開かずの本【解決編】
伝手を辿って犯人が未だ学校にいるとの情報を獲得し、確保へ向かった。本当は斬鴉さんだけでもいいのだけど、ご多分に漏れず僕も引っ付いていった。夏凛さんとじゃんけんをして、七回にも及ぶ壮絶極まるあいこ合戦を制して解決編の立ち合いの場を確保した。
活気もひとけもない東棟の三階の廊下を歩き、犯人が潜む部屋の前までやってきた。
斬鴉さんが扉にノックしようと近づいたところで、タイミングよく出てきたその人物が僕たちに驚いて後ずさった。しかしすぐに何のことか大体の事情を察したのか扉を閉めて首を傾げる。
何事か口を開きかけたところで、斬鴉さんが手にするブックカバーが目に入ったようだ。諦めたように目を伏せた。
斬鴉さんが静かに告げる。
「犯人はお前だな。枯木?」
「すみませんでした」
深々と頭を下げる枯木さん。あまりにもあっさりとした幕引きに、がくりとずっこけかける。
「いや、もうちょっと足掻かない?」
せっかく彼女と同じ文芸部のソーイチ君という伝手を使ってお膳立てしたのに。枯木さんは僕に苦笑いを向けてくる。
「元々、すぐには発覚しない前提でやったことだから。発覚したら鍵を借りた先生に訊けばすぐわかるし」
「まあ、柴田先生、犯人の顔憶えてなかったけどね」
「え? だったらどうして私が犯人だって……」
疑問のこもった目を向けられた斬鴉さんは緩く腕を組んだ。
「単純な話だ。犯人が図書委員の女子なのは柴田先生の証言でわかった。重要になるのは事件が起こったのが昨日だったってことだ。あたしを含めた二、三年生なら持ち出す機会は過去にいくらでもある。けど、枯木と古町は図書室の落とし物管理のシステムと開かずの本について昨日初めて知った。だから枯木に目を付けた」
この人、ひょっとして最初から犯人がわかっていたから、トリックの究明を優先したのではなかろうか。
「もう一つ尤もらしい推理を挙げるとすれば、犯人がブックカバーを残していたからだな」
斬鴉さんは壁を背に預ける。
「ブックカバーごと持っていかない理由は見当たらない。てっきりその理由は心理的要因にあると睨んでいたが、考え方を少し変えてみたらすぐに事情が読めた。バッグが一杯で開かずの本を中にしまえなかったんだな」
昨日、枯木さんはバッグからクリアファイルを取り出すのにも苦心して、ついには諦めていた。彼女の他に似たような状況に陥っていた者はいない。犯人は心理的要因からブックカバーを残したのではなく、物理的要因によって現場に残さざるをえなかったのだ。
「バッグに入れずに素手で持ち去ろうにも、部活で残っていた図書委員と遭遇するかもわからない。職員室に鍵を返す際にも目立つ。おまけに昨日は雨だった。読書好きのお前が、本を雨水に晒す真似はするはずない」
斬鴉さんの穏やかな声音に枯木さんは嬉しそうにはにかんだ。
「このブックカバーはただ残されていたわけじゃない。スチールラックの下にあった。あれは、外に持ち出せないから隠しておいたと考えられる。となると、中の本はどこにあるのか? さっきも言ったが、お前が雨の中、本を素手で持ち歩くわけがない。かといって、バッグに入ったかというと怪しい。ブックカバーを外しただけで入るなら、外さなくても無理やり入れられそうだ。だからブックカバーと同じで図書室内にまだ残っていると睨んだ。スチールラックの下は手が入らないくらいには隙間が小さいから、ブックカバーと違って本は隠せない。なら、本を隠すなら本の中だ。直近で借りられた、すぐには返却されない本のあった本棚に突っ込んでおいたんだな」
僕は後ろ手で隠していたソフトカバーの四六判を取り出した。『二秒でわかる不動産業』という本だ。カバーにはいくつかの建物がポップに描かれている。先ほど見つけたものである。
盗難事件かと思われた今回の一件。実は図書室からなくなったものは一つもなかったのだ。
枯木さんは小さく肩をすくめた。
「それを見れば、どうやって本を取り出したのかも、一目瞭然ですよね」
「ああ。まあ、発見する前から気づいていたけどな」
またもや枯木さんは目を丸くした。
「ど、どうしてですか?」
