第8話 ドーナツの穴

 その日の夜、頭の中に投影されたフィルムはあまり良いものではなかった。ミツキちゃんの回。彼女は、わたしにできた初めての親友だ。人見知りの激しいわたしにも、優しく話し掛けてくれて、休み時間なんか色んな話をしていた。

 最近ハマっているアニメ、カッコいいクラスメイトは誰か、などワクワクするような話。わたしの通っていた学校は二クラスしかなくて、4年生まではミツキちゃんと同じクラスだった。しかし、5年生で別々のクラスになってしまい、わたしは悲しくて最初の頃は寝る前によく泣いていた。


 ミツキちゃん以外に仲の良い子はいなかったので、人見知りをして誰にも話しかけられずにいた。それでも、休み時間はミツキちゃんが来てくれると信じて待っていたけれど、彼女にはもう別の親友グループができていた。それも、よりにもよって意地悪な女の子たちのグループ。

 何度か筆記用具やノートを隠されたり、取られたりしたのだ。わたしだけではなく、何名かやられているみたいだったけれど、先生にも言えずに5年生にまでなってしまった。ミツキちゃんがいるそのグループを見た時に、わたしは一人になったと確信したのだ。

 

 それは日に日に確実なものとなった。廊下ですれ違っても、挨拶も何にも話したりしない。それでも、わたしは何回か「おはようー」とか、「久しぶりー」とか話し掛けていたけれど、ミツキちゃんはわたしと目を合わせるだけで、無視されてしまう。わたしはクラスの班が同じ子たちと一緒に行動するようになって、ミツキちゃんとは話さなくなってしまった。

 休み時間に廊下で、何度かミツキちゃんとユウトが話している姿を見かけた。特に気には留めなかったが、なぜだか少し寂しかった。もともと仲の良かった二人の輪に入れない自分を哀れに思った。この頃も、ユウトは喫茶店によく来ていた。しかし、別にミツキちゃんとの話を聞くわけでもなく、宿題の話だったり、最近サッカーはどう?という話をしていた。頻繁に話しているはずなのに、ユウトのことはよく分からなかった。

 

 相変わらずミツキちゃんとは距離を置いたまま六年生になった。彼女とは、またクラスが違った。ユウトは同じだった。幸い仲の良い子たちとも同じクラスだったので、学校生活を楽しんでいた。いつもと違ったのは、廊下でユウトと話をしていた時だ。


 その頃、わたしの祖父の調子が優れず、喫茶店もお休みしていた。それを心配して、ユウトは時々学校で「大丈夫か?」とか、「お見舞い行くよ」と声を掛けてくれていた。わたしは、「大丈夫、すぐ退院できるって言われてるから。」と返していた。本当は、いつ退院するか分からない。

 そして、今日も廊下ですれ違ったときに、ユウトが声を掛けてくれた。その時、いきなりミツキちゃんが来たのだ。わたしはびっくりした。「また」意地悪される、そう思ってしまった。


 「ユウトくん、ちょっと相談したいことがあるんだけど、いい?」

 ユウトも驚いた様子でいたけれど、すぐに「おう、大丈夫。」と返した。わたしは気まずくなったので、「じゃあ、わたし教室行くね。」と言い、返事も待たず、逃げるようにその場を後にした。


 急いで教室に入り、自分の席についてもまだ心臓がまだドキドキしていた。一瞬見えたミツキちゃんは、今までの彼女とは違い、獲物を狙っている動物のような顔つきをしていた。わたしの仲の良かった彼女はもういないのだ。弱肉強食の世界だったら、真っ先にわたしは彼女に襲われるんだ、と物騒なことを考えたら少し怖くなった。それが現実で起こりそうな、不気味な胸騒ぎがした。


 その次の日もまた、ユウトはわたしに話し掛けてきた。彼の気遣いは本当に嬉しかったし、祖父のことを心配してくれる唯一のクラスメイトだった。祖父は以前の祖父とは違い、入院生活で大分老け込んだ。それは、喫茶店にいた頃の彼ではなく、ただの「おじいちゃん」になっていた。そんな姿を祖父自身も残念に思っていた。そんな丸まったおじいちゃんをユウトに見せるのは嫌だった。できれば、喫茶店にいるあの祖父を見て欲しい。だから、今日もまた「大丈夫だよ。」とユウトに伝えた。彼はその先を聞いてくることもなく、また何かあったら言ってくれ、と返す。いつもそこで会話が途切れてしまう。本当は、彼にミツキのことを聞きたかった。わたしの悪口を言っていなかった?と。一体、ユウトは何を相談されたのだろう。彼もいつかわたしから離れて、別のところへ行ってしまうのだろうか。



 その日も学校帰り、母と一緒に祖父のお見舞いに行った。すでに祖母が来ていて、林檎の皮を剥いていた。その傍らに、相変わらず眠ったままの祖父が居た。

 「お母さん、お父さんの様子どう?」母はスーパーのパートを続けていたが、祖父を心配して、週3日のシフト変えたらしい。

 「今日は大分、顔色が良いと思う。お昼もしっかりと食べていたし。ほら、林檎お食べ。」

 そう言って、祖母は 綺麗に皮が剥かれた林檎を爪楊枝に刺して、わたしに渡した。

 「ありがとう。喫茶店、また開くよね?」

 祖母は一瞬俯きかけたが、わたしの目を見て、「大丈夫よ、また開けるから来てね。」と笑顔で言った。

 


 小学校最後の夏休みもあっという間に終わり、卒業式の準備が着々と進められた。歩く速度や、礼の仕方、卒業授与の受け取り方など、細かすぎるくらい動作の一つ一つを練習させられた。合唱の練習も、いつもの音楽の授業を比べものにならないくらい、表情や抑揚など指摘された。そうした練習の中で、卒業式はとても厳かで大切な行事なのだと子供ながらに緊張をしていた。

 

 ミツキちゃんともあれから進展なく、いつも通りの日々が過ぎていった。祖父のお見舞いの時はずっと喋っているのに、学校では全く喋らなかった。誰かにいじめられているわけではないのに、わたしはずっと孤独だった。

 まるでクラスにわたしの存在だけぽっかり空いているように、クラスメイトたちはすり抜けていく。

 ドーナツの穴をくり抜いた部分は、どこにいくのだろう。ふと、そんなことを考えた。母が揚げてくれたドーナツを思い出す。形や大きさがバラバラの、少し焦げているドーナツ。その時も、同じ質問をした。

 

 「ドーナツを揚げる時に、火の通りをよくするために真ん中を空けるの。」そう言って母は、丸めたドーナツ生地の真ん中をクッキー型でくり抜いていた。

 わたしの家のドーナツは、最後にくり抜いた部分を丸めて揚げる。美味しかった。


 くり抜いて一度離れてしまった部分も、同じように別の場所で存在している。わたしの空洞を埋める部分も、どこかに必ず存在している。ただ、今はそれがどこにあるのか見つけられていないだけ。

 


ようやく訪れた卒業式当日。祖父が亡くなった。それは何の前触れもなく、突然に。

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