第4話 痕跡
石田はふと目を覚ますといつもと違う雰囲気を感じた。ぼやけた目に映るのは
いつもと違う天井、いつもと違う壁紙であった。
(どこだ・・ここは。)
強烈な喉の渇きを感じながらゆっくりと体を起こし周囲を見渡すと自分の置かれている状況を理解した。
「そうだった・・ここは・・。」
夕べ石田は遺体となって発見された佐藤水希の会社の同僚の新田花菜江と大谷有実の宿泊しているホテルへと押しかけ、二人を事件捜査に利用しようとする為に近づいたのだ。酒を飲みながら事件について話していたのでつい酔っ払って寝込んでしまったらしい。
「なんたる失態。」
暫くベッドのへりに座り込んで二日酔いの頭を落ち着かせていると、部屋の扉が開き花菜江と有実が入ってきた。
「あ、起きてる。」
「おはようございます、石田さん。私達下で朝食を食べてきたんですよ。」
「お、おう。なんだか悪かったな、つい泊まっちゃって。」
「別にいいよ、事件の事教えて貰ったし。でも石田さんってお酒あまり強くないんだね。」
「朝食は?私と花菜江は宿泊者だから朝食食べられるけど、石田さんは外で食べなきゃ駄目ですよ。」
「判ってる。それに今日これから仕事だから、もう行くわ。」
石田は軽く身だしなみを整えると、立ち上がってドアに向かった。ドアを開けて部屋の外に出ようとするが、一瞬立ち止まって花菜江達の方に振り返った。
「なあ、お前達の電話番号を教えてくれ。事件の事で何か判ったら話せる範囲で教えるから。」
「えっ、いいの?それならお願いしようかな。」
「言っとくけど、マスコミに公表できる範囲の内容でしか教えられないからな。それと、お前も何か情報を掴んだらすぐに知らせるように。」
「勿論です。なんなら私の実家の電話番号も教えちゃう。」
有実の言葉を無視して石田は、手帳の空白のページを一枚破り去るとそこに自らの携帯番号を書き込み花菜江に渡した。花菜江と有実もそれぞれ自らの携帯番号をメモし石田に渡した。
「じや、頼むわ。」
石田はホテルを後にした。
後に残された花菜江と有実は顔を見合わせると、この後どうしたものかと話し合った。
「今日はどうするの?」
有実の問いかけに少し考えた後、花菜江は思いついたように顔を輝かせた。
「そうだ、もう一度善光寺に行ってみない?」
「いいけど、でも恐らく現場は警察に捜査されつくして何も残っていないと思うよ。」
「うん、でもさ、警察の目線から見た現場じゃなくて一般人から見た目線で調べれば何か意外な証拠が残っているかもよ。」
「んじゃ、行ってみますか。」
花菜江と有実はホテルを出て、まずは長野駅前の本屋に向かい、長野市の旅行雑誌を買った。本をめくるとやはり大々的に掲載されているのは善光寺の記事であり、善光寺の敷地の見取り図や観光客が喜びそうな年中行事の記事が特集されていた。
「本で読むと善光寺って結構大きいんだね。」
「うん、最初に行った時はそんな風に思えなかったけど、かなり広いみたいだね。ここなら隠れる場所沢山ありそう。」
花菜江が本をパラパラめくっていると、石田が言っていたお朝事の事も特集されていた。日の出と共に鐘を突き、僧侶達が総出で本堂で執り行われる朝の法要である。この朝の法要は一般人も参加可能で、事前に内陣券を購入しておけば、間近で見学することも可能だそうだ。
「佐藤さんは、このお朝事の時にはすでに殺されていたんだよね。」
「そうなるよねぇ。鐘の中に吊されていたなんて・・また手の込んだ隠し方するよね。」
「うん・・死因は毒殺だから、発見を遅らせる為に鐘の中に隠したのかもね。」
「だよねぇ。それ以外の理由が思いつかないもん。」
「兎に角、もう一度善光寺にいってみよっか。」
「うん。」
花菜江と有実は再び善光寺に向かった。
職場に出勤した石田は廊下を歩いていた。例の事件の前日の善光寺内の防犯カメラの映像を確認する為だ。
