第2話 中学時代の悪夢

 そんな静香も中学生になり、制服に身を包むようになると、それまで子供だと思っていた意識が少しずつ変わってきたような気がした。

 まわりの男の子たちの目も違ってきているし、その目を意識している自分が、実は半分嫌いだった。今まで子供だと思っていた男の子も、確実に大人になりかけている。しかも、その顔にはニキビが浮かび、気持ち悪さしかないと思うようになっていた。

 男子の制服は爪入り制服で、それが静香には気持ち悪さを倍増させた。どうして気持ち悪いと思ったのか分からないが、誰か一人、気持ち悪い人がいて、その人の影響が男子全員に感じさせる何かだったのかも知れない。

 静香は、自分がまだ思春期に入ったという意識はなかった。

 確かに初潮はすでに小学六年生の時に迎えていて、少し遅めであったが、別にそれを気にすることはなかった。見た目も幼いと言われていたので、却って早い方が気になるくらいだと思っていたのだ。

 中学に入学した頃から男子に対しては違和感があった。女子に対しては、

「大人になったんだ」

 という意識が強く、そもそも女子の方が思春期における成長は早いという話を聞いていたので、大人になったまわりを見て、自分も大人になってきているという意識を持っていた。

 小学生の頃、最初に初潮を迎えた時はさすがにビックリした。保健の授業で聞いてはいたが、実際になってみると、

――ひょっとして何かの病気?

 と思い、家族にはとても言えなかった。

 変に冷やかされたり、ましてや義理の父などに知られでもしたら、ロクなことにならないと思っていた。

 学校の先生に対してはそれほど大人としての嫌な部分は見えないが、義理の父を見ていると、大人というものがどれほど醜く下品なものなのかということを示しているように思えてならなかった。

 義理の父は、ただ母親と一緒にいるだけで、自分とは関係ないと思いたかった。しかし学費は親が出してくれているのだし、少なくとも中学時代だけは、我慢しなければいけないだろうと思っていた。そんな義父に対しての汚いものを見るような目は、中学に入ってからの思春期真っ只中である男子に対しても向けられた。

 ひょっとすると、義父に対してよりも、もっと汚らしく見えたかも知れない。今までにクラスメイトの男子をまともに見たことがなかったのに、どうしても意識せざる負えないのは、まわりの視線を意識しておかないと、何をされるか分からないという被害妄想的な思いがあったからだ。

「被害妄想なんて、自分が思春期に入っているからで、本当の妄想でしか過ぎないんだ」

 と自分に言い聞かせていたが、そう思っているからこそ、男子が少しでも近づいてくると、どうしても身体が避けてしまう。

 それは無意識にであって、わざとではない。それをまわりの男子が分かってくれるはずもなく、

「あいつ、俺たちを汚いものでも見るような目で見やがって」

 と陰口を叩かれるようになった。

 確かに彼らの言う通り、汚いものを見ているのだから、

――よく気付いたわね――

 と思っていたが、そんな思いは決して表に出してはいけない。

 その感覚がさらに男子から離れようという本能と結びついてしまっているかのようだった。

「ねえ、最近の男子って、女性を見る目が厭らしくない?」

 と、言っている女の子がいたが、

「そんなの今に始まったことじゃないじゃない」

 と言いたかったが、それをいうだけの勇気はさすがになかった。

 女子は気付いていないわけではなく、気付いているはずだ。だけど、今まではさほど気になるものではなかったが、いよいよをもって気になるようになってきたので、友達に同意を求めたくなったのではないだろうか。

 この感覚は女子だけではなく、男子にもあるというもので、

「集団意識のなせる業」

 と言ってもいいのではないだろうか。

 夏も近づいてくると、汗臭さが身体から滲みでるようになってきた。それまでの小学生の頃と違って、臭いはハッキリ言ってきつくなっている。男子の匂いなのか、女子の匂いなのかは分からないが、時々鼻を突く臭いがして、たまらなくなることがある。

――まさか、自分かしら?