「昨日古町がブックカバーから本を押し出そうとしたとき、まったく動かなかったらしい。本のそでが、このゴムバンドを通っていたからな。でも、それは妙だ。このゴムバンドは軽く親指を引っ掛けるだけでも伸びる程度には柔らかい。限界近くまで伸びていたが、古町が軽く摘まんでも伸びる余力はあったらしいんだ。それなら多少の押し出す感覚もあるはずで、まったく動かないなんてことはないだろう。何か特殊な事情でもなければな」
斬鴉さんとブックカバーと本を交換した。彼女が表紙を摘まむと、右へ捲れたそれが装丁の描かれたカバーごと垂れ下がった。彼女が本を持ち替えて裏表紙を持つ手を横にスライドさせれば、そのまま本と裏表紙が引き離される。装丁カバーと表紙、裏表紙が引っ付いている奇妙な光景がそこにはあった。
本からは表紙と裏表紙が消え、表と裏のトップに見返しの紙がある状態と化した。そして離れた表紙と裏表紙はそでにブックカバーをまとったまま廊下へ垂れ下がっている。
「この本は、表紙と裏表紙が根本……いわゆるのどの部分からカットされていたんだ。ブックカバーのバンドを通っていたのは、本から独立した表紙と裏表紙、それから装丁カバーだけだった」
本を押し出せないのは表紙と裏表紙の天地がバンドに押さえられ、上下の動きが疎外されていたからだ。しかしそれは、表紙と裏表紙が本と繋がっていればの話である。その二つが、実はハサミか何かでカットされて本から分離していたらその限りではない。
よく調べれば表紙と背表紙がカットされていることに気づけたのだろうが、資料庫は薄暗かったし、ゴムバンドが目立つため視線がそちらに注がれてしまってわからなかった。ミスマッチな色のゴムをバンドに採用しているのは、本ののどから視線を離す目的があったわけだ。
仕掛けはボタンでもベルトでもゴムバンドでもなく、事件が発覚した段階で失われていた本にあったのだ。
「装丁カバーと本の背を軽く糊付けしておけばずれる心配もなくなり、軽く押したくらいじゃ動かない。だから古町が軽く押し出そうとしてもまったく動かなかった」
「でも、本と糊で引っ付いている装丁カバーにも力は加わりますよね。カバーが押されればバンドも押し出されて、古町君の感じた『まったく動かない』にはならないのでは?」
ここで枯木さんが口を挟んだ。あくまでも形式上つっこんでいるような声音だ。
「半端な力じゃ、本を押さえている手の握力に負けて動きはしないさ。自分で握ったものを必死こいて押し出そうとする滑稽な状況ができあがるだけだ」
通常の本ならば、装丁カバーと本は密着していても接着はしていないので、片手で本を握って、もう片手で押し出せばカバーから本は滑り出てくる。しかし、接着までされていると今斬鴉さんが言ったような状況になる。装丁カバーを外した本を押し出そうとするようなものだ。無意味の極み。……しかし、これはあくまでも、半端な力で押した場合だ。
「逆に言えば、糊を引き剥すほどの力で思い切り押し出せばいつでも取り出せるってことだな」
現に装丁カバーの裏には破れた本の背の一部が付着していた。糊で接着したのを強引に剥がしたからだろう。この他にも装丁カバーと表紙、裏表紙も糊で接着されているので、それぞれのパーツがずれることはない。
開かずの本は、糊によって本の形を保っていただけの、本のパーツの集合体だったのだ。
「後は簡単だ。四百ページ分の厚みがなくなって、ブックカバーの中には大きなスペースが生まれる。残された装丁カバーはもちろん、この本はソフトカバーだから、表紙も裏表紙も折り曲げてバンドから引き抜き、取り出すことができるんだ」
ここで斬鴉さんは初めて不快げな表情を見せた。無残に分解された本に思うところがあったのだろう。
「……ったく。誰がこんなふざけた装置を作ったんだか。大方、丹羽の兄だろうが。文化祭を利用して図書室の返却ポストに入れたんだな」
「そ、そこまでわかっているんですね」
枯木さんは最早、驚くどころか呆れている。
「これに関しては勘だけどな。まあ、百パーセント勘ってわけでもないが。……わざわざ盗み出そうせず、自分の知り合いの持ち物だ、あるいはくださいとでも言えばワンチャン貰える可能性もあった。昨日常木先生はいなかったが、それを試そうともせず盗もうとしたのには理由があったんだろう。例えば、近くに本の真の持ち主ないし持ち主の関係者がいる、とかな。そんな奴が身近にいたら、とてもじゃないが嘘を吐けない」