「あ、石田さん、もう皆さん集まっていますよ。」
「おう。」
同僚の別の刑事が対面を歩いてきて石田に声をかけた。石田はそれに元気よく返事をすると警察署内の小部屋に入っていった。室内には複数台テレビとパソコンがおいてあり、複数の事件捜査にあたる刑事が集まってパソコンとにらめっこしてた。
「藤堂さん、おはようございます。」
「遅いぞ、それに少し酒臭い。」
「はは・・。」
石田は苦笑いをするとテーブルの前に置いてある誰も座っていない一台のパソコンの前に座り込んだ。
パソコンを操作して、事件当日の画像が映し出される。九月下旬の善光寺は人の出入りが激しく人々が笑顔で出たり入ったりしていて、この後起こる惨劇が起こる気配すら感じることは出来ないほど賑わっていた。昼頃になると、株式会社冥途商事の一行が集団でまとまって境内に入って行くのを確認すると、石田も目をこらしてじっとその行方を見守った。
そして冥途商事の一行の行く先を追うように、違うパソコンに映し出されている別視点の冥途商事の人々を確認する為に席を移動する。
防犯カメラの映像には殺された佐藤水希も映し出されている。
そして約一時間後、冥途商事の一行は本堂から出てきてそれぞれちりぢりに散っていった。ある者は境内の散策を続け、またある者は善光寺の境内から外にでていく者達もいた。自由行動に移ったのだろう。そしてその中には佐藤水希と友人の盛岡紗和もいた。
「おい、寺の外の映像はあるのか?」
「はい、ありますよ、これです。佐藤水希の様子が映ってますよ。」
別の刑事が差し出したパソコンには、佐藤水希が盛岡紗和とあちらこちら出店をみて回っている様子が映っていた。暫く二人の行動を見張っていると石田はあることに気がついた。佐藤の行動を共にしている盛岡はちょくちょくスマホを手に取っては風景を写真に撮ったり、なにかネット検索しているそぶりをみせていたのだが、佐藤はそんなそぶりを見せていなかったのだ。たまたまスマホをいじる気分では無かった可能性もあるのでこの時は特に問題視しなかったが、石田の心にトゲが刺さった様に余韻を残した。何より、石田の注目を引いたのはこの時の佐藤の靴に注目した。防犯カメラの映像なのでやや不鮮明ではあるが、遺体発見時に佐藤が履いていた靴と防犯カメラにほんのわずかに映っている靴が一致しないのだ。
「藤堂さん。」
「何だ?何か判ったか?」
「いえ・・それどころか新たな問題が湧き上がりました。」
「何だ言ってみろ。」
「靴です。防犯カメラに映っている佐藤の靴が違う靴履いている様にみえます。」
「ふ・・・む。どれどれ。」
藤堂は画面を拡大して佐藤の足下をじっくり観察すると石田の意見に賛同した。
「う・・ん、確かにな。確か遺体が身につけていた靴はかかとが高いパンプスだった。でもこの映像に映っている靴は動きやすい・・ホラ・・スニーカーだ。」
「こういうのスリッポンっていうんですよ。」
「どっちも同じだろ。兎に角違う靴を履いている様にみえるな。」
石田は捜査資料をごそごそ漁ると、佐藤の持ち物が撮影された写真を取りだして藤堂に見せた。
「ホラこれ。被害者である佐藤水希の身につけていた靴はパンプスです。でも映像の佐藤の靴はスリッポンという女性ものの靴です。」
「確かにな。でも事件と関係あるかどうかまでは判らん。」
「はい、佐藤が途中で靴を履き替えた可能性もありますし、犯人が取り替えたという可能性もあります。」
「う・・む。犯人が取り替えたのなら犯人は女という事になるな。」
「まだ断定はできませんが、パンプスの持ち主が犯人ならそうなんですかね。」
石田と藤堂は、引き続き佐藤の行動を残された防犯カメラの映像で追うことにした。
花菜江と有実は善光寺の仁王門付近に立っていた。たった二日前の事件の影響も殆どなく、境内には人々の賑わいを取り戻していた。