 と、自分で匂ってみても分かるはずなどない。

 臭いを自分で感じることができないことは分かっていたはずではなかったか。それなのに匂いを嗅いでみるくせは、それだけまわりに対しての被害妄想の強さがあったからではないだろうか。

 汗を掻くようになると、汗だけではない臭いが、臭さとともにやってくる。女性の生理の匂いは、鉄分を含んだ臭いで、鼻をツンと突いてくるが。別の生臭い臭いがたまに教室に充満している時がある。

――誰も気づかないのかしら?

 と思ったが、誰も本当に何も言わない。

 暗黙の了解のようなもので、皆知っていて誰も何も言わないのだとすれば、これも何かの生理現象に違いない。この生臭さは明らかに男のものだとは思うが、男子は本人以外には分かっているだろう。下手をすると本人にも分かっていることかも知れない。静香にはそう思えてならなかった。

 一年生の頃は、そういう臭いに対して悶々とした日を過ごしてきたが、あれは二年生になってすぐくらいの頃だった。桜が折からの雨で散り始めた時期だったので、四月の中旬くらいだっただろうか。新学期にも慣れてきて、新入生も入ってきたことで、自分たちが二年生になったという自覚を覚えた時、

「中学って三年間しかないんだ」

 と改めて感じていた。

 小学生の頃は、

「六年もあるんだ」

 と、六年を長く感じ、実際に六年前が遥か彼方の昔のように感じられていたのに、中学一年生の間があっという間だったのを思い返すと、三年間を短いものだと思うのも無理のないことだろう。

 しかし、実際の一年生の時は、一日一日を単位にすると、結構長かったような気がする。それを一週間、一か月と単位を上げていくと、その都度、時間が短かったというような意識が芽生えてきた。そうなると、一年はあっという間だという気持ちにもなるというものである。

 そんな中学時代を思春期として駆け抜けることになると思うと、

「さらにあっという間になってしまうのではないか?」

 という気分にさせられ、今は一週間単位で、その週を思い起こすようにしていたので、始業式で始まった二年生も、二週間が過ぎようとしていた。

 新学期が始まってすぐは、まだ一年生の感覚だったが、二年生になると、一年生の頃とイメージが変わってしまった人も多かった。

 顔の雰囲気も変わってきている。あれだけニキビの多かった男子生徒の中に、ニキビが目立たなくなってきている人もいて、

「何をしたの?」

 と聞きたかったが、実際にはそれほど変わっているわけではなく、静香の中の思い込みが勝手にイメージを作っていたのだ。

 春休みという期間、学校がなかったことで、人へのイメージが固まってしまっていた。夏休みの方が期間は長かったはずなのに、それほど変わったと思わないのは、夏の間に日焼けしてしまったりしていることで、変わったというよりも、その時の印象が強すぎて、比較対象を忘れてしまっていたのだろう。それを思うと、身体にあまり変化を与えない春という季節が、穏やかな季節であるということを、改めて感じさせられた。

 春になると、虫も賑やかになり、

「啓蟄」

 と言われる時期から、一月も経っているのに、その時間の流れを感じさせない。

 春休みはさほど長くないと感じるのも、変化のない時間の流れを感じないからではないだろうか。

 しかし、実際には時間は通り過ぎていて、土から這い出した虫たちも活動を始めている。散ってしまった桜の木にもたくさんの虫を見つけることができる。

 ただ、虫が好きだというわけではなく、季節としての虫を感じることは好きで、そんな静香を他の女の子は、

「気持ち悪い」

 と表現していた。

 しかし、

「蝶々になった姿は綺麗だと思うのに、青虫だとどうして可愛いと思わないのかしら?」

 という思いはあった。

 青虫に関しては静香は可愛いと思っている。他の人と感性が違うと言われるのも、皆が気持ち悪いというものの一部をかわいいと思うからなのかも知れないが、どちらが変わっているのかというのは、多数決で決めていいものなのかと考えれば、静香の思いも果たして変わり者なのかどうか、いささか疑問である。

 春の時期もいろいろな匂いを感じることができる。

「梅の花の匂いや、沈丁花の匂い」

 というのを聞いたことがある。

 しかし、人によっては、

「何だっていいんだ。ランドセルの革の匂いであっても、あれは季節を感じさせるものとしての役目もある。俳句の季語のように、春らしいものを感じるのも、匂いという観点からではないだろうか?」

