第17話 ベルタ嬢の手紙(2)

第17話 ベルタ嬢の手紙(2)


 ベルタ嬢は、この城を出たら全てが終わると信じていた。

 エルロムからも、イクセル=シオ団からも解放されると。

 だから、つかの間の古城探検を楽しんでいるつもりだったのだろう。

 この手紙を書いている時点では。


 でも、私たちは結末を知っている。

 彼女はとうとう、戻っては来なかった。


 ルドルフは唇を震わせて嘆く。

「……早く、あんな奴から引き離すべきだった。

 何度も思ったし、彼女にも手紙で伝えた。

 でも俺は皇国の1兵に過ぎない。

 彼女を守ってあげることも、連れだすことも」

 ルドルフは悔し気にうつむく。

 残念だが確かに、他国の貴族の娘の結婚を、

 平民が関与することは難しい。


「でも”留学”なら、一時とはいえ、

 ここから離れることができる。

 だから”皇国に留学生ととして来ないか”って誘ったんだ」

 それでも彼は一生懸命、何か方法はないか考えたのだ。


「それは良いアイディアね。

 皇国はいろんな分野で、

 他国からの留学生を応募しているから」

 私はうなずくが、ルドルフは悲し気に首を横に振った。

「でも、彼女は断った。

 ”自分がここに居ることで、守られる秩序がある”って」


 婚約者として存在することで、

 エルロムに執着する王妃や貴族の子女を抑制する。

 団体に参加することで

 主導者のあからさまな反感を自分に集め

 表面上はつつがなく組織を運営させることで、他の団員を守る。

 まさに”国のため”だった。


 きっと、終わりがあると思ったから頑張れたのだろう。


 手紙に目を向けていたリベリアは目を細める。

「……本当に思慮深く、優しい方でしたのね」

 ルドルフはうなずく。

「普段は無口で、あまり表情にも出せない、と彼女も書いていた。

 気の利いたもできない、と。

 でも手紙で語る彼女は、ユーモアと知的好奇心にあふれ、

 寛容で品があった。本当に愛くるしい人だった。

 俺がどれだけ、彼女からの手紙を心待ちにしていたことか」

 そう言って再び、片手で目を覆う。


「ベルタさんに会いに行こうとは思わなかったの?」

 私がそう尋ねると、ルドルフは苦笑いをした。

「一介の皇国兵が、他国の貴族に謁見願うなんて出来ないよ。

 それに彼女も会おうとは言わなかった。絶対に」

「どうしてかしら。あなたからの手紙を、

 彼女も切望していたし、心の支えだったのに」


 するとルドルフは、困ったような顔をして言った。

「彼女の唯一の欠点は、自己肯定感が低すぎることだった」

 彼女は文通を始めた当初から、

 ルドルフに念を押すように、繰り返していたそうだ。

 ”初めにお伝えしておきます。

 私は全然美人じゃないし、可愛くもありません。

 ボサボサで白髪のような銀髪を、後ろで1本の三つ編みにし、

 水色の目はボヤけた印象しかなく、

 低い鼻やそばかすと一緒に、大きなメガネで隠しています。

 とにかく地味で、若々しさに欠けているのです。

 だからあなたの手紙の相手は、

 ”ラショウモン”の老婆が三つ編みにし、

 グレーのドレスを着た娘だと想像しながら読んでください」


 私はそれを聞き、しっかり否定する。

「私は彼女の両親にお会いしたけど、

 どちらに似たとしても可愛かったと思うけどな」

 特に母親は、華奢で儚げな美しい人だった。


「いや、そうじゃない。違うんだ。

 何でも良いのだ、外見など。

 俺だって人のこと言えない」

 そうは言っても、ルドルフは精悍なハンサムだと思うが。

 ルドルフは力強く言い切る。

「どんな顔でも、体格でもかまわなかった。

 俺は彼女の言葉を、性格を、思考を……愛していたんだ」


 だから、ここまで来たのだ。

 全てを捨てて。


「それで軍を抜けて、ここに潜入したのね。

 全てを明らかにするために。

 兵長にはなんて言ったの?」

「正直に話した。もちろん最初は反対されたよ。

 でも、最後は笑って送ってくれたんだ」

 ”もし、ダメだったら必ず戻ってこい。

 俺がまた、1から鍛えてやるから”と言って。

 彼がここでどんな思いをしても、また戻ってこられるように。


 ルドルフは口元に笑みを浮かべながら言う。

「兵の仲間にはかなり強く止められたな。

 ”死ぬほど努力して、せっかくここまで来たのに、

 会ったこともない女のために全てを無駄にするのか!”

