第7話 子爵令嬢ベルタ
第7話 子爵令嬢ベルタ
シュケル国から、子爵夫婦がこの件の調査を依頼しに来た際
私は直接、彼らから話を聞くことにしたのだ。
目の前の彼らはまだ40代のはずが、
すっかり白髪に変わり、顔には深いシワが刻まれていた。
その眉間や口元に、苦悩の印として。
「私たちの娘はベルタと申します」
彼らの一人娘ベルタは、何事にも控えめで大人しく
ひっそりと本を読んでいるのが好きな娘だったそうだ。
「人見知りで社交が苦手で、
まさに”本だけが友だち”、のような娘でした」
苦笑いでそう語る父親は、
そんな彼女がむしろ可愛くて仕方なかったようだった。
母親も悲し気に微笑む。
「外に出るのが苦手だったから、
家の中で過ごすことが多かったわ。
でも、とても優しい子でしたの。
家族にも使用人にも、小さな虫にまで」
慎ましい彼女の人物像と、
あの活動的な団体とのイメージがかけ離れているではないか。
「では、イクセル=シオ団に加入したきっかけは……?」
私がその名を出すと、とたんに二人の表情が険しく変わった。
「それは国王命令で、ベルタを
「ええっ? いきなり、そんな」
驚く私に、父親の子爵はうつむきがちに語り出した。
「
あの男、つまりエルロムは男爵家の長男として生まれた。
「幼い時から美しい子で、”シュケルの天使”と評判でした。
しかし8歳の頃、療養という名目で、母親と共に国を出ていきました。
でも、私たちは親戚ということもあり、
真相を知っていましたけどね。
あの男が”男爵の息子ではない”という噂が広まり
激怒し追及する男爵を恐れた夫人が
子どもを連れて逃げ出したということを」
つまり、エルロムの母が誰かと密通し、彼を産んだのだ。
「長い間、揉めていたそうです。
10年後、決着を付けるため、男爵は夫人のもとに訪れました。
男爵は早く、正式に離婚したかったのです。
すでに愛妾もいて、娘も生まれていましたからね」
ダラダラと名目だけ続いた結婚を、終わらせたかったのだろう。
「しかし恐ろしく不運なことが起きました。
話し合いのため男爵と夫人が泊まっていた宿が火事となり
二人とも同時に亡くなってしまったのだそうです」
結局、二人は夫婦のまま死んでしまい、
火事の現場にいなかったエルロムは、男爵家の嫡男として残った。
愛妾は権利を主張したが、法の上ではエルロムが有利だった。
結局彼が男爵家を継いだのだが。
「国王は、亡き男爵の意思を慮り、
館と財産は愛妾のものとしたんだよ。
エルロムには男爵という爵位だけでね」
子爵の言葉に、私は疑問を持った。
「エルロムはそれに不平を言わなかったんですか?」
子爵は首を横に振った。
エルロムは謁見の際、とても紳士的に、
そして爽やかに言い切ったそうだ。
「私めを男爵の後継としてお認めいただいたこと、深く感謝申し上げます。
この国をより良いものにし、
王家や国民の幸せのために尽力することを誓います」
子爵はため息をつく。
「そして遠い親戚だということで、
我が家が彼の後見人に指名されたのです。
同時に、ベルタが婚約者として指名を受けました。
国王としてはお目付け役が欲しかったのと、
大騒ぎする貴族の娘たちを落ち着かせたかったのでしょう」
美しいが出自の真相もわからない男に
貴族の娘たちが”嫁ぎたい”と言い出さないための秘策でもあった。
「ベルタさんは、どう思われていたでしょうか」
あの美貌だから、喜んだのだろうか。それとも。
「娘は正直、とても困惑していたよ
「”物語に出てくる方のように、綺麗な人ですわね……”
そう言って。どこか、悲しそうにも見えました」
母親も言い添える。
「でも婚約者に指名されたことで、
ベルタは貴族の娘だけでなく、平民の娘からも
不要な嫉妬や憎しみを受けることになりました」
悲し気に子爵婦人が言う。確かに想像できる。
性格や外見を不必要に貶められ、
婚約者を辞退するよう嫌がらせを受けたのだろう。
「親のひいき目にみても、絶世の美女とは言えず、
小さな花のような地味な可愛らしさしか持たぬ娘です。
あの男の取り巻きの娘たちに
それはずいぶんと辛く当たられたと聞きました。
何より、あの男のふるまいはひどいものでした」
父親は苦々し気に吐き捨てる。
「娘は必死に、彼に誠実であろうとしていました。
でも日に日に元気がなくなる娘が心配で心配で。
あの子が笑顔を見せるのは、手紙が届いた時だけでしたわ」
母親のつぶやきに私は反応する。
「手紙? どなたからでしょうか?」
友だちはいなかったんじゃないのか?
