第19話 湖の秘密
19.湖の秘密
彼女は床をゆっくり這いながら、こちらに向かっていた。
真っ青な肌に浮かんだ赤い筋がピクピク波打ち、
胴から生えた太く長い2本の触手が床を漕いでいる。
呪病にかかり、生きたまま埋葬されたオディア王妃。
長い年月を経て、人外のものとして蘇ったのだ。
もはや衣服は粉々となり、動くたびに剥がれ落ちていく。
生前は金色だったと思われる髪も、まばらに生えているだけだ。
真っ赤な眼球は、今にも零れ落ちそうに飛び出ている。
そうして粘つくような伸縮をみせながら口を上下に動かし。
ア……アア……ア……ア……アア……
言葉にならない声を発していた。
それは私たちの知る、どの妖魔とも異なっていた。
数多の呪病にかかった者や、妖魔に取りつかれた者を見てきたが
それらとは全く異なる性質を持っていることが分かるのだ。
早く彼女に安寧の眠りを与えてあげたい気持ちでいっぱいだったが
クリオの言葉を思い出し、躊躇してしまう。
”いつもの倒し方である”陽のメイナ”が効かないどころか、
作用によっては私にどんな影響をもたらすか分からない”
手紙にあった警告どおりならば、
私の攻撃はむしろ、相手に力を与えてしまったり
それがもし、強い”反転”の作用を持つなら
私自身がダメージを負う可能性もあるのだ。
たじろぐ私に、クルティラが何かに気付いて短く言う。
「右、階段の側」
そちらに視線を移すと、上へと続く階段の側で、
ゆらゆらと立ち上がる4体の姿が見えた。
「あれは、墓荒らしの男たち……」
彼らも全員皮膚が真っ青に変わり、目が真っ赤になっている。
ボロボロの衣服の間から、無数の短い触手が身をよじらせていた。
ただオディア王妃と違い、また粘性は低いようだ。
膝を曲げよろけてはいるが、自分の足で立つことが出来ている。
私たちは身構えたまま動けない。
どうやって戦おう。そう思っていた時。
オディア王妃の様子がおかしいことに気が付いた。
「あれ? 何やってるのかな」
ある程度の位置で、まるで壁があるかのように動かないのだ。
しきりにくねらせ、いったん前に進もうとするのだが、
みれば4体の男も、ゆらゆら揺れるばかりで
階段の横から動こうとはしないのだ。
その理由を探して、私は周囲を見渡す。
もしかして、これ? 私はクルティラに頼んだ。
「天井から伸びているあの”根っこ”、ちょっとだけ切り取ってもらえる?」
地中からはみ出て、植物の根がぶらぶらと生えてきているのだ。
クルティラは即座に、私たちの真上から伸びるそれを切り落とし手に入れる。
私はそれを受け取り、オディア王妃へと投げてつけてみる。
小さな根っこの切れ端なのにも関わらず、
顔面にそれが当たりそうになったオディア王妃は、
弾かれたように体全体を後退させたのだ。
「やっぱり!」
私が叫ぶと、リベリアが納得したように言った。
「上に植えられた神霊女王の蘭の根が伸びて、
目には見えない、”陽のメイナのバリア”を作っているのですね」
その通りだ。あの花の根から拡散される陽のメイナのせいで
オディア王妃と4人の男が動ける範囲は極小に限られているのだ。
どうりでこれまで騒ぎにならなかったはずだ。
まったくの偶然にしろ、あの神霊女王の蘭が
”呪い”を封じることに成功していたことを知り苦笑する。
「では、陽のメイナが効くということなの?」
クルティラの問いに、私は首を横に振った。
「やっぱり普通の妖魔とは反応が違うわ。
妖魔がこの花に近づかないのは、触れると体が分解されるからよ。
命の危険を感じるから、なの。
でもさっきの反応は……物理的に近づけないみたいな……
そう、同じ極の磁力が反発しあうような反応だったわ」
自分の意思ではなく、跳ね飛ばされるような。
「……確かに」
「でも普通の陽のメイナ同士なら、反発することはなく融合するわ。
おそらくまた別の特性を持った”陽のメイナ”なんだと思う」
妖魔が独自に、陽のメイナを作り出すとは。なんという進化だ。
人間と融合した結果がそれなのだろうか。
いろいろ分かって来たぞ。
早くクリオに報告しなくっちゃ。
私は天井の花たちの、陽のメイナを強める。
オディア王妃はぐいぐい押されるように戻っていった後、
ウネウネと暴れ、触手を使って棺に入っていった。
4人の男たちは後ろ向きにドサッと倒れ、再び地に伏す。
緊迫した状況からひとまず解放され、ひと息付く私たち。
「一体ずつ、いろいろ試しながら倒してみようか」
私がそう言って、男たちが倒れている階段の方に近づいた時。
シャッ。
空気の振動を感じると同時に、
リベリアが私のバリアを、ブワンと音を立てて強固なものに変えた。
そしてクルティラが目に見えないくらいの速さで動く。
ブシュッ! という切断音が聞こえ、私の足元に太い触手が転がる。
棺の中からオディア王妃が、こちらに触手だけを伸ばしていたのだ。
例の長い長い2本を棺から、私の足を狙って
ものすごい速さで、矢を放つようにまっすぐ伸長させたのだ。
「触手の部分には、陽のメイナのバリアが効かないってこと?!」
今も、切られていないほうのもう一本を
鞭のようにしならせて、壁や床を打ち付けている。
それは怒っているようにも、触手を動かせる範囲を確かめているようにも見える。
妖魔に基本、知性も感情もない。
すでに見受けられる身体的な進化も恐ろしいが、
それ以上に危惧されるのは、彼らが高等な知性を持つことだ。
それは人類にとってとんでもない脅威となるだろう。
「彼女にとって私たちは久しぶりのお客様ですわ。
どんな
その言葉に応えるかのように、うねらせていた長い一本を
リベリアに向けてビュンと急速に伸ばしてきた。
クルティラが瞬時に根本から裁断する。
クリオの調査通りなら、切ると増えるのかもしれないが、
身を守るには、今はそれしかないのだ。
「……もう再生が始まっているわ!」
クルティラの声に、私を狙って切られたほうの触手を見る。
切り取られた先は始め、黒い汁をしたたらせていたのだが、
今は赤黒くボコボコと盛り上がりながら、
少しずつ、どんどんその長さを回復していたのだ。
「早い……それにキリがない」
私は迷ったけど、ベルトに付いた小さな鞄から保管用の袋を取り出し
切られた触手の破片をいくつか納入する。
そして二人に向かって告げた。
「撤退しよう。上にあの花がある限り、
彼女たちは今までどおり、ここから出られないわ。
倒し方、ちゃんと調べてまた来よう」
うなずく二人。
クルティラは再生中の触手も根本から切った後、
素早く前に走り出し、棺の蓋を蹴り上げて手に持つ。
そして三人で棺に蓋をすると同時に、
リベリアが”封印の守護”を棺にかける。
本来は何かを守るためのもので、効果も数日間が限界だが
これでしばらくは王妃を物理的に封じることができる。
オオオオオオ!
