わるいこはいねが

 物語に必要なのは主人公、主人公の味方、そして敵役です。大体これが揃えば何とかなります。さてここで言う敵役、つまり悪役の話をします。悪役、即ち悪ってなんでしょう?


 悪いことをすれば悪役なのかと言えば、そんなことはありません。暴力の回でも書きましたが、正義の名のもとに殺戮を繰り広げる主人公もたくさんいます。そして前回例に出した「コワすぎ!」の工藤ディレクターは主人公ですがかなり簡単に暴力を振るい金属バットで威嚇するかなり凶悪な人間として描かれていますが、彼の活躍を見たい人は大勢います。そもそも「任侠もの」だって悪いことをする人達の集まりですし、見方を変えれば犯人の視点で話が進む古畑任三郎は悪役が毎回主人公です。


 ここで忘れてはいけないのが、主人公は必ず正義の味方でなくてもいいということです。殺戮を繰り広げる主人公が問題になるのは、残虐非道な行為をするのと同時に綺麗事をぶつけるからです。残虐な行為を好む残虐な奴にすれば問題ありません。ただそうなると主人公への共感が減るかもしれませんが……。


 最近の流行りだと「最初いい人に見せて実は悪い人」というパターンも多いです。黒幕のいい人が主人公を裏切り、そのいい人を今度は倒しに行くなんていうのは王道でもあります。


 そうなると「悪役=悪者」でもありません。例えば「侵攻してくる敵国のために必死に戦ったけど、実は敵国は超独裁国家を討ち滅ぼすエエモン国家で、実はものすごくワルモン国家である自分の国に今度は敵意を向ける」なんてものが考えられます。それで、ワルモン国家にはワルモン国家の言い分がある。エエモン国家に昔騙されたとか、超貧乏で仕方ないとか、宇宙人の侵略から守るためだとか……。


 つまり、必要なのは善悪の軸です。共感を得られる軸と作者の軸と作品の中の軸を合わせておくことが重要になります。個人的にポリコレという問題は全般的にこの軸がズレている時に発生すると思います。作者が想定する軸と共感される軸が合わなければ読まれませんし、作品内で軸がブレれば炎上します。先ほどの例で言うと、作品内の軸は「正義の味方が残虐行為を楽しんで行う」みたいなもので、作品内で既にブレが発生しているものです。


 読者と作者の軸の違いは、例えば「無職で公園で昼間から酒を飲む男は悪者」「男から貰ったプレゼントをTwitterに晒してダサいと蔑む女は悪者」などのある程度の思い込みの範疇での悪者認定で発生することがあります。作中で彼らが悪者と決まったわけではありませんが、この行為を作者が悪と断定すれば「酒飲んで何が悪い」「ダサいプレゼント送る方が悪い」とクレームが届きます。このクレームの向こう側まで考えるのが、いわゆるキャラ設定の醍醐味でもあります。


 今回イマイチまとまらなかったので、悪役の書き方みたいなのはまた挑戦したい。次回は「展開の必然性」についてです。それではのんびり書きましょう。



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