第6話 別れとキス
翌日。帰還3日目ともなればもうすっかり日常に帰ってきた感覚だ。返ってきた期末テストを見て、ある程度覚悟はしていたもののやはりショックが隠せない私を冬香が慰めてくれたりといった一幕はあったが。放課後、桜井くんを呼び出すためにスマホを取り出す。
「かのんは今日は部活?」
「部活は行かないで帰るけど、その前に桜井くんと会う予定。ねぇ冬香、学校内にどこか2人きりになれそうな場所ってあるかな?」
「2人きりに? ……うーん、言われてみれば意外とそういう場所ってないかもね。教室でしばらく待ってればみんな部活行くなり帰るなりして居なくなるかもだけど、今すぐだとやっぱり屋上とかがセオリーじゃない?」
「屋上には鍵が掛かってて生徒は入れないけどね。」
「確かに! よくアニメで主人公が屋上で寝てるけどあれってリアリティ無いよね。天気が良いからとかいってあんな硬い床に寝転がるのもおかしいと思うし、だいたい学校に来て授業サボって寝るくらいなら来る意味ないよね。」
「お、おう……?」
「んで2人きりになるならこの階の突き当たりにある相談室じゃない? あそこって先生との面談くらいでしか使わないから、いま空いてるなら多分誰も来ないと思うよ。」
「お、おう……。」
急にアニメの話を熱弁したと思ったら具体的な部屋を提案してくれる冬香の振り幅に戸惑う私を見て、冬香はニヤリと笑い肩を叩いた。
「緊張はほぐれたかな?」
「えっ?」
「なんか深刻な話しに行くんでしょ、顔が強張ってたよ。」
「……ありがとう、行ってくる。」
冬香にお礼を言うと私は相談室に向かう。幸いカギもかかっておらず使っている人もいなかったので使わせてもらうことにする。桜井くんにメッセージを送るとほどなくして彼がやってくる。
「廿日市……。」
「桜井くん、部活前にごめんね。」
「それはいいんだけど話ってなんだ?」
「別れよう。」
私は彼の目を見てはっきりと告げた。桜井くんはショックを受けているようだけど、私は彼の返事を待たずに続ける。自分勝手に彼を振り回して傷付ける分、せめて自分は徹底的に悪者になろうと思い言葉を紡ぐ。
「告白して貰った時は嬉しかったし、付き合ったら好きになるかもって思ったんだ。だけどやっぱりなんか違うかなって思って。」
「なんだよそれ、意味わかんないんだけど。」
「桜井くんは私のタイプじゃなかったって事。これ以上付き合ってても多分好きになることないし、ならさっさと別れた方がいいじゃん。」
「……っ! でも! 昨日だって楽しかったって言ってたじゃないか!?」
「社交辞令。だいたい私が欲しかったぬいぐるみ取ってくれないし、ジュースの一本だって奢ってくれなかったし。」
「ぬいぐるみも、ジュースも、欲しいなんて言ってなかったじゃないか…。」
「うん、直接はね。でもぬいぐるみはカワイイって言ったじゃん? ジュースにしたってこんな暑い中ゲームセンターまで歩いたら喉乾くじゃん? そんな事をいちいち言わないとダメ? 普通わかるでしょ。」
我ながらなんて酷い女だろう。自分が男ならこんなこと言う女とは付き合いたくない。桜井くんもきっと幻滅してくれた筈だ。ところが彼は縋るように声をあげる。
「イヤだ……。せっかく付き合えたのに、こんなすぐに別れるなんてイヤだ!! 俺に悪いところがあるなら直すし、ぬいぐるみもジュースも買ってやるから!!」
「……別に桜井くんに悪いところがあるわけじゃないよ。私の好みに合わなかっただけ。彼氏でもない人からぬいぐるみ貰っても困るし、ジュースもいらないよ。」
「じゃあどうすればいいんだよっ!!」
「だから別れてくれればそれでいいって。」
「それはイヤだって!」
「大きい声出さないでよ。」
「廿日市がわけわかんない事ばっかり言うからだろ!?」
