第10話 旅は道連れ

次の日の日曜日の正午前、花菜江と有実は長野駅のホームにいた。手に会社の人達へのお土産を多数抱えて。

「他に買い忘れない?」

「ん~と、これは課長へのお土産で、こっちは荒井部長の分。こっちが商品企画課のみんなへのお土産のドラ焼き。」

「なら全部そろってるね。」

昨日の雨が嘘のように気持ちの良い秋晴れの日差しが駅の構内を明るく照らす中、花菜江と有実は駅のホームから遠くに見える長野の町並を眺めた。

「なんだかこの一週間色々あったね。」

「ほんと、長かったような短かったような一週間だったよ。明日からいつもの日常だねぇ。」

「勿論課長のお説教つきでね。」

「いゃ~ん、怖~い。あ、これ水川さんのモノマネね。」

「あはは、似てる。」

そんな呑気な会話をしながらホームのベンチに座っていると、不意に目の前が日の光を遮る何かが立った。二人は顔を向けると、そこには石田が立っていた。手にはお土産屋さんのロゴ入りの紙袋が握られていた。

「あれ、石田さん!?どうしたの?今日は仕事で見送りには来れないっていってなかった?」

「ああ、少し時間ができたから見送りにきてやったぞ。」

「石田さん、相変わらず素直じゃない言い方しちゃって。でも来てくれてありがとうございますぅ。」

有実が軽く礼を言うと、石田は無言で手に持っていた土産物袋を花菜江と有実に差し出した。

「これ・・。持ってけ。」

「貰っちゃっていいの?」

「ああ。長野名物の野沢菜だ。長野は漬物も美味いからな。」

「ありがとうございます・・。なんだか気を遣わせちゃってごめんね。」

花菜江は石田から紙袋を受け取ると、中身をまじまじと見つめ、有実も紙袋の中を興味津々でのぞき込む。

「長野県の味だ、これ食って長野を思い出してくれ。」

「うん、そうするね。」

花菜江が嬉しそうに微笑むと石田は少し寂しそうに俯く。

「・・・それとな、霧島玲香の勤務する病院の保管する青酸カリが大幅に減っていたそうだ。」

「えっ!?」

事件の重要人物の勤務先が保管する青酸カリが減っていた事実。これが意味する事とは・・。

「今後、霧島の病院に捜査が入る事にはなるが、これだけで霧島だけを容疑者認定することはできない。が、内々に霧島を警察の方でマークすることになりそうだ。」

「良かったぁ。霧島が上手く自白してくれれば山下も逮捕できるもんねぇ。」

「喜ぶのはまだ早いぞ。大抵劇薬を保管している薬品庫というのは防犯カメラがついているものだが、なぜか事件の一ヶ月前から防犯カメラが故障していたそうだ。修理せず放置していたらしい。」

「またいい加減な病院ですね。」

「そうだな。それに、故障の原因もなぜだかまだ判っていないが、いつ頃から青酸カリが不審な減り方をしたのかもまだまだ何も判っていない。事件解決までの道のりは長そうだ。」

石田は一息ため息をついたが、花菜江はその様子をみて微笑み返す。

「石田さんみたいな真っ直ぐな刑事さんなら、すぐに犯人を逮捕できるって。」

そうこうしている内に駅のホームに新幹線が到着した。長野との別れの時がやって来た事を列車が告げる。思えば六日前、冥途商事一行がこの駅のホームに降り立った時花菜江と有実は一度も訪れた事の無いこの長野の地で仲間達と楽しみ、堪能し良き思い出作りをしようと期待に胸を膨らませていたのに、今では親しい人を亡くした惨劇の地となった忌まわしい思い出の地になろうとは予想していなかった。

