第4話 ご褒美のタナカセット

ドアがカランと鳴った。


 入ってきたのは、アキラのおじいちゃんの次に常連のタナカさんだった。大学4年生のお姉さんだ。わたしが初めてタナカさんと会ったのは半年前くらい。「そつろん」というものを書かなければならないとかで忙しく、たまたま近所だというここに息抜きに来たのが良かったのか、今日まで不定期に来てくれる。


 タナカさんは綺麗な黒髪を肩まで伸ばし、鼻筋が通っていて黒目がちで上品な雰囲気を身に纏っていた。これが大人の女性かあ、と見惚れてしまった。その美しさが、この年季の入った喫茶店と妙にしっくりくるのが不思議だった。彼女は携帯を見ることはあまりなく、いつも何か本を読んでいる。


 祖母がコーヒーを運んだ時に、「まあ、立派な本!何の本なの?」と話し掛けたところ、彼女は大学で日本文学を学んでいるということが分かった。喫茶店のみんなはその数少ない情報から頭が良いということが分かり、彼女を称えて、“さん”を付けて呼ぶ。アキラのおじいちゃんもそう呼ぶ。タナカさん以外の喫茶店にいるみんなは、大学生になったことがないのだ。


 タナカさんが来店するにつれて、彼女のことが何となく分かってきた。彼女から話題を持ちかけることはないが、話し掛ければ笑顔で話に入ってくれる。本当によく笑う。特に祖母には心を開いているみたいで、たまに2人で女子トークしている。2人は、まるでお互いの好きな人を言い合っている女子高生のような顔をしていた。なぜだかわたしは、その輪に入ることを躊躇っていた。


 「もう閉店の時間ですよね、すみません。どうしても来たくて。」

タナカさんは申し訳なさそうに、ドアからちょこんと顔を覗かせた。

 

「大丈夫よ、せっかく来たんだから入って、入って。」

祖母はにこっと笑ってタナカさんを迎え入れた。


 ここ最近、スーツ姿で来ることが多くなった。綺麗な黒髪も一つに束ねて、何だかピシッとしていて格好いいな。なんでも「しゅうかつ」で忙しいらしい。タナカさんは大変だなあ。

タナカさんはわたしたちに会釈をして、いつものテーブル席に座った。彼女が来る時間はだいたい決まっている。土曜日の14時くらいだ。そして、毎回コーヒーとホットケーキを頼む。ホットケーキは3段重ねで、米粉を使っているのでモチモチしていて、シロップとバターを掛けて食べるのが堪らない。

確かタナカさんが3回目に来店したときに祖母が、「もうタナカセットだね、これわ。」とホットケーキを彼女の元へ運んだ時に言った。タナカさんは気恥ずかしそうに笑っていた。

「確かにそうですね。これがあるから、週末まで頑張ろうって、自分へのご褒美になっています。これからはタナカセットって頼んでもいいですか?」と話す彼女の笑顔は、とても綺麗だった。


 こうしてメニューには書いていないが、祖母のお陰でタナカセットは生まれたのだ。彼女はテーブル席に腰かけて、今日もそれを注文した。今日は火曜日の17時。タナカさんが来るには珍しい時間だ。わたしは少し不思議に思ったけれど、あまり気にすることなく祖父たちと話していた。


 「タナカさんついてるねぇ。ちょうどコーヒー淹れているの。ホットケーキもすぐできるから、待っとってね。」

 祖父がさっきまで豆を挽いていた淹れ立てコーヒーを差し出す。

 

 「ありがとうございます。」

 タナカさんは半分くらい読まれている分厚い本を、開いたまま裏っ返して置いた。角砂糖を2個入れて、ゆっくりと混ぜる。

 

 一口飲んで、「ふう。」とタナカさんの息が小さく聞こえた。今日も、おじいちゃんの淹れたコーヒーからまた一つ幸福が生まれたのも束の間。


 幸せそうなその顔は、すぐさま暗い表情に移り変わったのを祖母は見逃さなかった。


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