悲劇/願い

 010



「なるほど。詠唱を破棄できる程度の魔術は、こうして宝石の中へ閉じ込め任意のタイミングで放てるのか。お前、いつ発見したんだ?」

「3年前、偶然だった」

「発表しなかったのはなぜだ?」

「法律による規制を免れたかった、俺だけが楽を出来ればそれでいい」

「お父上の研究か?」



 アイロニは、何も言わなかった。ケルトは厳しい貴族の顔から一変、友人としての優しくも本気の怒りを表情にする。



「まったく、お前の家族への愛には痛み入るな」

「黙れ、お前でも次はねぇぞ」



 腰に手を付き、何かを考えてからデスクの上の杖を手に取り一振り。羊皮紙に魔術で何かを記すと、アイロニの前に浮かべて強い口調で言い放った。



「アイロニ・スペルマイン。議会所での魔術使用の疑いにより、王城へ5000万リルの献上及び1年間の魔術研究の助成を命ずる。これは、辺境伯としての私の権限を行使するモノだ」

「私刑かよ。不可侵区域での罰則は島流しだろ、裁判にかけてそうしろ」

「たわけ、あのドラ息子共もろとも多くの伯爵家を没落させる気か」

「はっ、相変わらず政治が上手いな」



 当然、ケルトへの憎まれ口は本音ではない。彼個人が裁くことで一件を闇に葬り罰のない彼を襲う脅威から守ってくれたのだと、それくらいの事を理解出来ないアイロニではないのだ。



「今日は帰れ、近いうちに梟を寄越す。仮住まいは伝書に従え」



 言われ、アイロニはタイを外しながら部屋を出る。そこには、オロオロとした表情で小さく待ち構えるティカル。なんて情けない姿なんだと、彼はティカルの前を通り「ついて来い」と命令した。



「ご主人様、大丈夫ですか?」

「俺が大丈夫でないと思う根拠を言え」



 あぁ、これは間違いなく大丈夫じゃないなぁ。と、ティカルは思った。考えて、考えて答えなければ。



「……ご主人様は、大嫌いな魔術を使わされたからです」



 その時のアイロニの表情は、とても印象的だった。燃え上がった怒りの熱が瞬間的に冷めたというか。虚を突かれ、返す言葉を失ったというか。



 なぜ、俺の心を知っている。そんな疑問を浮かべているのが、ティカルにはありありと伝わったのだ。



「酒だ。ホールから未開封の酒の瓶を二、三持って来い。家で飲む」

「いいんですか?」

「いいんだ、社交界は俺たちの税から賄われてる。市民のモノは一銭も使ってない」



 そんなワケで、ティカルはウェイターに許可を取るとワインボトルを三本鞄に放り込み、馬車で待つアイロニの元へ急ぐ。



 道中。



「アイロニめェ! 必ず地獄より酷い目に合わせてやるぞォ!」



 通りかかった扉の向こうから、おぞましい憎悪の塊のような叫びに続いて悲痛な女の悲鳴が聞こえてきた。



 逆上したタロンが、奴隷の少女を殴り飛ばして壁に叩きつけたのだろう。衝撃で少し開いた扉から、何度も何度も「ごめんなさい」という声が漏れている。



 ティカルは、それが心の底から恐ろしくて。足が竦んで、動けなくて。なのに、開いてしまった隙間から、嫌で嫌で仕方ないのに吸い寄せられるように覗き込んで。



 そして。



「助けて……っ」



 蹴り込まれながら、地面に突っ伏して呻く少女と確かに目があった。



「ひ……っ!」



 ……ティカルは、走った。



 走って、走って。更に早く走って。文字通り少女たちを見捨てて逃げ出して、ボーッとタバコを吸うアイロニの隣へ疾風のように速い犬の如き速度で飛び込んだのだ。



「なんだ、振ると酒の風味が落ちるぞ」



 津波に取り残され行き場を失い流木へ願うように、ブルブルと震えてアイロニの腕に縋りついている。辿り着いて、彼のタバコの匂いを嗅ぐまでに、一体何度『死』を思い出しただろう。



