力の行使

 009



 社交会。



 上流階級の人間が集まり交流する場。アイロニが住む地方の社交界では膨大な資金力を誇る民間企業からも権力者が参加し、貴族への仲間入りを願うある種のセールスも行われている。



 そんな場所に、アイロニとティカルはやってきていた。本来、奴隷やメイドが会場に足を踏み入れることなどないが、アイロニには使用人が彼女しかいないため例外が認められているのだ。



 もちろん、認めたのはケルトである。すっかり見違えたメイド姿のティカルがスカートを持ち上げお辞儀をしたのを見て、彼はニヤニヤしながらアイロニの肩へ寄りかかった。



「やるじゃないか、アイロニ。私は嬉しいよ」

「魔術は教えていないぞ、タヌキめ」

「いやいや、そんな事は些末だ。重要なのは、彼女を育てるお前の責任感だよ」

「そんなモノはない、自分に便利なように仕上げているだけだ」

「ふふ、口調や生活を悪く演じているが、お前の気高い品性は筋金入りだ。お前の便利ということは、つまり社会的な正解に最も近いという事を意味している」



 ケルトには、アイロニの皮肉めいた生活のすべてがお見通しであった。その気遣いは、さながら覇道を往く王の有能な右腕といった様子であり、ケルトが望んでいた二人の関係であった。



「それにしても、よく来てくれたな。何年ぶりだ?」

「分からんが、来なかったらここに呼び出すための策をお前に講じられるだけだろ」

「お前らしい。まぁ、せっかく来たのだから楽しむといいさ」

「貧乏男爵の俺に社交する相手がいるとは思えないけどな」

「ははっ。そう思ってるのは、案外お前だけかもしれないぞ」



 言って、ケルトは貴族たちの集まるテーブルへと移動して行く。そんな友人の後ろ姿を見送ったあと、ため息をついてアイロニは壁に寄りかかった。



「もう控室に戻っていいぞ、ここは居心地が悪いだろ」

「かしこまりました、ありがとうございます」



 そして、ティカルはお辞儀をしてから使用人の集まる部屋へと戻っていった。バルコニーに出て、タバコを吸う。ボーッと月を見上げて、ホールから流れてくるクラシックに耳を傾けていた。



 古い曲だ。魔術が生まれたのと同じくらい、古くからある曲。



「おい、アイロニ」



 声をかけられて後ろを見ると、そこには魔術学院時代の知り合いが群れを成して立っていた。胸には伯爵家の紋章。後ろにはボロい衣服を纏った少女たち。



 見た瞬間に分かる、彼女たちは奴隷だ。ティカルは例外のハズだが、彼女たちがここに入れるということはつまり主人の『物』として扱われているという事だ。



 ステッキやカバンと同じ『物』。金持ちと権力をアピールするブランド品と同じ『物』。実を言うと、こんなふうに少女の奴隷を連れ回して周囲を威圧する若い貴族は少なくない。



 むしろ、人扱いしているアイロニがおかしなくらいである。



 獣人、亜人、魔人、中には純血のヒューマンもいる。どうして混血でない彼女がそこにいるのかとアイロニは思ったが、考えても仕方ないと思い直して再びタバコを吸った。



「こんばんは、タロン様。お久しぶりでございます」

「相変わらず色気のない服装だ、貧乏臭さが滲み出ているぞ」



 今の時代、ケルトのような善人の貴族は少ない。彼らの両親は少なからず戦争を生き抜いて泥臭く成り上がってきた実力者だが、彼ら自身はそんな両親に甘やかされ戦争に参加せず、なんの不自由もなく生きている。



 だからこそ、普通の事には興味が生まれない。他人を見下す事だけが快楽に繋がる。初めから満たされている者たちが人生を楽しむには、モラルや道徳を切り離すことが最も簡単な方法なのだろう。



「そうでしょうか、私は自分のセンスに満足しています」



 実際、文化人を自称するだけあってアイロニは服装にも気を使っている。分かりやすい派手なファッションではなく、裏地や細かいステッチに気を遣った匠のこだわりの逸品を身に着けている。



 見る人が見れば一発で分かる極上の品。それが分からない彼らを見て、アイロニは教養も文化的知識もないのだと心の奥底でほくそ笑んで舌を出す。



 小さな優越感。それを得て彼らを見下し心の平静を保つ。つまらない処世術だと思いはするものの、他に方法がないのだからそうするしかない。



 やり返せば必ず別のやり返しがある。極論、法律がアイロニを縛る可能性すらある。彼の実力とは、それほどまでに巨大で破壊的だ。



 だからこそ、彼は小さく生きる。好き勝手に生きる術こそが、彼を縛る最も強力な鎖であるとは何たる皮肉だろうか。



「そんなもんで満足してるからお前の人生はうだつが上がらないんだろう。亜人のガキにメイド服を着せてメイドを気取らせるなんて、お前みたいなしょうもない人間が真っ先に思いつきそうな見栄だもんな」