私が尋ねると、子爵婦人はふふっと笑って言った。
「知らない人なのです。娘の文通相手は」
いきさつはこうだ。
読書が大好きなベルタ嬢が、
どうしても読んでみたい物語が皇国の
困った彼女は一生懸命
どうか貸し出してもらえないか、と
大図書館に当てて手紙を書いたのだ。しかし。
「娘は、間違えてしまったのです。
大図書館のアドレスではなく、
隣の兵舎へ送ってしまったんです」
「しかも宛先を、なんて書いて良かったのか分からず、
”
あらら。でも。
宛先がそれなら、届く可能性がないわけでは……
「すると驚いたことに、ある日、望んでいた本が届いたんです。
娘は喜びの余り、悲鳴をあげていましたわ」
中には本とともに、手紙が入っていた。
”あなたの手紙が間違って僕のところに届きました。
おそらく僕の苗字がビブリオテだからだと思われます。
せっかくだからと大図書館に問い合わせたら
残念だけど直接、外国に貸し出すことはできない。
でも、あなたが借りて、誰かに貸すなら
見て見ぬふりはできますよ、と言われた”、と。
母親がくすっと笑った。一気に若返ったようだった。
「皇国って厳しい国だと思っていたけど
意外とユーモアがあって優しいんですね」
皇国は厳しい。
でも熱意を持つ者の権利を、無下にはしないのだ。
「娘は半泣きで読みました。
”迷惑はかけられないから、すぐに返さなきゃ”って」
そして令状とともに、彼にお礼のアミュレットを送った。
兵士に贈るならそれが良いかと。
絹糸をより合わせて丈夫にし、
貴石のビーズを織り込んだアミュレットを
彼の安全と幸運を祈りながら手作りしたのだ。
「手先が器用で、手芸が得意な子だったんです」
すると後日、彼からまた別の本が届きました。
娘は今度は、気を失う寸前でした。
だってそれは、娘が大好きな物語の本と
出ていることすら知らない
その”続編”だったんですから。
添えられた手紙には、こうありました。
”前回の本が好きということは、これも好きかと。
僕のおすすめです。
購入した本なので返却は不要です。良かったら”
追伸には美しいアミュレットのお礼です、とあった。
「あんなに喜んでいる娘は初めてみました。
本が嬉しかっただけでなく、
娘の気持ちをわかってくれたからなのでしょう」
ベルタ嬢は次は何を贈ろうか迷った。
そうだ、
そして白い布に、彼のファーストネームを刺繍し、贈った。
本のお礼と感想と、自分のおすすめの物語と……
無口な彼女は筆を持ったら饒舌となり、
とても分厚い手紙になったそうだ。
”アミュレット、気に入っていただけて嬉しいです。
私はこういった手作業が好きなんです。
というか、それしか取り柄が無いんです”
そう、最後に添えて。
「こうして、その方と文通が始まったのです。
手紙が届いた時は歓喜し、読んでいる間だけ、
ベルタは幸せそうな顔をしていましたわ」
そんな平和な時間はあの日、急に絶たれたのだ。
ベルタは毎日、婚約者の仕事である
イクセル=シオ団の運営を手伝っていた。
ある日、娘が夕刻になっても返ってこなかった。
夜遅くにやっとエルロムが
「私の親戚に合わせることになったので、
しばらく男爵家で預かります」
という伝えを使者に持たせてきたのだが。
しかし、一週間待ってもベルタと連絡が取れない。
業を煮やした子爵夫妻は、本部へと押し掛けた。
そこでやっと、娘が行方不明になったことを知ったのだ。
「なんですぐに連絡しなかった!」
と責める父親に、エルロムは飄々と
「僕たちも家に帰っているものと思っていましたよ」
などと答えたそうだ。
子爵は慌てて捜索願を出した。
そして団員たちの証言より
ベルタがどうやら古城に向かったと聞いたのだ。
最下級の罪を償うため、ベルタみずから、
”あの城をまた使えるように綺麗にしたい”と言い出したのだと。
そして自分たちが知らないうちに
勝手にカギを持ち出し、出て行ったようだ、と団体は言い張った。
「つまり娘が勝手に古城で行方不明になったというのだ。
そんなわけないだろう?
