第18話 ベルタ嬢の手紙(3)
第18話 ベルタ嬢の手紙(3)
ベルタ嬢はここで、大量の古書とともに
異国の子どもの霊に遭遇したのだ。
ルドルフは心配そうに言う。
「その子どもの霊は……大丈夫なのか?」
気持ちはわからないでもない。
血まみれでぶら下げされていたのだ。
なんらかの無念を抱え、恨んでいてもおかしくはないだろう。
リベリアは優しく笑って、首を横に振り、続きを読んだ。
************
その男の子を改めて見てみると、
顔色が悪いとはいえ(まあ亡くなってますしね)
とても可愛らしい子でした。
癖の強い黒髪と黒い大きな瞳。
着ている服は血で汚れてしまっていますが
とても丁寧にしつらえたものです。
おそらく貴族の子どもでしょう。
彼は高窓を見た後、私の手を引き、廊下に出て、
向かいの部屋までいざなってくれました。
そう、今、手紙を書いているこの部屋です。
ドアの前で私は彼に聞いてみました。
「この部屋に、何かあるの?」
言葉は通じないようですが、
彼は首をかしげた後、ドアを指さします。
私は開けて中に入りました。
彼は私を部屋の奥まで連れてきます。
私がきょろきょろ辺りを見渡しました。
どうやら女性の部屋のようです。
アンティークな収納やテーブル、ベッド。
きっと、貴族に仕える侍女の部屋だったのではないでしょうか。
私は一生懸命、この部屋に案内された理由を考えました。
そして彼を見て、気が付きました。
両手でかかげた、首や足の取れた馬のぬいぐるみに。
彼は私を、新しい侍女だと思ったのかもしれません。
「OK! まかせて! 私、けっこう得意なのよ」
私は肩に下げっぱなしだった鞄から、
小さなソーイングセットを取り出しました。
ビックリした顔でそれを見ている男の子から
私は馬のぬいぐるみを受け取ると
千切れた部分を縫い合わせました。
そしてスペアのボタンを使って、
お馬さんの目として付けてあげました。
ずっと見守っていた男の子は、
なんとか復活できた馬のぬいぐるみをかかげ、
青白い顔をぱあっと輝かせて、何かを叫びました。
(もちろん、なんと言っているかはナゾです)
私の数少ない取り柄を生かすことができて
本当に嬉しく思い、ふう、と息をついた瞬間。
耳元で、誰かがささやく声がしたのです。
私は椅子から飛び上がりました。
誰もいなかったはずの背後から
私の顔を覗き込むように。
結い上げられた髪は乱れ、落ちくぼんだ目、
真っ白な顔の女性が立っていたのです。
************
「また新しい幽霊ね」
クルティラが困ったように言う。
「……勘弁してくれ」
ルドルフは両手で頭を抱えている。
二年前、ベルタ嬢はいったい、
どれだけの危機に遭遇しなくてはならなかったのだろう。
リベリアは淡々と読み続けた。
************
私は両手を口に当て、固まっていると、
男の子がその女性に駆け寄りました。
もしかしてお母さん? と思ったけど、
その女性は彼に対し、うやうやしく膝をかがめています。
どうやら、この子の侍女の幽霊さんのようでした。
その時、ちらりと見えたのが、
彼女の背中に大きく走る刀傷です。
あまりじろじろ見ては失礼かと思ったので
気が付いていないふりをしたのですが、
おそらく、逃げようとしたところを
後ろから切りつけられ亡くなったのでしょう。
なんと卑怯で劣悪な精神を持った犯人でしょう。
私はその者が正しく裁かれたことを祈ります。
二人は何やら、異国の言葉で会話しています。
どうやら、廊下の方を気にしているようです。
そして私の方を振り向くと、
女性はホコリまみれのテーブルに絵を書きました。
それは太陽と月の絵でした。
太陽のマークを指さした後、この部屋のドアへと向かい、
こちらの様子をみながらドアを開け、出て行きます。
そしてすべるように戻ってくると、
今度は月のマークを指さし、今度はドアを閉めて。
床を指し示しています。つまり。
「昼間は動き回っても良いけど、夜はここにいろ、ってこと?」
言葉は通じず、二人は困ったような顔をしたので、
死者を困らせてはいけないわ! と思い、
私はカタコトのラティナ語を使ってみることにしました。
『朝、出る、良い。夜、ここに、いる』
二人の顔が一気に明るくなりました。
さすがに古代の貴族の一族、ラティナ語は教養の範囲だったようです。
しかし女性にラティナ語で一気にまくし立てられ、
私は大慌てで制しました。
正直ほとんどわからなかったのです。
ああ、勉強に”充分”というのはないのでしょう。
私はとりあえず自分を指さし、
「ベルタ」
