事象を想起させる(1) 怖い話と恐怖表現

 旧Twitterで「#物書きは台詞だけで死を表せ」というハッシュタグがあったので、それで思い出したことを書いていきます。


 小さい頃読んだ『空き教室で霊がよぶ』という怖い話のオムニバスの本があって、その中に『真夜中のすすり泣き』という話があった。


 気立てのいい女の子が雪崩に巻き込まれて行方不明になり、夜になるとその子が学校の机に突っ伏して「寒いよう怖いよう」と泣いている。春になってその子が発見されると夜中の泣き声は聞こえなくなった。


 そんな話なんだけど、子供心にすごく印象に残る表現があった。ポイントは「その子が発見される」で、もちろん春になって見つかったのだから彼女が生きているはずがない。でもこの作品では最後まで彼女の死を直接書かない。本文が手元にないので覚えているだけの話になってしまうのだけど、雪が解けて遺体が発見されたというシーンをこんな風に書いていた。


 春になって雪が解けて、彼女は見つかった。周りには花が咲いていた。「寒かったろう、怖かったろう」と彼女の両親は話しかけた。それ以来真夜中のすすり泣きは聞こえなくなった。


 正直、これを読んだ幼い当時「死んだ」と書いてなかったので彼女は生きているのではと誤解した。「え、雪崩に巻き込まれて春までいたのに死んでなかったの?」と何度も何度も読み返した。だから余計印象に残ってるのかもしれない。


 それで読み込んでいくうちに、「彼女が生きているとは一言も言っていない」ということに気がついて「これは遺体が発見された描写だ」と気がついてから一気に恐怖を感じた。幽霊の怖さよりも、無慈悲に命が無くなる怖さがぞっと襲いかかってきた。


 この本には他にも直接的な怪異を扱った話がたくさんあって、子供向けにしてはなかなか怖いと思うのだけどこの話は別格だった。怪異そのものは「死んだ子が現れる」というくらいの平凡なもので、怪異だけなら他の作品のほうが怖い。しかし、この話の圧倒的に怖いところは「雪崩の恐怖、突然命が亡くなる恐怖、自分が死んでも誰も助けに来ない恐怖」に尽きる。まさに話の中の女の子の恐怖を読者も追体験しているわけだ。


 余談ではあるけど、この本に収録されている『鏡の中の顔』という話が子供心にとっても怖かった。話の内容も「怖い話ですよー」という顔をしていないのにとにかく不気味で不気味で怖いのに、イラストがそれにマッチしてかなり怖い。ベクシンスキーのイラストみたいなのが浮いてる。今のところ恐怖表現としてこの『鏡の中の顔』や『真夜中のすすり泣き』は自分の中の基本になっている。


 話が長くなりそうなので一度締めます。次回「書かないことで書く」の続きを書いていきます。

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