第8話 贖罪


 お昼休み、学校を抜け出して駅前のドーナツ屋でドーナツを買い込んだ。今日のおやつを那由は持っていると言っていたが、俺はスパゲッティのお詫びに買うことにした。水浸しのスパゲッティを食べている那由は相当、異様に見えた。

 正直目が見えていたら、そんなものを口にしようと言う気持ちはおこらないはずだ。でも那由はそれを受け入れて、嫌がらせも「雨に濡れただけだ」と言って特に気にもしなかった。そう言うところもやっぱりイライラしてしまう。


(落ち着け。本当なら…感動するべきなのに。どうしてこんなにもイライラしてしまうんだろう)


 ピアノに対しての諦め…、水浸しのスパゲティにも同じだった那由…。どうしてこんなにも無性に腹が立ってしまうのだろう。無性に腹立だしく、ドーナツも二人で食べるには多すぎる量を買ってしまった。



 二人だけの練習も、朝、先生に見てもらったせいか、随分、スムーズに行くようになった。


「休憩行く?」と俺が聞くと、驚いたように口を開けた。


「いや、必要ないなら…」と言いかけたら「行く」と即答した。


 チェロは練習室に置いて、外に出た。


「京は練習の鬼だから、行かないかと思った」


「俺は行かなくて全然いいんだけど、駅前のドーナツ買ってきた」


「え? そうなの? おやつ持ってるけど」


「せっかくだから食べて」と那由の膝の上に箱を置いて開ける。


「わ。甘い匂いがする。何があるの?」


「えっと。チョコレートとか、いちごチョコレートとか、生クリームが入ってるのとか…。砂糖粒がついてるの…」と言うと「何個買ってきたの?」と驚いていた。


「何が好きか分かんないし、いろんなの買った」


 那由は砂糖の粒がついてるのを選んだから、紙に包んで渡した。


「ありがとう」と本当に嬉しそうな顔で笑う。


「あのさ…」


 俺の方に顔を向けるが視線は合わない。なんとなく頭の方を見てるのはわかるけど。


「悪かった」


「お昼のこと? それとも練習のこと?」


「嘘ついて…。嫌な目に合わせたこと」


 そう言ったのに、返事がないまま、ドーナツを食べ続ける。丸く膨らんだ頰が動いて、まるで子供みたいな食べ方だ。


「京は食べないの?」


「え?」


「だってこの後、また練習するんでしょ? お腹空かない?」


「…空くけど」


 それを聞くと那由は膝の上にあったドーナツの箱を俺の方へ差し出してくる。


「那由がいらないのでいいから…」


「えー。いらないのないよ。好きなの食べてよ」


 黙ってチョコレートドーナツを選んだ。


「何取ったの? 教えて?」


「え? チョコレートだけど」


「ふうん」と言って、見えない箱を那由が見ようとする。


 その横顔に砂糖がついてるのが見えた。取った方がいいのか? と思って手を伸ばした時、「ねぇ、クリームのはどれ?」と二つ目のドーナツを聞かれた。俺が取って那由に「はい」と言って渡すと、また嬉しそうな顔をする。


「これ、食べたら頑張るからね」と言うから思わず驚いてドーナツを落としてしまった。


「どうかした?」


「あ、なんでもない」と言って、ドーナツを拾い上げる。


「落とした?」


「分かるの?」


「だって、影が動いたし。それに…私が頑張るって言って驚いたんでしょう?」と言って笑う。


 当てられて恥ずかしくなって、横を向いたが、那由にはそこまで見えないか、と思った。笑っていた那由は鞄からマドレーヌを取り出して渡してくれた。


「チョコじゃないけど…」


「…これ、手作り?」


「手作りって言うと…手作りだけど、スーパーのパン屋さんのなの」と言って、声を立てて笑う。


「那由が作ったのかと思った」


「…うん。作ってみたいんだけど。やっぱりお菓子作りは難しいよね。作ってみたいけど。メモリは見えないし」


 嫌なこと言ってしまったと思ったから、黙ってマドレーヌを口に入れる。レモンとバターの香りがして、スーパーのものとは思えない美味しさだった。


「そこのスーパーのパン屋さん美味しいでしょ? 工夫して、いろいろ作ってくれてるの」


「…美味しい」


「ベートーベンの曲って、ロマンティックな感じじゃないよね。楽しい曲だけど」


「そう?」


「だから京と弾いてて楽しかった」


「え?」


「好きとか、そういう嘘は困るけど、友達になれたら嬉しい」と言って、合わない視線で笑った。


 頰にまだ砂糖がついてて、それをどうしていいのか分からないからか、返事ができなかった。

 

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