事象を想起させる(2)

 前回の続きです。間が空いてしまいました、ごめんなさい。


 前回は「死んだ」と表現しないことで恐怖がより強くなるという話をしました。これは特に短編で有効なのですが、「書かないことで魅せる」という技術が必要になってきます。


 どうしても書きたいことは「全部書かなきゃ!」となるのが小説書きです。もう書きたいんだから書かないと、と思うのですが今しているように「書かないことで印象づける」という手法もあるということを覚えておいてください。


 これがわかりやすいな、と思うのは芥川龍之介の『手巾』という短編小説です。内容はずいぶんと昔の話ですので今の人の感性に合うかどうかわからないのですが、あらすじは息子の死を報告に来る母親がひどく悲しんでいることに教授が気がつく、というだけのものです。母親は淡々と息子について語るのですが、教授がふと母親の手元を見るとハンカチを握りしめていて、それが強く震えている。母親は大袈裟に嘆き悲しんだりせず、ただハンカチを握りしめています。それを教授は深い悲しみだと捉えるのです。


 ここで母親がワアワア泣いて取り乱すのも、ひとつの悲しみです。しかし、ここで夫人が敢えて気丈に振る舞うことで悲しみの底を一段深く読者に魅せることに成功しています。作中ではこの行為を「武士道」とみなしていますが、あえて見せないで魅せるというのは現代でも通用する表現方法だと思います。


 少し前に「キャラに自分は〇〇な性格だと語らせるのは如何かと思う」という話題を見ました。確かに、「私、陰キャなんだ~」とか話してる奴がいたらそれはファッション陰キャだろうと思うくらいには不自然です。だから「直接描写しないで行動で示せ」ということになるはずです。


 しかし、ここは少し上級者向けの描写を考えましょう。わざわざ「私陰キャなんだ」というキャラ、一体どんな返答を望んでいるのだと思いますか?


 特殊な設定の世界ならわかりませんが、大体においてそういう奴は「そんなことないよ」と言ってほしいのだと推測できます。それでは何故、そんな会話をしたいのかと言えば……構ってほしいんですね。「自分って〇〇だから~」という人は、そうやってバリアを張っておきながら「本当は寂しいんだ」という感じの人が多い印象です。


 つまり、言葉で「ねえねえ寂しいから構ってよぅ」と書くよりも「私陰キャなんだ、マジコミュ障でウケる」と書いた方が突き放してる分、寂しさが上乗せされるわけです。これは「反対のことを書くことで強調させる」という効果もあります。


 ここまでつらつら書きましたが、そうは言ってもweb小説の世界では「わかりやすいのが正義」らしいので、ストレートな表現のほうが人気が出ると思います。でも、ある程度書き込んでくるとこういった表現も楽しいので、是非活用してほしいと思うのです。

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