「こうしてみると、この間の事件なんて無かったんじゃないかって思えちゃう。」
「うん・・。」
二人は佐藤の亡骸が発見された鐘楼(しょうろう)と呼ばれる釣り鐘堂に向かって足を進めた。鐘楼はまだ黄色い規制テープがはりめぐらされており、一般客の立ち入りを拒んでいた。しかし、花菜江達はその規制テープを無視して鐘楼の中に入り込むと天井に吊されている鐘の真下からまじまじと鐘の中をのぞき込んだ。
「ここに佐藤さんが吊されていたんだよねぇ。」
「うん、犯人もまた手の込んだことするわ。でもさ、これだけ広い境内でこの位置なら人気の居なく鳴った時間帯なら誰にも気づかれずに死体を隠せるかも。」
花菜江は鐘の中になにか手がかりが残されていないかじっと目をこらして観察するも、やはり、高い場所までは目視では確認できずにいて少し悩んだ様子をみせると、次の旬か思いついたように有実の方に体を向けた。
「ねえ有実。」
「なあに?」
「肩車して!」
「えっ!無理だよ。」
「私軽いから。」
「それ本当?でも私あんまり力ないし・・。」
「いいじゃん、ね、ね。」
花菜江は強引に有実をかがみ込ませると肩に足をかけて座り込んだ。
「ホラ、立ち上がって!」
「うっ・・・あ・・無理・・倒れそう・・。」
有実はふらふらと思い物を落としそうな様子でなんとか立ち上がり、花菜江を支える。花菜江は見た目は太ってはいないが、やはり成人女性を女性が支えるのは一苦労であった。
「有実がんばって、後、できればもう少し右に寄って。」
「くっ・・。重い・・」
「重くないって・・・。」
花菜江は足下をふらふらさせる有実の頭を掴みバランスを保ちなんとか吊り鐘の内部の際奥をのぞき込むと、中央部のでっぱりが何かにこすれてた様に少し白くなっていたのに気がついた。
その瞬間有実が力つきて花菜江ごとバランスを崩しその場に座り込んだ。
「きゃっ。」
「もう駄目・・。疲れた・・。」
「有実・・ごめん。でもありがとう。写真は撮れなかったけど、内部に何かこすれたような跡があったよ。多分これが佐藤さんに絡みついていた釣り糸を引っかけた場所だわ。きっと。」
「そりゃ良かった・・。はぁはぁ・・。」
二人がその場に座り込んでいると、寺の職員だろうかスーツ姿の男性が近づいてきた。
「こらこら、このお堂の中は立ち入り禁止です。すぐに出てください。」
「すみませんでした。今、出ます。」
二人は慌てて吊り鐘堂の外に出るも、男性は呆れた様に深いため息をついた。
「この間の事件以来、この善光寺は部分的に立ち入り禁止になっている場所があるんです。黄色い規制線が張られている場所には近づかないように。」
「すみませんでした。でも一つ質問していいですか?」
「何です?」
「私達、この間この場所で亡くなられた女性と同じ会社の者なんです。この鐘の中に吊されていたんですよね?一体どうやったら人間を吊す事ができるんですか?」
「・・この間の事件の被害者が事なら何も知りませんよ。」
「じゃあ、事件の事じゃ無くて、たとえ話として。」
『たとえ話として』と聞いて男性は警戒していた表所を少し緩めた。二日前の事件以来好奇心で詮索してくる一般人等に事件の事を根掘り葉掘り聞かれて辟易していたのだろう。警察からは事実が確定するまでは殆ど何も知らされていないのだから、憶測で物を言うのを控えていたのだ。しかし、『例え話』ならば話は別だ。憶測を含めて好きに話せる。事実と違っても良いのだから。
「まあこんな背の高い場所に人間みたいなのを吊すとしたら、何かウィンカーの様な物が必要だろうね。それかよっぽどの力持ちなら別だけど。」
「ウィンカーの様な物・・。では『例えば』の話ですが、このお寺にはウィンカーのような機械はあるんですか?」