「はぁ……、私からすればアナタの方がわかんないよ。いい? 恋愛ってお互いの同意の上にのみ成り立つの。昨日まではそれが成り立っていたけど、今この瞬間からは私の同意がないから成り立たなくなった。アナタがどれだけ嫌がって別れたくないって叫んでも私がそれを認めないからそれはただの片想い、ストーカーだよ?」
「なんでそうなるんだよ……、意味わかんねぇよ……。」
「わからくてもいいよ、私が付き合いたくないから別れる。そこだけ了承してくれれば。」
「だからそれはイヤだって!!」
困ったな、出来れば穏便に済ませたかったけど……まあ反対されるのも想定内だ。ここは強硬手段をとらせてもらおう。私は「はぁ……。」と態と大袈裟にため息を吐くとスマホを取り出した。ぽちぽちと弄り操作が完了したので画面を桜井くんに向けて見せる。
「いまメッセージアプリもブロックしたから。これで今日から他人という事で。」
「は!? ブロックって、それじゃあ部活の連絡とかはどうするんだよ!?」
「部活も今日で辞めるつもりだから安心して。じゃあね、今までありがとう。」
そういって踵を返し相談室を後にする。まだオイ! とか俺は納得してないからな!と呼びかける桜井君を無視してそのまま廊下に出ると扉の前にいた数人の女子と目が合った。
「もしかしてこのあと相談室使う予定だった? ごめんね、もう用事終わったから。」
「えっ!? あっ、だ、大丈夫……。」
気不味そうに答える彼女たち。これはおそらく、会話を聞かれたな。桜井くんが大声で別れたくない! って言ってたから私が一方的に振ったのも分かっているだろう。
仮に噂になるとしても、私が悪者になった方がいいと思うのでこれはこれで好都合かもしれない。最後にもう一度相談室を振り返り、心の中で桜井くんに謝ってからその場を離れた。
その後職員室に向かい、顧問の先生に部活を辞める事を告げる。大層驚かれて体調や人間関係について心配されたが、今回のテストでだいぶ成績を落としたことから勉強に集中したいと言って通した。
本当は、呪術で身体強化が出来るようになってしまったからですなんて言えない。テニスにおいて身体強化を駆使すれば多分全国制覇も夢ではないと思う。ただ、私は魔力による身体強化をしてスポーツをするのはフェアじゃないと思うのでやりたくない。かと言って使えるスキルを使わずに負けるのは悔しいし、いつか自制が効かなくなるかも知れない。そう考えるとこのまま部活でテニスを続けるのは難しいなと考えたのだ。
顧問の先生は私の嘘の理由……今回のテストは壊滅的だったからまるっきり嘘というわけでもないのだけど……を聞いたあとうーんと唸り、いったん退部届は出さなくていいから今日は帰って週末にもう一度よく考えなさい。週が明けて気持ちが変わらなかったら改めて退部届を受け取りますと言ってくれた。
カバンを取りに教室に戻ると冬香がいた。ちなみに彼女は部活に入っていない。本人曰く「家の手伝いがあったりなかったりする」らしく放課後に長時間拘束される部活動は都合が悪いらしい。彼女のクラスメイトと談笑していたが、こちらに気付くとクラスメイトと別れてこちらに寄ってきた。
「おかえり〜。無事に終わった?」
「うん。桜井くんに別れたいって言って、あと部活も辞めたいって顧問の先生に言ってきた。」
「そっか。おつかれさま。」
「……帰ろっか。」
2人並んで帰路に着く。昇降口で靴を履き替えようと屈んだら、靴に一滴の雫が落ちた。一体何かと思ったら何故か滲んでいた私の涙だった。
「かのん?」
「あれ? おかしいな? 別に哀しい訳でもないのに。」
気付けばポロポロと涙が溢れる。待て待て、私が泣く資格なんてないだろう? 自分の都合で桜井くんを振り回して、部活のみんなにも迷惑を掛けて……慌ててハンカチを取り出して拭っていると冬香が私の前に立ち腕を広げた。