 という人もいた。

 この人の意見は結構年配だったので、それだけで説得力を感じ、心の中で、

「なるほど」

 と思ったものだった。

 春も、時々夏のように暑い日が時々ある。その日も朝から少し気温が高かったような気がする。湿気を感じたことで暑く感じたのかも知れないが、それだけではなかった。

「匂いが」

 と朝、クラスメイトの女の子がおかしなことを言い出した。

「匂いがどうしたの?」

 と静香が聞くと、

「雨が降りそうな臭いを感じるんだけど、見ている限りは雨が降りそうにないのよ。私の匂いの感覚はあまり外れたことないんだけどね」

 彼女はクラスでも、

「お天気娘」

 と言われるほど、天気の予報に関しては確実だった。

 この頃はまだそこまで天気予報も正確ではなく、さすがに昭和の時代に比べれば的中率は天と地の差ほどあるが、天気予報をまともに信じれるほどまでにはなっていなかった。それなのに、そんな公式の天気予報よりもその子の方が結構当たった。

「どうしてそんなに分かるの?」

 と聞くと、

「私の場合は臭いで分かるのよ。同じように天気予報が得意な友達もいるけど、その子は体質で分かるんですって、身体の節々が痛み出したりだとか、席が止まらなくなったりすると雨が降るなどと言った、一種の迷信的なことを言って、それを天気予報の根拠にしているの」

 と言っていた。

 なるほど、確かに体調によって天気が分かるという人はかなりいる。そういう意味で嗅覚というのも立派な身体の一部、匂いが誓って感じられるのであれば、それも身体の異変と何ら変わりがないような気がする。そう思えば、天気予報に対する信憑性もあるのではないだろうか。

 彼女のように、確かに臭いで何かが分かる時もある。特に雨が降る前など分かりそうなのだが、彼女の今言っていることは、少し矛盾を感じた。

 臭いを感じたから天気が分かると言っているのだから、素直に臭いから天気を感じれば済むということなのに、今の話では、別の何かの感覚が天気を教えてくれているということを言っている。

 時系列で理論づけて分かることのはずが、他にもう一本線があり、その線が平行に走っているため、普段はその存在に気付かないが、ふと横を見るとその線があることに気付いたことで、今まで見たことのなかった世界が広がったと理解するのは、無謀なことであろうか。

 それを思うと、その日、本当に雨が降るのか、それとも天気なのかで、何か自分の中で燻っていた考えが晴れてくるような気さえしていた。

 その日学校での一日は、あっという間に過ぎた。普段と違うとすれば、午前中の三時限目くらいから、昼の休みの前までとてつもなく眠たかったということであろうか。

 普段であれば、お腹が空いて仕方がなく、睡魔が襲ってくるなど考えられないものなのだが、何かいい匂いがしてきて、その香りが睡魔を誘ったようだ。

 空腹の時は、学食から、カレーの匂いだったり、揚げ物の匂いだったりがしてくるはずなのに、その日は睡魔を誘う匂いであり、それがどこか懐かしさを感じさせた。

 あれは、小学生の頃だったか、祖母に連れられて、北海道に行った時のことだった。

 それまで旅行など母親からも、どこにも連れて行ってもらえず、もちろん、家族でどこにも旅行に行ったことがなかったのに、急に祖母が静香に向かって、

「夏休みに旅行に行くよ」

 と言って、子供の返事を待っているわけでもなく、半強制的に出かけた旅行だった。

 どうやら、母親が再婚するしないで揉めていた時、母親から離れたい口実に、

「孫との旅行」

 を画策したようだ。

 旅行先は、

「どうせなら、行ったことのないところ」

 ということで北海道になったという。

 祖母と言ってもまだ六十歳代なので、十分身体も動く。今のうちに、北海道くらいには行っておきたいという気持ちもあったのかも知れない。

 祖母と行った場所は、札幌周辺で、その近くにあったラベンダー畑を思い出した。

「そうだ、あの時の匂いだ」

 と、果てしなく広がっているかのように見えて、改めて北海道というところの広さに感動したという思いの強く残った場所だった。

 一面に紫色に広がった畑を見ながら、遠くにも山が見えている。観光客はたくさんいたが、それを感じさせないほどの広大さの方が興味をそそった。小高い丘のようになった場所から緩やかな傾斜に一面の紫色、そんな光景を、そう簡単に忘れるはずもないだろう。

