バッドエンドは悪なのか?

 バッドエンドの話が出るので、バッドエンドについて少し書きます。


 Web小説において「バッドエンドはやっちゃなんねえ」みたいに村の掟のように語られることもありますが、そんなことはないと思います。では何故このようなことになっているのかと言えば、「安易なバッドエンド」が忌避されているからだと思われます。


 安易なバッドエンドとは、要は「展開が思いつかないよ、えーい主人公殺しておしまいにしちゃえ!」というコナン・ドイルのような動機で物語を終わらせることです。ここには「物語を終わらせる」以外ないので後味は最悪になります。


 何故なら、読者は「今まで読んできたんだから何か報いになるものが欲しい」と思って読んできているわけです。面白かった、楽しかった、ためになった、感動した。そんなものを求めてきているのに「主人公殺してはいエンド」では納得できませんよね。


 でもそんなこと言ったらじゃあ飽きた物語はエタるしかないじゃないですか! ︎︎みたいな反論が来そうなのですが、そもそも結末を考えないで話を書き始めることがよくないと思います。ある程度の最終章の構想くらいは立てておいて、モチベが下がったらそこを目掛ける。最終章に入れば読者も注目する。完結してめでたしめでたし。誰も損はしないはずです。


 それに、バッドエンドそのものが忌避されるわけではありません。国語の教科書に出てくる「羅生門」「山月記」なんかはバッドエンドの類に入りますし、「ちいちゃんのかげおくり」「火垂るの墓」など戦争文学はどうしてもバッドエンドになってしまいます。「人魚姫」「マッチ売りの少女」など親しまれる童話にもバッドエンドはありますし、「幸せな王子」や「塩狩峠」など自己犠牲の物語はどうしてもバッドエンドになります。


 つまり、テーマがしっかりとしていればバッドエンドでもよいのです。バッドエンドのための映画「ファニーゲーム」は怖いもの見たさで見るものですし、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」はバッドエンドだからこそ幻想的なミュージカルシーンが現実とのコントラストでせつなくなります。「ミスト」なんてもうやりたい放題じゃないですか。


 安易なバッドエンドがよくないのと同様に「安易なハッピーエンド」もよくないと思います。新喜劇のネタで小説家のところに「最後に主人公が死んで悲しい!」とクレームを入れに来た男に小説家が「じゃあ……そのあと、主人公は生き返りました」と本の最後に書き足すという対応をしているのがありました。それでクレームを入れた男は満足して帰っていく、というギャグなのですが本当にこれをやったらまあヒンシュクものですよね。


 不治の病の少女との恋愛……命のタイムリミットが近づく中、なんと急に特効薬が開発された! ︎︎よかったー! ︎︎これで2人は幸せだね! ︎︎めでたしめでたし!


 ちょっとこれはこれで違くないですか??


 そりゃあ恋人が最初から特効薬の開発をして、物語の中で特効薬の話があって、被験者に少女が選ばれて、とかならいいですよ。でもいきなり「主人公は生き返りました」みたいなこと言われても「???」と読者はなります。それでも「助かってよかったね!」となる読者もいると思うので、バッドエンドよりもハッピーエンドは安易でも許されてるだけだと思います。


 つまり、バッドエンドは安易にされると目につくので忌避されるのだと思います。だから自信のある方はじゃんじゃんバッドエンドに挑戦してもいいと思うのです。骨子がしっかりしていれば、あまり批判はされないと思うのです。


 最後に気になることなんですけど、同性愛者だと主人公が自覚して「好きな相手に告白するくらいなら死んでやる」と自殺するバッドエンドをまあまあ観測するのですが、当の同性愛者たちはそういうのをどう思ってるのかなーと気になりました。そこはもう少し現実的に考えて欲しいな、と思います。というか、自殺バッドエンドはどんな形でもちゃんと手順を踏んでほしいです。今回はおしまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る