黄色い花弁

 僕たちは図書室に戻ってきた。相変わらず利用者は見当たらないが、夏凛さんの他に一人だけ見知った顔が増えていた。

 肩まで伸びた髪と気怠い雰囲気が印象的な細身の女子が、腰を曲げてカウンターに頬杖を着き、夏凛さんと向き合っていたのだ。

「あれ、鷹野たかのさん」

 夏凛さんと同じ図書委員の三年生である鷹野春風はるかぜさんだ。彼女は僕たちの姿を認めると、夏凛さんに「じゃあ」と言ってこちらに向かってくる。

「おつかれー」

 僕たちとすれ違った鷹野さんは右手を扉に伸ばす。斬鴉さんが振り向いた。

「帰るんですか?」

「課題に使えそうな本借りにきただけだし。それに、図書当番なんて四人もいらないでしょ」

「あたしは別に、いつでも代わっていいですよ」

 斬鴉さんは敬語を使っているが、あくまでも形式的に使っているという雰囲気だ。敬語なのに敬意がさっぱり感じられない口調である。

「別にいいよ。私はあんたと違って、好き好んで図書委員の仕事をしたりしないし」

 鷹野さんはやる気のなさそうな声でやる気のないことを言って去っていった。 ……あの人、どうして図書委員になったのだろうか。いつもあんな調子で、謎だ。

「で、何かわかったの?」

 夏凛さんが首を傾げて訊いてくる。僕たちはカウンターの内側に入ると、手芸部で得た情報を彼女に伝えた。

「秋富士くんが、そんなことをねぇ……。顔は格好いいのに、なんだかなあ」

 やっぱり、そこが一番の驚愕ポイントだよなあ。

 夏凛さんはパソコンのマウスに手をかけながら、

「私もさ、当番記録を見たら先週の金曜日の当番が鷹野ちゃんだったから、タイミングよくやってきたあの子に犯人憶えてないか訊いてみたよ。『憶えてなーい』って言ってたけど」

「やる気ないですよね、あの人」

 意外にも斬鴉さんがフォローを入れた。

「今日は水曜日だぞ? 鷹野じゃなくても、五日も前のことは忘れていてもおかしくないだろ」

 言われてみれば、それもそうか。先週の金曜日の晩御飯も忘れた。

 夏凛さんはパソコンを凝視している。画面には本のタイトルと貸し出した日と、返却された日かその期限がずらっと載っていた。いわゆる貸出履歴だ。タイトルをクリックすると借りた人物がわかる。

 夏凛さんは短期間で二回借りられている本をクリックしていく。

「うわ、本当だ。秋富士くん、香澄さんが借りた本ばかり借りてる。小説とかならまだしも、野草図鑑とかも……ひょえー。筋金入りだこれ」

 そんな彼女の態度に斬鴉さんが頬杖を着いて窘める。

「大した理由もなく貸出履歴を調べるな。秋富士と大差ないぞ」

「理由ならあるでしょ。委員内の風紀を守るための証拠集めだよ」

 屁理屈が極まっている。

 図書室の本を借りた謎の人物。返却された本に付いていた押し花の痕跡。生徒手帳を盗まれたと訴える女子。ストーカー紛いのことをする男子。誰が借りた? どうして押し花なんかした? 事態は混迷しているように思う。

