暴力はいけないことです
ワタクシ、ホラー映画が大好きです。
その中でもイチオシホラーが白石晃士監督の「ノロイ」です。いわゆるモキュメンタリーで、行方不明になった子供を探す映像作家の視点で淡々と話が進んでいきます。初めて見た時の衝撃が忘れられません。ホラー映画なのでかなりショッキングなシーンも多いので注意が必要ですが、興味のある方は是非ご覧下さい。
そしてそんな白石晃士監督と言えば「コワすぎ!」シリーズなのですがこの度初めてちゃんと見ました。ディレクターの工藤とアシスタントの市川、カメラマンの田代がいろんな怪奇現象を調査するというもので白石監督の「やり過ぎないホンモノ感」が絶妙にクセになります。
「コワすぎ!」といえば様々な登場人物の中で一際異彩を放つのがディレクター工藤。怪奇現象が起こる中ひとりで怪異にブチ切れたり多少強引に暴力を用いて事を進めるなどかなり野蛮な人物として描かれます。それが工藤の持ち味とわかって見ている分には楽しいのですが、彼の暴力はかなり現実的です。何かトラウマがある人にはちょっとキツいくらい脚色がされていません。そこが白石監督特有の現実とリアルとフィクションがまぜこぜになるいい持ち味なのですが……。
さて、コワすぎ!シリーズの話がしたいのではなく、実際に小説を書いている時に我々は暴力とどう向き合っているかという話です。これは個人的な感覚なのですが「戦闘シーン」という言い回しが好きではありません。場面にも寄るのですがファンタジーにおいて敵を剣や魔法で倒し倒されするのは「殺し合い」に含まれないのかな、と思うことがあります。敵を殺しても罪悪感を抱かないサイコパスな主人公ならその限りでもないですが、大体は殺人において何らかの葛藤があるのが人間だと思うのです。
例えば「隣国の兵隊を薙ぎ払う」というシーンでも、モブと呼ばれる兵隊たちにもそれぞれの生活があって家族がいるわけで、そんな彼らの命をもて遊べるのが神である作家なのかもしれないなどと思います。
それでも架空の存在なので彼らに心を痛める必要は全くないのですが、主人公の技をかっこよく見せるために殺人が行われるような世界はどうなのかなとか思います。そういう前提が狂った世界ならわからないでもないのですが、基本的に主人公は正義の味方ですものね。
そういうのを考えたくないということでゲームの世界へ入るという形がとられているのかななどと思います。小説にリアリティがないと思う時は、まずキャラクターをそれぞれ「自分の友人や家族だったら」と当てはめてみるといいと思います。自分の中のキャラクターとしては理想的でも、人間としてみると近寄り難い存在というのもあります。この辺の付き合い方は長くなるのでこの辺にしておきます。
次回は悪役との付き合い方について書く予定です。それではのんびり書いていきましょう。
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