第6話 鎌倉探偵

 門倉刑事は事件の資料を一通り作成し、鎌倉探偵のところに持って行った。

 ただ、鎌倉探偵は私立探偵であり、あくまでも依頼者があって、その依頼人のために動く探偵なので、今回は依頼人になれるであろうはずの二人ともがもうこの世にいないのだから、一緒に捜査というわけには行かないだろう。そうなると、なるべく分かりやすい資料を作って、それを見てもらい、意見をいただくくらいしかないだろうことは門倉刑事にも分かっていた。

 二人は事件のない時など、よくこの鎌倉探偵事務所のソファーにて、探偵談義をしたりしている中であった。

 お互いに尊敬しあうところは十分にあったので、意見を戦わせることは却って楽しく思うくらいで、たいていは鎌倉探偵の方が勝つのだが、門倉刑事は、

「この人になら負けても本望だ」

 とくらいにしか思っていなかった。

 その日は連日の捜査でもあまり有効な証言や証拠も挙がってこずに、悪戯に靴底を減らしているという状況でしかないということで、心機一転という意味で、捜査員は一斉に早い帰宅をすることになった。

 もちろんすぐに帰宅する人もいるかも知れないが、悶々とした気持ちを抱えたまま、飲み屋に直行し、行きつけの店のママさんやマスターに愚痴の一つでも聞いてもらおうという人もいただろう、

 門倉刑事はそんな野暮なことをするわけでもなく、」かといって帰宅する気分にもなれなかったので、ちょうどいい機会だからと、鎌倉探偵を訪れたのだ。

 門倉刑事の作る独自の捜査ファイルは、鎌倉探偵の所望するところのようで、

「君の資料は実によくできている、僕はありがたくいつも拝見させてもらっているよ」

 と言ってくれるのが、門倉も嬉しかった。

「何なら、ミステリーでも書いてみればいい」

 とおだてられることもあったが、実際にまんざらでもない気がしている門倉は、最近では独自の捜査資料を作って鎌倉探偵に見てもらうのが嬉しくなっていたのだった。その日の資料も毎日書き問えていただけのこともあり、作るのにさほど時間は掛からなかった。

「ということは、俺は最初から鎌倉さんに捜査してもらうつもりだったということなのか?」

 と感じた。

 実際にこのような事件は鎌倉探偵向きだ。ただ一つ気になるのは、どうも話が繋がっていないように見えるが一か所が瓦解すると、すべてが分かる気が知る、だが、逆に瓦解する場所を間違えると、全然違う結論を導き出してしまいそうだ。

 この話は以前鎌倉探偵が事件を解決してくれた時に話してくれたことだった。その時門倉刑事は、

「うんうん」

 と納得して聞いたはずだったのに、今では半分忘れかけている。

「危ない危ない」

 と、自戒に値することであった。

 今回も鎌倉探偵は門倉刑事が持参した「事件簿」を手に取ってみていた。何やら頷いて見えたが、その様子はさながら、

「アームチェア・ディテクティブ」

 とでもいうべきであろうか。

 いわゆる安楽椅子探偵」

 と見ているようだが、鎌倉探偵は実際に捜査にも自分から赴く人であった。

 だが、時々門倉刑事の「事件簿」を見ただけで、事件のあらましを読み取って、足で稼ぐ捜査とは違う視点で見ることで、事件を解決へと導くことがあった。

 さすがにそこまで門倉刑事は求めていないが、鎌倉探偵であれば、我々に気付かないような捜査の糸口を見つけてくれそうな気がしているのだった。

「なるほど、込み入っているように思うけど、そうでもないかも知れないな」

「どういうことですか?」

「まず、最初に死んだ女性だけど、彼女はやはり自殺ではなかったのかな?」

「どうしてですか?」

「逆にどうして皆さんは、事故だとお思いになったんです? 考えられることとしては、遺書がなかったということくらいですか? それよりも、睡眠薬を飲んだ時、一緒に病院からもらった薬も飲んだんじゃないんでしょう? その薬は隣に置いてあった。それなのに、瓶入りの睡眠薬をわざわざ飲んだんですよね? 病院の薬にも睡眠薬だったり精神安定剤が入っているはずですよね。今までそれをずっと飲んできたのは、自分で病気を自覚して病院にいって、そしてその病気を治そうという意思があって、クスリも飲み続けている。それを分かっているのに、どうして急に瓶入りの睡眠薬に変えたんでしょう? そこの心理の変化が自殺だったんじゃないかと思ったんですよ。もし病院の薬が効かなければ、先生にいって、別の薬を処方してもらえばいい。いや、してもらうはずなのですよ。死ぬ意思のない人間だったらですね」