 特に、その後の家庭でのいざこざによって、何かを考えるということが億劫だった時期のことなので、余計にそう感じるのだった。

 元々、人がたくさんいるところは苦手だった。北海道と聞いて、

――北海道ならいいか――

 と思ったのも、北海道というところ以上に日本でゆっくりできるところはないという先入観からであったが、その考えは確かに間違っていなかった。

 見下ろした先に見えるところどころにしかない民家など、今住んでいるところから考えると、信じられないような光景だった。

 匂いも、最初ななぜか無臭に感じられたのだが、深呼吸すると、思わずせき込んでしまうのではないかと思うほど、空気が濃密だった。

「こんなところで風が吹いてくれば、どんな気持ちになるだろう」

 と思っていると、おあつらえ向きに風が吹いてきた。

 匂いはしなかった。きっと風の勢いが匂いを打ち消したのだろう。だが、すぐに風はやんで、またほのかな匂いを運んでくれる、ひょっとすると、ここでの風は本当の意味で天然で、

「匂いをまわりに振りまくための匂いによる行動が風となって表れているのではないか?」

 ということを思わせるのだった。

 ラベンダーの香りが睡魔を誘うということは知らなかった。

 だが、北海道から帰ってきて、友達にラベンダー畑の話をした時、

「昔の映画で、ラベンダーの香りをテーマにしたものがあったけど、あれ何だったかしら?」

 と言っていた。

 その子は、母親がよく昔の映画を借りてきて見ているので、気が付けば自分も興味を持つようになっていたと言っている。どうやら、母親とは仲がいいようだった。

 半分、羨ましいと思いながら。もう少しラベンダーの話に興じた。

「ラベンダーの香りってちょっと分かりにくいのよね」

「というと?」

「実際のラベンダーって、お花に顔を近づけただけではよく分からないものなの。花びらを指でこすったり、葉っぱをこすったりして、その指を嗅いでみるのよ。すると香ってくるものなの」

「そんなものなんだ」

「それにね。これも種類によるのかも知れないけど、好き嫌いもあるみたいで、臭いと思う人もいるかも知れないわ。でも、実際には精神を安定させる効果があって、安眠に向いていたりすることから、一般的には喜ばれる香りなんだって私は思うわ」

 と言っていた。

「香りっていろいろあるのね」

「ええ、その通り、香りだけではなく、その効果も考慮に入れるから、匂いっていろいろ楽しめるのよ。考えてみれば、お香だってそう。お線香の匂いに似ているからと言って嫌う人もいるけど、やっぱり精神安定には適しているのか、好まれているわよね。それを思うと、匂いと想像力というのは切っても切り離せないもので、ひいては匂いと人間の感覚が切っても切り離せないと言えなくもないんじゃないかしら?」

 と言っていた。

 小学生でも、何かに興味を持っていろいろ調べたり、自分でも試してみたりすれば、これくらいの会話ができるのだと思うとすごいと思った。逆に大人のように、変な先入観がないことでイメージが膨らんでいると思うと、余計にいろいろと考えさせられる。

 匂いに対しての発想は、この時に一つの結論を持ったような気がしたが、本当はそのまま大人になれればよかったのに、大人になるまでのある時、まさか自分にあんあ不幸が待っていようなどと、誰が想像できるだろう。

 世の中というのは実にうまくまわっている。それは思い通りにいかないということを含めても精いっぱいの表現であるが。こんな皮肉も言いたくなるような運命が、いつ誰の身に降りかかってくるか分からないというのを、静香は体験したのだ。

 その発端は、きっと見てはいけないものを見てしまったことからであった。

 本当にあれは偶然だった。

 学校の帰りに、ちょうど建て直しが決まって、建物のほとんどを取り壊して廃墟と化した場所で、立ち入り禁止の紐が敷かれたりしていたが、近道として利用することも多く、ちょうどその日も、その道なき道を通って学校から帰っていた時だった。

