第8話 耽美と幻想

 鎌倉氏は、佐久間氏の遺作を、

「幻想的で猟奇的、そして耽美主義だ」

 と言った。

 俊六は、本当は自分が書きたいジャンルの作品だった。売れる売れないさえ考えなければ、

「そればかり書いていれば楽しいだろうな」

 と思っていた。

 しかし、彼にはそれを許さない『事情』というものがあったのだ。その事情というものがどういうものだったのか、他に知っている人は誰もいない。いや正確にはいるのだが、いや、いたというべきであろうか。俊六は今自分が何をやっているのか分からなくなっている。

 そんな状態を知らないからだろうか、今日の鎌倉氏は異常に挑発的である。こんな言い方を普段からする人では決してない。普段から落ち着いていて、警察連中ですら、啓蒙しているほどの人格者なのだ。

 それだけに、今日の行動、言動には何か意味があると思えてならないだろう。

「佐久間先生の作品、私は本当に好きです。でも、本当は遺作の方が好きなんですよね」

 というと、もう俊六の頭の中は沸騰しまくっていた。

「あの作品のどこがいいと言われるんですか? 猟奇的で、羞恥に満ちていて、変態趣味のエログロナンセンスとはまさにあんな小説のことをいうんじゃないですか」

 と、自分の師匠であった人をいくら亡くなって何年も経つとはいえ、ここまで罵倒するというのはありえることではない。

 逆に亡くなった人を悪くいうというのが、常軌を逸しているようで、おかしな状況を作り出していた。

「だって、すごいじゃないですか。私も本当はエログロ系の小説を書きたかったんですよ。でもできなかった。描写があまりにもリアルになると、発表できなくなるし、使えないお言葉も結構ある。その中でいかに読者に想像力を豊かにさせて、想像力で言葉を補うか、それが問題なんですよ」

 と、鎌倉氏は話す。

 さらに黙っている俊六を後目に、鎌倉氏は話した。

「あなたを紹介してくれた大久保さんも言っていましたけど、高杉さんは、先生の生前の作品を酷評してはいたけど、遺作に関しては酷評することはなかったと言っていましたよ。それを聞いて私は、高杉という人は、予言というものを小説に組み込んだことに怒りのようなものがあり、幻想的で猟奇的で耽美主義な作品には尊敬の念を抱いていたのだとですね」

 まだ俊六は震えている。

「どうしたんですか? 別にあなたのことを罵倒しているわけではないんですよ。佐久間先生の作品が、生前と遺作と呼ばれているものとで、ここまで違うというのは、何かあるんじゃないかと思って言っているんです。もし何かあるのであれば、それを知っているのは、いつもそばにいた弟子のあなたしかいないということですね」

 俊六は、またしても、打ちひしがれた気がした。

 確かに鎌倉氏の言っていることは間違ってもおらず、理路尊前としている。知らない人が見れば、俊六がご乱心でもしたのではないかと思う二違いない。

 だが、

――違うんだ――

 と俊六は自らに問うていた。

 その気持ちが乗り移ったのか、今にも泣きそうになっているその顔に向かって、鎌倉氏は容赦をしない。

「今度の殺人事件に関していえば、その中に何か耽美的なものを感じるんですよ。ただ、本当に耽美を見せびらかそうとしてはいるけど、それは自分を鼓舞しようというものではない。どちらかというと、耽美というものが、いかにつまらないものなのかということを逆に世間に訴えているような気がして仕方がないんです。これも私の勝手な想像なんですが、そのせいもあってか、どうしても自分の理論がまとまらない。だから、佐久間先生の弟子であるあなたにお訪ねしているんです。それをあなたはまるで私が一方的に攻撃しているかのように、完全に自分の殻に閉じこもって、隠れてしまった。その氷を解かすにはどうすればいいかと考えているところです」

