第2話 学院一の美女二人


 学院一の美女二人。


 躑躅森つつじもり撫子なでしこ鳩羽はとば竜胆りんどうは、どちらも二年のAクラスに所属している。


 撫子は「名は体を表す」という言葉がよく表現された造形物かのような白い肌と小さな唇と鴉の濡れた翼のような光を閉じ込める色をした直毛を腰まで伸ばしている。お嬢様学院と呼ばれているこの学院の中でもため息が出るほどの所作を持つ者は彼女の他にいないだろう。


 竜胆はその名を持つ植物が人間として姿を現したと言っても過言ではない造形物であり、彼女の色素が抜けた白い髪は光を孕み、その陶器のような肌を飾る要素の一つとなっている。お嬢様学院と呼ばれるこの学院ではしばしばその所作や造形をお人形と表すことが多いが、彼女の所作は凛としていて、女児の玩具の息を超越している。


 ざっと蛍から聞いた二人を表す言葉で、茜は脳みそが胃もたれを起こした気分になった。


「そもそも、私は人の顔が分からないんだけれど……」


 彼女が訪れるのは、夕方四時半の北の図書館。

 この全寮制の女学院には、敷地内に二つの図書館がある。南の図書館は朗読や自習室などが充実しており、よく愛好会の集まりや発表や有志などによるレクリエーションの場として使われる。

 北の図書館には自習室と言われる個室スペースがなく、ただただ高い屋上まで伸びた本棚と申し訳程度に置かれた丸テーブルと椅子があるばかりだ。

 本棚に阻まれ、電球の光が意図的に暗がりになっている丸テーブル。

 その丸テーブルを間に挟んで向かい合わせになった二脚の椅子に座っているのが、学院一の美女二人だ。


「躑躅森先輩と鳩羽先輩、ですか?」


 二人について、蛍から熱量の籠った説明を受けたが、彼女たち二人の容姿についていくら説明されようが、茜から見れば、そこには石灰のような色をした靄が浮かんでいるだけで、人間としての輪郭さえも形成されていない。

 テーブルには白黒のチェス盤があり、白いナイトを手にしていた指がナイトを元いた位置に置き直した。


「ええ、そうよ。あなたは一年生ね」


 軒下の風鈴が鳴ったような声にこくりと茜は頷く。


「一年のBクラスの蘇芳茜です」

「よろしくね、蘇芳さん。私達に何か用かしら?」


 白い駒を操っていた方が両膝を机の下から茜の方へと向ける。


「実は、私、まだお姉様を作っていなくて。友人にお二人はまだ妹を作っていないと聞いたので話だけでもできないかと思ったんです」


 茜の言葉に、二つの靄はお互いの顔を見てからまた茜の方を見た。あまり茜に興味がなさそうに黒のポーンの頭を人差し指でなぞっていた方の先輩も茜の方を見る。


「じゃあ、チェスよりも面白い話をしてちょうだい」


 黒のポーンの首を掴んだ先輩の声は、教会のオルガンのようだった。

 茜はこくりと頷く。


「お二人とも、血の白百合先輩という噂をご存じですか?」


 三秒。

 沈黙がその場を支配した。

 その沈黙を破ったのは、黒い駒を触っていた先輩だった。彼女はゆったりとした動作で椅子から立ち上がると、そのまま、机から離れた。

 もしかしたら、この手の話は嫌いだったかと茜は思ったが、そんな心配をする前にその先輩は一脚の椅子を手に戻ってきた。

 そして、その椅子を茜の前に置く。


「腰かけるといいわ」

「ありがとうございます」


 茜は促されるまま、木の椅子に座る。わざわざ自分のための椅子を持ってくるほど、話が気になったのかと思いつつ、口を開く。


「同学年の友人が教えてくれたんです。血の白百合先輩という人物が、一年生を襲って、血をとっていく、と」

「血の白百合先輩……まるで血の伯爵夫人ね。どう思う、竜胆?」


 黒の駒を触っていた先輩が白の駒を操っていた先輩に言葉を投げかける。竜胆、と呼ばれた二年は、人差し指でとんとんと頬のあたりを叩きながら「うーん」と唸る。


「とっても怖い話だと思うわ。でも、気にはなるわよ、撫子」

「血をとられるってどんな風に?」


 撫子と呼ばれた女性は茜の方を見る。茜は自分の袖を捲らないまま、左手を前に伸ばして、自分の肘に裏を指さした。


「狙った一年生を眠らせて、その間に注射器のようなもので血をとるみたいです。被害にあったのは先月から四人。そのうち三人が、この北の図書館で血をとられているとのことです」


 五秒。

 先ほどよりも長い沈黙が降りる。

 撫子と呼ばれた先輩が机の下で足を組むと、茜ももう一人の先輩も彼女の一挙手一投足を見逃さないように見つめた。


「ええ、そうね」


 やがて、彼女がゆったりと、しかし、確信を持って言葉を発した。


「私達が一番怪しいわよね」


 茜は息を呑んだ。

 この話をよく北の図書館で二人でいるというこの二人にわざわざすれば、貴方達を疑っていると白状しているようなものだ。


「あら、私達、血の白百合先輩って呼ばれているの?」

「そうかもしれないと疑われているってことよ」

「でも、私、血は苦手なのよね」

「でしょうね」


 二人の会話に不快感は存在せず、むしろ二人とも自分達が犯人と疑われていることを楽しんでいるようだった。


「撫子先輩、怒らないんですか?」


 その質問に撫子と呼ばれた先輩は肩を竦めた。


「だって、あなた、面白いから」


 いったいいつ面白いことをしたのか。

 血の白百合先輩の話は友人から教えてもらった話であり、茜が考えたものでもない。何が琴線に触れたのか。

 今度は黒のキングの頭を指先で撫でながら、先輩が答えを教えてくれた。


「あなた、私達の区別がついていないでしょう? ねぇ、撫子?」


 茜はぎょっと目を見開いて、撫子と呼ばれた方の先輩を見た。白のナイトに触れていたその女性は先程は竜胆と呼ばれていたはずだ。


「いきなり、自分の名前で私のことを呼ぶものだからびっくりしたじゃない。どうして、この子を試すような真似をしたの、竜胆?」


 先ほどまで撫子と呼ばれていた女性は、満足気に「ふふ」と笑みをこぼし、黒のキングを指ではじいて転がす。


「だって、この子、私達の美しい顔についてなにも反応しないんだもの」


 それは自分に自信を持っている強者の発言であり、茜はこの先輩にどうして妹ができないのか、その一端を理解した気がした。

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