 時間としても、もう薄暗くなっていて、そんなところに誰もいるはずはないという思いが、静香を強気にさせた。

 元来静香は強気な女の子だった。家族が離婚したり、祖母の教育に幻滅したりしていたこともあって、自分が望んで強くなったものではなかった。しかも、その成長は思ったほどではなく、ずっとチビで、ちんちくりんと言われても仕方のないくらいだったこともあって、やはり自分が強くなければいけない立場になっていたのだ。

 心身ともに、強さを要求された静香は、自然と怖いもの知らずになっていた。それが怖いということもまだ中学生の彼女に分かるはずもない。まわりに対して強気でいれば生きていけるという単純さだけが静香を支えていたのだ。

 静香は、そんな気持ちで毎日を過ごしていたので、友達は少なかった。しかし、逆にそんな静香だから慕ってくれる人もいたのも事実で、二、三人はいただろう。

 この三人で秘密結社のようなものを作って、他の人には分からないように付き合っていくことを、結束という形で結んだのだ。

 世間を欺くということも三人の共通した楽しみであり、お互いに家族においては、少なからず苦労していた。ここで、それを一つ一つ開設することは憚るが、中学生の女の子が思う家族の苦労である。結構なもののはずだった。

 それは世間の冷たさをハッキリと知っている結束だった。

 世間というのは、思ったよりも冷たくはない。ただ、自分が可愛いだけである。それが余計に自分たちに対しての風当たりを強くすることを分かっていた。

「決して冷たいなんて思うと、痛い目に遭うよね」

 と、三人で話をしていた。

 特にもう一人の女の子は、大人の妬みや浅ましさを知っていた。自分の母親が、旦那を裏切って別の男のところに入りびたったのに、今度はその男が浮気性で、母親に飽きたらしく、簡単に捨ててしまった。

 それを見て、父親は、

「ざまあみろ。お前のような女にはもう用はないんだ」

 と言って追い出してしまった。

 彼女は、最初母親を憎んだ。自分がいくら言っても相手の男の言いなりになって、好き勝手やっていたのだ。そんな様子を見て、父親が可哀そうだった。

 しかし、無残にも捨てられた母親を、父親は癒すわけでもなく、傷口に塩を塗るマネをしたのだ、

――確かに、母親が蒔いた種なので、仕方がない部分もあるのだろうが、そこまで憎まなければいけないのだろうか――

 彼女は、両親とも可哀そうだと思ったが、それ以上に激しく憎んだ。

 自分が最初に可哀そうだと思った人が実は血も涙もない人であり、最初に何て無責任なと思った人が改心のチャンスがあるのに、それを見殺しにしてまで踏みにじった。どちらを信じていいのか分からない。

――どっちも信用できない――

 そう思って当然であろう。

 自分をこんなに精神的に追い詰めた両親を憎まないという方はない。そう思った彼女は、

「嫉妬や浅ましさが招いたことなんだ」

 と感じたが、そもそもどうしてこんなことになったのか、それが分からなかった。

「愛に飢えていた?」

 そんなことはないだろう。

 見た目には幸福な家族だったはずだ。母親のちょっとした浮気心から始まったことなんだろうが、そこに至るまでに父親が何かしたとか、何かを言ったのではないかという思いが頭に浮かぶ。何しろ、遡ろうと思えばいくらでも遡ることができるはずなので、今二人に後悔の念が残っているとすれば、どこまで遡っても尽きることのないアリ地獄のような堂々巡りを繰り返しているに違いない。

 静香はそこまでひどい家庭ではないが、いつ自分も同じようなことが起こるかと思っていた。義父を見ていて、あの人はどうしても信用できる人ではない。今は母親も我慢をしながら何とかやっているが、堪忍袋の緒が切れたらどうなるか、自分で分かっているのだろうか?

 だからそれぞれ三人三様の悩みを持っているので、お互いに余計な詮索もせず、三人の輪を壊さないようにするには、他の人にこの関係を知られないようにしようと考えるのも無理のないことなのかも知れない。

 子供心に、

「どうして他の人はこんな私たちのような悩みがないんだろう?」

 という当たり前の疑問を感じていた。

 何が当たり前なのか、それは大人への疑問である。誰も大人に対して疑問も感じないから、大人を信用しようとする。それが当たり前のことと言えるのだろうか?