事件を解決できなかった心残りは残りつつも、二人は列車に乗り込むことにした。

「じゃあ、行くね。」

「ああ、気をつけてな。」

花菜江と有実は新幹線に乗り込む姿を石田はいつまでもじっと見つめていた。列車が発車するまで。

「ねえ、有実。」

「ん?」

「石田さんの事いいの?好きだったんでしょ?」

「ああ、あれね・・。なんだか私の思ってた人と違ったみたい。よく考えると好みのタイプじゃなかったよ。」

「そぉ?ならいいけど、後で泣かないでよ。」

「それに石田さんは私じゃなくて・・むしろ・・」

「むしろ?」

「・・・ううん、何でも無い。」

(本当は石田さんは花菜江に気があったみたいだったけど、くやしいから言わない。花菜江も自分の気持ちに気がついていないみたいだし。)

列車が発車すると、駅のホームから見送っていた石田が段々遠ざかってゆく。花菜江と石田の距離は手の届かないほど遠ざかっていった。

新幹線が松本市を通り過ぎる頃になると、ふと近くに座っていた親子連れの会話が耳に入ってきた。

「ちょっとぉ、この靴お姉ちゃんの靴じゃない。ちゃんと自分の靴履いてこなきゃだめだよ。」

「だってママ、この靴可愛かったんだもん。ほらお姉ちゃんになったみたい。」

一見なんの変哲も無い微笑ましい親子の会話なのだが、花菜江はこの会話が気になった。佐藤が履いていた靴の事だ。

佐藤が遺体となって発見された時に履いていた靴は霧島玲香の靴だった。花菜江はそれを山下が佐藤を殺した時に間違えて佐藤に間違えて履かせたと思い込んでいた。けれど、本当に山下が間違えたのか?と。

「ねえ、有実。」

「どうしたの?眠くなっちゃった?」

「佐藤さんが履いてた霧島玲香の靴なんだけどさ、あれもしかして山下が間違えて履かせたんじゃ無くて、佐藤さんがわざと霧島玲香の靴を履いて外にでたんじゃないかな。」

「佐藤さんが?霧島玲香の?」

「そうそう。私さ、てっきり佐藤さんがお寺の宿坊の中で殺されたと思ってたんだけど、実は本堂の釣り鐘堂の所で殺されたのかもって、思えて来ちゃって。」

「そうだねぇ、殺された時間帯は夜なんだっけ。山下が用意した毒入りおやきを食べたのは部屋の中じやなくて外だったってこと?」

「そう。深夜の境内なら誰もいないだろうし、外でおやきを食べたのかも。山下が外を散策しようとかなんとか言って佐藤さんを連れ出した。」

「確かにその方が、部屋のかで殺して遺体を運び出すよりは手間がはぶけるね。」

「外に出るときに、佐藤さんはわざと霧島玲香のあの趣味の悪いパンプスを履いてね。」

「なんでまた、わざわざ自分の靴じゃないのを履いてでたの?」

「それは・・きっと・・佐藤さんは自分が山下に殺される事を予期していたんだと思う。だから自分が殺された後、警察が霧島玲香にたどり着きやすいように・・。」

「そんな・・・殺される事が判っていて、山下の誘いに乗ったということ?」

「私の憶測だけどね。でも、そんな気がしてならないの。佐藤さんは賢い女性だよ。そして他人の気持ちを読み取るのが上手な人。自分が殺されるのを判っていたからこそ、社員旅行前に私に言っていた事も山下にたどり着くためのヒントだったんじゃないかな。」

「そんな・・!佐藤さんはなんでわざわざ殺されに行ったの?佐藤さんの目的は山下と結婚することでしょう。山下が佐藤さんを殺すつもりでも、わざわざそれに乗っかる事なんてないと思う。」

有実は思わず取り乱してしまう。花菜江も有実と同様に、心の中は佐藤の真意を読み取りザワついていた、そして悲しかった。

「これも私の憶測だけどね、佐藤さんは自分が山下に殺される事が自分を裏切った山下と霧島への復讐だったんじゃないかって思うの。」

「殺される事が復習?なんで?」

「自分を殺した相手に、自分という存在を一生忘れられなくする為に。そして山下と霧島が警察に逮捕されれば二人が幸せになるなんて出来ないしね。二人を不幸にするために。」