 僕が思いつくのはやはり、一つしかない。

「秋富士さんの歪んだ同一化願望ですよ、絶対」

 推理小説好きの血が騒ぐのか、夏凛さんが珍しく真剣な表情になる。

「それはよくわかんないけど、秋富士くんが犯人っていうのはないんじゃない? 秋富士くんが女子の生徒手帳を提示してきたら、鷹野ちゃんも流石に気づくよ」

「図書委員だから生徒手帳なんていりませんよ。勝手に他人の名義で借りればいい」

「それだと、香澄さんの話と矛盾しない? 生徒手帳を使わないんなら盗む必要ないし」

「それは……単純に、落としただけとか」

「まあ、なくはないだろうけどさ」

 夏凛さんはカウンターに突っ伏す。

「秋富士くんが怪しいのは間違いないしねー。香澄さんの自作自演……は、意味がわからなすぎるよね」

「押し花とか、する理由がないですもんね」

「それは誰が犯人でもなさそうだけど」

「やっぱり秋富士さんの歪んだ同一化願望ですって」

「好きだな、それ」

 くどすぎたのか斬鴉さんがつっこんできた。

 とはいえ、そういうおかしな感情が働かなければ、今回のような妙な事案が発生するとは思えない。

 斬鴉さんは腕を組んで天井を仰ぎ、誰にともなく呟いた。

「押し花、か……。犯人は押し花の痕跡が見つかることを予期していたのか?」

 僕に向けた言葉ではないだろうが、一応返答しておくことにする。

「普通に考えたら、していなかったと思いますけど……。ばれたら面倒なことになるのが目に見えていますし。発覚してもいいように名前の偽装はしたかもしれませんけど」

 斬鴉さんは神妙に頷いた。

「そうだよな。普通はそうだ。押し花の痕跡が図書委員に見つかることにメリットがあるとは思えない」

そのとき、ミステリ脳の夏凛さんの瞳が煌めいた。

「それだよ。犯人には痕跡がばれることに、何らかのメリットがあったんだよ!」

「例えば、どんなですか?」

「それはわかんないけど」

 そんな気はしていた。

 いかにも推理小説的な逆転の発想に酔いしれてしまっているのか、夏凛さんは一人で何度も頷いた。

「うん。そうに違いないよ。その理由を推測できれば、全ての真相に辿り着けるかも。どう、キリちゃん⁉」

「絶対ないだろうな」

 一刀両断。ばっさりカット。

 夏凛さんはガクンとカウンターに突っ伏した。

「なんでさ……」

「そんなに痕跡を見つけてほしいなら、該当ページに紙か何かを挟んでおくか折り目でもつけておくだろ」

 なるほど。ご尤もとしか言いようがない。そもそも、斬鴉さんと僕以外の図書委員は返却された本の状態確認なんてしない。けれど、斬鴉さんの言った方法ならばどんな図書委員でもそのページを開きそうだ。

 夏凛さんは憮然とした表情で反論を考えたようだったが、何も思い浮かばなかったらしくため息とともに肩をすくめた。

 推理らしきものは重ねたが、進展したことは何もない。実名を使わなかった犯人は用心深そうだということしかわからない。まあ、香澄さん本人が犯人だったら、逆に迂闊としか言えなくなるが。

 うーん、という唸り声を発していると、

「あっ、そうだった」

 夏凛さんが思い出したような声を発した。彼女はポケットから綺麗に折り畳まれたピンク色のハンカチを取り出す。

「そういえばさ、『ギリシャ神話大全』を調べてたら、目次のところにこんなのが挟まってたよ」

 夏凛さんがハンカチを広げると、一切れの黄色い花弁が現れた。厚みがあり、ひらひらした形状をしている。

「最初に開いたときには見逃しちゃってたみたい」

 これは、犯人が押し花をしていたことの証左と言えるだろうか。……しかし、花に詳しくない僕にはこれが何の花なのかわからない。夏凛さんも同様のようだ。

 ただ、斬鴉さんだけが目の色を変えていた。手を伸ばしてハンカチから花弁を取り寄せる。

「カーネーションだ。……そうか。ったく、趣味の悪いことを考えるな」

 僕と夏凛さんは顔を見合わせる。

「キリちゃん、何かわかったの?」

「ああ。犯人はほぼ決まりだ。けどこれは、現場を押さえないと証拠に欠けるか。言い逃れしようと思えば、できなくはないからな」

 現場を、押さえる? 一体、犯人は何をしようとしているんだ?

 斬鴉さんが立ち上がった。

「秋富士と雨宮にちょっと訊きたいことができた。もう一度、手芸部室へいってくる」

 ご多分に漏れず、僕は意味もなく付いていった。斬鴉さんが尋ねたのは、秋富士さんが現在も香澄さんが借りた本を懲りずに借りていることを誰かに話したか? 

 二人の答えは「ノー」だった。

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