第2話 自由の閉塞感

ファイサルの顔を見上げると、石膏のような肌に、それまで通りの自信に満ちた表情をしていた。

伴走する無言になった影をもう見遣ることはなく、地平線に向かって飛び続ける。

かなりの速度だった。


ラシュというのは、王座を争う相手……おそらくは血縁者で、兄弟なのかもしれない。

ファイサルの口振りからすると、ふたりは親しそうだ。

当事者よりも周囲が騒ぎ立てて、次期王権を争っている。

ファイサルやラシュを傀儡に、己の利欲を追及せんとしているのだ。

ファイサルには、それが馬鹿馬鹿しいのだろう。

彼は、彼自身を認めさせたいと思って、それで、私の町を。


鼓動が早まった。


私の町を破壊した。

復興にはどれだけの時間と、労力が要るだろう。

この人は、私の町を破壊した人。

体の真芯を揺さぶるような鼓動。

ファイサルの心音なのか、私の心音なのか、よくわからない。


「魔族の地に足を踏み入れるのは初めてなのだろう。

 瘴気に中るかもしれんな」


唐突にファイサルが言った。

静かな声だった。

口許だけを笑わせて、見上げる私を見たから、目が合った。

町に居た時の、光を持つ人とは、少し違う人に見えた。

その自信溢れる表情が


「……仮面のよう」


話すファイサルに、実がないように思えた。

その言葉を聞いたファイサルが一瞬見せた厳しい目。

彼の黄金色の瞳に反射する私の顔。

それもまた、人形のように見えた。




だんだんと、空気が重くなってきた。

空の色は変わらないのに、眼下に広がる黒い森のせいなのか、暗く感じる。

国境を越えたのだと知った。

人族が精霊の加護を祈って暮らすのに対して、魔族は精霊を行使する力を持っている。

軍事国家において、その力が強いものが王者なのだろう。

魔王の子ということは、ファイサルもかなりの力の持ち主なのだ。

改めて、町ひとつを一人で滅した人の顔を見上げた。

ファイサルの腕の中で小さくなっている私は、精霊と言葉を交わす力など、欠片も持ち合わせていない、ただの人だ。


何故、ファイサルは私を連れてきたのだろう。

今になってようやくと言うべきか、疑問が持ち上がった。

あの時、私を連れて帰ると言った時、ファイサルはどこに向かって言葉を投げかけていたのだろう、とあの視線の先を考える。


今、ファイサルは前だけを見て飛んでいる。

綺麗な形の顎を風に怯むことなく突き出して、睨むように両目を開いて。




町が見えてきた。

人族の町と、そう変わらない造りに思える。

正面に聳え立つ山に、一際大きい建造物。

城。

そして到着した王宮の門で、私は久しぶりに地に立った。

ぐらり、と体が揺らぐ。

平衡感覚が少し麻痺したようだった。

真っ直ぐに立ち直して視線を上げると、数歩離れたところからファイサルが見ていた。

口許を結んでいる。

違和感がした。

何も言わずくるり、と背を向けて歩き出したファイサルの後ろを歩く。

影がついてくる。

挟まれて歩かされるのは、捕虜らしい扱いだった。


中央の建物までの庭、長い距離を、ファイサルは歩いた。

広く美しい王宮の庭だったのだろうけれど、私は景色や人の動きが全く目に入らなくて、ファイサルの髪を眺めて歩いた。

長く揺れる髪は、どこでも、きらきらと光を跳ね返す。

私の焦点の合わない視線が、ぼんやりとファイサルの髪を見つめている。

星屑の光が目に入ったような眩しさで、何もかも輪郭がぼやけてくる。


しばらく歩いていくと、城の入り口に一人女性が立っていた。

大人五人が手を繋いでようやく一回りできるような立派な白色の門柱に背をもたれて、腕組みして、少し顎を上げて、こちらを見ている。

戦士なのだろうか、彩色のない皮と鉄の鎧を着けていた。

鋼の発条のような見事な体つきだった。

ファイサルと、その後ろを歩く私に、鬣のような金の巻き毛を煩そうに振った。

秀麗な新緑の瞳で睨むようにファイサルを見る。


「お土産?」

「リリィ」


ファイサルが苦笑した。


「父君の様子はどうだった?」

「……あんまり。

 長くないかもしれない」


私と影がファイサルの後ろを歩く外、周囲に人気はなかったけれど、おそらく他人に憚るような内容の会話。

リリィと呼ばれた女性が問い掛けに少し間を置いたのは、私が聞いていると考えてのことだったのだろうけど、ファイサルがあんまりにも普段どおりに尋ねたから、無視してよいものと捉えたのかもしれない。


「次の族長を私にって言ってた。

 長老達の中には心配して反対する人もいた。

 私が継ぐからには王家の後ろ楯を確約してもらわないと、とかって」


リリィのファイサルに対する口調にはその時の不安や怒りが如実に現れていた。

でも、少なからずファイサルへの悪意も含まれていて、それが私の存在のためだということにはすぐに気がついた。


「父君が危ないときに、そんな話か。神経を疑うな」

「……ファイサル」


ファイサルの一言に、空気が和らいだ。


「ファイサル、会いに行ってくれる?」

「お前が望むなら」


なによ、それ、とリリィは頬を膨らませて、それでも嬉しそうに目を細めた。


「じゃ、明日ね」


約束を気安く交わして、リリィが笑った。

媚のない、自然な笑顔だった。

見惚れていると、意図せず、目が合った。

短い時間交差した視線に最初敵意。それから、難しい顰め面をして首を傾げた。

ファイサルがリリィの視線を辿って肩越しに私に見た。

一瞬の静寂。


「……好きにするといいわ」


リリィは刺すように言うと、背を向けて去った。


「あれが、妻」


王宮の中にリリィの姿が全く見えなくなってから、ファイサルの簡略な説明を聞いた。


「……おまえには、この城の中でない場所を与えよう」


肩越しにさっきと同じように首を少しだけ捻って私を見た横顔が、気遣うような表情をした。

少し、驚いた。



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