「だとしたら・・・怖い。私の知っている佐藤さんはそんな怖い事考える人にはみえないんだけどね。」

「私もそう思う。私達だけじゃなくて、同じ商品企画課の皆もそう思ってると思う。」

佐藤水希を知る誰もが知らない佐藤の一面を花菜江と有実は、見てはいけない物を見てしまったのかも知れない。花菜江は佐藤の死の真相を知るために長野の地に残った事を後悔した。あの時、冥途商事の商品企画課の皆と一緒に東京へ帰っていれば、誰も知らなかった佐藤の一面を知ることは無かったのだから。誰もが知る優しい佐藤のまま思い出に残すことができたのだから。

  『左側の壁を触りながら進むと一生迷子のまま二度とこの世に戻って来れなくて 

   あの世に行くって』

あの時、佐藤が言っていたお戒壇巡りの都市伝説はあながち間違い無かったのかも知れないと花菜江は思う。佐藤は山下に会う為、自ら左側の壁を伝ってお戒壇巡りの回廊に身を潜めた。自らあの世に行く事を選択してしまったのだから。そして本当にあの世に行ってしまった。

『お戒壇巡りは胎内巡り』という僧侶の言葉も思い出す。佐藤は自ら生まれ直す事を拒んだのだ。

「そういえばさぁ、佐藤さんが山下に会うときに持っていたっていう白い紙袋って結局どうしたんだろうね。」

有実はふと石田が言っていた、防犯カメラに写っていた佐藤が手に持っていたという白い紙袋の存在を思い出した。結局その佐藤が駅ビルで購入したと思われる手土産の行方も判らないまま終わってしまった。

「そいえば、そうね。どうしたんだろう。山下が食べちゃったのかな。」

「佐藤さん、これから自分を殺すかもしれない相手にお土産なんて、律儀ね~。」

「・・・・。」

花菜江は佐藤の白い紙袋に入っていたお土産について、ふとある可能性について思いついた。でもそれは言わない方が良いのだろうと判断して有実には何も言わずに押し黙ったまま窓の外をジッと眺めていた。


「大変申し訳ありませんでした!」

「申し訳ありませんでした!」

月曜の朝、出勤する早々花菜江と有実は荒井部長と吉川課長に頭を深々と下げ謝っていた。荒井部長も吉川課長も眉をひそめ、怒っているのか困っているのか区別がつかないなんともいえない表情をしている。

「新田さんに大谷さん。急に単独行動をとられたら困るんだよ。理由は盛岡さんに聞いたけれど、君たちは警察でも探偵でもなんでもないただの会社員だ。佐藤さんに続いて君たちに何かあったら、僕や荒井部長は首ではすまないんだ。それに結局は事件を解決できなかったんだろう?」

「はい、申し訳ありませんでした。」

再び花菜江と有実は頭をさげ吉川課長に謝罪をする。

「まあまあ吉川、こうして二人とも反省しているしもういいじゃないか。」

「ともかく二人とも、君たちが休んでいた間、他の皆が業務をカバーしてくれていたんだ。皆にお礼をいってまわりなさい。」

「はい。本当に申し訳ありませんでした。」

「めんどくさ・・いえ、判りました。」

荒井部長になだめられた吉川課長は、ため息を一つつくとお説教を終了させ、業務に戻るように指示をだし、そして花菜江と有実はそれに従った。

「そうだ課長。お土産を買ってきたんでお渡しします。」

「おぉ、お土産か、待ってました!」

「はい、こっちは課長の分。でもって、こっちが荒井部長の分です。」

白い紙袋に包まれたお土産を課長と部長に渡すと、課長はウキウキしながら紙袋の中身を物色し、菓子折の匂いを嗅ぎだす。花菜江は吉川課長が最初からお土産を期待していた様に見えたのだが、それは言わないでおいたほうが良いのだと思い口をつぐむ。