棺がガタガタ動き、オディア王妃が恐ろしい声をあげる。
私は上を見上げ、神霊女王の蘭の根に、さらなる力を与える。
どうか、彼女と彼らを封じていて。そう願いながら。
やがて棺が静まり返る。声も聞こえない。
おそらく上ではきっと、花が咲き乱れていることだろう。
でも”オディア王妃”を見つけた以上、身分がバレるなど、
そんなことを気にしている場合ではなくなったのだ。
*******************
私たちは外に出て、新鮮な空気を吸い込む。
まだ辺りは暗かったが、徐々に朝焼けが見え始めている。
「はあー、皇国とルシス国に報告しなくっちゃな」
私がそう言うと、リベリアが土を払いながら
「オディア王妃に遭遇するまでの経緯は、詳細にお伝えしたいですわね」
などという。よそ見して落っこちてすいませんね。
クルティラが不思議そうに私に尋ねる。
「そういえばあの時、何に気に取られていたの?」
「あのね、湖に、何か居たような気がして。
水面を出たり入ったりしてたの。……魚が跳ねただけかな」
私たちは立ち去りかけていたのだが、
三人とも、ピタッと足を止める。
長年の経験が、何かを知らせていたのだ。
この疑問を放置してよいのか? と。
”たぶん○○だろう”などと安易な結論に飛びついてしまうと
のちのち裏切られる可能性が高いものなのだ。
「ちょっと見てみましょうか」
リベリアが悪戯っぽい笑いをして振り返る。
そして私たちを崖のギリギリまで移動させた。
リベリアが私たち三人を包み込むように、丸くバリアを張ってくれる。
なるほど、これで”行く”のか。
私はそれをメイナで浮かせる。
先ほど地下で私のメイナを大量に根から吸収したため、
この墓場の周囲の神霊女王の蘭はすでに満開なのだ。
そうして湖面に一旦停止させた後、ゆっくりと水中へと沈みこませた。
****************
水の中は意外と澄んでいて、ゆっくり揺らめいている。
私は水中探検にワクワクしながら周囲を眺める。
「リベリアのバリア、こういう使い方をするの初めてだね」
私がそう言うと、リベリアがつぶやく。
「私はバリアが、身を守るものだと思ったことはありませんから」
その時、クルティラも不思議そうに言った。
「魚が一匹も見えないわね。何も生物がいないわ」
確かにそうだ。例のラピアさえいないのは何故だろう。
バリアの球はどんどん深く潜っていく。
そしていっそう暗くなる。
「この湖、水深どのくらいあるんだろう」
私がそう言うと、リベリアが上を見上げながら言う。
「そうですわね、すでに80mくらいは潜っていますし」
「だよね、かなり深そうだけど……」
そこまで言って私は黙り込む。
そして私たちは足元をじっと見た。
この気配は。
思わず目を見開き、血の気が引いてくる。
他の二人も同様なのは、顔を見ればわかった。
水深が増すにつれて、気配はどんどん強まっていく。
私はいったん下降を止める。
そしてバリアの床に手を付き、はるか下方に意識を集中させる。
こんな水深では、光は届かない。
だから気配と、かすかな姿を感じることしかできないのだが。
湖底には、おびただしい数の”妖魔の群れ”が広がっていたのだ。
それも何百……いや、何千という数の。
ゆらゆらと水中を数えきれないほどの妖魔たちが
ときおり身をくねらせたり、浮き上がっては戻ったりしていたのだ。
しかもその大群は、ずっと先まで続いていた。
横に進めど進めど、下には妖魔がうようよいるのだ。
余りの光景に、三人とも言葉を失ってしまう。
さすがの私たちでも、こんな数を一度に相手にしたことなどなかった。
おそらくルーカスだって見たことないだろう。
この数の妖魔がいっぺんに、湖を出て襲い始めたとしたら。
この国の被害は甚大なものになってしまうだろう。
皇国の生物学研究所員 クリオの警告を思い出す。
”すでに大量発生している可能性が高い。
それも、恐ろしい数になっているはず”
まさにその通りだったのだ。
「楽観的な予測は結構外れますが、
嫌な予感というのは見事に的中しますわね」
震える声でリベリアがつぶやいた。
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