「いや、ここには無いよ。建物の補修業者が出入りするときはそういうの持ってくるだろうけど、寺にはそんなもの常備していないですね。」
「じゃあ、このお寺の中の植木の手入れとかする時は外部から業者を入れるんですよね?最近植木の手入れで業者を呼んだことありますか?」
「無いです。少なくとも事件前後の数日間は無いです。」
「なるほど・・。ありがとうございました。」
花菜江はこれ以上有益な情報をこの男性から入手できないと思い、話を打ち切ることにした。男性は軽くお辞儀をするとその場から立ち去っていった。
「ねえ有実、犯人はどうやって佐藤さんを吊り鐘に吊ったと思う?」
「そんなの判んないよ。吊りだけに釣りでもしたんでしょ。」
「よっぽどの力持ちか、ウィンカーの様な物・・。う~ん。」
「花菜江、本堂の中にいこっか。」
「うん。」
いくら佐藤が痩せているとはいえ、成人女性を鐘の内部に吊るしあげる事は一苦労だ。犯人は一人なのか、複数なのか・・。花菜江は考え事をしながら有実と二人、本堂の中に入っていった。
本堂の内部はこれと言って変化は無く、観光客で賑わっていた。ただやはりというか、お戒壇巡りのような暗くて狭い場所にも規制テープが貼られており一般客の侵入を拒んでいる。花菜江は近くを通り過ぎようとしていた僧侶を呼び止めた。
「すみますん。」
「はい、なんでしよう。」
「お戒壇巡りはできなんでしょうか。」
「はい・・今日は無理ですね・・。事件がありましたから。警察もまだじっくり捜査している最中ですので。」
「判りました。中に入るのは諦めます。この中って人が隠れる事は可能なんでしょうか?」
「どちらともいえません。」
「と言うと?」
「この中は確かに真っ暗闇なんですが、進行方向は一つしかないんです。あまり広くはないんです。暗闇に紛れて身を潜める事は可能でしようが、閉館時間になると明かりを点けて内部を点検しますので、その時に見つかるでしょうね。」
『進行方向は一つしかない』の言葉に少しビックリした。数日前にこのお戒壇巡りを体験した時に感じたのは複雑な迷路を歩いている気分になっていたのだが、進行方向は一つしか無いというのだから。。
「あ、あの、この中って一方通行しかないんですか?数日前にこの中に入った時何回か曲がったりしたんですが。」
「真っ暗闇の中ですのでそう錯覚されたのでしょう。この内部は中央の長方形の形の回廊を壁づたいに歩いて行くだけなんです。丁度ご本尊の真下にあたります。」
「あ、あの、入って歩いたときは右の壁を触りながら歩いたんですけれど、左を壁を触りながら歩くとどこいくんですか?」
「左の壁伝いに歩いても同じです。くるりと回って元の場所に戻ってくるだけです。でも、非常口はありますよ。」
「非常口・・。その非常口は誰でも出入りできるんですか?」
「いいえ、普段は鍵がかかってます。」
「その鍵って普段は何処にあるんですか?」
「申し訳ありませんが、防犯上お答えすることが出来ませんので。」
「わかりました、ありがとうございました。」
花菜江達が深々と頭を下げてその場から立ち去ろうとすると、僧侶は花菜江達に向かって言葉を付け加えた。
「お戒壇めぐりというのは、『胎内めぐり』の意味があるんです。もう一度生まれ直すという意味が。お嬢さん達も一度経験されたのなら生まれ直したも同然です。」
その言葉を聞いた花菜江はふと、佐藤が言っていた事を思い出した。
『でもね、左側の壁を触りながら進むと一生迷子のまま二度とこの世に戻ってこられなくてあの世に行く』
ただの都市伝説で実際にはそんな事ないのだけれど、右側を辿り、もう一度生まれ直すという意味の正反対側を辿れば本当にあの世に行ってしまいそうな気がして、少しゾクっと寒気が走った。
本堂を出て少し境内を歩いていると、ふと有実が声をあげた。