「なるほど、確かにその通りですね」

「彼女は自分が本当は襲われた時に、最後までされてしまったことをどこかのタイミングで知ってしまったんじゃないのかな? それを恥じて死を選んだ。もちろん、死を選ぶというのはそんなに簡単なことではない。少なくとも病気を治してやり直そうとしていたわけですからね。河村君という彼氏もできて、これからという時だったはずですよ」

「そうなんですよ。それもあったので、自殺には思えなかったんです。現場を見ても、何か不自然な気がしたんだけど、あれは何だったんだろう?」

「彼女は犬を飼っていたんだよね?」

「ええ、プチという名前のラブラドールレトリバーを飼っていました。とても大人しいイヌで、河村君にかなり懐いています」

「その河村君だけど、彼も殺されたんだってね」

「ええ、彼女が死んでから一週間も経っていませんでした。頸動脈を切られて壮絶な死でした」

「密室だったということだけど?」

「カギは合鍵を使ってあけています。前の日に隣の奥さんが深夜壁を叩くような音に目を覚まして、翌日気になったので、管理人に話に行ったそうです」

「注意してもらおうとしていったんですね?」

「はい、深夜にあんな音を何度も立てられたら、寝てはいられないということで、それは隣の奥さんからすれば、当然のことだと思います」

「それはそうだろうね。でも、その日、サラリーマンである河村君は出勤する様子もなく、隣に物音ひとつ感じなかった。それで気になってはいたと言っていました」

「それで合鍵を持って出かけていくと、ノックしても呼び鈴を鳴らしても返事がない。やはりおかしいということで、管理人の合鍵を使ってカギを開けると、暗い玄関からイヌが飛び出してきたというわけです」

「それが、綾音さんという女性が飼っていたラブラドールのプチだったわけですね?」

「ええ、その通りです。プチはいきなり表に飛び出して、まったく振り向きもせずに、ゆっくりではあったけど、走り去ったといいます。少し変だとは思ったけど、中が気になったので、急いで中に入ると、寝室であの惨状を発見することになったわけです」

「それで問題なのがいくつかありますよね? 第一にどうして、扉を開けたらイヌが出てきたか。そして、その犬はこちらを振り向きもせずに逃げ出すわけでもなく、ゆっくり去っていった。二つ目は、中の部屋にはすべてカギがかかっていて、まったくの密室だったということ。第三に、凶器はその場から消えていたということですよね。でも凶器は少ししてから、近くの公園で見つかった」

「そうなります」

「そして、もう一つ、殺された河村君の行動ですね」

「ええ、そうなんです。やつは彼女である安藤綾音さんに暴行したとされる用品店の男と揉みあいの喧嘩になっているのを目撃されているんですよね? そして、彼女が最初は最後までされたわけではないと思われていたけど、実際には最後までされてしまったことを彼も知ってしまったということですね」

「そうです」

「まあ、そのことからも、彼女が急に自殺をしたくなったとしても、そこに精神的な矛盾はないように思いますね」

「彼女の方なんですが、病院の先生はどのように言っていますか?」

「主治医に聞いてみたんですが。彼女は暴行されたことは早く忘れてしまいたいと言っていたようです。自分では何とかできているつもりなんだけど、身体と気持ちがついてきてくれない。それがトラウマのせいだとすれば、催眠療法でも何でも受けるので、何とかしたいように言っていたようです」

「それで催眠療法を施したんですか?」

「ええ、やったようですね。それは彼女をその時の自分に身を置くというある意味彼女にしてみれば、残酷なことになるんでしょう。何しろ、思い出したくもない記憶を呼びこそうとするんですからね。彼女の中での『忘れてしまいたい』という気持ちと矛盾しているんです。それを医者がやったというのも、実は僕にはよく分からないところなんですよ」

「ということは、医者は彼女に対して、患者以上の感情を抱いていたのかも知れませんね。ひょっとすると好きになっているのかも知れないし」

「それはあるかも知れません。医者と言っても一人の人間ですからね。それをどうこうは言えないと思います」

「ただ、医者である以上、必要最低限の守秘義務は絶対に発生するし、医者と患者としての知り得たことを自分の損得のためには使ってはいけないよね」

「もちろんその通りです。それは医者に限らず我々警察や、特に先生のような探偵の方がハッキリとしていることではないですか?」

「それはそうですよ。大きな報酬が掛かっていますからね。大きな報酬でなくとも、医者や公務員、我々職業探偵などは、守秘義務は必須ですから、私的感情とその守秘義務との間の葛藤は結構なものだったかも知れませんね」

