6. ワガママ?

 夕食のあと、洗い物をすませ、排水溝のそうじをして、最後に流しをさっと拭き上げて、私の一日の仕事はほぼ終了だ。


「終わった?」

 ナオトが、暖簾をくぐって、入ってきた。

「はい。本日のお仕事、終了です^^」

 振り向いて笑いかけると、ナオトが、長めの前髪の下から、低めの声で、

「……あのさ。今朝、ワガママ言うたけど、ほんま、どっちでもかまへんから」

 ぼそっと、照れくさそうに言う。きれいな真っ直ぐの眉と眉の間がわずかに寄っている。少しワイルドな雰囲気。……こんな表情で、見つめられたら、ちょっとドキッとする。


「ワガママ?」

 一瞬考えて、ああ、と思い当たる。

「たまご1個で、ベーコン多め、ってやつ?」

「うん」 

 (うん)と(おお)のあいだのような低い声をだしてうなずいたかと思うと、すぐに、

「覚えててくれたんや」 と嬉しそうに言った。

「それぐらい大丈夫。そんなんワガママのうちには入らへんよ」 私が言うと、

「ほんま?」

 ナオトが、ホッとしたように眉を開いた。ワイルドな表情からひとなつこい笑顔になる。見た目は、ちょっとやんちゃに見える彼だけど、実は、7人の中でも、一番おっとりしていて、優しい、気がする。もしかしたら、朝、自分が言った言葉を、ずっと気にしてくれてたのかもしれない。意外に繊細なところがあるんだ。私は少し嬉しくなる。


「気を遣わなくていいよ。アンケートとは別に、要望は、小出しで、どんどん出して、いいから。……ただ、時々、対応し忘れたときは、ごめんね。そんときは言うてな」

「かまへん。オレ、基本、食べ物にそんなこだわらん方やし。ただ、小食やから、あんまり、量、食べられへんねん……」

「うん。わかった。言いに来てくれて、ありがとう」

 私が笑ってうなずくと、ナオトは、じゃ、と短く言って、キッチンを出て行った。


 すると、その入れ替わりのように、ヒロヤが、暖簾の向こうから姿を現して、

「と、いうことで。僕は、トマトもレタスも、いらんで~。野菜は、いらんで~」

 ヒロヤが、イタズラっぽく笑って、歌うように言った。

「あら、ナオトさんと違って、わざわざワガママ言いにきたん?」

「うん。野菜なくても、平気やから」

「平気でもね。そのワガママは却下~」

 私は、笑いながら、両腕で大きく×をつくって、彼の要望を却下する。

「そんなに、野菜、きらい?」

「野菜だけとちゃう。納豆もだめ。僕以外は納豆好きなヤツ多いけど」

 苦笑いしながら、ヒロヤが答える。

「え? 明日出そうと思ってた」

「やっぱり。冷蔵庫で見かけて、もしかしてと思って」

 少し長めの前髪をいじりながら、軽く苦笑いしている顔が、なんだか困った子犬みたいに見える。

「そうかあ。別に、アレルギーなかったよね?」

「うん。ない。でも、あの匂いがムリ」

「匂いねえ……。じゃあ、隣の人が食べてるのもダメ?」

「そやな」

「じゃあ、明日の朝は、鼻の穴に栓でもする?」

「ええ~」

 困った子犬が、軽く吠える。

「ふふ。冗談。なんか方法考えないとね」

「じゃあ。よろしく~」

 ワガママを言うだけ言ったヒロヤは、暖簾のところで振り返って、

「おやすみ。今日もありがとう」

 そう言って、ニコッと笑った。子犬はいつのまにか、爽やか青年に戻っていて、私は、一瞬その笑顔にドキッとしてしまう。

「おやすみなさい」

 なんでもないように、普通の顔で答えたけど、心臓はドキドキしている。

(不意にこの笑顔は、反則やわ。心臓がもたへんわ)

 私は、ひとり、苦笑する。


 はじめのうち、人懐こいながらも、遠慮がちにしていた彼らは、少しずつ、自分から話しかけてきてくれるようになった。正直なところ、はじめのうちは、7人の名前と顔を一致させるのは、私には不可能のような気がしていた。

 私は、とにかく人の名前と顔を覚えるのが苦手だ。だから、前に勤めていた職場でも、それで結構苦労した。


 初対面で、おそらくはもう二度と会わないであろう人とは、いくらでも喋れるし、人懐こくフレンドリーに振る舞える。だから、そんなふうに出会った人たちは私のことを誰とでも親しくなれる、人見知りしないタイプだと思ってしまう。

 ところが、いざ長くつき合うことになると、必要以上に相手に気を遣ってしまう。相手が、自分のことをどう思っているのか、心配になったり不安になったりして、くたびれてしまう。だから、できるだけ、人から離れようとしてしまう。初対面の時にフレンドリーだった分、相手は余計に、私が何を考えているのか分からなくなり、その結果、なんかよく分からない人、つき合いづらい人、と思ってしまうらしかった。

 自分でもバカだ、と思う。余計なこと考えすぎずに、『普通』にしていればいいだけだ、と思う。でも、その『普通』が、自分には、微妙に難しい。

 自分が相手からどう思われているのか、うっとうしいとか、めんどくさいとか思われていないだろうか。もしかしたら、嫌われているのに、親しげに話しかけたりして、いやがられてるんじゃないのか、とか心配になってしまったりする。


 でも、なぜか、不思議なことに、この7人には、そんな不安を感じることなく、話していられるのだ。だから、ここは、居心地がいい。

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