「これはもしかして・・ドラ焼きなのか?」

「そうでぇ~す。ドラ焼きです。」

「これ美味しかったんだよな。5月に佐藤さんがお土産に買ってきてくれて以来忘れられなかった味だ。」

「そうだな吉川。佐藤君が買ってきてくれた、最後のお土産がこれだったな・・・。」

荒井部長も感慨深そうにお土産袋の中を見つめる。どうやら佐藤の事を思い出している様子だった。

「あ、でこっちが商品企画課の皆へのお土産なんで配ってきますね。」

「そうだな、いつもなら水川さんにお願いしている所だが、今回は二人が配るといい。他の皆も佐藤さんの事件について話を聞きたいだろうし。」

「はい。」

花菜江と有実は、手分けをして長野からのお土産のドラ焼きを同じ部署の皆に配りに向かった。

「はい、盛岡さん。これ長野のお土産です。ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。」

「新田さん、課長はああ言っているけど、二人が途中で新幹線を降りちゃった後,

自分も長野に戻るって言って荒井部長と喧嘩してたんだから。」

「えっ、吉川課長が?」

「そう、先週の間ずっと新田さんと大谷さんと合流して一緒に犯人を捕まえるって騒いでたんだよ。」

「課長が・・。」

吉川課長が自分と有実を心配してそんな事を言っていたなんて、ビックリした。花菜江から見た吉川課長は、何処か抜けていて頼りなくてセコくて、自分の保身しか考えていない人だという印象だった。それなのに、課長自身も長野に残ろうとしてくれていたなんて、花菜江は感動と感謝と申し訳なさで思わず目を潤ませた。

「でも・・結局私は・・私と大谷さんは何も解決できなかったんです。盛岡さんにも電話で偉そうな事宣言しておいて、結局佐藤さんの仇を取ることはできませんでした。」

「そんなことないよ。聞いた話によると、犯人の目星はつけたみたいじゃない。残念ながら逮捕までは出来なかったみたいだけど、それだけでも十分水希の仇を取ったことになるからね。」

盛岡は少し寂しそうに微笑んだ。

「も・・盛岡さん、私頑張りました。大谷さんも一緒に頑張ったんですよ。でも・・でも・・。」

「うんうん。私ね、水希がなんであなただけに他の皆に話していないような秘密を打ち明けたのか判った気がしたの。」

「そ・・それは・・ぐすっ・・それはなぜなんですか?」

「うん、それはね、あなたが真っ直ぐな人柄だから。水希は誰に対しても人当たりが良くて優しかった。でも、それは表面上だけの顔で、内心は誰のことも信用していなかったんじゃないかなって、そう思えるの。もちろん私の事もね。普段から人に嫌われるのを恐れていた所があって演技をしているように見えたもの。でも、あなたは違う。誰かに嫌われるのを恐れずに真っ直ぐ突き進む事ができる強い人。そして友達思い。そんなあなただから水希はあなたを信用して頼りにしたんだと思う。」

「そんなことないです!佐藤さんは、盛岡さんの事をちゃんと信頼してました。他の人達もそう思っていると思います。盛岡さんと一緒にいる時の佐藤さんは本当に楽しそうでした。それは嘘偽りの無い真実です。」

「ふふっ。やっぱり新田さんは優しいね。大谷さんは良い友達を持ったもんだ。水希の為に犯人を捜してくれてありがとう。」

「うっ・・うっ・・ぐすっ・・。」

犯人を捕まえて佐藤の仇を討つ事ができなかったふがいなさと、商品企画課の皆の優しさに触れ思わずこみあげてくる涙を必死にこらえながら、お土産のドラ焼きを課内に配るために必死に気持ちを静める。