地元でも幽霊城だの呪われた地だの言われている場所に
なんで若い娘が一人で行くなんて言うんだ!
あいつらが押し込めたに決まってる!」
激昂し机を叩く父親と、泣き出してしまう母親。
私は何も言えずに、彼女の恐怖を思って目を閉じる。
************
……その後のことは、皇国にも”事件”として知らせが届き
ニュースにもなったので知っている。
捜索願を受けた国王は兵を使って、古城の中に踏み込ませた。
10人で城に向かい、見張りの2人を残して
8人の兵士が中に入ったそうだ。
しばらくののち、遠くで悲鳴が聞こえた気がした。
見張り2人は慌てて様子を見に中へ入った。
城の本館まで進むと、悲鳴が大きくなった
奥へ奥へと走り、主塔の中へと飛び込んだ瞬間。
「化け物だあああああ!」
仲間の叫び声が、階段の下から聞こえた。
見張りの二人がそちらに駆け寄ると、
仲間の一人が地下からの階段を駆け上がってきたそうだ。
「逃げろお! 下には女の化け物がいるぞ!
みんな、やられた!」
その声と同時に、後ろから奇妙な女が現れた。
鉄球の付いた鎖で両手首を巻かれた
ボロボロのドレスの女が現れたそうだ。
頭はボコボコと球体が集まったように巨大に膨らみ
逆に体や手足は骨と皮だけになっている。
グロテスクな頭を左右に振りながら、
鉄球が重いのかガニ股でよろよろと階段を上がってくる。
「な、なんだあ! あの女は!」
見張りは恐怖のあまり動けなかったが
階段を上がってきた仲間が一階に倒れ込むと
震える手で手投げ弾に火をつけて
すぐそこまで登って来ていた化け物に向かって投げた。
小爆発とともに、階段は崩壊し、
化け物の女は下へと落ちていった。
************
捜索隊は本館を探してもベルタ嬢が見つからなかったため、
主塔の地下へと進み、”あれ”と遭遇したそうだ。
そして一人を残して皆、
化け物の振りまわす鉄球に押しつぶされた、と
生き残った兵士の供述にあった。
それは口伝や新聞などで、怪談として広められ、
”シュケル国の呪われた古城を探検していた子爵令嬢は
そこで呪いによって化け物となり
何人もの兵を惨殺し、姿を消した”
とささやかれるようになってしまったのだ。
両親の無念や怒りを思うと、
私はやりきれなかった。
こういう時の人々は、好奇心や憶測で、
被害者の心を容易に踏みにじる。
「何か、彼女に関する手がかりはありますか?」
私は静かに両親にたずねた。
両親は困ったように顔を見合わせた。
手紙は、彼女が持って行ったようで
1通も見当たらないそうだ。
「文通相手の方からはあの後、何通か届いたんですが」
言いづらそうに父親がうつむく。
しかし、皇国の新聞にも小さく載ったのだ。
あの事件が。娘の名前と共に。
「その方からの手紙は急に途絶えました。
きっと娘が化け物と化し、人々を襲ったと思い
恐れをなしたのでしょう……でも」
母親は私の目を見て言い切った。
「あの子はたとえ化け物になっても、
人を傷つけるような子ではありません」
それは光をもった強いまなざしだった。
私は立ち上がって彼らに頭を下げる。
「この件の調査、私がお受けいたします。
かならず真相を突き止め、
ベルタ様の無実を晴らしてみせます」
母親の表情は一瞬で崩れ、室内に嗚咽が響き渡った。
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