「じゃあ、鎌倉さんは、この医者が何かの大きな手掛かりを握っていると言いたいんでしょうか?」

「十分にありうることだとは思いますね。少なくとも綾音さんと安藤君の二人を知っているという意味での少ない人物の一人ではありますからね」

 確かにそうである。

 事故なのか、自殺なのか分からないが死んでしまった綾音、そして綾音の死に関係があるのかどうなのか、密室の中で殺された河村、そして、彼女を襲ったと言われる用品店の男が河村とつかみ合いの喧嘩をしていた。そして、さらにその男も殺された……。

 そうなると、どこまでが続いていて、どこからが単独なのかが分かりにくい。事件を時系列に並べてみても、この一連の事件はすべて底辺で結び付いているように思えてならない。

 鎌倉探偵はそのことを言おうとしているのではないだろうか。

「プチというラブラドールはどんなイヌなんだろうね。今どうしているんだい?」

「確か飼い主がいなくなってしまったので、今は警察にいますが、そのうちに保健所へ行くことになると思います。そういう意味ではあの犬も可哀そうですよね」

「保健所に行く前に解決しないといけないだろうね。下手に保健所になど行かれたら、事件がお宮入りになるかも知れないからね」

「じゃあ、鎌倉さんはこのイヌが何かを知っていると?」

「そうとしか思えないんだけどね。皆はイヌを見ているつもりで見ていないんだ。それは道端に落ちている石ころと同じで、見えているのにまったく意識しない。そんな存在がそのイヌなんじゃないかな?」

 鎌倉探偵のこの抽象的な表現にはいつも驚かされる。しかし、こんな言葉に限って例外なくその真意を掴んでいるのだから素晴らしい。

「鎌倉さんは、もうこの事件について分かっているんですか?」

「そんなことはないよ。ただね、僕はいつも理論を持って推理するんだけど、今回の事件は分かってしまうと、結構分かりやすいものではないかという予感がするんだ。実際にそういう事件に限って、意外と最初に感じたことが的を得ていたりする。でもね、たいていの場合は、『そんなことないよな』って自分で打ち消したりするんだ。きっとまわりから突っ込まれると、それに対しての返事ができないからではないかと思うんだ」

「なるほど、それはあるかも知れませんね。でも鎌倉さんのようにいつも理路騒然としていると、突っ込む方も結構難しいんですよ」

「いやいや、それでいいんだよ。突っ込む方が難しいというのがミソなのさ。それだけ発想が豊かになるということだからね。僕は元々小説家という商売をしていたので、小説っぽく考えてしまうことが多いんだよ」

「でも、探偵小説と本当の殺人ではかなり違いますよね」

「それは、刑事さんの立場からはそうだと思いたいんでしょう。特に足で稼ぐ商売だから、余計に頭で解決しようとする探偵というものを敵対視するところがある。それは刑事と探偵の宿命のようなものなのかも知れないですね。それに探偵小説に出てくる刑事というのは、どうしても探偵の引き立て役であり、下手をすると探偵の助手のような役回りだってある。しかも、警察がトンチンカンな推理をして、それを探偵が正しく推理しなおすのが醍醐味になんてなってしまうと、警察の権威は失墜ですからね。そりゃあ、警察の人間としては面白くはないですよね」

 まさしくその通り、かくいう門倉刑事も昔は似たようなことを思っていた。

 今でこそ鎌倉探偵に完全にシャッポを脱いで、意見を伺いに来ているが、最初の頃は他の刑事と同じように、

「なにくそ、探偵がなんぼのもんじゃい」

 とばかりにいきり立っていたものだ。

 だが、門倉刑事が鎌倉氏ぬ軍門に下ったのは、ある事件の捜査をしていた時、門倉刑事の何気ない一言が大いなるヒントになって、鎌倉探偵の推理の穴を完全に埋めたことがあったのだ。

「あの一言があったおかげで、事件の最後のピースが埋まったんだよ。まさに君が神様に見えたよ」

 と言っておだてられたことが原因だった。

 実は門倉刑事はこう見えてもおだてに弱く、それがうまく嵌った時は、意外と能力以上の実力を発揮するといい、まわりを驚愕させたものだった。

 おかげで、県警本部長賞を頂いたこともあった。今でも部屋に額に入れて飾っていて、「警察に入って一番の褒章だ」

 と言って、自他ともに認めるという意味でも本当の宝物だった。

 そんな門倉刑事なので、鎌倉探偵を尊敬し、まるで親友のように仲良くしてもらえていることをとても誇りに感じていた。

 そんな鎌倉氏を頼って今回も事件を相談に来たのだが、またしても少し横道にっ逸れて、探偵小説談義になっていた。ただ、それが事件解決への最短距離になることが多いので、まんざら雑談というわけでもないのだ。