 あくまでも鎌倉探偵は、この話は自分の考えをまとめたいからだと言ってくる。

 それを聞いてもさすがにまだ興奮が収まらない俊六は、呼吸困難に陥りそうになっていた。

「スズランというのは何かおかしいとは思っていました。まず、誰にでも使用できると言っても、その変に咲いている花というわけでもないので、入手sるとなると花屋で飼うことになる。しかも、毒の種類はコンパラトキシンだと分かれば、スズランであることも分かる。だからなのか、最初からスズランの花びらを殺害現場に残しておいたのは、きっと犯人の演出によるものなんでしょうね。そうなると、犯人に自分の犯行を見せびらかしたいという思いがあると思ったとしても不思議ではない。美しい花であるスズランを持ちひて静かしに殺す。本当に静かで残酷な殺し方ですよね。その分美しいともいえる。昔読んだ本に、『むごく静かに殺せ』というのがありましたが、まさにその小説を地で行っているという気がしてきました」

 というのは俊六の冷静な状況分できだった。

「そうですね。私はあなたの口から今のような話を聞きたかった。あなたがいかに今度の殺人を考えているのかを聞いてみたかったんです。ちょっと誘導尋問のようになってしまって申し訳ないと思っていますが、こうでもしないと、あなたの本心は聞けない気がしたんです。これでも本心なのか、今でも分かりません。でも、あなたのような人の本心を聞くには、一度プライドを崩さなければいけないと思ったんです。『熱しやすく冷めやすい』、これがあなたの性格だって思ったんです。実は私もそうなんですよ。裏表が激しいというんでしょうか。思い切り思い込んでしまわないと自分が怖いんです。そのため、心を開かせるには、思い切り相手に反発心を抱かせるしかないとですね」

 と鎌倉先生は言った。

「そうですか、よく分かりました。僕はきっとなニア言われるとすぐにムキになるんでしょうね。我を忘れてしまって、頭に血が上るとでもいうんでしょうか。そうなると自分じゃなくなってしまう。でも、そんな時に、結構自分の近い将来が見えたりするんですよ」

 と俊六がいうと、

「そうでしょうね。私も似たようなことがありました。そういう意味で、きっと佐久間先生も同じようなところがあったんでしょうね。自分の未来が見えることで、それを小説にどう生かすかということを、佐久間先生には分かっていた。だから、書けたんでしょう。これこそが才能というじゃないでしょうか」

 と鎌倉先生は口にしたが、この時、鎌倉先生は分かっていたと言ったが、書いたのは佐久間先生だとは言っていない。そのことに何か秘密があるのかも知れない。

 そのことを知ってか知らずか、俊六はスルーした。鎌倉探偵の言っている意味が分かったはずではないだろうか。

 それなのにスルーしたというのは、俊六の方にも何か考えがあってのことなのかも知れない。

 二人は、お互いに腹の探り合いをしているようで、その戦いは、今始まったところだった。

「ところで、鎌倉先生。耽美主義って何なんですかね?」

 と、俊六は尋ねた。

「私の考えですが、耽美主義というのは、道徳面を無視し、とにかく美というもの最大の価値と捉える幻術なんだと思っています。つまり、美というものが最大の価値であり、最大の価値というものが芸術なんじゃないかって思っています」

「先生の考えは分かりやすいですね。一種の三段論法なんですね」

「そうだね、僕は基本的に三段論法が考え方の基準だと思っている。小説家から転身して探偵になったけど、小説家としては芸術を、そして探偵としては理論的な思考を得ることができたと思っています。どちらも生きていくうえで絶対に必要なものだと思っているし、この二つのない人生は、実に味気ないものではないかと思います」

「味気ないですか?」

「ええ、この二つがなければ、まるで抜け殻のような人生。よく『勝ち組、負け組』なんていう言葉で表したりするじゃないか。私は、この二つが揃っていれば、どんなに貧しい生活をしていても、勝ち組と言えると思うんです。そんなに裕福でも、芸術的な感覚や理論的な考え方がなければ、絵に描いた餅のようなものですからね。もっとも、この二つがちゃんと備わっていれば、たぶん貧乏はしないでしょう」