 そんな強気な静香だったが、さすがに夜の静寂は気持ち悪かった。その日はしかも、普段とどこかが違っている気がした。最初はそれが何から来ているのかよく分からなかったが、何かの匂いに由来しているように思えた。

 最近の静香は匂いに敏感であった。以前の旅行で行った北海道でのラベンダー畑の匂いや、汗と交り合った何かの匂い、交り合ってしまうと元がどんな匂いだったのか分からなくなってしまうが、その臭いの元を考えると、怖くて仕方がない。

 そんな静香にとって、その時に感じたのは、何かアジアテイストな匂いだった。その頃アジアンテイストなどという言葉に馴染みはなかったが、匂いの元は確かに中国四千年を感じさせるものだった。

 目が少し痛い気もした。さらにこの臭いが懐かしさを誘う気もした。そんなことを思いながら歩いていると、思い出した匂いがあった。

「そうだ。この匂いは、お香ではないか?」

 確かにお香なら、アジアを中心に考えられるもので、目が痛くなったとしても無理もないこと、そして懐かしさは仏壇でや墓でのお線香の匂いで、お盆や月命日と呼ばれる時に備えられているものなので、匂いがしても、それはそれで懐かしさに繋がるというものである。

「だけど、お香って焚くものじゃなかったのかしら?」

 基本的にはお線香のような棒状のものであったり、香炉と呼ばれる容器に入れたものに火をつける、中国などでよくあるあの形なのではないだろうか。

 つまり、そのあたりに普通に香ってくるものではなく、誰かが作為的に臭いを振りまいているということである。

 そこに悪意があるかないかは、お香だけでは分からない。

 もっとも、こんな誰も通らないように思われる場所でお香の匂いがするというのは、やはり何か作為的なものがあると言えるのではないだろうか。それを思うと、少し気持ち悪い気がする。歩いていて、恐る恐る探るような気持ちになるのも無理のないことだったであろう。

 ゆっくり歩いていると、空き地の暗闇にも目が慣れてきた。決して平たんではない足元だったが、その凸凹が分かる気がしてきた。足元を気にしながら歩いていると、足元から自分の影が細長く伸びているのを感じることができた。

 影というのは、光がなければ見えるものではない。どこかに光の光源のようなものがあるのだろうか。それを探っていると、どこからか、何かが落ちる音が響いてビックリさせられた。

 どうやら、廃墟のどこかでコンクリートの欠片が引っかかっていたものが落ちてきただけのことなのだろうが、真っ暗でしかも廃墟という環境が、さらに音を増幅させ、まるで児玉となって響いているかのようだった。

「気のせいか」

 とビックリしてしまい、心臓の音がバクバクと感じられるようになると、さすがに恐怖が先に立ってしまい、わざと少々大きな声でしゃべってしまう自分がいた。

「大丈夫よ」

 と自分で声に出して言ってみたが、それは自分がすでにこの道を選択してしまったことに対して後悔している証拠だった。

 今までも何度も通ってきてしたことのない後悔だったはずなのに、なぜ今さらの後悔なのか、そんなこと分かるはずもない。ゆっくり歩いているつもりなのでその向こうに見えるのは、いつも同じ光景だ。

