第4話 幕開け

「……おまえ着替えるのにどんだけ時間かけてんだよ」

「ご、ごめん」


 呆れながら言うルーカスに対して、俺――田所ヒロト改め、ニコラエヴァンスは申し訳なく謝罪した。

 この世界に突然来てから数分後。現在は、屋外へ向けて寮の廊下を歩いているところだ。


 突然だが、先ほどとある問題が発生した。


(……あの部屋のどこに何があるかなんて知らないからなぁ。まさか身支度にここまで手こずるとは思わなかった)


 そう、恥ずかしながら自室で学校の支度に手間取っていたのである。


 そして、その理由は単純。ニコラの今までの記憶がないからだ。


 残念ながら都合よく彼の記憶が頭に入ってくることはなかった。


 もちろんゲームの設定やシナリオ上で触れられる情報は知っている。でも、こちらの世界の住人であるニコラの人生の軌跡なんてこれっぽっちも知らないのだ。幼い頃に何をしたとか、実家がどこにあるとか、初恋の相手とか、ゲームシナリオで触れられたもの以外は全くわからない。自室の物品の在処など言わずもがなである。


 必要な物を探すのに相当苦労した。現在の所持品である魔法の杖、剣、学生鞄と財布は部屋のあちこちに置いてあったのを拾い集め、制服に関してはタンスの引き出しの中からどうにか発掘したのだ。


 もっと初見に優しくしてほしい。普通、ゲーム主人公に憑依したなら本人の記憶も引き継げるでしょうよ!


 そんな物語開始前から息を切らす俺に、隣を歩く幼なじみのルーカスは呆れた表情を浮かべていた。

 

「毎日これだと、いつかは遅刻確定だぞ。今日は授業がないから時間に余裕があるけど、明日からは本格的に学園生活が始まるからな」

「ご、ごもっともです」

 

 そんな調子で寮の正面玄関に向かってさらに歩みを進める。


(……他の生徒もちらほらいるな)


 と、何人かの男子生徒を発見。寮は学年ごとに分けられていて男女は別の寮だ。ここは我々1年生の男子寮である。


「たしかグランベル魔法学園の生徒はほとんどが学生寮で暮らしているんだよな」

「ん? そうだけど、それがどうかしたのか?」

「この寮だけで何人くらいいるんだっけ?」

「ひと学年に100人以上はいるって聞いたぞ。寮の大きさ的にもそれくらいはいるんじゃないのか」

 

 ルーカスの言葉から分かるように、この寮は一棟だけでも相当な規模である。住んでいたアパートの5倍は広いぞ、ここ。


本編に出てこない生徒もしっかり存在している。正直、現実世界と区別がつかないほどの作りこみだった。この寮のモブキャラたち一人一人に個性があるのだとすれば、もはやゲームという言葉では片づけられない。


 そんな風に屋内を興味深く眺めているうちに、階段を下ってすぐの正面玄関に到着する。あっという間に外との境界線に差し掛かった。


 前を歩いていた見知らぬ同級生たちが立派な二枚扉を開けて街へと繰り出していく。


(……あれが、寮の玄関か)


 そんな屋外へ通じる扉の前で、無意識に歩く速度を緩めた。


「どうした? 忘れ物か?」

「いや、何でもないけど……ちょっとね」

 

 ついにエレメントマギアの世界へと一歩踏み出すのだ。この記念すべき瞬間に何も感じないというのには無理があるだろう。


(ただ寮の外に出るだけなのに、何だか緊張するな)


 ここからすべてが始まる。画面越しではなく、全て実際に見て、体験できる物語が待っている。ゲームとは全く違うのだ。扉一枚開けるのだって自身の意志が必要になる。ボタンひとつで先に進めるわけではない。


「……よし、行くか」


 そして、しばらくして俺は心の準備を終える。


 一呼吸の後、ゆっくりと寮の扉を開け放った。

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