第3話 ミルの音

 「今日もおじいちゃんの淹れるコーヒーは美味いぞ。」


 そう言って飲んでいるコーヒーカップをわたしの方に向けているのは、常連客の中で最も常連の“アキラのおじいちゃん”。“の”を付けるのは、何となく響きが好きだから。

 

 アキラのおじいちゃんは祖父と同級生で、今年71歳になる。週の半分は必ずと言っていいほど、ここに足を運んでくれていた。祖父の週替わりのブレンドコーヒーを一杯飲みながら朝のニュースの話だったり、次の「カイゴウ」はいつか、など祖父と話していた。


 「おじいちゃんのコーヒーは、やっぱりブラックが1番だ。」


 そう言ってアキラのおじいちゃんは、カップを持ち上げてわたしの方に向けた。アキラのおじいちゃんは、コーヒーを真っ黒のまま飲んでしまう。それを見るとわたしはいつも、イーっと苦い顔をする。その顔が面白いのか、アキラのおじいちゃんは飽きずに毎回笑ってくれる。


 「そうなんだあ。わたしお砂糖と牛乳入れないと飲めないからよく分かんないけど、コーヒーの音は好き。」


 ミルを引くジィジィジィという音が好きだった。豆と豆が重なり、ミルの刃で細かく砕かれる度にコーヒーの香りが広がる。小さい豆からは想像できないほど、それは広く、大きく、優しくわたしたちを包み込む。


 「ほお、音かえ。確かに良い音じゃな。」


 アキラのおじいちゃんはこうやっていつも何でも肯定してくれる。きっとわたしの言った音の正体を掴めていないだろうけど、楽しそうに微笑んでくれる。素敵な喫茶店は素敵な人を呼ぶ。そしてそれは店主が素敵だから集まる。


 祖父の淹れたコーヒーに、お砂糖小さじ3杯と牛乳小さじ1杯を入れて飲むのが日課だ。アキラのおじいちゃんみたいに真っ黒のまま飲みたい。けれど、以前飲んだ時、あまりにも苦くて、一口飲んですぐに茶色くした。きっと、大人になったらそれはそれは美味しくなるんだろうな、と密かに大人になることを楽しみにしていた。


 「そうか、音が好きなんだね。せっかくだから豆を挽こうか。ジュンコも飲むかえ?」

 ジュンコは、わたしの祖母のことだ。


 時刻は閉店の10分前、午後4時50分。お店にはアキラのおじいちゃんと、わたしたちだけだった。


「それじゃあ、頂きます。」 

 ついさっき帰っていったお客さんのテーブルを拭きながら、祖母が答えた。


 祖父は、棚にある種類別に分けてあるコーヒー豆から二種類選び、豆をミルに入れた。ジィジィジィという音が響く。アキラのおじいちゃんはこれか!とでもいうような顔で柔かに祖父の手つきを見ている。


 「この音!この音!なんかゾワゾワッとして、おもしろいの。」

 わたしは胸を高鳴らせ、豆から粉に変わった黒色を一心に見つめた。わたしの耳は、ジィジィジィ、という音だけを拾って聞かせてくれた。うっとりとしていると、あっという間に豆は全て挽かれていた。


 祖父が湯を注ぎ始めたとき、カラン、とドアが開いた。

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