と言いました。彼女はうなずき、自分を指さし
「……マリー」
と言いました。男の子も慌てたように
「ライオネル」
と言い、笑顔をみせました。
言葉が何とか通じそうな可能性に
私たちが手を取り合って喜んでいると。
ドアの向こうがなんだか騒がしくなりました。
そう、気が付くと夜になっていたのです。
私は、彼女たちがなぜそんなことを言ったのかを
理解することになりました。
ドアの向こう側、廊下の奥から
この世のものとは思えないほど恐ろしい声が近づいてきました。
うめき声、叫び声、そして、断末魔の声。
聞いているだけで全身の鳥肌が立つのです。
もし、姿を見たらどうなっていたかわかりません。
間違いなく、廊下のものたちは、
マリーやライオネルとは異質なものです。
死者の魂というよりも……
それは悪意や憎しみでいっぱいのものだと感じました。
男の子は怯えたように、女性にしがみつきます。
彼女は私を手招きし、出来るだけドアから離れ
一番奥にあるベッドへといざないました。
そして私たちは身を寄せ合って、
ベッドの上で縮こまっていました。
廊下から聞こえるのは男の声も、女の声もありました。
全て異国の言葉であり、何を言っているのかわからないのですが
怒り狂うような叫びと、命乞いをするかのような哀れな嘆き。
そういったものが飛び交っているのです。
時おり、何かを引きずる音や切り裂かれるような音も聞こえます。
まるで戦争のさなかの、
外敵に侵略された城に放り込まれたようでした。
ふるえる私を、マリーとライオネルが心配そうに見ています。
私は気が付きました。私は勘違いをしていたことを。
ライオネルがこの部屋に連れて来たのは、
人形の修理をさせるためではなかったのです。
高窓を見て、夜が近づいていることに気が付き、
私を安全な場に移動させたかったのです。
バラバラの馬をかかげていたのは、
もしここから出てしまうと、このような姿になる、
という警告だったのかもしれません。
ルドルフ様。
優しい人は、亡くなっても優しいのです。
私は彼らの善意と思いやりに涙が溢れ
……いつしか眠りについていました。
そして目が覚めると朝になっていました。
マリーも、ライオネルもいなくなっています。
夢だったのかしら? そう思っていたら。
机の上に、修復済みの馬の人形が置いてあり、
テーブルのホコリには新たなメッセージが書かれていました。
ラティナ語の単語が3つ。
”早く、逃げて、ここから”。
彼女たちの警告でした。
生者は、ここにいてはいけないのです。
彼らはおそらく、昨日私をここに連れて来た時間に来るでしょう。
連れてこられる時に
「丸1日、あそこにいたらさすがに反省するだろ」
「昼の納品のついでに様子を見に行くか」
などと会話しているのが聞こえたからです。
それに私の両親も、帰らない娘を心配しているはずです。
あの納品施設へのドアが開く、その時間まで。
それまで、この手紙を書くことで、
気持ちを落ち着けたいと思います。
手紙を読んでいる時と、書いている時は
ルドルフ様の側にいるような気がするからです。
では、そろそろ時間なので、
入り口で待ち構えていようと思います。
************
手紙はそこで、終わってた。
ルドルフは、また泣きそうになっている。
するとクルティラが言った。
「おかしいわ」
「何が?」
私が問うと、クルティラは手紙を指し示しながら言う。
「どうして手紙がここに残っているの?
なぜ持って行かなかったの?」
確かにそうだ。後でルドルフに出すつもりなら、
カバンに締まって、外へ向かっただろう。
「つまり彼女は、手紙を書き終えた後……」
なんらかの事情で、外には行かなかったのか。
手紙をここに置きっぱなしにしたところを見ると
なんらかの事態が急に起こったのではないだろうか。
考え込む私たちに、リベリアが言う。
「お返ししますね。これはあなたの
そして丁寧に分厚い手紙を折りたたみ、封筒に戻して、
ルドルフに手渡す。うなずいて受け取るルドルフ。
ベルタ嬢は、ルドルフからの手紙が”お守り”だと言った。
彼の言葉が、ずっと自分を守り、救ってきたんだと。
それは間違いなく、ルドルフにとってもそうだろう。
「ちゃんと、持っていてくださいね」
上目遣いで念を押すリベリアに、
ルドルフはもちろんだが何故? という顔で困惑する。
そしてリベリアは、笑顔でドアを見ながら言ったのだ。
「さあ、もうじき夜になりますわ。
……皆様、準備はよろしくて?」
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