Ⅱ オッドアイが見つめる先は
「猫、だったんですね」
黒猫は異質なものを発見したような目つきで、まばたきもせずじっとルゥを見つめた。
「いつもどこから来るのかわからないんだけど、僕が帰ると待ってるんだよね」
真っ黒な毛の中に、右目が金、左目が青のオッドアイだ。鼻も黒くて、野良猫にしては毛並みがつやつやだし、汚れや傷もない。
「どこかの飼い猫が迷い込んだんでしょうか」
「そうかもね。よそでも面倒みてもらってるのかお腹は減ってないみたいでさ、うちではミルクしか飲まないんだ」
フランが玄関扉を開けると我が物顔でしゃなりと入り、長いしっぽを立てて廊下の奥へ進んで行く。家の間取りはとうに知っているようだ。
「上がって。ダイニングでコーヒー淹れるよ」
それから先に待つ猫のために、皿にミルクを注いで置いた。
「あのぅ、夜寝かせてくれないっていうのは」
「僕がベッドに入って寝つくかなって時に、決まってニャオニャオ鳴いて起こすんだよ。布団の上に乗せて、撫でてあげると落ち着くんだけど。途中で僕が寝落ちちゃうと、満足するまで続けてくれってまた起こしてくるんだよね。最後は早朝にニャーニャーいって、外に出せって」
コーヒー豆を入れたミルをぐるぐる回すフランの足元に、猫はぴったりついて離れない。色違いの瞳にじーっと見上げられると「あたしたちの時間を邪魔しないでほしいわ」と責められているようで、なんだか居心地が悪い。
湯が沸くと、挽いた豆を入れたペーパードリップに少しずつ注いでいく。普段はルゥがフランのために茶を淹れるが、こうしてフランにしてもらうのは初めてだった。
「それでどうしたの。何の相談?」
「えーと、その、何でしたっけね」
「なんだよ。深刻な悩みなんじゃなかったの?」
二つのコーヒーにはミルクを注ぎ、砂糖を少し溶かした。
ふわんふわんの髪をかき上げながらフランもダイニングに座る。この家の家具はどれも使い込まれた質の良いアンティークだ。すると猫もぴょんとフランの膝に飛び乗り、あごの下を撫でられると気持ちよさそうに目を細め、ゴロゴロ喉を鳴らし始めた。だがそれでもオッドアイの視線はルゥの方を向いている。
今回は猫だった。けれどもし次にフランに大切な人ができた時は、どうなるんだろうか。そんな一抹の不安を見透かされている気がして、ルゥは猫から目を逸らした。
その時、ガチャーン! カランカラカラン! と大きな音とともに、コンロの上で熱湯が残っていた
「熱っ!」
「大丈夫ですか⁉」
床にこぼれた湯が、フランの足にかかる。
「どうして急にやかんが落ちて」
「僕が変なところに置いちゃったのかも。雑巾取って来る」
「手伝います」
二人で席を立つと、いつの間にか猫はフランの膝から隣の椅子へと移動していた。
しかし妙なことはそれだけでは終わらなかった。
二日後、フランが足を引きずって出勤してきたのだ。
「寝てる時に両足がつったんだよ。こんなの生まれて初めてでどうにもできなくてさ。もう切断するしかないんじゃないかってくらい激痛で、まだ痛くて」
火葬技師長で医学の心得があるモノリが足をマッサージし、足のつりには
完全に治るまでは二日かかったが、その間に今度は寝室で
「続くなんて災難ですね」
「ちょっと切っただけだよ」
「出血が少なかったのは幸いでしたが、これは歩くのも痛いでしょう」
傷口は毎日モノリが観察し、消毒している。靴に当たらないようにガーゼと包帯を巻かれているが「平気だよ」と小声で返した。
「オーナー、やせ我慢はしないことです。今日は新市街で若手市議との会合でしたね。車でお送りしましょう」
「今日は欠席するよ」
「おや、やはり痛みますか?」
「違うよ。猫が一人になっちゃうし」
モノリとルゥは無言で顔を見合わせた。
フランが仕事よりも他を優先させるなどこれまでになかった。しかも猫のためにだ。ベタ惚れなんてレベルじゃない。
寝不足は変わらず続いているようで、食欲はますます低下している。
そして翌日は、手を火傷した。火葬にはフランの指先に灯す魔法の炎を使うのだが、火葬炉内での着火がうまくいかず、火葬技師が放出する酸素量が多くなってしまい、一気に炎が大きくなったのだ。すぐに消火されたが、フランが右手の甲に火傷を負った。
「まいったなぁ、早く帰らないと」
足は怪我して、手は氷水の桶に浸しながら、それでも一番に考えるのは猫のこと。
更に次の日は火葬場の浴室で滑って転んで、肩と腰を打ちつけたという。
なんだか、だんだんエスカレートしてないだろうか。
「僕もちょっと抜けてるのは自覚してるけどさ。でもなんでこんなに続くんだろう。しかも今日のごはんは野菜がいっぱいだし!」
「野菜は災難じゃありません。お祓いとかしてもらったらどうですか?」
「デビッキに? やだよ。何されるかわかんないもん」
友人のデビッキ司教はラグナ教会で最強の悪魔祓いだが、はっきり言って同じくらい変態でもある。確かに余計な災難になりかねない。
だが翌日は走ってきた人と出会いがしらに道でぶつかって転倒し、その翌日にはついに病院へ搬送される事態となってしまったのだ。
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