〈中編〉
「まずは、『もやい結び』」
もやい結び。それは、船乗りを志す人間ならば絶対に知っておかなければならない、基本中の基本となるとても大事な結び方だ。船を桟橋に繋ぎ止めたり、他の結び方をした後の端末処理に使ったりと様々な場面で重宝する。
「目を瞑ったままでもできるようになれって、海技学校で習った」
「私は『逆もやい』がなかなか覚えられなくて、苦労したなあ」
テレビから流れる英語の台詞をBGMに、まったりと言葉を交しながら細いロープを丁寧に結んで、編んでいく。
「次は……『巻き結び』」
僕はちゃぶ台の上に転がっていた短い丸木を手に取って、そこにロープを巻きつけた。棒などに巻き付けて使用する『巻き結び』は、簡単かつ強固という特徴ゆえに、船や海以外の場所でも幅広く用いられている結び方だ。
「これはすぐに覚えられた」
「でもさ、棒を縦にしたときのやり方が少し変わるから、最初のうちは混乱したのよね」
『巻き結び』を作り終えると、僕は他の丸木を使って『いかり結び』を作った。『いかり結び』はその名の通り、船の
「僕、『いかり結び』好き」
「確かに、なんか茉子が好きそうな感じ」
「なにそれ……」
僕は一旦手を休めると、チョコレート1粒を口に放り込んだ。
舌の上でチョコレートを溶かしながら、茜の手元をチラリと見てみる。
すぐに僕の視線に気が付いた茜は、手に持ったそれを僕に見えるように向けてきた。
「どうかな?」
「……きれいに出来てる」
僕の答えに茜はホッとした表情を浮かべると、複雑な編み込み作業を引き続き進めた。茜が作っているのは、ロープ1本を編み込んで作るロープマットだ。『ナポレオンマット』なんて洒落た呼び方もあるらしいけれど、「め」の字型にロープを交差させていくこの編み込みは、それなりにややこしい。それを茜は、ひとつの間違いもなく丁寧に、なおかつ綺麗に形を整えながら着実に進めている。
僕はオレンジジュースをひと口飲むと、再びロープの束を手に取って、必要分をハサミで切った。
(次は『8の字結び』にしよう)
小さな液晶テレビに流れる映像をなんとなく眺めながら、残りの標本を一気に仕上げていく。
結び目が「8」の形をした『8の字結び』に、2本のロープを接続するための『
「うわあ、すっごく綺麗に出来てる。やっぱり茉子に頼んで良かった」
ほぼ同時にマットを作り終えた茜が、僕の作った標本たちを見て目を輝かせる。なんだか大げさだなと思ったけれど、褒められて悪い気はしないのも事実だ。
「次は何飲む?」
「麦茶ー」
「じゃあ僕も」
小休止として、ちゃぶ台の前でしばし映画のクライマックスを楽しむ。
「字幕無しでも、それなりに聞き取れるものね」
「この作品はスラングの勉強にもなるんだ」
「私も次の航海中にやってみようっと」
エンドロールが流れたところで、お菓子とジュースを片付けて結索標本の仕上げに取り掛かった。
紺地の額縁内に、結び方の名前が刻印された小さな真鍮プレートを打ち付けて、そのプレートに従って作ったばかりの標本たちを丁寧に並べていく。それから、額縁の中央に操舵輪や錨、櫂の形をした小さなアクセサリーを配置する。
「こんなの売ってるんだね」
「ハンドメイド作家さんの作品なの。探すの大変だったんだから」
最後に、余ったロープで作った飾り結びを額縁内の余白に貼り付けて、僕と茜の結索標本作りは終了となった。
出来たての結索標本を壁に立てかけて、少し離れたところから茜とふたりで眺めてみる。
「うん、いい感じね」
「だね」
こんな風に鑑賞の対象となる「作品」を作るのは、それこそ高校の美術の授業以来だ。船の機関室で難しい修理をやり遂げた時に感じるものとは少し違う、静かで心地の良い達成感がじわじわと全身を満たしていく。
(茜はどうなんだろう)
結索標本作りを持ちかけた当の本人が、一体どんな顔をしているのか。僕は何気なく横を向いてみた。
「……っ」
思いがけず、茜と目が合った。てっきり僕と同じように結索標本を眺めていると思っていたから、胸がトクンと小さく跳ねてしまう。
「――茉子」
数秒間の沈黙の後、茜が穏やかな表情で僕を見つめながら、静かに口を開いたのだった。
「今度、私の実家に来ない?」
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