過去 四十四 寝台車

 夜も深まって明継と紅と母は、一等車両の寝台車で着替えをしていた。


「私達で寝台車を使っても宜しいのでしょうか。」


 紅が浴衣に着替えながら呟いた。初めての場所に心を踊らせながら、二段目のベットに登った。


「流石に、バックを持った侭二等で寝るのは怖いよ。紅は疲労の緩和の為になるべく、て足を伸ばした状態で寝ないとね。」


 母が声を弾ませて笑う。


「晴のことを気にしているなら大丈夫よ。常継の息子なのだから、野宿位当たり前よ。安心して眠りなさい。四人分の切符を買って置いて良かったわ。隣の二段ベッドは他の人の借りてる物だから、他人が入って来たら静かにしましょうね。」


 明継が浴衣に着替え、二階のベットに上がろうとした。紅に着ていた着物を渡す。


「荷物に為るけど持って行きなさい。女性物の着物と帯も付いているわ。海外で女性物の着物は高く売れるからね。紅ちゃん、明継の服は入っているのかしら。和服は残して、洋服で行動した方が此れからは良いわよ。晴のバックを空にするから、荷物を入れて行くといいわ。」


「母上。其の様な事はしなくて良いのです。」


「何を云いますか。もう、御国には帰れないのですよ。少しでも足しにしなさい。紅ちゃんもバックを見せて……。」


 紅が二段目から明継に自分達のバックを渡す。

 母は厳重な風呂敷には触らず、男物の和服だけを取り出した。上質な生地だけ残して空間を作る。


「やはり質素な暮らしをしていたのね。紅ちゃん偉いわ。珠飾りも帯留めも入れるわね。上京する時に振り袖も持って来たの。後、結婚の時の留め袖も。」


「母上は私達がこう為る事を予想していたのですか。全て高価な物ばかりです。」


「虫の報せかしらね。必要は無いけど、着物を持って行けば思い出になると思ってね。明継が誰かと住んでると聞いて、私の着物を上げようと思ったのよ。紅ちゃん、男の子だったけどね。少ないけど紙幣を入れておくわ。旅費に使いなさい。」


 晴のバックを開け紅が着られる洋服を選ぶ。その他は風呂敷に包んで足元に置いた。女物のカンザシや宝石を手拭いに包んで晴のバックに入れた。


「母上、もう十分です。」


 明継が手を掴んだ。其の上に優しく手のひらを乗せ、彼の手を退かした。


「帰って来れないのよ。此の意味が解らないのですか。もう二度と母とは会えません。たがら、少しでも足しにしなさい。生きてさえ居れば母は満足です。」


「有り難う御座います。不幸者で申し訳ありません。」


「紅ちゃんも居るのよ。不幸にしては駄目だわ。何があっても、自分の責任になるのよ。肝に免じて生きなさい。母が云える事は此処までよ。頑張って」


 母が明継に抱き付いた。

 気が付けば小さくなった母の背を抱いた。

 荷物は蓋が閉まる所まで入れられている。

 明継の和服を衣紋掛けに掛けて紅は黙っていた。


「元気で居て下さい。私達は、自分達の力で乗り越えます。」


「乗り越えなさい。紅ちゃんもおいで。」


 母が手招きする。紅はゆっきりと梯子を降りて明継にしがみ付いた。

 母が彼の腕から抜け出し、紅を抱き締める。二人を包み込む明継。

「此れからは情勢が読めません。倫敦が中立を保つと良いのですか、戦争等起こらなければ良いのにね。」


「父上が一番良く解ってると思います。」


「旦那様は何を考えているのかしらね。連れ添っているけど未だに理解が出来ないわ。明継は紅ちゃんと話し合って生きなさいね。何時如何イツイカなる時も話し合いなさい。自分で選んで決めるしか無いのよ。人生等。紅ちゃんも皇院として生きる未来も合ったのが、明継を選んだ時点で此の様な未来しかなかったのですよ。」


 紅は顔を上げて明継を見た。


「後悔はしていません。きっと、選ばなかった自分を責めて生きて行くのでしょう。私は諦めません。先生と共に歩む未来ならば、絶対に。」


 母は笑っていた。

 納得した様に何度も頷いた。


「後、明継。田所さんは偽名よ。田所 時子ときこが本名。軍人だから、其の様な事は普通かも知れないけれど。」


 明継が鼻を掻いた。

 確かに学生時代の彼女は余りに覚えていない。七歳にして席を一緒にせず、で育った環境の為かもしれない。


「寝台車は蒲団フトンが狭いから、紅ちゃんと一緒に寝てもいいかしら……。」


 考え事をしている明継が、返答に困った顔をした。母は煮え切らない態度の彼を無視した。


「息子と話をしたいけど、流石に狭いから、紅ちゃんと寝てもよいかしら。」


 次は紅に話し掛けた。

 紅は明継の顔を見ると直ぐに返事をした。


「大丈夫です。先生。」


「では、寝てしまいましょう。」


 紅が1段目の蒲団の奥に潜り込んだ。

 明継に手を振り母が寝台に入ると、カーテンが閉められた。二人共話をしている。


 寝入る感じはしなかったが、明継は諦めて二段目に登り、バックを頭の横に置いた。晴のバックも乗せる。


 隣のベットの仕切りのカーテンを閉めると、二人の声が良く聞こえた。二段目の短い布を引っ張った。


 確かに男二人では狭い。明継だけでも一杯になりそうだ。荷物があるので余計かもしれない。

 明継が蒲団を掛けて、目を瞑った。

 下段が寝る気配はなかった。

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