「ねえねえ、このお寺って宿坊っていう泊まれる場所あるらしいよ。」花菜江は有実が手にしている雑誌を奪い善光寺内に併設されている『宿坊』に注目した。記事によると、宿坊に宿泊すればそのままお朝事にも参加できるらしい。
「へー泊まれるんだ。ここに泊まれば夜中でも境内うろつけるかも。」
「精進料理美味しそうだよね。」
「まさか佐藤さんはここに泊まろうとしたとか!?」
「お寺に泊まるってワクワクしちゃうかも。幽霊とか見れたりして。」
「でも、犯人は?犯人もここに宿泊したとか?」
「お寺の宿坊っていっても、旅館みたいな内装だよねぇ。もしここに温泉があれば余計風情があって絶好の観光スポットになってたよね。」
「事件当日、警察は宿坊も調べたのかな、石田さんに聞いてみなきゃ。」
かみ合っていない花菜江と有実の会話だが、佐藤の一晩戻ってこなかった事や早朝に発見された遺体を考えると、もしかして佐藤はこの宿坊に犯人と泊まろうとしていたのではないだろうか、という考えが頭に浮かんだ。
「ねえ、有実、石田さんならこの宿坊に宿泊した人達の名簿調べられるよね。」
「だろうね、佐藤さんの名前があるかどうかは分からないけれど、もしかしたら何か事件のヒントになりそうな事をを目撃した人がいるかもね。って・・石田さんに連絡するなら私が電話するよ。」
石田に連絡できる事に喜んでいる有実を尻目に花菜江は事件の謎を解くのに一歩近づいた気がした。
警察所内で石田はひたすら防犯カメラの映像を確認する作業に没頭していた。盛岡と別れてからの佐藤の足取りは長野駅ビル内の土産物屋でお土産用のドラ焼きを購入した後、まっすぐ善光寺に向かっている。そして善光寺内に入った佐藤は少しうろうろと辺りを見物しながらも本堂に入っていった。そして本堂の中にあるお戒壇巡りの内部に入っていった。
「どうです、石田さん。」
石田の後輩の刑事が石田に話しかけるも、石田は眠そうに目をこすりながら答える。
「ここまではなんの問題も無いんだよな。それにホラ、被害者の手荷物。発見された遺体のそばにあった鞄の他に土産用の紙袋持ってるぞ。これは事件発覚時に発見されなかった。」
「ええ、誰かに渡す為に買ったのでしようから、きっと犯人に渡したのかもしれません。」
「そうなると、犯人は親しいヤツか。長野での佐藤の交友関係調べる必要があるな。」
「そうですね。まず手始めは卒業した学校関係から調べますか。」
後輩刑事との会話を一旦打ち切り再びパソコン画面に目線を戻した石田はある事に気がついた。お戒壇巡りに入った佐藤が出口からでてくる気配が一向に無いのだ。佐藤より後から入った他の客はほんの数分でお戒壇巡りを終えて出口からでてくるのに、佐藤だけは、入ったきり出てこない。
石田は画面に穴が空きそうなほどジッと画面を観察していたが、やはり佐藤だけが出てこない。そして、そのうち本堂が閉館する時間がやってくると客は誰もお戒壇巡りの場所には寄りつかなくなった。本堂の中は人の気配が無くなった。
「藤堂さん。」
「ん、なんかあったか。」
「はい、これ、見てください。」
石田は佐藤がお戒壇巡りの入り口に入っていく所まで映像を巻き戻し、その後の経過を藤堂に見せた。
「ほら、佐藤水希だけが、お戒壇巡りに入っていったきりでてきません。」
「本当だ。なぜだ、この場所で襲われたか。」
画面を何度も巻き戻しては、佐藤がお戒壇巡りに入る前後に入っていく様子や客の顔を確かめるも、夕方に参拝しにくる客は殆ど親子連れやカップルなど見るからに人畜無害な顔ぶればかりで、お戒壇巡りをする顔ぶれもまた同様に人畜無害な顔ぶれだった。
「う・・ん、見事に人なんて殺しそうにない顔ばかりだ。」
「判りませんよ、表向きは善人面しているだけかもしれません。」
「ふ・・む、しかしだ、あの回廊内で襲われたのなら流石に誰かにバレるだろう。佐藤の後に何組もの客が入ってきているんだから、誰か気がつくはずだ。」