それが、丹羽さんだったということか。斬鴉さんは続ける。
「お前の目的は大方、本に挟まっていた何かを回収することだな。それは、ブックカバーと装丁カバーの間にでも挟まっていたんだろ」
「もう、ほとんどわかっているじゃないですか……」
枯木さんは呆れすら通り越して戦慄してしまっている。
「本やブックカバーが目的なら、何としてでも持って帰っただろうからな。隠しはしたが置いていったということは、本やカバー自体に用はなかったと推測できる。それに、こんな仕掛けの本には、何かを挟んで封印しておくくらいの使い道しかない」
まあ、そりゃそうだ。隠すものがなければ、この本の存在意義が見えなさすぎる。そのためだけの構造をしているのだ。
「結局、何がどういうことだったの?」
若干置いてきぼりを食らっていた僕は尋ねた。
枯木さんは俯き、暗い面持ちになる。
「透子ちゃんの両親は、透子ちゃんのお兄さん――透真さんの進路のことで揉めました。お父さんは本人の意志を尊重して美大を応援しましたけど、お母さんは良い大学に入らせようとしていました。それが切欠で離婚にまで発展して、お父さんと透真さんは遠くへ引っ越していきました。透子ちゃんは家族がバラバラになった原因を作った透真さんを逆恨みしていて……」
枯木さんは小さくため息を吐いた。そして、僅かに笑みを浮かべ、
「その本に入っていたのは、写真でした。家族がまだ一つだったころの。写真と一緒に、アルバムは自分が持っていってしまったから、という手紙もありました。透子ちゃんとお母さんは引っ越しをしたので住所も電話番号もわからず、直接会おうとしても拒絶されると考えていたみたいです。そんなとき、この学校のホームページに上げられていた一昨年の文化祭の写真を見て、透子ちゃんが達川高校の図書委員になったことを知ったんですって」
この高校に入学したことはわかるとして、図書委員までわかるものだろうか。そんな疑問を持ったのも束の間、
「委員会デスマッチの写真を見たらしいです」
何それ……。
「そして透真さんは一計を案じ、去年の文化祭を訪れて写真と手紙を封印した開かずの本を返却ポストに入れたみたいです。透子ちゃんが気づかなかったり、意地になって受け取らなかったとしても、図書室の落とし物として扱われれば図書委員が管理することになりますから」
そうなれば、いつかは丹羽さんが手に取ってくれるのではないか。お兄さんはそう考えたわけだ。
回りくどいことを考える人だと思う。でも、そんなことをしなきゃいけないほど、妹に負い目を抱いていたということでもあるのかな。
枯木さんは苦笑いを浮かべた。
「開かずの本って、元々は透真さんが小学生のとき夏休みの工作で作った『へそくりの隠し場所』っていう作品なんですよ。ずっと透子ちゃんの家にあったから、私もどういうものか知っていました。ボタンも後から錆びたわけじゃなくて、最初から錆びていたボタンを使ったんです。外せないのは錆びていたからじゃなくて、強い接着剤を使ったからなんです」
自分の顔がぱあっとなるのを自覚した。そこの推理は合ってたんだ! ……まあ、斬鴉さんからも夏凛さんからも、それを踏まえた上での反論を頂戴したのでそこの正解にはなんの意味もないが。
「通りで、小学生じみた仕掛けのわけだ」
斬鴉さんはつまらなさそうな顔で辛口に吐き捨てた。本を傷つけるものは子供でも許さないという信念を感じる。
「昨日、志津先輩の口から出た開かずの本のこと、あの後透子ちゃんから聞き出そうとしたんだけど、教えてくれませんでした。だから、いても立ってもいられなくて、夜坂先輩が帰った隙を見計らって……」
行動を起こしてしまったというわけだ。まあ、今日運悪くストラップの持ち主が現れなかったら、当分発覚しなかっただろうけれど。
僕は一番重要なことを訊くことにした。
「それで、丹羽さんにその写真と手紙は渡したの?」
「うん。『バッカじゃないの』って呆れて、笑ってた」
そのときの様子は見ていないので何とも言えないが、今ここにある枯木さんの笑顔が全てに感じられた。
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