第6話 思い出の人

アキラのおじいちゃんとタナカさんが帰った後、いつものように閉店作業のお手伝いをしていた。テーブル・イスを布巾で拭いて、お店の掃き掃除をするのがわたしの役割。祖母は何か引っ掛かっているようで浮かない顔をしていた。その理由が分かったのは、閉店作業を終えて3人でコーヒーを飲んでいた時だ。

わたしは茶色のコーヒー。これもいつもの日課になっている。飲み終わるころには、いつもお腹がタプタプになる。毎回、夜ご飯食べられなくなっちゃうな~と言いつつも、温かい母のご飯を目の前にするとペロリと平らげてしまう。


「私、まだタナカさんのことが気がかりでね。彼女、以前言っていたのよ。就職しないで進学したいって。何か卒業論文で研究していたことに興味を持って、教授にも進学を勧められたとかで。それなのに、5月になって急にスーツなんか着てきて、どうしたのかしらって。」

祖母は相変わらず物憂げな顔のままだった。


「なるほど、そうなのか。彼女の気が変わったって訳じゃなさそうだな。」

祖父は、顎髭を撫でながら口を尖らせた。考え事をする時の動作だ。


「タナカさん、4年も大学行ってるのにまだ勉強するの?すごいねえ。」

タナカさんは勉強がすごく好きなんだなあ、とわたしは感心してしまった。


「これからいっぱい学べば、勉強が好きになるかもしれないよ。」

祖父は意地悪な笑みを浮かべた。


「えー、どうかな。わたしは勉強したくないよ。」



残念ながら大学生になった今でも、わたしは勉強が好きではなかった。だからこそ、今でもタナカさんはすごいなあ、と思う。タナカさんは今何をしているんだろう。彼女は今年で40歳になるのか。あの後、無事に内定をもらったとは聞いたが、どこに就職したかは分からない。祖母に焦っている、と言われて以来、喫茶店に来ても何か別の他愛もない話を彼女からするようになったのだ。だから、誰も進んで就職のことや進学のことには触れなかった。


あんなに喫茶店に来て、お喋りをした中なのに今じゃ全然会わなくなってしまった。タナカさんを「懐かしい思い出の人」なんかにしたくはなかったけれど、時が経ってしまい自然とそうなってしまったのだ。


ふと我に返り、冷え切ったナポリタンにようやくフォークを入れる。せっかく保温しておいたコーヒーも冷えて、酸味が鼻を通った。さっきみたいに、考え事をすると昔の記憶がランダムに頭の中で流れてしまう。今日はタナカさんの回だったな、なんて思っていたら自然とふふっと笑えてきた。何だか頭の中に投影機が入っていて、勝手に誰かがフィルムを流しているみたいだった。


カラン。喫茶店の入口が開いた。今日は日曜日、ちゃんと閉店の看板を掛けているはずなのに誰だろう。

 

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