「はいこれお土産です。急なお休みいただいた間、仕事のフォローをしていただいてありがとうございました。そしてお騒がせしました。」

有実は成瀬にお土産のドラ焼きを渡した。

「どうもッス。このお菓子・・・以前佐藤さんからも、貰ったやつスよね。」

「うん、そうだね。あの時佐藤さんからもらったこのお菓子が美味しかったの今でも覚えているよ。」

「・・このお菓子・・佐藤さんの味がするッス。」

「成瀬さん・・キモい・・。」

本来なら有実よりも成瀬の方が年上で職場の先輩にあたるのだが、なぜか有実の方が上目線になっていた。

花菜江は次は水川真莉愛にどら焼きを手渡していた。

「水川さんにも迷惑かけちゃったわね。ごめんなさい。そしてありがとう。」

「新田さんと大谷さんは、長野に残って探偵やってたんですってね。すごぉ~い。真莉愛も一度やってみたい~。」

「あまりいいものじやなかったわよ。命も狙われたし・・。」

「えっ!命を狙われたんですかぁ!?」

「シーっ。声がデカい。課長に聞こえたらまた心配させちゃう。」

「ごめんなさぁ~~い。」

水川は軽く微笑むと、ヒソヒソと声をひそめて顔を花菜江の耳に近づけた。

「でも、今度似たような事があって探偵のモノマネするなら、真莉愛も誘ってくださいよぉ。真莉愛だって皆さんの役にたちたいんだからぁ。」

「水川さん・・・。遊び半分でそんな事やっては駄目だよ。」

「そんなこと無いですもん。真莉愛が新入社員って事で、お茶くみとか書類整理とか雑用しかやらせて貰えないんですけどぉ、でも他の事だってやりたいんだからぁ。私だって皆の負担が軽くなる事をやってぇ、感謝されたいんだからぁ~。」

「水川さん・・・。雑用だって、やってもらってみんなちゃんと感謝してるよ。雑用も大切な仕事の一つだしね。それに『探偵のモノマネ』だって、危険な目にもあったし、水川さんはやらない方がいいと思うの。」

「真莉愛だって、佐藤さんの仇をとりたかったんだからぁ~。」

「そ、そうなんだね。その気持ちだけで佐藤さんは十分感謝してると思う。」

だだをこねふてくされる水川を後に、次ぎは井上に声をかけた。

「井上君。」

「・・・。」

「お休みしている間ご迷惑をおかけしました。これ、長野のお土産です。」

「新田さん。」

「はい。」

井上が何を花菜江に何を言いたいのかなんとなく察する事ができた。恐らく佐藤を殺した犯人の事が気になっているのであろう。

「佐藤さんを殺した犯人って、どんな奴なんですか」

「・・・。」

佐藤を殺した犯人は山下と霧島なのだが、花菜江には答える事ができなかった。なぜならば、ここで井上に今まで知り得た情報を話してしまえば、井上は佐藤の仇を取るために長野に行って、井上や霧島に危害を加えてしまうかもしれない。この純真に佐藤の事を想っている井上を殺人犯にしてしまう事は避けなければならない。

「ごめんなさい。実は色々調べたんだけど判らなくて、でも、警察がちゃんと調べてくれるから。」

「そうですか・・・。」

井上は暗い表情で俯くと、花菜江からもらったドラ焼きを手に自分の席へと戻っていった。

(ごめんね井上君。)

花菜江は心の中で井上に謝ったけれども、その気持ちは井上には届かなかった。

商品企画課の課員全員は花菜江と有実からお土産のどら焼きを受け取ると、早速食した。しかし、そのお土産は佐藤を思い出すには十分なモノで、ある者は、どら焼きを暫く見つめながら亡き佐藤を思い出し涙を流し、またある者は、どら焼きを頬張りながら目に涙を溜めていた。吉川課長などはどら焼きを目の前にして物思いにふけっていた。恐らく佐藤の事を考えているのだろう。