「最近のはどうか分からないけど、自分がバイブルように読んでいた昔の探偵小説というのは、結構すぐに犯人が分かったりしたものなんだよ」

 と言ってきた。

「そうなんですか?」

@ああ、犯罪のトリックというのは、すでにほとんど出きってしまっていて、あとはそのバリエーションになるというのだよ。特にトリックというと公式化されているものが多いだろう? 例えば『顔のない死体のトリック』というのは、犯人と被害者が入れ替わっているとかね。こういういわゆる公式と呼ばわるものが存在する。また、最初に襲われた人が死ななかったりすると、それは自分を事件の蚊帳の外におくために、最初に狙われたことにするなどというやり方だよね。そうなると、最初にその兆候が現れれば、ある程度犯人が誰かということだけは分かってしまうだろう?」

「ええ」

「だけど、ここからが大切なんだ。このまま無作為に犯人を言い当てても、面白くもなんともない、だから、どのように犯人に辿り着くかが問題なんだ。絶妙なタイミングで凶器が見つかるとか、顔のない死体が欺瞞だったなどという謎解きができれば、犯人が読者が考えた相手であっても、誰も怒りはしない。逆に別の犯人にしてしまうと、一気に冷めてしまう。読者というものをいかに楽しませるかは、作者の創作の楽しみでもあるんだ。そこをよく分かっていると、刑事としての目も養えるんじゃないかな?」

 と言っていた。

 さらに鎌倉氏は続ける。

「たとえば、これは僕が好きだった小説のネタなんだけど、石膏像の中に女性が埋め込まれていて、それが偶然発見されるんだ。それで石膏像を壊してみると、中からは顔が崩れた女性の死体が出てくるんだけど、その後に、被害者の妹と名乗る人が現れて、行方不明になっている自分の姉ではないかというんだ。姉は誰からか脅迫されているなどということを警察で言えば、警察は、その被害者がそのお姉さんで、自分を狙っている脅迫者に殺されたと思うじゃない。でもね、ここで冷静に考えれば一つの仮説が生まれるんだ」

「というと?」

「被害者と思われている人が実は犯人ではないかってね。つまり自分が殺されたことにしてしまえば、その後に何か犯罪が起こっても、一番安全でしょう? それが狙いだと思うと、とりあえず、犯人、もしくは共犯者としては、そのお姉さんが疑われることになるよね」

「それはそうですが、でも、その仮説から考えるとその後に何かが起こることになるわけでしょう?」

「うん、その通りなんだ。だから、犯人自体は最初に分かっても、その先の展開がないと、何のためにそんなまわりくどいやり方までして自分をこの世から抹殺しなければいけないのかということになる。一つ考えられるのは、過去に何かの大きな犯罪に関わっていることで、自分を死んだことにしようという考え、もう一つは誰かを殺そうとしているから自分を葬っておく必要があるという考えだね」

「後者だとすれば、それは金銭的な欲であったりではないでしょうね。何かに対しての復讐でないと成立しない気がしますね」

「自分を殺してまでも成し遂げようとするのだからそうでしょうね。で、確かにその後人が殺されていくわけだけど、ここからが大切で、犯人は自分を死んだことにするために一人の女性を石膏像の中に埋め込んだ。自分のためだけにその人を殺したということになるのかということなんですよ。もし、その人が自分が殺したい相手であったのだとすれば、それは復讐として成り立つんだけど、それで本当に満足するかということもあるよね。実際に殺したい相手を自分として葬ってしまうことが本意なのかということ、つまり、その人が殺されたのだということを世間に公表しないといけないでしょう?」

「でもそれができない?」

「うん、でも、こうも考えられる。自分が殺されたものだとして、その人が自分を殺した犯人だとして、この世でその汚名を着せるという手だね。これもいろいろな探偵小説で使われている。よくあるやつというわけだ。しかし、僕が思い出した小説はそうではなかった。自分の復讐の相手でもない、いわゆる何の関係もない女性を石膏像に埋め込んだんだ」

「ということは?」

「ということは、そのままだと猟奇殺人で、自分のためだけに人を殺したことになる。でもそうではなかったんだ。ただこれはあの時代だからできたトリックであり、今では絶対にできないトリックなんだ。つまり、石膏像に埋められていたのは、元々死んだ女性であり、その人は土葬にされていたので、墓を暴くことで、死体を盗み出せる。今では土葬はまずないのでできないよね。死体を盗み出すなど、警察に忍び込んで盗むしかないので、あんなに大きなものを警察のような厳重な場所から盗むなんて不可能だ。特に今は防犯パメラもあるからね」

