第16話 ベルタ嬢の手紙(1)

第16話 ベルタ嬢の手紙(1)


「ベルタさんの文通相手があなただったなんて……」

 リベリアはそう言いながら、ロベルトを見上げている。


 以前、彼女の両親から聞いた話では。


 引っ込み思案だったベルタ嬢は本が大好きだった。

 ある日、どうしても皇国にある大図書館ビブリオテカ所蔵の本を読みたくて

 直接手紙を出したのだ。

 しかしそれは宛先を間違えたため、隣の兵舎に届いてしまう。

 そしてそこには偶然、”ビブリオテ”の苗字を持つ男がいたのだ。


 それをきっかけに、本好き同士の二人は文通を始めた。

 母親曰く、”手紙が届いた”と聞いた瞬間が最も嬉しそうで、

 ”読んでいる間”が最も幸せそうだった、と。

 ルドルフ・ビブリオテからの手紙は、

 エルロムや主導者たち、ミューナなどから受ける嫌がらせの日々に

 唯一の救いや癒しをもたらしていたのだろう。


 しかし。


「でも、彼女に会ったことは……なかったのでは?」

 彼らは一度も会ったことがないはず。

 手紙だけのやり取りであり、お互いの姿も知らないのだ。


 そんな私の問いには答えず、

 震える手でルドルフは手紙を開封しようとしていた。

 が、あまりにも慌てていて、封筒を大きく破いてしまった。


「ああっ!」

 自分の身が切り裂かれたような悲鳴をあげるルドルフ。

 リベリアが彼の腕に手を置き、静かな声で言う。

「手紙をこれ以上破損しないよう、いったんお渡しください。

 私が読ませていただきます。

 ……必ず、お返ししますわ」


 ルドルフは拒否するかと思いきや、

 大人しくリベリアに手紙を渡す。

 本当に、この手紙が大切なのだ。


 リベリアは破れた封筒から便箋を取り出した。

 それは、かなりの枚数だった。

「いっぱい書いてくれたんだ」

 私の言葉に、ルドルフはうなずき、

 唇を泣き笑いの形でゆがませる。

「彼女の手紙はいつもだった。

 いつも、小包で届いていたよ」

 おそらく、美しい刺繍の入った手布とともに。


 リベリアは手紙を読み出した。


 ************


 ルドルフ様。


 お久しぶりとなりました。お元気ですか?

「レイドリック奇譚」は読み終えましたか?

 私は早くあなたの考察や感想をお聞きしたくて

 あの話に出てくる小鬼のように、

 一人のたうち回っております。


 さて。いきなりではありますが、私が今、

 この手紙を書いているのはどこだと思われますか?