この日一日中、冥途商事の商品企画課内は悲しみに包まれていた。


夕方、仕事を終えアパートに帰宅した花菜江は自分の部屋の前に箱が一つ置いてあるのに気がついた。

「あれ、宅急便かな?」

過去の表面には宅急便の伝票が貼り付けられており、届け先は花菜江であった。そして差し出し人は、佐藤の妹の希だった。部屋の中に荷物を運び込み開封してみるとそこには、梱包されたスマートフォンと手紙が二通入っていた。手紙の表面には『新田花菜江様』と書かれていて、裏面の差し出し人の名前に、一通は佐藤希で、もう一通はなんと佐藤水希の名前が書かれていた。

すでに亡くなっている佐藤水希からの手紙となると、興味もあるが怖くも感じ、花菜江はまずは、妹の佐藤希からの手紙を読むことにした。

 

  『新田 花菜江様

  先日は姉の為にお通夜にお越し頂いてありがとうございました。姉も喜んでいた

  と思います。 

  そして、姉の無念を晴らす為に色々お調べしていただいて感謝しきれません

  実は、先日姉の東京での住まいを引き払うために片付けをしていたところ、貴方

  宛ての手紙と私や両親宛の手紙と共に、姉のスマートフォンがでてきたのでお

  送りします。

  こちらの方でもスマートフォンの中身を確認しましたが、姉の手紙によると、

  新田様に託すようにと手紙にあったので、ここにお送りいたします。

  もしご迷惑でなければ、姉の遺志をくんでやってください。』


箱の中に入ってた佐藤のスマートフォンを手に取ると、電源をいれた。警察が行方を捜していた佐藤のスマートフォンが今、花菜江の手元にある。なんとなく見てはいけないような後ろめたい気持ちを感じつつも、震える手でアプリを幾つかクリックしてみると、メールや着信履歴やメッセージアプリは全て削除されていたのだが、沢山の写真だけはちゃんと残されていた。

写真画面を操作して次々にスマホ画面に映し出された画像は、何かの書類の写真だった。

おびただしい数の誰かの氏名・住所・年齢や所得情報が記載されており、中には病歴までも記載されていた。そして、その殆どが高齢者や片親家庭などの個人情報でなにかの支給金額なども記載されており、これがなんの書類なのかは判らなかったが、これこそが山下が不正を行っていたという証拠なのだろうとすぐに理解した。

花菜江は添えられていた佐藤からの手紙を開封した。

  