「そこが謎なんですよね。お戒壇巡りする時は靴は脱ぐでしょ?ほら佐藤の手に持っている靴は最初の靴のままだ。でも遺体が発見された時は派手なパンプスです。このお戒壇巡りの最中に取り替えられたのかもしれません。」
「ふ・・・む、ってことは犯人は佐藤の持っている靴が欲しくて佐藤を殺した後靴を取り替えたとか?」
「な、わけないでしょう。そんな単純な理由で手の込んだ殺しなんてやらんでしょう。」
「う、うむ。冗談だ。」
冗談と言っている割には、藤堂は慌てふためきながら頭を掻いていた。
石田と藤堂が漫才もどきをやっている最中に、石田のスマホが着信を知らせる呼び出し音を鳴らした。石田は表示されている画面をみると、あの株式会社冥途商事の大谷有実のスマホの電話番号であった。
『はい、もしもし、石田です。』
『あ、石田さんですかぁ?私です。大谷ですぅ。』
有実の明るく媚びる声が電話口から響き渡る。
『君か、えーと、何か用?』
『そーです。実は私と花菜江とで今善光寺にいましてですねぇ。あ、でも石田さんの声も聞きたかったなぁ~って思って・・あっ・・ちょっと・・花菜江・・」
電話口の向こうで何か押し問答する声が聞こえてきた課と思うと次に電話口にでたのは花菜江の気の強そうな声が聞こえてきた。
『もしもし石田さん?新田です。』
『ああ、どうした?』
『今善光寺に居るんだけど、事件の前日にお寺の宿坊に宿泊した人って警察で調べたりしたの?』
『ああ、そりゃな。何か見たり聞いたりしていないかとか聞き込みはしたぞ。それがどうした?』
『その前日に宿坊に宿泊した人の名簿ってある?』
『あるけど・・・いっとくけど個人情報なんだから一般人には見せないからな。』
『そう言うと思った。あのさ、犯人は宿坊に宿泊していた人の誰かってことない?』
『宿泊者の中にか?そうだな~、まだざっとでしか事件当日事情聴取していなから。でも、何か事件と繋がりのある証拠がでてこない限り警察は接点を持ったりしないぞ。』
『私達もまだ具体的な証拠とか持っていないけれど、もしかして佐藤さんの地元の知り合いとか宿泊してたんじゃないかって。佐藤さんは、当日誰かと会う約束していたのなら、宿坊に宿泊していた可能性が高いんじゃない?宿泊者なら現場付近にいても不自然じゃ無いもんね。』
『確かにな・・。もう一度洗い直してみるよ。こっちは当日の佐藤の行動を防犯カメラの映像を元に確認している最中だ。』
『それで!?』
『当日佐藤は、途中までは同僚の女性と観光していたみたいだが、途中で一人で別行動をしている。その後長野駅の駅ビルの土産物屋でどら焼きを購入してから、再び善光寺に向かっている。そして土産屋の紙袋を持って一人でお戒壇巡りに入ってそのまま出口からでてきた形跡が無いんだ。』
『お土産屋でドラ焼き・・。遺体が発見された時にそのドラ焼きも見つかったの?』
『いや無かった。恐らくその後会った相手に渡しているか犯人が持ち去ったかだ。お戒壇巡り後の佐藤の行方が全く判らないんだ。せめて当日佐藤が誰と待ち合わせしていたか判ればいいんだが』。
ここまで話して、花菜江はあることをひらめいた。先日佐藤の家族と対面した時に、彼女の妹と連絡先を交換したのだから、妹に佐藤の交友関係を聞けないかと思いついたのだ。
『ねえ、思ったんだけど、佐藤さんの妹さんなら、佐藤さんの地元の友達関係知ってるかも。私これから妹さんに電話かけて聞いてみるわ。』
『おう、頼む。あっ・・そうだ!』
『なによ、どうしたの、突然でかい声だして。』
『すまない、佐藤が旅行中に履いていた靴がどんな靴か覚えているか?』
『靴?さぁ・・さすがに靴まではみてなかったから・・。でも旅行当日佐藤さんはカジュアルな服装だったから靴もそれに合わせた靴だったんじやない?』