 もちろん自室ではありません。

 いつものように、山積みの書類を押し付けられた事務所でも、

 子どものような意地悪しか思いつかない彼らによって

 閉じ込められた納屋でもありません。


 なんと、ここは古城なのです。

 それも呪われていると噂がある、いわくつきの城。

 その中にある、朽ちかけたお部屋で書いているのです。


 こんなところにいる理由ですが。


 今までずっと、愚痴めいたことは書くまいと、

 なるべく抑えて参りました。

 でも、今回のは、あまりにも酷かった。

 さすがの私も怒りで頭がクラクラしてしまいました。


 それでも、私はずっと、この機会を待っていたのです。

 最後に最悪な思いをしたとしても、

 こんな日々に終わりを告げることができるのなら耐えられます。

 私はあの方から、やっと解放されるでしょう。



 私は今朝の成果報告会で、断罪されたのです。

 大勢の人の前でいきなり、

 ”無能で怠惰な上、数々の罪を犯した犯罪者”として。


 大切な書類を紛失した、

 人のクォーツを盗んだ、

 任された仕事を放り出して逃げた、

 挙句の果ては、あの5級団員のミューナ様に対し

 激しい暴力をふるった、とまで。


 そして判決が下されました。

「お前の級は、今日から最下級だ」

 最低の女。そうヤジが飛ばし

 はやし立てる主導者たちは

 とても楽しそうでした。

 団員のみなさんは困惑したり、

 子どもを連れて、そっとその場を抜け出す者もいました。


 ************


 リベリアはそこまで読み、内容の不快さに顔をしかめた。

「……最低だわ、ほんと、アイツら」

 私がそう言って怒りに震えていると、

 ルドルフは吐き捨てるように言う。

「実際はもっと酷かったらしい。

 ……俺はこの2年、いろんな人に聞いたんだ。あの日のことを」

 ベルタ嬢はルドルフを気遣ったのか、

 詳細を手紙には記さなかったが

 実際は悪行だけでなく、外見や仕草などまで細かくダメ出しされ

 その存在が”害悪”とまで言われたそうだ。


 ルドルフは悲し気に言う。

紙魚シミ女。以前からアイツらに、そう呼ばれていたそうだ」

 紙魚シミ。それは本につく、小さな虫のことだ。


「俺が”大切な本に限って、あの虫はくっついている”と手紙に書いたら

 ”あの虫は面白い本が好きなのです、

 許してあげてください”と返事がありました。

 そして実は、自分も彼らにそう呼ばれている、と。 

 彼女自身はそれを”本好きのほまれです”と

 軽く流していたようですが。

 俺は本当に、許せなかった」

 ルドルフは唇を噛む。


 リベリアは、悲し気に彼を見た後、続きを読み始めた。


 ************


 証拠も何もない断罪裁判は延々と続き。

 向こうはトドメのつもりで、私に懺悔を強要してきました。

「さあ罪を認めろ。

 自分がエルロム様にふさわしくないことも、だ」

 偉そうに見下しながら、ストルツ様が私に言いました。

 そう言ったあと、ミューナ様を見て笑います。

 おそらく、ミューナ様に頼まれたのでしょう。

 婚約者でいることを辞退させろ、と。


 とうとう、反撃の時が来たのです。

 ミューナ様のその願い、叶えて差し上げましょう。


 私は笑顔で言ってやりましたわ。

「一切、認めません。先ほどの罪状、

 ひとつとして身に覚えがありませんから」

 主導者たちは目を見開いて、静まり返りました。

 今までどんな嫌がらせをしても、私は泣かないかわりに、

 怒ることも反論することもなかったのですから。


「お、お前、何を!」

「もう結構です。両親と王にお伝えし、

 事の真相を明らかにしていただきます」

 私の言葉に、壇上のストルツ様だけでなく、

 それまで興味なさそうだったエルロム様がこちらを見ました。


 私は続けました。

「例え私の罪を捏造しようとも、皆様が今までなさったことのほうが

 よほど反社会的であり、罪深いと判断されるでしょう」

「な、なんの証拠が……」

「証拠も、証人も、おかげさまで山ほどありますわ。

 すでに両親が国王に提出しております。

 国王様はあきれ果て、次に何かやったら、

 私が以前から必死にお願いしていた婚約解消と、

 団体の運営禁止を約束してくれましたわ」


 目をむくストルツ様と、眉をしかめるエルロム様。

 そうですわよね、ただでさえ王や貴族に、

 この活動を疑問視されているのですもの。

 罪なきものを私的に断罪したとあれば、

 どのような規制や介入を食らうかわかりませんから。


 私は動揺する彼らを前に、いい気味ですこと!

 という思いが抑えられませんでした。


 私を最下級にして、婚約破棄させてから追い出す。

 そんな計画を立てていたのでしょうが、

 まさに大逆転。彼らは窮地に立たされたのです。


 ふふふ、あの時のエルロム様の顔ったら。

 ちょっと青ざめ、汗までかいていましたわ。


 今まで強気だったのは、他の女の子のように、

 私が自分のことが大好きだと思っていたのでしょう。


 慌てたエルロム様は、ゆっくりと私の前に来ました。

「……君は僕との婚約が無くなっても良いのか?」

「心からそれを望んでいますが?

 あなたと結婚したい理由なんて、ひとつもないですわよね?

 意地悪で嫌な事ばかり押し付ける夫なんて、誰が望むでしょうか。

 何のメリットもありませんわよね?」

 言ってやりましたわ。暗に、あなたの外見など、

 買いたたかれた古本ほどの価値もないってことを。


 エルロム様は一瞬、ものすごい形相になった後、

 一生懸命、冷静さを取り戻して言いました。

「……誤解がいろいろあったようだ、少し話そうか」

 そう言って、私に微笑みかけました。

 私にこのような顔をするのは初めてでした。

 この人は、自分が微笑みかけたら

 世界中の女の子がウットリとすると思っているのです。

 なんというナルシストでしょうか。


 もちろん、私には効きません。

 ”黒竜の魔剣士”のアレスの100分の1もカッコよくありませんし

 ”ウィスト物語”のフェンデリック王子の1000分の1も

 ロマンチックな魅力がないのですから。


「少なくとも私は何も誤解しておりません。

 これでやっと、あなたと私の婚約が解消されますね。

 父も母も大喜びですわ」

 後見人もいなくなると理解したエルロム様は目を見開きました。


「ちょっとお! あなた、婚約解消したくなくて

 エルロム様にしがみついてたんでしょ?