  『新田花菜江さんへ

   新田さん、あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世に居

   ないということですね。私は殺されているという事になります。

   恐らく私を殺した人物は、山下将弥という長野県庁に勤めている人で、以前

   新田さんに話した高校の時からお付き合いしている人です。

   理由は、私が彼の不正の秘密を握ってしまったから。私は彼の不正の秘密を握

   る事でしか彼に結婚を承諾させることしかできませんでした。でも、それが逆

   に彼の逆鱗に触れ、命を縮める事になってしまったのです。でも、後悔はして

   していません。

   彼にとって私が永遠の人になったのは変わりはないのだから。

   私を殺した山下将弥の不正の証拠は私のスマートフォンの写真フォルダーの中

   にあります。私のスマートフォンを新田さんに託しますので、それを警察に届

   けてください。

   なんでこんなことを新田さんに頼むかと言うと、一言で言えば、新田さんを

   信頼しているからです。私は常々新田さんが羨ましかった。真っ直ぐでなにご

   とにもぶれない性格で、友達思い。私は新田さんのような友達が欲しかった。

   私は、表面上は会社の人達や友達とも当たり障り無く接していたけれど、でも

   誰も信用はしていませんでした。うわべだけの褒め言葉や、仲の良いフリをし

   ても、結局は裏で悪口を言い合ったりする人間関係に疲れ切っていました。

   商品企画課のみんなの事でさえ信用していなかったし、嫌っていました。表面

   上は当たり障りなく接していたけれど、本音を話せる相手なんて誰もいなかっ

   たし、本当は話をするもの嫌でした。

ある時、会社で愛想良い演技をしている事に疲れていた時、そんな時新田さん

   に出会いました。新田さんが友達の大谷さんを、よくある女子の派閥から守っ

   ていたのを見て、貴方なら信用できると思ったんです。私は、裏表無い性格の

   貴方にずっと憧れていました。私も貴方の様に生きれたらきっと今頃死んでい

   なかったと思います。どうか新田さんはそのままの新田さんのままでいてくだ

   さい。きっとそれで救われる人がいると思います。

                               佐藤 水希


手紙を読み終えると、花菜江は目から流れる大粒の涙を拭おうとせずに泣いていた。涙で視界がぼやけて手紙の最後の方などは、文字がはっきりと読めなかったほどだ。

「う・・うっ・・・う・・佐藤さん・・なんで・・なんでよぉ・・。みんな佐藤さん

のことあんなに好きだったのに・・。佐藤さんはなんで違ったのぉよぉお・・・。」

佐藤の本心を知ってしまった花菜江は自分が泣いている理由が、佐藤が自分を慕ってくれていた事に感激しているからなのか、あんなに誰にでも優しかった佐藤が実は誰の事も信用せず、同じ部署の人達の事でさえも嫌っていた事実に傷ついての事なのか判らなかった。

その後、花菜江は佐藤のスマートフォンと自分に宛てられた手紙を長野警察署の石田宛に郵送した。


10月も半ばが過ぎようとしているある日の事。花菜江のスマートフォンに着信があった。石田からだった。

 『もしもし、石田だ。君からの荷物確かに受け取ったぞ。それでな・・』

石田の話によると、花菜江から送られてきた佐藤のスマートフォンの中身の写真から山下将弥には、佐藤水希への殺人容疑と県庁職員という立場を利用した横領の容疑で逮捕状が発行されたそうだ。しかし、いざ警察が山下の住んでいるアパートの部屋に踏み込むと、中には男女二人の遺体が発見されたという。山下将弥と霧島玲香の遺体だった。当初心中かとも思われたのだが、死の直前に食べていたと思われるドラ焼きの中にトリカブトの成分であるアコニチンが検出されたという。

 『トリカブト・・?青酸カリじゃないの?』

 『そうだ。佐藤水希や岩垂奈津美の例からいえば、青酸カリだと思うが今回はトリカブトなんだ。』

その瞬間花菜江は、社員旅行前に佐藤がゴミ捨て場に捨てていた雑誌を思い出した。雑誌のタイトルは野草だとか植物関係の雑誌だった事を思い出す。普通トリカブトは山などに生息する。猛毒の植物なので個人で栽培するのは法律で禁止されている。盛岡の話では佐藤は趣味が登山という事なので、野草などの雑誌を持っていても不思議ではないのだが、なぜか酷く気になる。

 『山下と霧島が食べていたそのドラ焼きなんだが・・」

 『長野駅ビルの中にあるお土産屋さんのドラ焼きなんだね。』

 『そうなんだ。しかも梱包されていた包装紙には佐藤水希の指紋が付着していたらしい。恐らくこれは、佐藤が殺される直前に手に持っていた白い紙袋なのかもしれない。』

花菜江は佐藤の趣味が登山だという事を石田に伝える気になれなかった。

   

----------彼にとって私が永遠の人になったのは変わりないのだから--------


この一文の意味する所がこの事なのだろう。佐藤は自分が山下に殺される事が判っていた。自分という存在を山下に一生消えることのない傷にするために。そして最後に山下に『お土産』を残した。最後に残したお土産で、愛する人を永遠に自分に縛り付けたのだ。

花菜江が石田に、トリカブトと佐藤の関連性を伝え無かったのは佐藤の名誉を守るためでは無い。純粋にもうこの一件に関わり合いたく無かったのだ。

石田との通話が終了すると花菜江はスマートフォンに登録してある石田の連絡先を消去した。そして、佐藤希の連絡先も同様に。スマートフォンをテーブルの上に置くと、ベッドの上につっぷして目を瞑り何も考えないようにした。暫くの間は長野での一連の出来事を忘れていたかった。有実には折りをみてこの事を教えるつもりだが、それは当分先になりそうだと花菜江は心から思った。

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