「ん。おいで。」
「え?」
「いいから!」
そう言ってやや強引に私を抱きしめた。ますます混乱する私の頭をポンポンと撫でながら冬香は優しく囁く。
「かのんはね、多分ココロが疲れちゃってるんだと思う。帰ってきて混乱してるところに、考えなきゃいけないことが多すぎちゃってね。涙が出て出てくるのは、大丈夫そうに振る舞っててもこれ以上頑張れないよーってココロが悲鳴をあげてるんだよ。そういう時は無理しちゃダメ。何もせずにボーっとしたり、誰かに甘えたりしてココロをしっかり休ませてあげて。」
今は私に甘えていいんだよ。そういって抱き締める力を少しだけ強める冬香。冬香の優しさが私の心に染み込んでいく。言葉にできない感情を押し潰すように、私も強く冬香を抱き締める。しばらくそのままでいると、やがて涙もおさまったためおずおずと冬香から離れた。
「もういいの?」
「うん。……ありがとう。」
「どういたしまして。」
そう言ってニコリと微笑んだ冬香は靴を履き替える。そして私が靴を履き替えるのを見届けると自然に手を差し出す。
「じゃあ、帰ろうか。」
私は差し出された手を取り、頷いた。
駅までの道を手を繋ぎながら歩く。交わす言葉は少ないが、私は心地良い感覚に包まれていた。やがてそんな時間も終わりを告げて駅に到着したところで私たちは手を離す。
「じゃあまたね。かのん、しっかり休むんだよ。」
「うん、ありがとう。またね。」
「……ねぇ、かのん。」
「うん?」
「私は、かのんの味方だよ。何があってもそれは変わらないからね。」
まるで何かを決心かのしたような顔で宣言をする冬香。私はこの顔を知っている。異世界で見た顔だ。生命をかけた戦いの前に、絶対に帰ってくる決意を胸にした人達が大切な人に見せる顔だ。冬香いったい何に立ち向かうのか、それすらわからない私だけどそれでも彼女の気持ちに応えたいと思った。
「ありがとう。私も、ずっと冬香の味方だよ。……ねぇ、冬香。大好きだよ。」
その言葉に深い意味があった訳では無かった。ただ、言うのが自然だと思ったんだ。でも私の言葉を聞いた冬香は一瞬驚いたような目をして、またニコリと微笑んで。
……そのまま自然な流れで私の唇にキスをした。
そしてとびきりの笑顔を見せた後、手を振り改札の奥に消えた。
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家に帰ってきた私は、制服のままベッドに突っ伏していた。先ほどのやりとりについて想いを馳せる。
冬香に対しての「好き」は友達としての「好き」のつもりだった。でも彼女にとっては違ったのだろうか。いやまて女の子同士だぞ? そうだ、女子は遊び感覚でチューする事ぐらいあるじゃないか! でも冬香はそういう悪ふざけをするタイプじゃない。じゃあさっきのキスの意味は? 彼女は私の「好き」を恋愛的な意味で受け取った? それも違う……と思うんだよなあ。仮に冬香が私の事を、れ、恋愛的な意味で好き? だった仮定しても? さっきの会話の流れでそう受け取るかなあ。あ、でも学校でハグして手を繋いで駅まで歩いて……ってがっつり恋人ムーブやん。いやでも私はあくまで友達のつもりで、「好き」もそのつもりで……。さっきからずっと考えが堂々巡りしてるなぁ、顔もずっと熱いし……シャワーでも浴びて頭冷やし越してこようかな。
冷たいシャワーを浴びて少しだけ冷静になる。そういえば異世界の経験をノーカンにすればファーストキスだったんだよなぁとかしょうもない事に気づける程度には。
シャワーから出ると丁度部活から帰ってきたかりんと鉢合わせる。
「あ、おかえり〜。すぐシャワー入るなら換気扇回さないでおくけど。」
