ティカル覚醒/危険な力
012
三ヶ月後。
ケルトの命により、アイロニは今日も王都のシンクタンクへ足を運び魔術の研究を行っていた。
最近では、まったく館に戻ってきていない。アイロニの凱旋に湧き立った研究者たちにケルトも加わってチームを作り、更なる発展へ向け昼夜も無く没頭している。
無論、アイロニはさせられているのだが。
そんな中、尽くす主人を失ったティカルは一人の夜を何度も過ごしていた。
「……ふぅ」
学校から帰ってきて、とっくにピカピカの屋敷を更に綺麗に磨き、庭の草木の梅雨を払う。ストックされたワインボトルも一本一本丁寧に拭いて、帰ってこないアイロニの為に作ったサンドイッチを虚しく齧る。
友達は、そんな彼女を気遣って毎日遊びに来てくれている。彼らの母親も、様子を見に来てくれる。しかし、彼らでは埋められない心の中の寂しさがあることに、ティカルは気がついて切なかった。
アイロニのアトリエに立ち入り、描きかけのキャンバスを眺めてやはり戻っていない事を確認。
次に、立ち入り禁止と言われている忘れられたかのように寂れた地下の工房へ。簡易な木製の椅子に腰掛けて、ボーッと彼への思いを馳せる。
このエリアは、決して手を付けるなと命令されている。僅かに残るタバコの匂いが、ティカルはこの上なく愛おしかった。
……梟から届く、アイロニからの手紙。
「まだかかる、留守を頼む。返事はいらない。ですか」
ほとんど毎日、同じ内容だ。しかし、決して自分が忘れられているワケではないと思うと彼女はそれだけで嬉しかった。
「……よし」
呟くと、ティカルはデスクに広げられた戦闘魔術の資料を読み漁り魔力を具現化する訓練を開始。
――勝手にしろ。
アイロニは、確かにそう言った。あれはきっと、立ち入り禁止のこの部屋に入る事を許可してくれたのだとティカルは解釈している。
優しくて、皮肉まみれの彼の心の内。それを読み解くスキルに、いつの間にか彼女は長けていたようだ。
アイロニの専門分野は、ドラゴンやミノタウロスなどの大型な魔物の討滅ではなく、あくまで対魔術師用の戦闘魔術であったようだ。
高威力でなくとも、対人であれば急所を破壊し継戦能力を奪って戦闘不能にすれば勝ちというのが彼が導いたある意味当然の答え。
汎用性の高い魔術の活用を敢えて限定することで得た、極限にプロフェッショナルなやり方だったらしい。
源流まで遡ると、そこには魔術陣と長文詠唱を元にした強力な魔術も記されているが。アイロニは、この下準備の過程を宝石に閉じ込める高度に効率的な術にやがて辿り着いた。
落書きで、『兵器の発展に伴い忘れられるだろう』と書かれている。自分の編み出した術式すら否定するとは、アイロニは本当に魔術が嫌いで仕方ないのだとティカルは思った。
……文字の隣には、ドス黒く変色した血の跡が残っている。
「そんなことないです」
否定し、ティカルは触媒のワンドの先に火を灯す。柔らかく、温かい炎だ。
アイロニの論文曰く、夜闇を恐れ太陽を欲した末に人は魔術を生み出したとのこと。だからこそ、炎は魔術の原点であり、炎を自在に操ってこそ応用する資格を得るのだそうだ。
あまりにも、型を極めた学び方だ。
ここへ来る前、ケルトが「あの男ほど基本に忠実な男はいない。型を知っているからこそ、
マナー、作法、礼儀。正しいそれらを教わった事こそが、アイロニの理論の正しさを証明しているとティカルは確信していた。
……繰り返し、繰り返し。
たった一つの答えを探して火を灯す。しかし、炎に対する答えと言われても、ティカルは『炎は炎だ』というトートロジーに囚われてしまう。
結果、やはり温かく柔らかい。魔術で生み出す理由のない、殺傷力を持たない代物となってしまうのだった。
「アイロニ様の魔術、見たことないのか?」
翌日。
いつもの三人がいつものように遊びに来ていた。中でも、ファルコは魔術に強く憧れているらしい。才能を持つティカルを羨みつつも、彼女が何とかアイロニに近づけるよう考えていた。
「いえ、何度かはあります。けれど、見られるのはいつも何かが起きた『結果』だけでして。他の魔術師の方のように、何を具現化しているのかはサッパリなんです」
「宝石が光って、あたしたちが空を飛んだりアイスクリームが出来てたり。よく考えてみると、どうしてそうなってるのか分からないよね」
どうでも良さそうな声のミリアに、ヴィンスが返す。
「前に、アイロニ様が『どれだけ強力な術でも手の内を知られれば対策される』って言ってたよ。もちろん、筆の技法の事だったけど」
「つまり、何でやっつけられてるのか分からないのが一番強いってことか?」