『そうか、なら佐藤の家族と連絡とった時にでも、遺体返却した時の持ち物の中に佐藤が履いていた靴があるんだが、その靴が本当に佐藤の物か確認してみてくれ。』
『わ、わかった。聞いてみる。』
『悪いな。』
通話はそこで終わった。花菜江はすかさず佐藤の妹の電話番号に電話をかけてみた。何回目かの呼び出し音の後、女性の声で応答があった。
『はい、もしもし。』
『あ、あの私水希さんと同じ会社の冥途商事の新田と申します。妹さんですか?』
『ああ、昨日の・・。姉の事で何か判りましたか?』
『いえ・・それがまだ何も・・。でも、お姉さんの地元での交友関係って判りますか?』
『う~ん、毎年姉宛に届いている年賀状ならありますよ。』
それだ!と花菜江は思った。佐藤の交友関係さえ判れば、三日前に佐藤が誰と会う約束していたのか大分絞り込めるからだ。そして、佐藤の恋人が誰なのかも。
『年賀状?良かった。取りに行きますからそれお借りしても良いですか?それがあればお姉さんの交友関係を調べられますから。』
『あ、はい。実は今晩姉のお通夜なんです。お線香でもあげてあげてください。』
『はい、是非。それと、警察からご遺体を引き取ったときに佐藤さんの持ち物も警察から返却されましたよね?その中に佐藤さんが履いていた靴があると思うんですが、その靴は佐藤さんの靴で間違いないでしょうか?』
『靴ですか・・・?姉が東京でどんな靴を履いていたのか把握していないので判りませんが、姉の遺品ならまだとっておいてあるので年賀状を取りにいらしたときにでも確認しますか?』
『はい是非。あ、後それとご自宅のご住所と行き方を教えていただきたいのですが・・。』
花菜江は教えて貰った通りに佐藤の実家の住所と行き方をメモすると、お礼を言い電話を切った。
「ちょっと花菜江、私を差し置いて石田さんとお話するなんてずるい!」
「有実!次は佐藤さんの実家にいくよ。」
「電話で話してた佐藤さんの交友関係を調べる為の年賀以上を取りにいくんでしょ。「もちろん行くけど、ちょっと一息つこう。私疲れちゃったよ。どっか喫茶店にでも入って休憩がてら作戦会議でもしよう。」
「うん、もちろん!」
花菜江と有実は善光寺の境内をでて、駅前に向かった。
「じゃ、まずはこれまでに判っていることを整理してみようか。」
一息ついた花菜江は話し始めた。
残暑の暑さを打ち消すかのうようにエアコンが効いている駅前の喫茶店の店内で花菜江と有実の二人は向かい合って情報整理をしていた。
「旅行初日盛岡さんと一緒に観光をしていた佐藤さんは、途中で盛岡さんと別れて一人で行動した。」
「その後駅ビルのお土産屋さんで買い物してたね。」
花菜江は長野駅の駅ビルの中の土産物コーナーで品定めしている佐藤を思い浮かべた。
「その後善光寺で誰かと落ち合って、そのドラ焼きを渡したってことだね。」
「電話で石田さんが言っていたんだけど、その後もう一度善光寺に行って一人でお戒壇巡りに入っていったきり出てきた様子がなかったんだって。」
「じゃあ、その時に犯人に襲われたって事かぁ。あそこ真っ暗だったもんねぇ。」
「でもさ、例えあの中で誰かに襲われたとしても、佐藤さんの後から入ってきたお客さんに見つかるんじゃないかな。きっと何処か別の場所に連れ出されたんだよ。ほらあそこの内部にも一応非常口あるってお坊さん言ってたし。」
「じゃあ、お戒壇巡りの最中に犯人に遭遇して無理矢理非常口から連れ出されたと。」
「そういう事になるよね・・。」
花菜江は無理矢理連れ出されたという有実の仮説に少し違和感を感じた。確かに佐藤は女性なので力の強い男性に強引に連れ去られるという事もありえる。でもあの狭い空間の中、悲鳴をあげたり、襲われた時の抵抗している様子を誰にも気がつかれずにする事が可能なのだろうか?