――永遠にここから出られなかったらどうしよう――

 という思いが強く、しかも、自分の前を誰か知らない人が歩いているかのように思えるくらいだった。

「こんな時間に、こんな場所、他の人が歩いているはずはない」

 と思ったが、現に自分が歩いているではないか。

 それを棚に上げて、他の誰も歩いているはずなのないとどうして言い切れるのであろうか。

 前を見ながら歩いているが、どこか違っていると感じるのは、お香の匂いを感じるからで、その臭いがどこから来ているものなのか、分からないことだった。

 まったくそれらしい人の気配も音も感じることはない。それが当たり前のはずなのに、その日は不気味でしかなかった。

「誰かいるなら、返事して」

 と声にならない声を発したが、すでに喉はカラカラになっていて、声を出しても、きっと誰も気づかないに違いないと思った。

 それくらい、闇は深かったのだ。

「ガサガサ」

 音が確かに聞こえる。

「誰かいるの?」

 怖いけれど、声に出して叫んでみた。

 遠くで反響する音が聞こえる。しかし、それに対しての反応はないが、少ししてからまたお香の匂いが少し強くなってきた。やはり誰かがいるのは間違いない。

 誰かがいるとして、その気配を消しているのは、こちらに気を遣っているからだろうか? そんなことはない。気を遣うのであれば、却って音を立てようというものだ。相手はこちらに悟られていないと思っているのか、それとも分かっていて。わざと息づかれないふりをしているのか、その真意が分からない。

――相手は私のことを見ているのだろうか?

 という思いと、

――私だということを十分に認識しての行動なのだろうか?

 後者であれば、自分の知り合いということになる。

 いや、知り合いだとは限らない。相手が勝手に知っているだけで、こっちはまったく意識がないのだ。まるでクモの巣に引っかかった蝶々をイメージさせた。

 ここまで来ると完全に後悔が先に立っていた。どうして自分がこの道に入ってきたのか、他の人を意識しないようにしている性格を初めて後悔した。

――誰でもいいから、ここを通りかかって――

 と心の中で叫んだが、声になどなるはずもない。

 歩きながら祈っていたが、相手はそれを知っているのか、どこからか、かすかな笑い声が聞こえる。その声は次第に小さくなっていくような気がしたが、別に靴音がするわけでもないので、遠ざかっているのではないようだ。

 その次の柱を超えようとした時、ふいに後ろから羽交い絞めにされた。

「うっ」

 と思うと、口にハンカチが押し込まれ、鼻をツンとした臭いが支配した。唇の感覚がなくなっていき、口がだらしなく開かれていくのを感じた。

――このまま意識を失うんだわ――

 と、思いながら、まるで病院にいるかのような無意識の状態になっていた。

 そこにいたのは確かに男、静香は意識を失いそうになったが、なぜか意識が朦朧となりながらも、気を失うことはなかった。

 静香の服に手を掛けようとしている男も戸惑っているのが分かる。

「どうしたんだ?」

 たぶん、クロロフォルムの麻酔か何かを使ったのだろうが、その男の手さばきから、慣れているようには思えなかった。クロロフォルムの効き目が薄かったのか、それとも体質的に静香の方が、クロロフォルムには強かったのかなのだろうが、これは後で分かったことだが、実際のクロロフォルムというのは、少量では効き目はないという、しかし、大量に摂取すれば、気絶をするかも知れないが、相手が死んでしまうという危険性もあるという。そういう意味で、犯人が意識的にクロロフォルムを薄くしたというのも考えられることではあった。

 だが、実際に眠りに落ちないのだから、犯人も慌てたことだろう。殴って気絶させるわけにもいかない。相手にとって幸いなのは、念のために上から芽出し帽をかぶっていたので、その顔が分からなかったことだ。

 ただ、目だけが異様に光って見えて、気持ち悪かった。口元も歪んでいるように見えて笑っているかのようで、そんな相手を見ていると、蹂躙されている自分への屈辱感がひどいものだった。

 結局、その男は何もせずに走り去ったが、気が付けば、服を途中まで脱がされ変えていて、相手が何を企んでいたのか、容易に想像がついた。

 一人取り残された静香は、そこでまたお香の香りを嗅いだのだが、今度は明らかにむせかえるような気がして、嘔吐を催した。実際に吐き出していたが、食べたものが出てきたというよりも、胃液のようなサラサラの液体で、却って気持ち悪い気がした。

 本当は警察にでも届けなければいけないことなのだろうが、何かをされたと言っても、強姦されたわけではない。それを思うと、警察に言って、いろいろ事情聴取を受け、そのせいでまわりから余計な詮索をされ、下手をすれば誹謗中傷に繋がるという最悪のシナリオを頭の中で描いてもみた。

