非情な現実/それでも

 014



 目が覚めると、そこは暗い倉庫の中だった。



 口には猿ぐつわを巻かれ、足と手を縛られている。魔術師を無力化する上で最も効果的且つ原始的な方法。蠢いて、意識が覚醒してくると共に殴られた鈍い痛みがティカルを襲った。



「ゔーっ! ゔーっ!」



 一足先に目覚めていたのか、ファルコは憎しみの籠もった目で大人たちを睨みつけていた。よく見ると、ミリアとヴィンスを守るように前へ出ている。二人は、後ろで震えながら涙を流している。



 周囲には、ガラの悪い男たち。暗闇で全貌は確認できないが、20人以上いることは確かだろう。



「わりぃわりぃ、嬢ちゃんは強く殴り過ぎしちまった。まぁ、ガキとはいえ魔術師だからよ。一発で気絶させねぇと、痛え目を見るってのはよく知ってるから勘弁な」



 顔面を断裂するように大きな火傷の痕があるスキンヘッドの大男は、ヘラヘラと笑いながらティカルに呟き。



「ゔごぉ!」



 必死にティカルへ辿り着こうとしていたのだろう。蠢いて藻掻くファルコの腹に、思い切り蹴りを叩き込んで無効の壁まで吹き飛ばした。



 嫌な音だ。ティカルは、思わず目を伏せた。



「まさか、アイロニのボケが最初にガキを覚醒させるとはな。それとも、テメーの才能が群を抜いてたのか?」



 新しい声の方へ恐る恐る目を向けると、そこには見覚えのある凶悪な男が立っていた。胸には伯爵家の紋章。まさしく、社交界でアイロニに叩きのめされたタロンだった。



「試してやるよ、おい」



 狂気の中、暗闇から現れた一人の男がティカルの拘束を解いた。そして、投げて寄越された杖をすかさず手に取ると。



「さ、逆巻け! ファイア・ボル――」

「んだよ、その程度か」



 不意打ちであったのにも関わらず、何を受けたのかも分からず、ティカルの手から杖が吹き飛んだ。



「覚醒ったって、無詠唱でもなけりゃ俺の結界も破れねぇ。こんなんで街の自警団気取りとは、お前の主人の頭の悪さにはマジで理解が及ばねぇよ」

「ご主人様は!」

「関係あるんだよ! このボケ! テメーの不始末はアイロニのせい! テメーの勘違いもアイロニのせい! テメーの罪の罰はアイロニが受けるし、テメーとこっちのガキを拉致られた責任も全部アイロニに回るんだ!」



 違う、そうじゃない。私は、そんなつもりなんかじゃ……。



「ふん。その面じゃ、テメーが自分で屋敷の結界をぶっ壊してた事に気付いてもいねぇみたいだな」

「け、結界?」

「心当たり、あんだろ。例えば、少し前に工房に穴を開けたとかよ」



 心臓が跳ね、目の前が白くなる。



「魔術師にとって、工房は屋敷の心臓だ。強力な神殿を築いて家を守る、結界の要ってヤツだな。これがあるから、家主でない魔術師は他人の屋敷に許可なく立ち入れない。今日まで俺たちがテメーに手を出せなかった理由はそれだ」



 あまりの情けなさに、涙が止まらない。



「工房の外壁に傷を付けると、まるで風船が萎むみてぇにどんどん抵抗力が弱まっていくんだよ。外敵から必ず身を守る分、内側からの攻撃に脆い。まぁ、本来なら毎日手入れをして保ってりゃ、ちょっとした傷の自然治癒くらいするけどな」



 毎日という言葉に、更に目眩を覚える。



 そう、ティカルが察した通り、殿を守る方法とは毎日の掃除と草木の露払いだった。アイロニの命令は、魔術を知らないハズのティカルが自身と家を守るためのでもあったのだ。



 あろうことは、私はそれを怠った!



 メイドであるにも関わらず、唯一の職務を放棄したんだ……っ!



「ま、テメーらにとって一番最悪だったのはこいつらギャングの怒りを買ったことだな。下手な正義感でアウトローをナメやがって、お陰で俺はテメーの街に入らねぇで済んだよ。ここは俺の領地の辺境だ」

「なんで……っ」

「これで、アイロニの貴族位は剥奪。土地は全部俺のモンになる。テメーの街はギャング共が支配する。万々歳だよ。はっはっは!」



 言葉を勝手に都合よく解釈して、ずっと守っていてくれたアイロニを裏切り、巻き込まれる必要の無かった友人たちまで傷つけ、街すら幸せから一番遠い場所へ誘った。



 すべての出来事が、ティカルを絶望の淵に追い詰める。



 もう、涙すら出ない。



「ところで、結界を知らねぇって事はテメー。アイロニから直接教わったワケじゃねぇな? あいつの工房から持ってきた書物は、テメーみてぇなアホに魔術を覚えさせるくらい強烈な理論が記されてるってか?」



 ……気に食わねぇ。



 そう呟いて、タロンは鬱憤晴らしと言わんばかりにミリアの太ももへナイフを突き立てた。



「ああああああああーーっ!!」

「何をしてるんだぁ!?」



 しかし、やはりティカルの魔術は弾かれる。詠唱し、発動しようとする前に術を拒む超強力な結界。発動すれば、必ず魔術師を殺す完璧な防御壁がここにはある。



 ……つまり、神殿。



 この場所には、工房と同じ手順を踏んで作られた『内側からの破壊に強い結界』が張り巡らされているのだ。



「おい、ガキ。チャンスをやるよ」

「チャンス……っ?」

「俺と決闘だ、一回でも俺に勝ちゃ見逃してやる。その代わり、負けるごとにこっちのガキどもの指を一本ずつ吹っ飛ばす。もちろん、この中でもテメーは魔術を発動出来るようにしてやる」