 ……分かっていた。



 自分の中に、忘れる事など出来ないトラウマがあることを。どれだけ今が幸せでも、自分は虐げられるべき奴隷なのだと。

 誰のことも救えない、ちっぽけな存在であることを。ただ、良心に嘘をついて誤魔化して、自分は罪悪感という名の十字架を背負うことしか出来ないのだと。



 アイロニは、何も言わなかった。



 011



「お待たせしました、ご主人様」



 家に帰り、クラッカーとチーズとオリーブの皿をワインを煽るアイロニの前に置くと、ティカルはかしこまって静かに立ちさっきの惨状を思い出した。



 吐きそうだ。



 どうして、忘れていたのだろう。平和とは、こんなにも甘い毒だったのかと彼女は自分を酷く責めた。



「なぁ。お前も座ってミルクでも飲め、震えていられると気が散る」



 言われた通り、ティカルはミルクを自分のグラスに注いでテーブルについた。いつもの斜め隣より、椅子の位置がアイロニに近かった。



「……ご主人様には、救いたいと思った人を救える力がありますよね」

「ある」



 突然の質問にも、アイロニは傲慢に答えた。



「ならば、どうして誰も傷付かない平和な世界を作ろうと思わないんですか? 私は、私は……っ」



 アイロニは、タバコに火をつけて深く煙を吸い込む。紫煙が舞って渦を巻き、まるでゆったりと流れる時間の潮流のようだと彼は思った。



「『お前がもう5分早く来てくれれば、俺の妹は死なないで済んだ』」

「……え?」



 徐ろに立ち上がり、青白い月を見る。



「お前の国のとある村を占領し、拠点として主要都市を攻め込む前夜のことだ。その村は、悪い魔術師を頭領とした盗賊に襲われていてな。連中が物資を物色してるところに、偶然俺たちブレイビーランドから派遣された兵団が鉢合わせたんだ」



 その目は、ただ寂しかった。



「盗賊を殲滅して、俺たち兵団は一躍英雄となった。元々、内乱の絶えない国だったからな。国民たちも、外からやってきて国を変えてくれる連中なら誰でもよかったんだろう」

「だったら……っ!」

「その夜、もてなしの宴が開催された広場から少し離れた崖の上。喧騒に嫌気が差して偵察に出た俺の前で、まだ10歳になったばかりの男が泣いていた」



 子供ではなく、男。ティカルは、彼が深い敬意を抱いている事が分かった。



「そこで言われたんだ。俺たちがあと5分。たった5分でも早ければ、彼の妹が死ぬことはなかったと。村で唯一の犠牲となった、男の生き甲斐である小さな命が失われることもなかったと」



 言葉が、出てこない。



「悪は、救いたいという気持ちより必ず先に現れる。悪がいなきゃ正義の味方もないんだから、当然の話だろ」

「そうかも、しれません」

「ならば、いつも後手に回る正義の味方とやらになんの価値がある? 俺が助けた人間たちの、本当に生きていて欲しかった者がいない彼らの人生にどう責任を取る?」



 あまりにも真剣で寂しい眼が、彼女を捉えて離してくれなかったから。



「タロンの奴隷は、きっと酷い目にあっているだろう。俺にブチのめされた腹いせに、奴はいつもより苛烈に殴りを入れるだろう」

「は……い……っ」

「だが、助けられない。助けられないんだよ、ティカル。もしも、その奴隷に血反吐を吐いてでも助けたい人間がいたらどうする? そいつが呪いをかけられていて、タロンと同時に死んだら? 奴隷の娘が食い扶持を失って、そいつを養えなくなったら?」

「それは、でも……っ!」

「逆の視点から見てみよう。奴隷を売った商人の信用は? タロンが失脚した後の街の市民たちは? 仮にすべてをクリアしたとして、その後の不満は誰が拭って幸せにしてやるんだ? なんなら、手を出さないで俺があのままブチのめされた方がよかったか? それとも、不幸な人間全員に俺が金を支払うのか?」



 ティカルは、自分の世界の狭さを改めて知った。



「全部、分かりません……っ」

「つまり、文化的に生きる。その言葉の意味は最大の自己責任だ。俺は俺の責任を全うすることに尽力するし、俺の為に魔術を使。それ以外の物事を成すこともしない」



 そして、俺の力は世界を救える代物ではない。そう言って、彼はワインを飲み干した。



「対象的に、自己犠牲は他人に言い訳を作れて便利だ。どっちを選ぶかは、お前が自分で決めろ」

「……はい」

「もっとも。自分の命の行方を他人に押し付ける奴こそ、俺は悪だと思うけどな」



 そして、扉へ向かい開くと廊下へ。閉めて出ていく最後の瞬間、ふと思い立ったように立ち止まると。



「……なぁ、ティカル」

「な、な……っ。ぐす……っ。なんで、しょうか」

「よく、辛かったな」



 言い残して、アイロニは部屋を後にした。



「……それでも」



 そう、それでも。



 それでも、ティカルは諦められなかった。自分と同じような境遇に置かれて、自分と同じような知識と知能しかなくて。自分は、たまたまアイロニに出会っただけで。そこにいるのは、自分だった可能性の方がよっぽど高いんだって。



 強く、強く。心に思った。



「待ってください!」



 部屋を出て、ワインボトルに直接口をつけ飲みながら歩くアイロニの、背後に立って手を握る。振り返って、見おろされる。主人に対してなんて無礼な真似をしてしまっているのかとまた自己嫌悪に陥りそうになったが。



 ティカルを突き動かしたのは、それ以上にアイロニを思う別の何かであった。



「なんだ」

「……私に、魔術を教えてください」



 更に強く、アイロニの手を握る。



「お願いします。私に魔術を教えてください。私は、もう逃げたくないんです。誰かのために頑張れる私になりたいんです! そのための力が欲しいんです……っ!」

「知るか、勝手にやれ」



 冷たく突き放し、他にはなにもない。彼女の決心も、彼の心を絆すには至らなかった。

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