設定はエピローグから作れ

プロローグ不要論がありますが、エピローグ不要論はあまり聞きません。つまりエピローグはあってもよいのです!


というのは暴論ですが、小説で一番大事なものはエピローグというか結末だと言っても過言ではないと思うのです。


極端な話、設定が空中分解するのは結末を決めていないからで、結末さえ決めればそこに向かって走ればそれほどバラバラにはなりません。マラソン大会でゴール地点に向かって走るのと「疲れるまで出来るだけ走りましょう」ならどっちが楽かという話です。


最近よく出てくる「ご都合主義」というのは、単に設定の甘さによるところもあります。「なんか知らんけど美女が俺のこと好いとーと!」の「なんか知らんけど」の部分が大事なのに「美女」にばかり注力すると「なんか知らんけど」がふわっと浮く。読者はそんなこといちいち気にしないかもしれないけど、やはり甘さは出てしまう。


そこではっきりさせるのはやはり「俺と美女はどうなるべきなのか」を先に決めてしまうこと。「俺と美女は結婚するのだ!」となれば結婚へ向かうためのイベント、プロポーズ、順調な恋愛だといまひとつなのでひとつくらい妨害するイベントがあってもいい。そうすれば最後を目掛けてブレないものがひとつ出来る。多少変になっても最後が決まっていればそれなりに良いものはできる。


そう言う意味でもやはりプロットは必要。ある程度のメモ書きというか設計図を元に物語は流れているわけで、全体の完成図を見ないでトンカチ振るってもトンチンカンな物が出来上がる可能性もある。そりゃトンカチ使うのが上手い現場の人も必要さ。だけど、トンカチは設計図がないとただの凶器になる。そこの調整する気力も長く書くには必要なこと。「最後なんてまだるっこしいことやってられっかよ!」と言って上手くできるならそれでいいけどさ……。


そう考えると「終わることのない日常系をやろう」というのはなかなかに難しい。物語の落としどころがない上に、その日常を引っ張るだけのキャラクターのインパクトが必要になる。日常系ってうまくやればもちろんウケるんだけど、個人的には小説書き始めの人にはかなり難しいジャンルだと思う。まずは短くても起承転結と序破急をしっかり緩急つけて書けるようになってから、じゃないかな……?


もう何を書いているのかわからなくなってきたこの夏休み企画、少し終わりが見えてきたので次回は終わらない、未完について書きます。それでは最後まで書きましょう。



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