「でも、貧乏する人もいるのでは?」

「もちろん、全員が全員成功とはいいませんが、逆はあるんじゃないですか? 備わっていないと、裕福にはなれないという意味ですね」

「美しさを見切る力というのは、判断力にも匹敵するわけですね。僕も小説を書いているので、その感覚は分かるような気がします」

「一円玉を笑う人は一円玉に泣くといいますが、耽美主義を笑う人は、耽美主義に泣くんでしょうか?」

「僕は泣くような気がしますね」

 と、鎌倉探偵は言い切った。

「先生は耽美主義というのを描いた小説を書いたことありましたか?」

 と俊六が聞いてきたので、

「僕はないですね。書きたいと思ったことは確かにあったんですが、僕の力量では書き上げることはできませんでした」

「やはり難しいんでしょうか?」

「僕は難しいと思っているよ。人間には、持って生まれたものと、努力によって補えるものとの二つの才能を供えていると思うんだけど、耽美主義を描こうとすると、そのどちらも備える必要があると思うんだ。耽美主義と一口にいっても、その中にはいくつかの美に対しての意識が必要で、それを自分なりに表現するための力が、持って生まれた才能に含まれていると思うからね」

 と鎌倉探偵は言い出した。

「そこに何か根拠はあるんですか?」

「根拠というものはないんだけど、そもそも今君が僕に言った、根拠という言葉、この言葉が出てくる時点ですでに耽美主義を語るのは無理なんじゃないか? 耽美主義には道徳もなければ、美以外のものは、二の次とされる。耽美主義とは、思想やイメージであって、理屈ではないんだ。それを理屈を理解して描こうとしても、そもそも歩んでいる道が違うので、その二つが出会うことはないんじゃないかな?」

 というのが、鎌倉探偵の意見のようだ。

 俊六が黙って俯いていると、さらに畳みかけるように、

「耽美主義には自分に対して羞恥や卑屈な気持ちを持ってはいけないんだ。あくまでも自分の一貫性を貫く気持ちがなければ描くことはできない。だからもし君が描きたいと思うなら、まずは、その羞恥や卑屈な気持ちを取り除かなければいけない。君はその二つを自分で感じているはずだろう?」

 と言われて、

「おっしゃる通りです」

 と俊六は頭を擡げ、完全に敗北感に打ちひしがれていた。

 今の鎌倉探偵には、相手を打ちひしがせたという気持ちはなかった。いつもであれば、相手を自分の論理で言いくるめられたというしたり顔になってしかるべきなのだが、その時の鎌倉探偵は、苦笑いするしかなく、グッと歯を食いしばっているような気持ちだった。

「私は幻想小説を書きたいというのが本音なんです。そのための手法として耽美主義を用いようという考えなんですよ」

 という俊六に、

「それは間違いではないような気がしますね。でも、その考えには反対の人もいるでしょう?」

「ええ、その考えに真っ向から反対していたのが、佐久間先生でした。先生は、『耽美主義は純粋でなければいけない。何かのジャンルの小説を完成させるための道具に思いるというのは許されない』と言っていました。僕は先生を尊敬していましたが、そこだけは賛成しかねるところだったんです」

 と俊六がいうと、

「なるほど、佐久間先生の遺作と言われる作品を読んでみるとそのあたりの発想は分かる気がします。秀逸な作品ではあるけど、一部の人間にしか評価されないようなイメージがある。でも、それも立派な作品である証拠、生前の佐久間先生の作品が誰からも評価されるような作品であったのと同様にね」

「でも、そんな先生の作品を酷評する人がいた」

「それが高杉氏だったわけですね?」

「ええ、そうです」

「たぶん、高杉氏は当時の佐久間先生の作品に、何かの中途半端さを見出したのではないのかな? 例えば、幻影小説を描こうとして、その中に耽美主義を見出したようなですね。もし、僕が評論家の立場であれば、高杉氏と同じような批評をしたかも知れない。特に高杉氏には、幻影小説でありながら、予言小説などという彼から見れば邪道に見えるジャンルを勝手に生み出して、文学界のジャンルを引っ掻き回しているかのように見えたことで、どうしても、辛辣にならざるおえなかった。そこに、高杉氏の困惑とジレンマがあったのかも知れませんね」

 と鎌倉探偵は、歯にモノを着せないような表現で語った。

 それを聞いた時、俊六は、

――鎌倉さんは、ある程度のことが分かっているのかも知れない。それにしても、どこまで分かっているというのだろう?