「なるほど、昔の探偵小説は、発想さえうまくできれば、ストリーを作ることなど結構うまくできるというものなのかな?」

「そういうことかも知れないね。しかも墓を暴くなんて怪奇であり、ちょっとホラーっぽい発想は今と違って、かなりのリアルさがある。だって本当にできてしまうことなんだからね」

「本当に恐ろしいですね。僕も昔の小説は時々読むことはあったんですが、そういう目で見たことはなかった。時代が違うので、想像力が豊かになるでしょう? それが楽しみだったというところですね」

「いや、それが大切なんだよ。発想する頭があれば、いくらでも探偵小説など書けるんじゃないかって思ったこともあるけど、それこそなかなか難しいですよね」

「墓を暴くなんて、まったく想像もできないですよ。昔の肝試しのお墓のようなものしか想像できないので、実際に土葬の墓がどんなものだったのかなんて、分かりっこないですよね」

「でも、昔の妖怪アニメなどでは結構ドロドロした描写もあって、怖かったりしたんだ。要するに、いるはずのないもの、見えるはずのないものが見えるというのが本当の恐怖だからね。それは探偵小説の中にも言えることであって、そんなバカなことと思ったり、ありえないと思うことが実際にあるのも探偵小説なんだ。分かるかな?」

「小説を酔いこんでいる人は、きっと途中からラストも想像していくんでしょうね。だからラストをいかに書くかということが重要になってくる」

「そういうことなんだ。僕も作家として売れなかった時期はそれができていなかったからではないかと思うんだ。確かに時代が求めるものと描きたいものとが違っていたということもあるかも知れないが、いいものというのは色褪せたりはしないんじゃないかって思うしね」

 なるほど、何となくですが、少しずつ分かってきたような気もします。でも、どうしても僕たちが相手をしているのは目の前の実際に起こった事件ですから、小説のようにもいかないですよね」

「だけど、事実は小説よりも奇なりという言葉もあるくらいなので、単純に思っている事件ほど複雑だったり、逆に難しいと思われる事件ほど単純だったりするんじゃないだろうか?」

「じゃあ、この事件も案外と単純なものなのかも知れないですね」

「さっきも言ったように、いくつかの手掛かりはあるんだろうが、手掛かりをきちんと順序だてて組み立てていけば意外と単純化も知れない。しかし一つ間違えると、複雑に絡み合わないとも限らないので、そこは難しいかも知れないね。ただ、これはこの事件に限ったことではないと思うんだけどね」

「それは僕も感じていました。もちろん、この事件に限らずの話ですが、やはり捜査をしていれば、時間とともにいろいろなことが分かってきます。事件に関係のあること、そしてないこと。それをいかに組み立てて考えられるかが、事件の謎を解く本当の意味の解決にはならないんでしょうね」

「その通りだよ。事件というのはまともに解決しただけでは、下手をすれば、すべての人が不幸になってしまうべきで、ある意味で『事実など知らなければよかった』ということもあるんじゃないかと思うんだ。捜査で得た情報をどこまで被害者の遺族だったり、被害者に告げるかということも難しい問題だったりするんじゃないかな?」

「おっしゃる通りです。そういう意味で、捜査する我々にも大いに責任があるということを肝に銘じないといけないんですよね」

「うん、僕もいつもそのことを考えながら、この仕事をしているんだ。時には元探偵小説作家としての目で見てみたり、被害者側に立って事件を見てみたりね。僕と警察の一番の違いは。警察というのは、真実を見つけ出し、犯人を捕まえることだよね。でも僕の場合には依頼人があることなので、基本的には警察と同じ事実を導き出すことなんだけど、最優先はやはり依頼人の利益を守るということになるかも知れないね。ただ実際には依頼人の期待に沿えないことも結構あったりするんだけどね」

「それは仕方のないことでしょうね。そこはもしその人が犯人で逮捕されてからの弁護士の仕事になるんでしょうからね」

「そういうことだ」

「ちょっと話が逸れてしまいましたけど、鎌倉さんは今までの事実の中から、何か分かったところはありますか?」

「ちょっと気になっているのが、モルヒネが被害者の河村君の身体から検出されたということだね。モルヒネというのは、麻薬としてかつては使用されていた時代もあったようだが、今はほとんどが、ガンの時の痛み止めとして使用されることが多い。彼はガンだったのかな?」

「そういう事実は今のところ上がってはきていませんね。自分でどこかの医者に通っていたということもなかったですし、しいて言えば、彼女である亡くなった安藤綾音さんい付き添って神経内科に通っていたくらいでしょうか?」