 ……そう言われたよ」

「その体術や身のこなしを見ても、

 かなり上級兵だったのはわかるわ」

 クルティラが言う。


「じきにグベルノス軍の直属部隊に移動する予定だった」

 皇国におけるグベルノス軍の直属部隊。

 つまり、我が婚約者ルークスの部下になるはずだったのか。


「仲間はじゃあ、最後まで反対を……」

 心配になった私に、ルドルフは笑った。

「あいつらは、俺が主導者2人と面談を受けてるとこに乗り込んできたよ」

 私たちと同じように勧誘員を見つけ出し、

 向こうに誘わせたらしい。


 ベルタ嬢と知り合いだと暴露されたら、全てが水の泡だ。

 内心、焦るロベルトに、乗り込んできた彼らは言ったそうだ。

「お前は前々から、皇国に嫌気が差してたからな。

 自然に囲まれて自分の力で暮らしたい、なんて言ってさ」

に飛び込むなんて俺にはできないがな。

 お前、シュケルなんて初めて知ったろ?」

「いや、少しは……そりゃ……場所とか」

 慌てて俺が言ったこの返事が逆に、

 シュケルに対して無知である印象を主導者たちに与えたようだった。


 そのおかげで俺はスムーズに団へと迎えられ、

 その後も一切警戒されることなく、過ごすことができたんだ。

 ”皇国の暮らしを嫌がって、自然と自活を求めて飛び出した男”として。


 彼が”行く”と決めた以上、周囲の人は彼に出来る限りの協力をしたのだ。

 上司にも、仲間にも恵まれていたルドルフ。

 それは彼の人徳がなせる技だろう。

 努力家で情に厚く、心根の優しい人だから。


「私たちに対して当たりがキツかったのは、

 自分と同じ潜入だと気付いたから?」

「まあな。でも、最初は本当に憎んだよ」

「どうして?」

「”なんで、今さら”って思ったんだ。

 もっと早く皇国がこの団体に目を付けていたら、

 あの人は、あんな目に合わなかったのに。

 そう思ったんだ……八つ当たりだよな。すまない」


 その通りだ。私はうなだれる。

 神霊女王の力を持っていても、

 守り切れるものなんて、本当にわずかなのだ。


 先を読んでいたリベリアが眉をひそめる。

「この先は、ちょっと穏やかではありませんわ」

 みんながいっせいにリベリアを見た。

 彼女が続きを読み始める。


 ************


 建物の中に入ると、そこはいろんなものが散乱していました。

 私はゆっくりと歩き回ります。

 古い様式の家具、かすれた肖像画、散乱する瓦礫。

 ここはなんて、想像の余地がある場所でしょう。

 怖さは吹き飛び、

 私は何かの物語の中にいるような気持ちになりました。


 私は、いろんな部屋を見て回りました。

 まずは、入り口近くの部屋。

 ここは、客間のようでした。

 さっそくえある最下級のお仕事、つまり掃除をしようと、

 廊下でほうきや桶をひろいました。

 そして鼻歌交じりにお掃除を始めたのです。


 すると、どうでしょう。

 どこかで、誰かの声がしました。

「誰か、来てくれたんだわ!」

 私は慌てて客間を飛び出しましたが。

 廊下は静まり返ったままです。


 しかし、斜め奥の部屋のドアが、少し開いているではありませんか。

 さっきほうきや桶を探した時には、確かに閉まっていたのに。


 私はそっと、その部屋に近づきました。

 胸がドキドキしていますが、進むのは止められません。

 そしてドアの隙間から中をのぞいて見ると。

 私は思わず、悲鳴をあげました。


 ************


「どうした! 何があった!」

 思わず叫ぶルドルフ。

 二年も前の手紙だけど、ベルタさんの危機が耐え難いのだろう。

 私も同じ気持ちだ。

 でも私は、リベリアの口元がゆるんでいるのを気付いた。


 リベリアは微笑みながら続ける。


 ************


 何が見えたと思います?


 なんと、一面の、本! 本! 本、なのです。

 それも羊皮紙です! なんと価値の高い本でしょう!

 並ぶ背表紙を見ながら、私はこの時ほど、

 ラティナ語を学んでおいて良かった! と思ったことはありません。

 ”神記”にハマっていたころ、原本を読むためだけに頑張ったのですが

 こんなところで報われるとはおもいませんでした。


 持ち主さんが見当たりませんので(当然ですが)

 私は声に出して”見せていただきます!”と叫び

 一冊、引き抜きました。

 それは表紙に女性と樹木が描かれた本でした。

 すっかり劣化しており、ページはボロボロでしたが

 充分に読むことが出来ました。

 古本屋でも手に入らないような、

 伝説に近い幻の古書に違いありません。


 ああ、なんていうことでしょう!