 と感じた。

 事件のことで相談に来たはずだったのに、どうしたことか、文学談議になってしまった。それが実は鎌倉探偵の自分なりの調査術であることを知らない俊六は、疑心暗鬼になりながら、話をするうえで、自分の意見を素直に語るしかないと思っていた。

 鎌倉探偵もそのことは分かっていて、彼なりに、

――この男の本音を聞き出そう――

 と考えていたようだ。

 言い方は悪いが、

「丸裸にしてしまおう」

 という考えである。

 相談に来ている手前、相手を探りながら模索している俊六に、相手を丸裸にしてしまおうと、相手を包み込むというよりも大きな布で覆いかぶせてしまおうと考えている時点で、立場はどちらが強いものかは、最初から分かっていたことだった。

「坂上さんは、幻想小説をどう思っていますか?」

「僕は、文学史のようなものは詳しくは知りませんが、幻想という言葉には、小説とは切っても切り離せないものを感じるのです。フィクション、つまり架空小説と呼ばれるものは、すべてにおいて、何らかの幻想的なものが含まれている。それがないと小説ではないというくらいの極論を持っています」

 というと、

「それでは坂上さんは、ノンフィクションは小説ではないと?」

「本当の極論ですがね。僕は同じ小説としては認めたくないと思っています」

 とキッパリと俊六は言い切った。

「その考え、乱暴ですが、私は好きですね。私もどちらかというと、坂上さんに近い発想を持っています。やはり小説は幻想的でなければいけない。マンガなどのように絵で相手を導くわけではないので、想像力が必要になる。相手に想像力を抱かせるのも幻想という視点です。そのための力の一種として、僕は耽美主義があるのだと思っているんですよ。つまり今あなたがおっしゃったような、小説には幻想が不可欠なように、幻想には耽美主義が不可欠ではないかとですね」

 と言われ、俊六は目からウロコが落ちた気がした。

「じゃあ、僕の小説も、幻想を描いているので、知らず知らずに耽美主義を描いているということでしょうか?」

「ええ、耽美主義を目指す必要などないんです。あなたはすでに書いているわけですから、そして当事者になっていることを自らが分かっていなければ、当事者になる様子を想像することはできないんです。見ている方向がまったく違っていますからね」

 と、鎌倉探偵は教えてくれた。

「ところで今回の殺人なんですが、私には今のあなたと同じ発想を感じたんです。もちろん、今あなたと耽美主義や幻想小説について話をしていてですね。ちなみに、幻想というのは、小説だけに言えることではないんでしょうね。幻想文学という大きな括りになっています」

「どういうことでしょう?」

「つまり、幻想小説ではなく幻想文学になっているというのは、私は曖昧な発想から来ていると思っているんですよ。つまり広義な意味と狭義な意味があって、そのふり幅にかなりの開きがあるということですね」

「なるほど」

「狭義な意味としては、小説のジャンルとしてのものであるという考え方、そして狭義の意味としては、神秘的な世界観を描いた文学全般に言えることではないかという意味なんです」

「確かに幅が広いと、解釈もいろいろありそうですね」

「その通りなんだ。だから今回の殺人も、そういう意味で結構曖昧なところがあるような気がする。もしこの捜査の中に私のような文学に携わったことのある人間がいなかったら、耽美主義や幻想文学などという発想は生れなかったでしょうからね。つまりその場の状況や、人間関係という目に見えているものだけを頼りに捜査が進められ、見えてくるものも見えてこなかったでしょうからね。それが犯人の狙いだったといえば、そうなのだろうが、文学に精通している人が見ても、幻想文学のように曖昧なものや、耽美主義のように一本の筋が通った考え方の融合というニアミスに近い発想が、矛盾を招いたかも知れない。そこを見誤ることになったかも知れないと私は思うんだ」

「鎌倉先生は、この事件に、その矛盾に匹敵する何かがあるとお考えなんですか?」

 と俊六が聞くと、

「ええ、そうだね。まだ目に見えていない何かがあるというのは、例えば捜査が進むにつれて分かってきたこととして、被害者の高杉さんは、かつて詐欺に遭ったことがあるというじゃないか」

 これは新しい発見だけど、この事件とかかわりがあるかどうか分からない。どちらにしても、捜査の過程で遅かれ早かれ分かることであるが、その分かるタイミングによって、事件と関係があるとして、その線から捜査するか、関係ないとして、蚊帳の外に置いてしまうか、ここは難しい問題ではないだろうか。