「彼がモルヒネを使っていたのは、一度だけだというわけではないんだろう?」

「ええ、最近からのことではあるんですが、一度や二度ではないことだ毛は分かっています。以前に麻薬を使用していたというという話もなく、解剖所見にもそんな形跡はなかったということです。確かに言われてみれば、このモルヒネというものの出所も分かっていませんし、彼が単独で手に入れられるものでもないような気がしています。だから、彼が知らぬ間に接種されていたのか、それとも、医者との合意の上でのことなのかもよく分かっていません」

「そういう意味でも、彼女、綾音さんの主治医だった神経内科の医師というのも、何かこの事件に関わっているようにも思えるね。関わっているというか、何かの役目のようなものなんだけどね」

「言われてみれば、そんな気もしてきました。確かに医者というものは聖人君子のようなものであり、犯罪に一番加担しないだろうという思いがあるのも事実で、それは自分の願望から来ているものにも思えますね。関わっていてほしくないという願望があればこそ、どうしても医者に意見を求めると、医者の話は鵜呑みにしてしまうところがある。考えてみれば、医者だって人間だったりするんですよね」

「それは、刑事だって一人の人間だという考え方と同じだろう」

「その通りですね。他には何か分かったり気付いたことはありませんか?」

「一つ気付いたというか、気になったのが、密室というキーワードだね」

「と言われますと?」

「密室トリックというのは、結構よく探偵小説では使われてるよね。先ほどの顔のない死体のトリックのようにね。密室トリックというものの特徴は、基本的には不可能なことなんだよ。つまり、戸締りもされていて、その部屋の中で誰かが殺されている。カギは殺された男が持っていた李、合鍵は部屋の中にあるとかね。そういうものだろう?」

「確かにそうですね」

「でも、密室もいろいろ段階を踏んで考えてみるんだよ。基本は、不可能なことは起こり得ないという発想を元にね。まず考えることとしては、自殺だったのではないかという発想。自殺であれば、密室という発想は関係ないからね。でも、凶器が別の場所にあったり、自殺ではありえない状況で死んでいた李すると、殺人になってしまう。そうなると、犯人がいて、その犯人はどうやって密室から出たのかという問題になってくるんだ」

「ええ、それが第二の段階になるんでしょうね」

「その通り。で、僕はまた別の探偵小説を思い出していたんだけど、その密室の内容は、残念ながら、今は覚えていないんだけど、その時に言った探偵の言葉が印象に残っているんだ」

「それはどんな言葉だったんですか?」

「それは心理の密室という言葉だったんだけど、密室殺人を心理で成し遂げようとしたということなんだと思うんだ。それも密室の謎の中では大きなものであるのではと思っているんだ」

「どいう意味なんでしょうね」

「密室というのは、何も殺害現場だけを密室として定義することもないと思うんだ。たとえば、金庫の中に何かを仕舞うというのも一つの密室だよね。つまり凶器になりそうなものがあり、それを使われたくないからということで、三人で立ち会って、金庫にその凶器を隠す」

「三人?」

「一人は、実際に凶器を金庫の中に書くし、そしてカギを閉め、そのカギを持っている。そしてもう一人はダイヤルの番号を知っていて、他の二人はまったく知らない。そしてもう一人はまったく金庫を閉めたことに利害のない証人としての立ち会う人という三人だね」

「なるほど、そうしておけば、その時間以降は、その凶器は完全な密室状態にあったことになる。だからもしその凶器がその後に使われたとすれば、こkれも一種の密室殺人となるわけですね」

「その通りだ。そうやって考えていくと殺人事件を解くというのは、どうやってこの不可能を可能にするかということなんだけど、ある意味密室というのは、作られたものがほとんどだろう? そこが難しいと思うところでもあるんだ」

「それはまたどういう発想?」

「つまり密室なんかにしないで普通に誰かに殺されたという風にした方がいい場合もあるということさ。これも以前に読んだ小説だったんだけど、機械トリックで密室を作り上げたんだけど、この場合は自殺だったんだ。でも、自殺というのは本当は密室には合わない。自殺をする人が他殺に見せかけるためのトリックだからね。でも、それにしても、他殺と見せかけるのであれば、密室というのは矛盾しているんだよ。だって誰かに殺されたんだとすれば、偽装工作をすればそれでいいことじゃないか。つまりこの場合の密室は、犯人が作りたくて作ったものではなく、やむ得なく密室にしなければいけなかったという意味で、僕は怖さを感じたんだ」

「確かに言われることは分かります。密室にすると、謎は深まるけど、本来の捜査をミスリードすることは難しいですからね」

「そして密室というのは、さっきも言ったように不可能なことだというのが定説だろう? 不可能なことを可能にしようと思うと、考えられることは時間差の問題にしてしまうとかね」

