、あっはっはっは!」

「ふふふっ!」


 軽く冗談で頭を踏んで、わざとらしいうめき声をあげるオスカーを見て、僕らはまた笑った。


「たくっ……ふ、あははは!!」


 頭を踏まれて抗議しながらも、どことなく楽しそうにオスカーも笑う。


 楽しいな。とっても楽しい。


 二人と一緒にたわいもない馬鹿をするのはとっても楽しい。


「そんで、ウィリアム。電気ショックで頭は治ったか?」


 踏まれ、茶色く汚れた頭をそのままに立ち上がったオスカーが聞いてくる。

 誰がどう見たって、治ってない頭を持つのはオスカーだと思うけれども。


「残念だけど、僕の頭はオスカーと違って不良品じゃないから、この程度の刺激じゃ不具合は治らないんだ」

「そう? じゃあもうちょっと強くいっとく?」


 目敏くソフィアが手のひらにバチバチと電気を発生させていい笑顔で聞いてくる。


「え、遠慮しとく……」


 これ以上ソフィアの強い電撃を食らったら、それこそ再起動ができないほどにショートしてしまうに違いない。


 ただでさえ、僕の頭は人と違うのだから。


「大変だよな、記憶がないって」


 同情するようなオスカーの声。

 僕は肩をすくめる。


「ホントにね。ま、記憶があっても碌なことを知らないオスカーを見てると、別にいいかって気持ちになるよ」

「ホントにひっでぇよ! お前ら!?」


 一気に泣きそうになるオスカーを見て、またソフィアと一緒に笑いだす。



 ……強がっていても、本当はすごく怖いんだ。



 僕には、およそ二年前以前の記憶がない。

 自分が何者かも、どうして自分がこうしてここにいるかもわからない。何をすればいいのかも。


 それがどうしようもなく、怖かった。


「大丈夫よ、ウィリアム。私たちがずっと一緒にいるからさ」

「おうよ、記憶があろうがなかろうが、お前は俺たちの家族だからな!」


 不安で仕方なかった僕を支えてくれたのは、目の前の二人だ。

 二人がいれば、僕は何とだって戦える。


「さあ、いい加減出発しましょ! せっかくの休養日、日頃の訓練も忘れてリフレッシュしないと損よ!」


 ソフィアの明るい声に釣られて、僕は笑い、二人について訓練場を後にした。



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