 鎌倉探偵が今度はまた思い出したように話の矛先を変えた。

「ところで、大久保さんは何と言っていたのかな?」

「大久保さんは、高杉さんとはたまに評論家仲間として話をすることがあったと言っていました。大久保さんとしては、高杉さんの評論に一目置いていたようですが、高杉さんという人は妥協を許さない人というべきか、大久保さんの評論は認めていなかったようなんです。そういえば、大久保さんはおかしなことを言っていました。高杉さんが何かを勘違いしていたんじゃないかっていうことをですね」

 それを聞いて、鎌倉探偵に急に興味を示したように食いついてきた。

「それはどういうことかな?」

「よくは分からなかったんですが、佐久間先生のことで勘違いをしているというような話をしていたということなんです」

「高杉さんは、それじゃあ、佐久間先生への自分の批評について、後悔でもしていたということなのだろうか?」

「そのようだと大久保さんは言っていました。いまさらどうなるものではないと言っていたようですが、それはすでに佐久間先生がなくなっていたからなのかも知れないですね」

「大久保君と高杉君、二人とも確かに批評という点では共通点は非常に少なかったような気はするんだけど、僕が見ている限りでは、お互いに尊敬しあっているように感じたんだがね。どうも高杉君の方への話には、何か信憑性が感じられないんだ」

 と、鎌倉探偵はそう言って、俯き加減で考えていた。

 鎌倉探偵のくせとして、頭を下げて考えることが多かった。頭を下げると、頭の中の血液が逆流するようで、天地無用のような感覚になることで頭が軽くなって、首筋に罹っていた負担がなくなり、自然と意識が薄れていくような錯覚に見舞われるという、

 そんあ癖を知っていて、絶えずそれを見ているのは、門倉刑事であって、門倉刑事は自分にもそんな特徴があるのではないかと、酒を呑んでいる時に聞いたことがあったようだ。

「そんなの気にしなくてもいい。気にしすぎると余計に頭が痛くなるだけだ。頭をリラックスさせるのを目的にしているのに、頭が痛くなれば、それは本末転倒というものである」

 と言っていた。

「それにしても高杉さんは何を勘違いしていたというのだろう?」

 と俊六の頭をもたげたが、それが佐久間先生の生前の作品に対してのことだということは想像がついた。

 俊六の中で、

――そんなバカな――

 という思いがあるのは事実のようで、そこまで考えるのは、よほど信じられないことを自分が考えているという思いに駆られてである。

 小説を書くということは、自分の中にある書きたい、あるいは表に出したいと思っていることを文章にして出すことで、人に知らしめたいからだというのが一般的だろう。

 しかし中には人に本当のことを知られたくないという意味を込めて、文章にして起こすことで、普通の人では考えも及ばぬことを形にしようとしていると、感じるのかも知れない。

 大久保氏は、殺されたであろう高杉氏が何を勘違いしていたというのだろう。今思い返してみれば、大久保さんの言葉の頭に、

「高杉さんが」

 というのがあったのかどうか、あるいは、あったとしても、順番が違ったのではないか。怪しいと思えた。

 この言葉があるのとないのと、あるいは、あったとしてその場所の違いが大きな違いになってくる。高杉氏が勘違いしていたのか、それとも話をしている大久保氏が、高杉氏のことで何か勘違いをしていたのか、俊六はいろいろと考えてみた。

 どちらにしても、鎌倉氏の指摘した通り、生前の佐久間先生の作品に何かの秘密があるに違いない。

 その秘密を高杉氏が知ってしまったとすれば、殺された理由として成り立つのかも知れない。

 ここでやっと動機に迫る何かを発見できたような気がして。俊六は少し安堵していたが、鎌倉探偵はそれでもまだ何かを障害と思って考えているようだった。

 果たして何かがあるとして、それを知っているのは誰なのだろう。まさか本人である佐久間先生や高杉以外に誰も知らないということはないだろう。ただ、大久保氏が何らかの形でかかわっていることは確かだろう。大久保氏の言葉がどのような事件の進展に影響を与えるか、興味深いことだった。

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