「ただいま。……ねぇ、お姉ちゃん、なんか顔真っ赤じゃない?」
「ん? シャワー浴びたばっかりだからじゃ無いかな。」
「いやそんなレベルじゃ無いと思う……。おかあさーん! 体温計どこだっけー!? お姉ちゃんたぶん熱あるー!!」
バタバタとリビングへ向かうかりん。大袈裟な……と思いつつリビングへ続く。お母さんから手渡された体温計で熱を測ると39℃近かった。そっかー顔が熱かったのは体温のせいだったかーなんて感想を抱きつつ、その場で力尽きた私は週末寝込んで過ごしたのであった。
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かのんがうだうだ悩んでいた一方、冬香も同じくらいうだうだしていた。
「私ってばなんて事を……。かのんは親友だって言い聞かせてきたでしょう?」
冬香は以前からかのんに特別な想いを抱いていた。ただしそれは常に真っ直ぐに向き合ってくれるかのんに対する信頼であり、友情であると思っていたし、現に彼女に恋人が出来たと聞いた時には素直に祝福する事ができた。2日前までは自分の気持ちをなんら疑う事はなかった。
それが明確に変わったのは一昨日、彼女が異世界召喚され帰ってきたと言ったその日。一目で、かのんの纒う雰囲気が前日までとそれと違う事に気が付いた。別人ではなくただ洗練されたようなオーラ。何があったのかと聞けば異世界で30年余りの時を過ごしてきたという。疑う気持ちにはならず、ああこの雰囲気は人生経験を積んだからかとむしろ納得さえした。だが同時に危うさも感じた。彼女の中で消化しきれていないのか、17歳の体に50歳近い精神が馴染めていないのか。言動や所作の端々に酷く不安定な印象を受けた。この子を守ってあげないと。そんな庇護欲を駆り立てられた。おまけに異世界召喚の定番である異能力さえ身に付けたときた。このままだと『駆除』されてしまう。彼女が冬香の前から永遠にいなくなる可能性が頭をよぎった瞬間にどうしようもない喪失感に襲われた。私が護らなければ。喪いたくない。誰にも手を掛けさせない。
そして昨日、まるで自分に依存するかのようなかのんの発言を受けて「もっと依存させたい」と思った。自分に頼って欲しい。自分だけに秘密を打ち明けて欲しい。でもこれは独占欲ではない。親友を護るために必要な感情だから。彼女が迂闊に秘密を漏らせば危険が及ぶから。そう言い聞かせた。
だけどそんな言い訳は1日と保たず。今日、彼女を待っていた理由は? 何を期待していた? 不安定な彼女を支えたいから、それは嘘では無い。その一方で彼女が恋人と別れたと言ったとき喜びを隠す事に苦心した、これが聞きたかったから待っていたと思った。彼女が昇降口で不意に涙を溢した時、精神的に支える必要があると思ったのは本当だけど、下心もあったことは否定できない。彼女の匂い、体温、柔らかさ。元恋人に奪われなくて良かったと思った。手を繋いで駅まで歩いた時間は幸せだった。でもこのまま感情に流されてはいけないとも思った。だから自分に言い聞かせるために宣言した。「味方」だと。これから来る困難に、今までと変わらず友として支えると。
「なのにあの子、大好きだなんて言うから……。」
かのんは友達として言ったであろう事はわかっていたんだ。ただ、そんな言葉をかけられたらもう歯止めが効かなかった。
「キスだけで済ませた事を褒めたいくらいだわ……。」
私もかのんが好き。でもこの好きは彼女のそれとは違って。燃えるような強い感情。誰にも渡したく無いという独占欲。何があっても護ってみせるという決意。
それが冬香の恋心。
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