「それは?」

「よくあるのが、死亡推定時刻をごまかすということさ。例えば部屋を暖めておくとか、氷を使うことで、実際の死亡時刻を前や後ろにずらすというやり方だよ。たぶん一般的な密室殺人に一番多く用いられているのというのは、この死亡推定時刻の錯誤というものではないだろうか? 先ほどの金庫の発想もそうだ。金庫に入れられた時間を動かすことは絶対にできないんだから、あとは死亡推定時刻の方を動かすしかない。つまり、ダメなものを押し通すのではなく、視点を変えるという意味でね。こっちの方がよほど開けることのできない金庫をこじ開けるよりも簡単なことだ」

「その通りですね。死亡推定時刻が変わってくれば、ある意味、根底から事件がひっくり返る可能性もありますよね」

 と門倉刑事がいうと、鎌倉氏は興奮気味に答えた。

「その通りなんだ。今日の門倉君は冴えているじゃないか。僕もそれが言いたいんだよ。密室にこだわって密室に入るとでもいうか、迷路にも入っていないのに、同じところを繰り返しているように思うと、まるで迷路の中にいるように思う。それと同じ発想なんじゃないかな? 密室ばかりを見ていると視界が狭くなってくる。それがさっき話した、心理の密室という発想にも繋がってくるんじゃないかって思うんだ。確かに死亡推定時刻が違ってくればまず何が違ってくる?」

「それはまず、関係者のアリバイがめちゃくちゃになるでしょうね」

「そうそう、今までアリバイがあってまったく視界から消えていた人にアリバイがなくなってまたもう一度嫌疑に入れなければいけなくなるし、逆に灰色だった人が鉄壁のアリバイに変わる。つまり密室を作ることで、死亡推定時刻をごまかすということは、犯人にとって、アリバイを成立させることにもなるんだ。だから、誰かに普通に殺されたという単純な演出ではなく。密室を作り上げることが最大のトリックになるんだよ。この場合は、裏の裏が表になるという発想なのだろうね」

「なるほど、密室に対しての考えにもいろいろあることが分かりました。いい勉強ができたと思います。でも、今回のこの事件には当てはまらないような気はしていますが、どうなんでしょうね」

「今、僕が言ったのは、あくまでも可能性であり、考え方の一つという意味ですよ。だからこの事件に当て嵌めて考えてみて、合わなければ別の考えをすればいいと思っているんだ」

「でも、私には、この事件の密室は、最初から計画された密室のように思えるんです。別に誰かから殺されたということを偽装工作しているわけでもないですからね。そういう意味では、自殺というのもありなんじゃないかとも思うんですよ」

「だけど、凶器は公園にあったんだろう?」

「ええ、その通りなんです。ただ、そこに何らかの欺瞞があるような気がして。つまり凶器が表にあることで自殺ではないということを示すためのトリックが、密室にしなければならなかった理由の一つになったのかな? とも思うんです」

「ハッキリとは分からないが、今の門倉君の発想は、結構的を得ているような気がするんだ。いわゆる、当たらずとも遠からじということだね。つまりは、真相は案外に近いところにあるんじゃないかってね。でも、真相に近づけば近づくほど、見えなければいけないものが見えない可能性だって出てくる」

「どういうことですか?」

「徐々に近づいていけば、絞る焦点が決まってくるけど、視野はどんどん狭まってくるわけでしょう? でもいきなり近づいてしまうと、一気のその視野も狭まってしまう。つまり、見なければいけないはずの視野を見逃してしまって、二度と見ることができないのではないかという危惧だね」

「じゃあ、一気に近づくのは危険ですよね」

「そうなんだ。だから僕は捜査というものは、あらゆる場面を想定し、考えられることはすべて考えないと下手をすれば犯人にミスリードされるんじゃないかと思うことがある。特に警察の捜査というのは、方針が決まればそれに沿って行うという意味で、言い方は悪いが、融通の利かないものになることが往々にしてあるものだ。それが冤罪を生んだりしないとも限らない。僕はそれこそが犯罪なんじゃないかって思うくらいなんだ」

 鎌倉氏の言い分は、門倉刑事に沈黙させた。

 この発想はいつも門倉刑事が持っていて、いつも憂いている問題だった。これを尊敬する鎌倉探偵に指摘されてしまっては、門倉刑事も何と言っていいのか、言葉を失うのだった。

「この場合の密室はどうなるんでしょうね? やはり何かの作為があるということでしょうか?」

 と門倉刑事は少しして口を開いた。

「死亡推定時刻を変えたというのは違う気がする。さっきも言ったように犯人が自分にアリバイがあるように持っていくためと考えたら、ここでの登場人物に犯人として特定されるべき人間が浮かんでこなければいけないのに、そんな人物が浮かんでくるわけではないだろう。つまり、密室にしなければいけなかった理由はそこではないんだ。確かにそのうちに犯人候補が出てくるかも知れないが、アリバイを証明するためであれば、犯人候補の絞り込みが早くなくてはいけない。人の記憶は曖昧なもので、アリバイに使える記憶や証人が、時間が経つにつれて発見できなくなってしまったり、記憶が曖昧になってしまえば、意味がないからね」

