第7話 心の拠りどころ

「やっぱり居た。開いてないだろう、と思ってドアを引いたら開いてたからビビったよ。」


声がやたらと大きいユウトだ。彼は近所に住んでいるわたしの幼馴染で、幼稚園の頃からよく一緒に遊んでいた。彼の両親も共働きで、小学校三年生くらいまでは、よく喫茶店に来ていた。しかし、四年生になったらスポーツクラブとかでサッカーを始めて、一緒に遊ぶことが少なくなっていった。けれども、なぜか大学生になった今でもたまに会う仲は続いているのだ。ユウトとの記憶はタナカさんのそれよりも遥かに多いから、わたしの頭の中の投影機も流すのを鬱陶しがっている。だからか、あまり彼のことを思い返すことはなかった。


「日曜日くらい家でじっとしていればいいのに。最近、大学もさぼりがちになってるって叔母さんから聞いたよ。」母よ、何て余計なことを話したことか。少しだけ眉間に皺を寄せてムッと顔に出た。


 「別にさぼっているわけじゃないよ。必要な単位だった取れているし。」と言いながら、ごめん、と心の中で呟く。わたしはユウトに対して、いつも意地汚い女の態度を取ってしまう。慣れ過ぎても良くないものだ。


 「あっそう。心配して損したよ。まあ、開いてたんだしコーヒー一杯お願いしてもいい?」と言いながらカウンター席に近づき、わたしの前に置いていたナポリタンを眺めた。


 「ごめん、お昼食べてたとこ?」彼は俯きながら、頭を掻いていた。

 「大丈夫、あんまり食欲なくてぼーっとしてたところ。」

 わたしは冷え切ったナポリタンをラップにかけ、台所に立った。年季の入ったサイフォンに水を入れて、沸かし始める。


 「俺も卒論進めないと、そろそろやばいかも。」

 ユウトとは中学までは同じ学校だったが、高校は地元から少し離れた新学校へ進学して、わたしは地元の高校に行った。学校は違ったものの、この喫茶店を介して顔はしょっちゅう合わせていた。誰に対しても気さくで、まさに老若男女に好かれるような雰囲気だった。わたしの祖父母も常連さんも両親もみんな好感を抱いていた。そんな彼に一時は嫉妬もしたものだ。わたしの方が喫茶店に長く居るのに、どうして彼の方がこんなに馴染んでいるのだろう、と。何だか不思議な嫉妬だなあ、と今になって思う。


 ポコポコポコ、と湯が沸き始めて、コーヒー粉を入れたフラスコを差し込んで湯が上昇するのを待つ。湯が浸透しているため、ふわっと香りが広がってきた。一息吸い込んで、じっとサイフォンを眺める。


 「わたしも卒論、途中で止まってる。なかなか良い参考文献が見つからなくて。そういえばさ、前にここに通ってくれてたタナカさん覚えてる?」

 「うん、覚えてる。頭良さそうな人だよな。」

 「タナカさんも、あの時こんな風に焦りとか不安とかを抱えながらここに来てくれてたと思うと、何だが嬉しいなって最近思うんだ。」タナカさんの回想をしていたせいか、誰かと懐かしい話がしたくて堪らなかった。そういう意味では、いいタイミングで来てくれた彼に感謝したい。


 「心の拠りどころになってたってことだろ。なんか今だと分かる気がする。休むだけの場所を作らないと気が滅入りそうだもんなあ。」

 「そっか、なるほどね。」サイフォンのコーヒーがフラスコに落とし切った。静かにカップに注いで、はい、お待たせと言いながらユウトの前にコーヒーを置いた。


 「わたしの拠りどころはどこになるんだろうなあ。レポートとか書くのも、コーヒーを飲むのもほとんどここだし、休むだけの場所なんてないな。」ユウトのコーヒーを淹れるついでに、自分の分も淹れた。


 ユウトはありがと、と言って角砂糖を二個と牛乳を入れて混ぜた。

 「まあ、喫茶店は特殊っていうか、休む場所にもなるし作業する場所にもなる。二面性あるから、ここが拠りどころでいいんじゃないかな。」そう言って、コーヒーを一口啜る。


 「ユウトはあるの?拠りどころ」

 「難しいな。強いて言うならやっぱり俺もここかな。年々来る頻度は減っちゃったけど、なんか昔から馴染み深いし、落ち着く。」

 何だか妙に胸がざわついた。気恥ずかしいような、嬉しいような変な感情。わたしは、とりあえずまた、なるほどね、と返しておいた。お互い卒論に追われている身なので、コーヒー一杯を飲み終えると、「じゃ、また来るよ。」と残してカランっドアを開けた。


 再び静まり返った空間に耳を傾けながら、微かに残る温かさを同時に感じていた。急にお腹が空いてきて、食べかけのナポリタンを思い出した。レンジにかけ、温め直したそれは、先ほどとは随分違い、とても美味しそうに見えた。時刻は15時になろうとしていた。良い日曜日だ。


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