「そうじゃないかな。特に、アイロニ様は敵を戦闘不能にするだけで必要がないなら殺さないみたいだし。生きて逃げられても、報告することがないって凄く厄介だと思う」
聞いて、ティカルは初めてアイロニが不殺の為に技術を最適化している事に気が付く。流石、一流の教育を受けてきた子は同じ歳くらいなのに凄いと思った。
特に、ヴィンスの知能は学園内でも指折りだ。落ち着いていて、常に冷静なまとめ役。アイロニを納得させるだけの画材の説明が出来ることから、頭だけでなくコミュ力と言語化能力も高いのだろう。
「ヴィンスの話はいつも難しいよ。ね、ティカル」
対象的に、戦闘にあまり興味の無いミリアはクッキーを齧りティカルに抱き着いた。彼女は、ただ自分が楽しい事が重要である。魔術そのものより、魔術で喜ばせてくれるアイロニが好きなだけなのだ。
「食べる? おいしいよ?」
ティカルの口元にクッキーを運び、それを恥ずかしそうに食べる犬耳のメイドを見てファルコは顔を赤くした。どうにも、何かワケがありそうである。
「と、とにかくティカルが強くなれりゃいいんだよ。俺たちも、兄ちゃんが言うところの『具体的』ってヤツを知るために勉強しようぜ」
ファルコは、その豪快で頼り甲斐のある性格から自然と四人のリーダーとなっている。喧嘩っ早く大人でも手のつけられないヤンチャっぷりではあるが、仲間として彼ほど心強い人間はいないとティカルは思っていた。
「ティカルの前だからってカッコつけないでよ、ファルコ」
「つ、つけてねーよ!」
「つけてるでしょ〜!? 言っとくけど、あんたみたいな平民の子がティカルと付き合えるワケないから! ティカルはアイロニ様の子なんだから!」
「テメー何言ってんだよ! 意味分かんねーし! はぁ!? つーか、こいつはメイドだろ!」
「ティカル・スペルマインちゃんです〜、アイロニ様と同じ苗字なんです〜」
しかし、二人のやり取りを見ていても恋愛の意味どころか存在すら知らないティカルは首を傾げて平和なやり取りに感心するだけ。
名前については、深く考えることがおこがましいと思い込んでいるのかもしれない。とにかく、ティカルはいつも通りであった。
「どうでもいいんだけどさ。ティカル、この箱の宝石が論文に乗ってるアイロニ様の触媒なの?」
「はい、そうだと思います」
デスクの木箱には、縦4センチ、横3センチ、厚さ1センチ程の楕円形の宝石がいっぱいに仕舞われている。色は統一されていないが、これ自体が魔術で作り出したモノだとヴィンスは推測した。
色がクリアなモノもある。恐らく、まだ魔術を込めていない宝石だ。
「ねね、使ってみようよ。一個くらいならバレないよ」
「ダメです、絶対にお叱りを受けます。そもそも、使い方も分かりません」
「魔力を込めるんじゃない? アイロニ様はいつも軽く握ってたし、それがトリガーだよ」
「だな。ティカル、一回だけ使ってみせてくれよ。兄ちゃんはそんくらいじゃ怒らねぇって」
実際、興味はあった。
一度でいいから、その宝石の中の魔術を見てみたいとティカルはずっと思っていたのだ。そうすれば、きっと自分の魔術の何が悪いのかを知ることが出来るし、何より一流の魔術の正体を拝んでみたいという想いもある。
「ティカル、見せてよ」
「見せてくれ」
「見ーせて!」
……。
三人の無垢な願いがのしかかった欲望に嘘を付くことができず、ティカルは恐る恐る宝石を一つ手に取る。透き通った濃い青の宝石。覗くと中で光が乱反射して、眩しいくらいに輝いていた。
「い、いきます」
タロンの肩が砕けたとき。
あの時に感じた波動を、ティカルは毎晩思い出している。どんな印象を受けたのか、どんな衝撃を受けたのか、脳のシナプスに痛いくらい刻み込んである。
だから、宝石を握り正面に構えた。そして、深く息を吸い込み、魔力を込めるイメージを浮かべた刹那。
「……っ!?」
今までに感じたことのない手応えの後、扉を鋭く貫通して向こうの階段を強く掘り進んだ氷の礫が、続き「キィ……」と情けなく開いた扉の後で静かに消えた。
僅かな氷煙と破壊音の残響だけが、4人の耳に残っていた。
……。
夜になっても、ティカルは心臓の高鳴りは抑えられないでいた。
もしも、この力を思うがままに操れたらどうだろうか。生半可な魔術師など箸にも棒にもかからない、優位な戦闘が可能になるんじゃないだろうか。それどころか、最強と謳われるご主人様の魔術なのだから、負ける心配すら必要ないのではないだろうか。
私でも、あの奴隷の子を救えるんじゃないだろうか。
そんな思考が、頭の中をグルグルと回っている。部屋の掃除をせず、草木の梅雨を払わず、アイロニの絵の確認もせず。ティカルは、ただ工房で宝石を眺めている。