「そうなると、密室の謎がやはりこの事件の骨格になっていると見ることもできるわけですね」

「そういうことになるだろうな。そして私はもう一つ気になっていることがあるんだが、それは部屋で飼っているというイヌが気になるんだ」

「どういうことですか?」

「ラブラドールというイヌは賢いイヌだからね。ひょっとすると、その犬がこの一連の犯罪の中に占める割合は結構高いんじゃないかと思うんだ。何しろ二人の間での数少ない共通点だからね。先ほどの医者にしても、そうだけど、二人に共通で関係のある人、いやイヌも含めて、実に表に現れているのは少ないからね。それだけ二人は自分たちの間でも交友関係が少なかったということを示しているんでしょうね」

「確かに、私も気になっています。一つ気になるのは、真っ暗な部屋から飛び出してきた時後ろを振り向かなかったということなんです。ひょっとして、それは本当にプチだったのかなっていう気がするくらいです」

「プチというのは、その犬の名前ですね。大きなイヌなのに可愛らしい名前を付けたものだね」

「これは僕も実家で大型犬を飼っていたので分かるんですが、最初に買ってきた時というのは、子供だったりするじゃないですか。大型犬でも子供だったらまだ小さい、だからその容姿を見て、チビとつけたりしたものですよ」

「大きくなっても、名前を変えるわけにはいかないしね。そういう意味では、イヌも自分をチビだと思っていますしね。もちろん、チビというのがどういう意味なのか分かるはずもないですけどね」

 実に滑稽な話である。

「僕はどうしてそれがプチじゃなかったのかと思ったかというと、その時、最初はそれがイヌだとも気付かなかった二人でも、後ろ姿を見た時に、きっと管理人か隣室の奥さんのどちらかが、イヌに声を掛けたはずなんです。イヌは一瞬止まったという話でしたからね。本人たちはその時何と言って声を掛けたのか覚えていないといいますが、イヌは立ち止まったということから、自分の名前を呼ばれたからだと思うんですよ。『おい、イヌ』なんて呼び方は普通はしませんからね。『プチじゃあないか』って声を掛けたと思うんです。だから一瞬立ち止まったけど、でも自分の名前ではないと思ったその犬は、声を掛けられたから止まったけど、それが自分の名前ではなかったから、その場からいなくなったという発想です」

「なるほど、私もそこまでは考えなかった。いや、考える必要がないと思ったからなのかも知れないな」

「どういう意味ですか?」

「私は、その犬はやはりプチに違いはなかったと思うんだ。もちろん、賢いイヌであるということに違いはないよね。で、飛び出してきたことも、後ろを振り向かずに表に出たことも、計画された居ることのように思えるんだ。だから、その犬はプチでなければ意味がないような気がする。他の犬をわざわざ借りてきたりすることはないはずだよね?」

「そうですね。確かに河村氏がラブラドールを飼い求めたり、知り合いから預かった。あるいは拾ってきたという話はなかったですからね」

「まあ、最後の拾ってくるというのは無理があるだろうね。あれだけ大きいな犬を拾ってくるのは難しいだろうし、まず彷徨っているということはない。すぐに保健所に捕獲されるレベルのイヌだからね。いくら大人しいとはいえ、あれだけ大きいと、放っておくわけにはいかないからね」

「そうですね。そして後の話もないことが分かりました。人から借りるということも購入履歴もありませんでした。やはり上で死んだ自分の彼女が飼っていた愛犬だと思うのが一番妥当でしょう。自分の好きだった人の形見のようなものだと考えるのが自然な気がします」

「河村君が綾音さんをどれだけ愛していたのかということは、神経内科の先生に聞くとよく話してくれました。いつも治療にはついてきてくれていたようだし、二人の睦まじいのをよく見ていたということです」

「その医者が完全に信用できるのであれば、実に微笑ましいお話なんですが、本当に信用できると言えるのでしょうか?」

「鎌倉さんは、この医者が怪しいと?」

「そこまではいっていないんだが、この事件での人間臭い部分には、この医者が絡んでいるように思えてならないんだ。彼は医者としての立場とは別に、綾音さんのことを思っていたような気はしてこないかね?」

「それはあると思います。ただ、確証があるわけではなく、あくまでも僕の感想だとしか言いようはないですからね」

 と門倉刑事は言った。

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