 ミリアとヴィンスが恐怖の悲鳴を上げる。ファルコは、気を失って動かない。



「な、なんでそんなことを……」

「手足合わせて60本。そのうち一回でも勝ちゃいいんだ。いい提案だろ?」

「なんでそんな酷いことをするの!?」

「それも全部アイロニのせいだよ! バーカ! あのクソボケ、奴隷出身のクセして俺様を舐め腐るからこういうことになるんだ! 全部全部、全部全部全部全部全部全部!! ぜーんぶテメーの無能な主人のせいなんだぜ! ダボがぁッ!!」



 奴隷、出身?



 この男は、一体何を言っているんだ?ご主人様が、元奴隷?あの、私とは何もかもが違うご主人様が?



 なぜ?



「じゃあ、やろうか。グチャグチャにしてやるぞ」



 しかし、迷っている場合ではない。絶望は待ってくれない。ゆっくりと、ゆったりと、ナメた態度でニヤケ面を浮かべながらタロンが触媒の杖を振る。



「嘲り嘶け、サンダー・カノン」

「逆巻け! ファイア・ボルト!」



 ……ティカルの耳を掠めた雷撃は、チッチッという乾いた音を響かせている。火炎を貫き弾けさせた攻撃、明らかに意図して彼女への直撃を避けた。



 完全なる敗北だ。ティカルは、立ち尽くしたまま激しい動悸に怯えることしか出来なかった。



「それじゃ、まずは一本だな。おい」

「ダメぇ!」



 それでも、手を取られたミリアの元へ駆け寄り男に飛びかかる。だが、ティカルの瞬足をもろともせず大男は小さな体を軽く殴り落とした。



 派手に転がり、止まると同時に血を吐く。ティカルの激しい咳と、ミリアの絶叫。小さな少女たちの絶望は、男たちの感情を愛撫する。下品に笑う姿が、悪魔にも重なって見えた。



 ――カラン。



「……なんだ、それ」



 乾いた音が倉庫内に響いた。注目が集まる中、タロンが警戒しながらも近寄り手に取る。



「宝石?」



 そう、呟いた瞬間だった。



「……タロン、お前か」



 悲劇と狂気の真ん中へ、烈風と共に一人の男が降り立ったのは。



 015



「あ、アイロニ?」

「どうして、お前が俺の触媒を持ってるんだよ。え?」

「テメー、何だその口の聞き方は。俺様は伯爵――」



 言葉を最後まで待たず、何かアイロニの手の中で光った。



「……へ?」



 ――ボトリ。



 液体が混じり合った不快な音が、今度はその場を支配する。何が起きたのかを確認すべくタロンが周囲を見渡すと。



「い、いっーーーーッッ!?」



 それは、ミリアを抑えていた男の右腕だった。拉げたナイフが地面に落ちたのは、それから一秒も後。明らかな非常事態に、ギャングへ戸惑いが伝播していく。



 中でも最も不思議だったのは、タロンの結界の妨害が機能していない事だった。



「俺の質問が聞こえなかったのか? お前がその触媒を持ってる理由だよ、教えろ」

「おい! テメーふざけてるんじゃねぇぞ!? ガキどもがどうなっても――」



 答えでない言葉を最後まで聞いていられる余裕が、アイロニには無かった。ポケットに手を入れ、俯いたままタロンの脇腹を抉り取って肉を張り付けにする。



「い、ッッだああああああああっ!!」



 あまりの出来事に、ティカルは目を離すことが出来ない。渦巻いていたあらゆる感情を置き去りにして、ただ彼の魔術に見惚れていた。



「ファルコを見てやれ、二人の拘束も解くんだ」



 ようやく声をかけられたが、目を向けてもらえない。怒りに震えた声は、さっきまでの狂気とはまた別の恐ろしさを持っていた。

 しかし、桃色の宝石を投げて寄越されティカルはすぐに駆け出す。目の前で人質が解放されていくが、ギャングたちは何も出来なかった。



「はぁ……っ! はぁ……っ! あ、アイロニィ! どうやってここに来たんだよ!?」

「俺の触媒にお前の魔力が触れたろ。その不協和音が、俺にこの場所を教えた」



 出血に耐え切れず、タロンは膝をついた。その様子を見て、またしても光。ファルコが瞼を開いた次の瞬間に、タロンの脇腹も元に戻っていた。



「この俺様が、お前なんかに……っ」

「なぁ、タロン。チャンスをやるよ」

「は、はぁ?」



 素っ頓狂な声。その先の言葉が分かってしまい、体が震えだす。当然、アイロニは先程のティカルとの会話など知らないが。



 根本的なところで、やはり魔術師の打ち負かし方は似通うのだ。



「お前の仲間。20か? 30か? 指は400本強だ」

「い、いや……っ」

「決闘しよう」



 光。



 タロンの左腕が吹っ飛び、修復。



「お、おえぇ……っ」

「俺に一回でも勝てば、今日を無かった事にしてやる。その代わり」



 光。



 タロンの右足が吹っ飛び、修復。



「負けるたびに、そいつらの指を貰う」



 タロンの胸板に穴が開き、修復。



「や、やめろ……っ! 来るな……っ!」



 タロンの頭蓋がひしゃげ、修復。



「立てよ、あと596回だ」

「や、やめてくれえええええええええええ!!!」

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