 どうして急に……」

 ミューナ様が割り込んできました。


 私は思わず吹き出しました。

「そもそも婚約自体したくないと、

 最初からお断りしていましたわ」

「えええ! ウソでしょ! そんなわけ……」

 ミューナ様が叫ぶので、私は真実を教えてあげました。


「私の両親も、何度も断りましたが、

 国王にお願いされたのです。

 しばらくの間だけ、、って。

 まあ、国のために仕方なく、ですわ」

 エルロム様は真顔のまま、黙っています。


 私はさらに追い込みます。

「でも、あまりに私たちが懇願したので、

 ”次に何かあったら、その日が最後だ”、

 そう約束してくださいましたわ。

 今日が、その日になりましたわね」


 ************


「やったね、ざまあみろ、だ」

 私がそう言うと、ルドルフは頷きながらも眉を寄せる。

 クルティラも厳しい顔をしている。


 確かにそうなのだ。

 これはちょっと雲行きが怪しいだろう。

 ベルタ嬢は、”人を非難すること”に慣れてはいない。

 だから、を知らないのだ。


 窮鼠猫きゅうそねこを嚙む、ということを。


 ************


 エルロム様はゆっくり息を吸い込んだ後、

「そうか、それならば仕方ない」

 そう、おっしゃいました。

 やった、勝った! 全てが終わった!

 ……私がそう思った時。


「しかし、最下級の仕事を終えてからだ。

 君は今の時点では僕の婚約者であり、団員なのだから」


 そう言って、主導者に囲まれるように広間を出て、

 私は納品施設まで連れて行かれました。


「最下級の仕事って、クォーツの納品でしょうか?」

 そう尋ねる私に、エルロム様は冷たい目で言いました。


「最下級の仕事は、あの古城の掃除だ」


 何ですって? 私は言葉を失いました。

 あの呪われた城を、1人で?

 追い打ちをかけるように言います。

「キレイになるまで帰ってくるな」


 ストルツ様やミューナ様もニヤニヤしています。

「君が罪を認め、団に従うと約束するなら……」

「やってもいない罪は認めませんし、団はもう終わりです」

 私が遮ってそう言うと、エルロム様は言いました。

「なら、仕方ないな。……おい、連れていけ」


 そうして私は引きずられるように、

 納品施設の数々の部屋を通り抜け

 この古城まで連れてこられたのです。


 両親に連絡することも、

 荷物を用意することすらできませんでした。


 ただ、肩から下げっぱなしだった鞄は持ち込むことができました。

 どんなにみっともないとバカにされても

 常に本や手紙を持ち歩いていて、本当に良かったと思いました。


 彼らは私を、城門の前にある石板の前に連れて行きました。

 ”最も早く死んだ者が、最も幸運である”

 その文言を声に出して読むと、

 ヒヒヒ、といやらしい笑い方をして

「しっかり反省しろよ」

 といい、私を思い切り突き飛ばして転ばせると、

 一気に納品施設へのドアまで走っていきました。

 そして、ガチャンという、鍵をかける音がしたのです。


「こんなことして、もっと大変なことになりますわよ!」

 国王様に対する時間稼ぎのつもりなのでしょうけど、

 これは悪手が過ぎるでしょう。

 本当に、短絡的で愚かな連中です。


 私は一息つくと、振り返って城を見ました。

 もちろん、恐怖もありました。

 昼間とはいえ、呪われていると幼い頃から聞かされていた城なのですから。


 でも、好奇心が沸き起こるのも抑えられません。

 ”吸血鬼カーミラ”のあの城。

 ”丘の屋敷”、”ねじの回転”、”クーロン城”……

 数々の舞台となった城には、抗えない魅力がありました。


 そうして、私は本館へお邪魔したのです。

 心配ありません。

 私には、想像力がありますから。

 かの古典中の古典、あのグリーンゲイブルズの少女に負けないくらいに。

 私が尊敬する彼女は、どんな辛い時も想像力で世界を切り開いていました。


 それに。私にはたくさんのお守りがあるのです。

 ルドルフ様がくれた、たくさんのお手紙。

 そして前に送って下さった、

 ブルーカルセドニーのついたブックマーカーも。


 私は、あなたの言葉に救われ、幸せになりました。

 そしてどんな時にも私を守ってくれるのです。

 今までも、これからも。


 ************


 リベリアが黙った。

 ルドルフが顔を覆ってしゃがみ込んでしまったから。

 私も胸の痛みで息が苦しいほどだった。


 手紙を読めば読むほど、

 ベルタさんとルドルフが互いを信頼し、

 心を通わせていたかわかるのだ。


 でも、この手紙が書かれたのは2年も前。

 もう、彼女はいないのだ。



 ルドルフの悔恨の泣き声が、部屋に響いていた。


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