 私はうっかり、エルロム様たちに感謝してしまいました。


 ************


 ふう、と息をつくルドルフ。

「客間の斜め奥、というと、この部屋の向かいかしら」

 クルティラが首をかしげる。

「後で行ってみましょう」


「ラティナ語、読めるのね。すごいわ」

 私がそう言うと、ルドルフは自慢げにあごを上げて言った。

「彼女は一冊から、本当にいろんなことを学ぶんだ。

 好きな物語に出てくる土地、食べ物、音楽……関連するもの全てを」

 一冊の本から、内面だけでなく、外側にも世界を広げていく。

 ベルタ嬢は素晴らしい読者だったのだ。


 リベリアは読み続けた。

 しかし、微笑みは消えており、厳しい顔に変わっている。


 ************


 私は夢中になって読みました。

 ”いつまでここに居られるか分からない”

 そんな風にすら考えて、必死に”読むべき本を探しました。


 すると。背中に視線を感じたのです。

 私はゆっくり振り向きました。

 しかし、誰もいません。

 なんだ、と思い、また本を読もうと視線を戻したら。


 私は思わず、息をのみました。


 私の目の前に子どもがいるのです。

 青白い顔で血まみれの、小さな男の子が、

 空中に浮かんでいるのです。


 ************


 部屋の温度が一気に下がったようだった。

「嘘だろ、まさか」

 ルドルフが目をまるくする。

「いきなり出たわね」

 クルティラがつぶやいた。


 リベリアはうなずき、続きを読む。


 *************


 三歳くらいの、小さな男の子です。

 私を見上げる目はうつろで、顔は真っ白。

 口から血が流れ出しています。

 そのお腹には丸く大きな穴が開いていて、

 そこから流れた血が足元まで覆っていました。

 両手に持った馬の人形は、ボロボロに切り裂かれていました。


 そして、その子の首には、縄が巻かれていました。

 その縄は彼の頭上へと伸びていき、天井へと消えていきます。


 これは……

 私は大声で叫びました。


 ************


「どんなに怖かったことか! ちくしょう!」

 ルドルフは側にいれなかった悔しさに、こぶしで壁を叩く。

 私も彼女の恐怖を思い、目をつぶってしまう。


 しかし、リベリアは今度は、軽く微笑みを浮かべているのだ。

 まさか? 私がそう思っていたら。


 リベリアの読み上げた続きは、私たちの予想に反したものだった。


 ************


 私の胸は怒りでいっぱいでした!


 ルドルフ様、以前に”ネイラディア殺人事件”の本について

 お互いの推理や考察を交わしましたわね?

 あのミステリー小説にあった、

 検死についての記述を思い出してください。


 そう、死後は、心臓が止まっているためあまり出血はしません。

 つまりこの子は、背後から刺殺された後、

 なんと首に縄をかけ、吊るされたことになります!

 こんな小さな子どもの遺体を辱めるなんて、

 どの時代のどの鬼畜の仕業でしょうか!


「絶対に許せないわ!」

 私はそう叫んで、ですが机に登り、

 縄に手をかけてみました。つかめます!

 子どもはじっと、私の手元を見上げています。

「……ちょっと待っててね!」

 私は彼にそう言うと、綱をぐんぐん引っ張ってみました。


 しかし動きません。ナイフも持っていませんし、

 困った私は彼の首に気が付きましたわ。

 そうです、首から縄を外せば良いのです。


 私は今度は彼の首に手をやりました。

 絞殺ではなかった証拠に、

 縄はゆるく巻かれているだけでした。


「大丈夫! こんなの、取っちゃうからね」

 私はなんとか絡まる綱を外すと、

 宙に浮いたままの彼の両脇に手を入れ、

 そっと床の近くにおろしました。


 男の子は驚いた顔で、私を見上げています。

 なにかつぶやいたようですが、

 それは聞いたことのない異国の言葉でした。


 そうしてしばらく見つめ合った後、私たちは笑顔になりました。

 私はここで、幽霊のお友だちができたのです。


 ************


 リベリアの読む内容を聞きながら、

 私たちは唖然としていた。

「……ベルタさんって……なんというか、ちょっと……」

 私がそう言うと、ルドルフがフォローするように

「そ、そうなんだ。ちょっと独特の感性というか……

 で、でもそれは、全てのものに対して平等というか、優しいというか」

 生きていようが死んでいようが、

 彼女の前ではそんなにたいしたことではないのか。


 幽霊が出たことよりも、

 ベルタさんの反応に衝撃を受けた私たちに

 リベリアも違うところで感嘆していた。

「ベルタ様は”絶命の呪縛”を解くことができる方でしたのね!」

「”絶命の呪縛”?」


 私が尋ねると、リベリアは説明してくれる。

「人は通常、亡くなった時点での姿で霊魂が拘束されます」

 確かに、溺死なら濡れた姿、事故死なら手足が欠けていたり。

 私たちはうなずく。

「でも彼女は、それから死者を解放することができたのです。

 それには”この姿であるべき”とが必要です。

 当の本人よりも強く、鮮明に、確実に」


 ベルタ嬢は、子どもを縄で吊るすなど言語道断!と思い、

 外した状態を”通常”と思うことができるのだ。


「なんという想像力でしょう……」

 リベリアだけでなく、私たちはベルタ嬢に対して感服していた。

 その素晴らしい想像力と、他者の受ける痛みへの優しさに。


 ベルタ嬢。

 物静かで人見知りと聞いていた彼女の印象はどんどん変化し

 あふれる喪失感とともに、

 エルロムたちに対する怒りは増すばかりだった。

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