あの、眠れば無事に目を覚ませるのかも分からなかった酷い奴隷の頃。最も焦がれた強力な力が、今は私の手の中にある。
「この魔術があれば……」
何度も何度も呟いて、その都度妄想は良い方向へのみ膨らんでいく。タロンを筆頭とした悪い貴族をやっつけて、その地位にケルトやアイロニのようないい貴族が就いて。
自分は、悪者をやっつけた正義の味方として認められ。アイロニにも優しくされて、奴隷もみんな笑っていられて。そして、今まで一度もしてもらったことのないご褒美を。
例えば、頭を撫でて抱き締めてくれるような。
あの大魔術師であるご主人様も、きっとそれくらい喜んでくれる。私がご主人様の力を証明すれば、絶対に魔術を好きになってくれる。
ティカルは、ため息をつく冷静さも忘れるくらい、魔術による幸福を妄想して笑っていた。
……なぜ、アイロニがそうしないのか。思慮深いハズの彼女が、考える事を忘れるくらい深く力に呑まれているのだった。
013
夏休みが訪れた。
翌日も、その翌日も。仲良し四人組は、アイロニの強力な魔術の虜になって夢中で研究し、幾つもあった宝石を止めどない勢いで消費していた。
どうやら、青は氷、黄は雷、赤は炎、白は風を閉じ込めているらしい事が分かった。更に、桃や緑の色には自らを回復したり身体能力を向上させる力があった。
これらの力は、特に魔術を使えない三人の子供たちの気持ちを高ぶらせた。彼らが知る由もないないが、オーバーヒールやバフには抗えない麻薬のような快楽が伴うのだ。
当然だ。
敵の攻撃や防御を無視するほどの力を得る魔術なのだから。常時に使用すれば、特に彼ら子供の鋭敏な感性で使用すれば高揚するのは明らかであった。
彼らの高揚した気持ちは、更なる魔術への好奇心を高めていった。何冊にも及ぶアイロニや彼の父の論文までをも周到に読む集中力を叶え。
理解が理論に及ぶたびにティカルの魔術は威力を増していく上に、行き詰まればまた宝石を砕いて答えを得た。
魔術、魔術、魔術。
何日経っても、何週間経っても、もはや梟から送られた郵便受けの手紙すら確認を怠るくらいに、四人は力に没頭した。
やがて、力は実る。やはり天才であったティカルは、詠唱込みであったが宝石の氷礫と同じ威力の魔術を習得したのだ。
より効率的な、初級魔術での人体の破壊。練度を高め、動作を狭め、精度を極め。
やがて。
――キュバン!
庭に設置した人骨程度の強度を誇る木片を、正確に木っ端微塵に破壊するまでに鍛え上げた。
「すげぇな! ティカル! お前、マジにここまで魔術を使える天才だったんだな!」
「これ、アイロニ様より凄いんじゃない!? だって、アイロニ様の魔術は扉に穴を開けただけなのに、ティカルのは全部壊せちゃうんだもん!」
「ありがとうございます、皆さんのお陰です」
「凄いよ、ティカルちゃん。こんなのを受けたら、大人だって立ってられないよ」
ようやく手に入れた、圧倒的な力。おまけに、奥の手としてアイロニの宝石まで懐に忍ばせているモノだから、彼女の自信は最早留まることを知らない。
現に、彼らは街で襲われている物乞いや奴隷の子を何度も救った。困っている人を魔術で助け、チンピラを打ち倒し、街外れの村に現れた盗賊たちすら撃退した。
弱き民に、崇められた。
若くして、他人に深く認められる事ほど甘美な経験が、この世に一体どれほどあるだろう。幾つもの称賛を受け、彼らはすっかり気分を良くしていた。人助けがいつの間にか、彼らの日常にもなっていた。
ティカルは、メイドとしての仕事を忘れ、何人もの人々を不幸から救い続けている。今日も夜に家を出てギャングから老人を助けた。アイロニの名を伝えた。私こそが、彼の魔術を正しく継承した唯一の弟子なのだと宣った!
……ワインボトルには埃が被り、庭の草木は伸びっぱなし。夏を超え、もはや炭水化物と油を取らず果物だけの食事に陥り、工房の扉の穴も忘れられるくらいの月日が経つと。
ティカルは、魔術学院にまで認知される程に成長していた。
「これで……」
これで、きっとアイロニは喜んでくれる。奴隷の私だって、何者かになれると証明できる。弱い人たちだって、みんなで頑張って努力をすれば――。
「嬢ちゃん、ちっと調子乗り過ぎたな」
ボゴっと、鈍い音。意識が遠のく直前、玄関の向こうの馬車のカーテンの奥にファルコ、ミリア、ヴィンスの姿も見えた。
玄関に置かれたアイロニからの手紙が、宙を舞ってティカルへ落ちた。
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