「で、その後青酸カリを飲まされて殺されたと。あ、でも胃の中からパンみたいな物がでてきたって言ってたから、パンみたいな物の中に青酸カリが入れられていてそれを食べさせられたってことか。」
青酸カリなど一般の人間には手に入りにくい代物を犯人はどうやって手に入れたのか、犯人は医療関係者なのかそれとも一般人ではない危険人物なのだろうか。花菜江は佐藤に青酸カリを飲ませたどこの誰とも知らない犯人を思い浮かべた。具体的に顔は浮かんでこないが、想像を膨らませて嫌がる佐藤にパンみたいな物に含ませた青酸カリを食べさせる凶悪犯を思い浮かべてゾッとした。
「でもさー花菜江、佐藤さんがいつ殺されたのかは知らないけれど相手が用意した食べ物を食べるなんて、親しい相手だったってことだよねぇ。」
花菜江はハッとした。一瞬凶悪犯が佐藤に無理矢理青酸カリ入り食べ物を食べさせた想像をしていたが、佐藤の方がためらいも無く食べた事もありえる。もし有実の言うとおり、佐藤の方が相手から差し出された食べ物を食べたのなら、その相手というのは親しい間柄ということになる。誰だって見も知らぬ相手から貰った食べ物なんて食べるのは躊躇するものだ。
「有実・・。有実にしてはなかなか鋭いこと言うね。青酸カリ入り食べ物を佐藤さんの方から食べたって事もあり得るよね。佐藤さんが自殺する為に自ら青酸カリを用意したってのは考えられないから、きっと親しい間柄の犯人が油断させて食べさせたたかもしれない。」
「ちょっと~あたしにしてはってなによぉ。でも、なかなか鋭い事いうでしょ。」
「うんうん。有実偉い。そんでもって、その後人気の居なく鳴った本堂の釣り鐘堂で佐藤さんを釣り糸で吊ったって事だよね。ひと気の無くなる時間帯じゃないと出来ない作業だし。」
有実は普段は天然で時々空気の読めない発言も多々あるが、天然だからこそ気がつく事もあるのだろう。猪突猛進の花菜江の性格を補うかのような有実の性格と、天然な有実の性格を補う性格の花菜江。二人はお互いに足りない物を補い合っているのだ、お互いに気がつかない内に。
「でもさ、釣り糸はどこから?犯人が持っていたのだろうけどわざわざ佐藤さんの為に買ったのかな?」
そう、佐藤が吊り下げられていたのは釣り糸なのだ。成人女性を一晩吊り下げる為にはある程度強度は必要なのだ。
「うん、佐藤さんを殺した後に釣り鐘の中に吊る為だけに、最近買った物なら石田さんに頼んでこの辺りの釣具店に聞いて貰えれば判るかも。でも、元々犯人が釣りマニアで以前から持っていた物なら分からないかもしれないね。」
「私もそう思う。長野県って海が無い県だから釣り具店なんて限られているだろうし、そもそも釣りなんてする人いるのかなぁ。」
有実も頭を抱えた。そして、花菜江は気を取り直して続きの仮説を立てた。
「お朝事の始まる合図の鐘を鳴らした時はまだ遺体は釣り鐘の中に吊られたままだけれど、その後遺体の重さに耐えきれなくなった釣り糸は糸が切れてしまい遺体が落下。そして朝境内を散歩中の地元住民に発見されたって事。犯人はそれまでに逃走したのかも。」
「ん・・ちょっとまって、でもさ、犯人はなぜわざわざお堂の鐘の中に吊したんだろう?どこかに放置して逃げちゃ駄目なの?」
有実がまたまた花菜江が気がつかない事を言った。
「確かに・・・。あまり早くに発見されたくなかったとか・・?」
二人は暫く考えを巡らせ沈黙していたが、ふと花菜江は時計をみて電車の時間が近づいている事に気がついた。
「あっ、そろそろ佐藤さんの実家方面に行く電車が到着するよ、もうお店出よう。」
「だね。行きますか。」
二人は考えるのを一時中断して駅の構内に向かった。佐藤の実家に向かう為に。
時刻は16時になろうとしていた。
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