「そうかもしれませんね」

「しかし、あんな非常識なガキを一人で歩かせて大丈夫なのか? もしかして、何かのトラブルに巻き込まれていたりするんじゃないのか?」



 ニヤニヤと歪な笑みを浮かべながら言うタロン。後ろにいる貴族たちも下卑た笑いを浮かべ、更に後ろにいる奴隷の少女たちは従うように媚びた笑みをヘラヘラと浮かべた。



 少女たちの姿を見て、アイロニは嫌な気分になった。



「どうですかね、あれはあれでよく出来たメイドです。伯爵様方に粗相を働くような真似はせずにいられるかと」

「なんだ、お前。亜人の奴隷を信用してるのか?」

「信用も無しに同じ家に住まうなど不可能かと愚考します」

「同じ家! お前、亜人と同じ家に住んでいるのか!? 汚らわしい! 魔術と一緒に誇りまで失ったか!?」

「人を見下す伯爵様のご立派な誇りには及びませんが、少なからず持ち合わせていると自負しております」



 皮肉。



 明らかなる皮肉は、頭のいい人間に程よく効く。叩き上げに育てられ超一流の教育を施された彼らには、自分たちが見下されたことが即座にわかった。



 分かってしまえば、もうまともにはいられない。アイロニが実利と頭脳を選んだように、プライドと権威によって人を従わせる事を選んだ彼らが耐えられるハズがないのだ。



「ナメてんのか? 三下の男爵風情が、この俺様を?」

「自覚はございませんが、そう感じられたのなら私の言葉のどこかにタロン様が刺激されたくない弱点を突くフレーズがあったのでしょうね」

「お、お前……っ」

「謝りましょうか?」



 瞬間、タロンは思いっきりアイロニの頬を張った。バシン!という甲高い音は、クラシックなミュージックを劈いてホールの中まで響き渡る。

 何事かとザワついて、周囲の人間たちが注目する。そんな様子を眺めて、ふと物陰に一人の少女がいることにアイロニは気が付いた。



 ……ティカル、ずっと見ていたのか。ガキのクセに、大人を心配してるんじゃねぇっての。



「ふざけるな、アイロニ。偽善ぶった態度の末に命を落とした貴様の父と同じ目に合わせてやろうか?」



 瞬間。



 不和を感じられた魔術師が、このホールに何人いただろうか。その中の一人であるケルトが、ゾワリとした悪寒に胸を締め付けられ、冷や汗をかきながら邪悪の出処を探った。



 その先には、アイロニ・スペルマイン。目の前の対談を忘れるくらいに焦ったケルトは、しかし恐ろしくて一歩もそこを踏み出す事が出来なかった。



「俺の親父が、なんだって?」

「聞こえなかったのか? 同じ目――」



 瞬間、タロンの肩があり得ない方向に捻じ曲がった。バギリボギリと、腕の骨を粉砕する嫌な音が響き渡る。

 それを目の当たりにした婦人たちは畏怖に苛まれ腰を抜かし、また取り巻きの貴族たちも強い吐き気に襲われていた。何をされているのかは分からないが、悪い気分が止まらないのだ。



「う、腕が! 腕がああああぁぁ……ッ!」

「騒ぐなよ、タロン」



 温度のない表情で彼の前に立つ。取り巻きの貴族たちが完全に引いてしまったのは、何重にも張っていた防御の結界をスペルも無しに突破されたからに他ならない。



「は、はぁ?」



 ……治っている。



 今、確かに粉砕されたハズの腕が治っている。一体、どうなっている?疑問がタロンの中に渦巻くが、痛みが引けばこれ以上アイロニよりも下に頭を置いている状況がやはり許せない。



 立ち上がると、後退りして息を切らしながら訊いた。



「な、何をしたんだ?」



 遠くにいたからこそ、ティカルには辛うじて見えた。ポケットに手を入れ、一度きりの触媒である宝石を握り破壊した腕を再生したのを。



「何をしたと聞いてるんだよォ!?」



 なんてことはない、放たれたのは初級の魔術だ。



 しかし、驚くべきはそのスピードと正確さ。アイロニは、戦争の中で威力の高さよりもスペルスピードの早い一撃で急所を的確に突き戦闘不能にする、最も効率的な人の破壊を覚えたのだ。 



 より、実用的な破壊の閃き。基本の応用。当たり前の事を当たり前に行う魔術のスキル。他の人間もやれることを、彼は凄まじい練度で行っているだけ。



 アイロニ・スペルマインは、生まれながらの天才ではない。ただ、及びつかない彼の努力を、周囲が『才能』と『天才』の二言で片付けているに過ぎないのだ。



「落ち着きたまえ」



 凍てつき膠着したシーンで誰よりも早く動き出したのは、他でもないケルトであった。



 矛盾。



 世界の誰よりも嫌いな父親を、自分以外の誰かが貶すのが許せない。



 学院時代からアイロニを知っているほど、気がつく事の出来ない彼の矛盾。それを理解しているからこそ、ケルトは彼の唯一無二の友人なのだろう。



「この場所は魔術の使用が禁止されているが、なぜ魔力のがするんだ?」



 幾重にも結界を張り巡らせていた以上、タロンたちに何かを言い返す権利はない。更に、アイロニの宝石は既に砕いて塵となっているため、魔術を放つ為の触媒から証拠を抑えることが出来ない。



 無論、調べれば分かることだ。だが、その『調べる』事が自分たちの不利である事に気付かないほどタロンは愚かではなかった。



「話は聞かせてもらうぞ、アイロニ男爵」

「……えぇ、ケルト様」



 ホールから離れる際のティカルの不安げな顔を見て、アイロニは少しだけ憂鬱になった。きっと、彼女は何時間でも部屋の前で待つのだろう。



 果たしてこれは、奴隷を雇う貴族の振る舞いとして正しいのだろうか。



 考えて、ケルトの言うところの『責任感』とやらが僅かに芽生えていることに気が付き、彼は深いため息をついた。

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