 いや、そんな最悪のシナリオしか浮かんでこなかったと言った方が正解かも知れない。

 その日は急いで家に帰って、かすり傷を自分で手当てして、シャワーを急いで浴びたところまでは覚えている。

「忘れよう。忘れてしまうばいいんだ」

 と自分に言い聞かせた。

 ただ、恐怖は一瞬だったが、そこに至るまでのジワジワと襲い掛かってくる予兆のようなものが、静香の頭の中を去来し、何度も思い出してしまいそうになる。

「忘れなければいけない」

 と思いながら、どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのかということよりも、どうして忘れようという努力をしなければいけないのかという方が、強いような気がした。

 それだけ、忘れるということが困難だということを分かっていたのだ。

 その日の夜、夢に出てきたことに違いはなかった。出てくるだろうと思っていたので、夢に出てきた時は、

――それが本当に夢なのか――

 という思いが強く、夢というものと現実との境目が分からなくなっていた自分に気付いた。

 だが、そう思った瞬間目が覚めた。

「夢というのは、どんなに長いものであっても、目が覚める寸前に見るもののようだ」

 と言われているが、まさしくその通りだと思っている。

 夢から覚める瞬間、自分が夢を見ているという意識が一瞬芽生えているのではないかと思っていた。そう感じるから、目を覚ますことができるのだという理屈である。

 現実との間にはれっきとした境目があり、それは昼と夜の違いのようであるが、一つ違うとすれば、昼と夜は定期的に若干の時間の違いはありながらも、ほぼ毎日既読的に繰り返しているが、夢と現実ではそんなことはない。夢を見ていると感じるのは、ごくまれな時で、夢を見る時に何か共通点があるのだろうが、それはハッキリと分かっているわけではない。

 それを思うと、静香は少し別の考えも持っていた。

「夢というのは、実は毎日見ていて、覚えていない夢が多いだけのことではないだろうか」

 というものであった。

 確かに、昼と夜の関係から考えると、見たようなものだとするならば、夢も見る時が決まっていて、それは稀であると言われても、信憑性に欠けるような気がするからだ。

「夢は毎日、いや眠りに就いている時は必ず見るものだ」

 と思う方が信憑性があるように思っているのは、果たして自分だけなのかと、静香は思っていた。

 季節にも四季があるように、一日に昼と夜があるように、現実世界に対しては夢の世界が存在する。それを思うと、回帰性で、継続性のある堂々巡りだと考えると、納得がいくのであった。

 だが、夢というものが人の意識に大きく左右されると思っている。なぜなら夢で覚えているのは、ほとんどが怖い夢の時だからだ。

 夢を覚えていない時であっても、

「夢は見ていたのに、覚えていないだけだ」

 という感覚が残っている。

 そんな時、目が覚めたことが何か悶々とした気持ちにさせられているのだが、その理由として、

「もっと夢を見ていたかった」

 と感じるからではないだろうか。

 つまりは、楽しかった夢が、ちょうどのところで覚めてしまったことで、目が覚めた時に悶々とした気持ちにさせられる。それを思うと、

「夢というものが、人間の意識、いや、意志によって支配されるものではないか」

 という考えが芽生えたとしても、そこに無理はないような気がする。

 しかし、自分の意志であったり意識が見せるものであっても、自分でコントロールできるものではない。それはきっと潜在意識がもたらすものが夢だからであろう。

「人間は、その脳の能力を、十パーセントも使っていない」

 と言われ、その他の九十パーセントを使える希少価値の人間のことを、

「超能力者」

 として、特別扱いし、まるで神格化したように奉ることもある。

 ある時は宗教に利用したり、自分の欲のために、その力を使おうとする人もいるだろう。

 だが、それが成功したという話は今までにはない。本当であろうか?

 この世界だって、誰か超能力を持った人に支配され、それが洗脳されることによって、誰も不思議に思わない。そして、そこに集団意識を伴うことが、一人を洗脳すれば、あとはまわりに勝手に伝染してくれると思うと、これほど楽なことはない。

 あくまでも妄想であるが、こちらも信憑性から考えると、まったくあり得ない話ではないだけに怖いものだ。

 静香は、自分が危険な目に遭っているのに、何か他のことを考えようとしていると、こんな理論的な発想をしてしまった。これが静香の性格でもあるのだ。

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