文化人とは/酒場での出来事

 006



「ふぅ」



 家に戻るなり、書類の可否と聴聞の返事を分けて一つずつ処理をし、本日の日付が書かれた箱から書類が無くなったのを見てからすっかり疲れた様子でアイロニはレコードを挟み蓄音機のハンドルを回した。



「お疲れ様です、ご主人様」

「あぁ、夜にはこいつを取りに郵便局員が来るだろう。対応してくれ」

「かしこまりました」



 そして、アイロニはすぐに自分のアトリエに向かい筆を持った。数瞬の思考のあと白いキャンバスに青い絵の具を幾つかの使って海を表現し、防波堤に佇む高い灯台を描いた。



 ティカルは、郵便物の受け渡し以外の間を後ろでずっと眺めて過ごした。既に5時間も経っている。完成した絵を見たアイロニはティカルに尋ねた。



「どうだ?」

「素晴らしい出来栄えかと」

「世辞はいい、何を感じるか?」

「……何も感じません。ただ、『風景がある』と。風景自体は素晴らしいですが、絵と言うにはあまりにも普通です」



 言われ、アイロニは絵を壁に掛けて『風景』とタイトルをつけてボーッとその絵を眺めた。感動しないと告げられたにも関わらず、彼はそんな自分の絵に満足そうだ。



「俺は自分の描いた絵が好きなんだ。ただ、俺が見て満足するために俺は絵を描いている。自己満足に没頭出来るほど、豊かな生活もそうそうないだろう」



 それについては、ティカルも何となく同意が出来た。もしも生き死にを考えずに生きていられるなら、生き死に以外の悩みを抱えられるなら、それはきっと優れた人生なのだろうと。



「しかし、そう思っていても人というのは愚かでな。やはり認められたくなるんだ。だから、とある絵画展に俺の絵を出展したんだが」

「売れなかったんですか?」

「あぁ、てんでダメだ。まーったく売れない。名前を隠したのもあってか、見向きもされなかったよ」



 表情は、少し寂しそうだ。



 アイロニは文化人を自称しているが、もしもそうなら他人の評価など気にするハズもない。つまり、実際の彼は文化人に憧れているだけで、そうではない普通の男なのだ。



「……残念でしたね」



 どうして、無理矢理にでも褒めてあげなかったのかと後悔するティカル。しかし、嘘をつけばその次も嘘をつかなければならなくなるし、ならば一時の賛美と永遠の真実のどちらが主人の為になったのだろうかと、深く悩んで頭を痛めた。



「魔術とは、物事を具体的に想像し構成する力の具現化なんだ」



 急に何を言い出すのだろう。ティカルは静かに頷く。



「俺は、文化とは実に抽象的なモノだと思っている。答えなどハナから無いし、だから受け取る者それぞれが受ける印象が変わって感動したり憎悪したりするんだ」

「なるほど」

「要するに、俺と文化は対極的なモノなんだ。水と油よりも酷い。だから、ティカルは俺の絵を見て『風景』だと思ったんだ。この海と灯台は俺の脳内にしか存在しない場所なのに、この世の何処かに存在するモノだと感じたんだ」



 それじゃダメなんだと、アイロニはため息をついて冷めきった紅茶を飲んだ。



「抽象的なモノに、俺は強く憧れる。音楽や物語も、本質的な楽しみ方はそれだ。各々が違う答えを導いてぶつけ合う事こそが最上の娯楽だというのに。俺の生み出す作品には必ず一つの『答え』が込められてしまう」



 面白くもない。自らの論理を貶すと、彼は月を見上げてタバコを吹かした。



「お前の主人は、そんな男だ。手法をアナログに拘るのも、抽象的な感動をより多く得るためなんだよ」

「……ご主人様」

「だから、俺は魔術が嫌いだ」



 自分の心を読まれていた事を知っても、ティカルは驚かなかった。それが出来る事は当たり前であり、それこそが悩みのアイロニに対してこの上なく失礼だと理解したからだった。



 しかし、もしもアイロニが今と同じ才能を持ちながら自分と同じ出自に見舞われた時、果たして同じことを言えたのだろうかとも思って。



 そして、思わず彼のタバコの煙に見惚れた。



「もう寝よう、明日も仕事だ」

「はい」

「お前は休みだ。一度、学校や図書館の場所を見に散歩にでも行け」

「いえ、私はご主人様のお役に立ちたいです」

「いらない、その分多く金を稼がなきゃならん」

「いりません、働かせてください」



 最後までいらないと言い続けたが、翌日のティカルは当然のようにアイロニの世話をした。



 こんな気持ちになるのは初めてだ。どこまでも皮肉めいた彼の想いを、いつか理解してみたいとティカルは思った。



 007



「ひ、ひえぇ……っ」



 一ヶ月後。



 給料袋を受け取ったティカルは腰を抜かして床にペタンと倒れ込んでいた。想像もしたことのない大きな金額で、無性に罪悪感が湧いてきてしまったからだ。



「食費や寮費、保険税金など諸々を差っ引いて30万リルだ、仕事なりだぞ」

「ご、ご主人様。0が3つ多いです……ぅ」

「300リルで何をするつもりなんだ、お前は」



 毎日毎日、朝から晩まで働いているのだから当然の金額なのだが。もちろん、それは彼女が労働者であればの話だ。



 しかし、実は貴族が奴隷を持つことで発生する『奴隷税』はとても高価だ。彼女にこれだけの金を渡して経費とするのは、見栄でなく実利を求める彼の事実上の節税対策でもあるのだった。



 不思議なことだが、彼らの住む国は豊か故に貴族の免税がされていない。ならば、バーレイが言ったアイロニが穀潰しとはいかなるモノかと、説明を聞いたティカルは密かに思っていた。



「そのうち、遺産を相続したり馬車を走らせるだけで税金を取られるようになるぞ」

「そ、そんなおかしなことがあるでしょうか」



 アイロニも、たまにはあり得ないジョークを言うらしい。



 閑話休題。



「その金で、まずは鞄と文房具と教科書を買え。学校への入学費は建て替えてやるから、来週からしっかり勉強してこい」

「ほ、本当に学校に行くんですか!? そんなことしたら、誰がご主人様のお世話をするんですか!?」

「お前が来るまでの間、俺は一人で生きていただろうが。これは業務命令だ。教養やコミュニケーション能力は、一つの場所にいるだけじゃ育たない」



 しかし、やっぱり申し訳ない気持ちでいっぱいのティカルは俯いて困っている。そんな姿に嫌気が差したアイロニは、絵の具の付いたエプロンを外し外出用のシャツに着替え始めた。



「前にも言ったろ、これは投資だ。金だけじゃなくて、時間も投資する。そうやってお前を一流の人材に育てれば、それだけ早く利益が取れるというモノだ」



 ティカルは、『ご主人様はお金を出して私を買ったワケではないのだから、それは単に育ててくださっているだけなのでは?』と思った。



 おまけに、『他の仕事に手を出すワケでもないのだから、時間的資産はそのまま趣味へ浪費され財的な利益などないのではないか?』とも思った。



 思っただけで、言わなかった。ティカルは空気が読める上、的確な疑問を浮かべられる思慮の深い子供のようだ。



「行くぞ、俺も街に用事がある」

「ご主人様の大好きな『マスター・ブレイビーランド・ジャズ・バンド(MBJB)』が、通われているお店でショーをやるんですね」

「なぜ知っている、言ってないぞ」

「だって、カレンダーには赤丸が付いていますし、その下にパンフレットとスポンサー提供の資料まであるんですから。今日、協力の申し出に行かれるのかと」

「主人のデスクを勝手に見るんじゃない、後でお仕置きだ」



 ライブが楽しみで仕方ないのか、今日のアイロニはウキウキで言葉にキレがない。そんな姿を後ろで眺めながら、密かに「かわいい」と思うティカルであった。



 買い物を済ませ、予定通りに小さなステージのあるレンガ造りのファルコバーに二人はついた。

 いつもは一人のアイロニが未成年のティカルを連れてきて驚いたようだが、一番高い酒とジュースの注文でマスターは納得したようだ。



「お前も飲むか、バーテン」

「よろしいのですか? アイロニ様」

「いい。ボトルごと入れろ、他の客に振る舞ってくれ。口添えはするなよ」

「相変わらず、不器用なお人ですね。大衆は分かりやすくいい人の方を好みますよ」

「余計なことを言うな、不敬だぞ」



 言われ、バーテンダーはカウンターの済に張ってある紙に目をチラと移した。



 【バーでのルール】

 1、バーテンダーはいつも正しい。

 2、バーテンダーが間違っていると思ったら、ルール1を参照すること。



「……今日の客の支払いは、すべて俺に回せ。俺が帰ったあとのヤツもだ」

「ふふ、かしこまりました」



 そのやり取りを見ていたティカルは、何かとても嬉しい気持ちになった。何故かは分からないが、急にアイロニを近くに感じたのかもしれない。



「あ、始まりますよ。ご主人様」



 こうして、二人はライブを満喫しMBJBへと資金援助の契約を半ば強引に取り付けて帰路へついた。



 見返りは、新しい曲は必ずこのバーで最初にアイロニへ披露すること。ただし、メジャーデビュー後はこの限りでない。



「流行るといいですね」

「複雑だ。彼らにはいい演奏をして欲しいが、彼らを使って商売をする気はないから俺だけが知ってる優越感に浸っていたいのも確かだ」

「独り占めはダメですよ、ご主人様」

「お前には、最古参のファンの気持ちなんて分からないだろうよ」



 あまりにも貴族離れした感性だ。そんなふうに憧れてしまう事がこの上なく一般人であり、文化人からは程遠いのだとアイロニは気が付いていた。



 気づいて尚、この世に『嫌い』だらけの彼だから、『好き』になったモノを裏切れないのだ。

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