歪んだ同一化願望

 手芸部の部室は被服準備室らしい。ただ、基本的には被服室で活動しているようだ。

 斬鴉さんは被服室の扉をノックすると躊躇なく開けた。

「図書委員だ。香澄彩華はいるか? ちょっと来てくれ」

 数秒の後、髪の長い女子生徒が廊下まで出てきた。斬鴉さんも背筋が伸びていて姿勢がいいが、彼女もまた負けていない。凛とした顔は自己肯定感に溢れている。中学一年のときから顔を付き合わせている香澄さんだ。

「どうかしましたか、夜坂先輩、古町君」

 図書委員に詰め寄られる憶えなどないといった具合に首を傾げる。斬鴉さんはスマホを取り出し、写真を見せつけた。

「先週の金曜日、この本を借りたか?」

「いいえ。借りていません」

 即答だった。そんな気はしていたが、僕たちは顔を見合わせてしまう。

 状況が飲み込めていない香澄さんに事情を説明する必要がある。

「実は先週の金曜日にこの本が、香澄さんの名義で借りられていたんだ」

 香澄さんの表情が不快そうに歪んだ。

「この本は今日、返却されたんだけど、ページの一部に押し花をしたような染みが付着していてさ。香澄さん、何か知っているかなって思って来たんだ」

 説明が終わったからか、斬鴉さんがスマホをポケットにしまった。

 香澄さんは心外とばかりに表情を歪めている。

「私はそんな本、本当に知りませんから。断じて借りていませんし、押し花にも使っていません。そもそも、押し花キットを持っていますから、図書室の本を使う必要なんてありません」

「自分の名義が使われたことに対して、心当たりはあるか?」

 斬鴉さんが髪の寝癖部分を指でいじりながら尋ねる。

「心当たりですか……。借りられたのは先週の金曜日の放課後でしたね? なら、あります。私、先週の金曜日に生徒手帳を落としたようで、今週の月曜日に担任の古谷ふるや先生が届けてくれたんです。おそらく、誰かが私の生徒手帳を盗んで、それを提示して本を借りたのでしょう。そして、用が済んだので職員室の前に捨てた。疑うなら古谷先生に訊いてみてください。私には図書室で本を借りられません」

 それって、本を借りてから自分で生徒手帳を捨てればいいだけなんじゃ……と思ったが、言うと話がこじれそうなので黙っておいた。

 斬鴉さんもそれくらいわかっているに違いない。続いてこんな質問をした。

「先生が拾ってくれる前……生徒手帳を最後に見たのはいつだった?」

「そう言われましても……。生徒手帳なんて図書室で本を借りるときしか用がないので」

 僕は、あっ、と手を打つ。

「先週の水曜日、抜き打ちの持ち物検査があったよね? そのときはどうだったの?」

「持ち物検査……あ、ありました! そのときは確かに持っていたはずです。古谷先生も憶えているかと。……そうすると、盗まれたのはあのときかしら」

「何か思い出したのか?」

 斬鴉さんが興味深そうに訊く。

「はい。水曜日から金曜日の放課後までの間に、バッグを人目のないところに置いたのは一度きりです。木曜日の放課後、この被服室に来た際、誰もいない部屋にバッグを置いて御手洗いに向かいました。戻ってきてもまだ誰もいませんでしたが、盗みを働いておいてその場に留まる者はいないでしょう」

「この階には部室は手芸部しかないみたいだから、人の出入りも少なそうだよね。犯人も限られてくるかも」

 僕が何となく呟くと、香澄さんは強く頷いた。

「実は、話を聞いた段階で怪しんでいた人がいました」

「それは誰だ?」

 斬鴉さんがやや食い気味に尋ねる。香澄さんは声を潜めるようなこともせず、やはり堂々と答えた。

「手芸部の先輩にして、図書委員の秋富士あきふじしゅんです」

 僕と斬鴉さんは目を丸くした。まさか知人の名前が出てくるとは思わなかったのだ。

 秋富士瞬。香澄さんの言うように、図書委員の二年生だ。ただ、話したことも関わりもあまりないから、爽やかな容姿でノリの軽いイケメンということくらいしか知らない。

 香澄さんは心底軽蔑しているかのような声音と表情で言う。

「あの人、私のストーカーなんですよ」

 秋富士さんがストーカー? 容姿も手伝って、その言葉と彼とがあまり結びつかない。

 斬鴉さんに尋ねてみる。

「秋富士さんって、そんなことするような人なんですか?」

「さあな。秋富士は今年から図書委員になったから、あたしもよく知らん」

 学年に一人以上いればいいタイプの委員には、四月の募集期間中ならば二、三年生でも入ることができるらしいのだ。尤も、そんな奇天烈なことをする人、滅多にいないらしいけれど。……また、これはあまり関係ないが、どの委員会からも転校などの事情がない限り辞めることはできないらしい。

 斬鴉さんは香澄さんに向き直る。

「あいつは、君にどんなことをした?」

「色々ありますけど、一番どん引きしたのは、ゴールデンウイーク明けのことです。私が図書室で借りた本をあの人は図書委員の権限で調べて、自分でも借りていたことがわかったんです。読んだ本の感想を私に報告してきたことからその事実は発覚しました」

 流石の僕もそれには顔をしかめてしまう。職権濫用というか……さては秋富士さん、それをするために図書委員になったな?

 斬鴉さんも眉根を寄せていた。怒りや呆れといった感情をぶっちぎっているのかもしれない。

「私もこれには激怒したので、それ以来同じようなことはされていませんが、あの人のことは本当に気持ち悪いと思っています」

 香澄さんは苛立たしげに吐き捨てた。

 僕はあることを思い出していた。先々週の金曜日。一人で図書当番をしていた僕のもとにふらっと秋富士さんがやってきた。彼はパソコンを操作して何事が調べると、本を一冊借りて去っていった。……たぶん、彼は反省していない。

「絶対あの人の仕業ですよ。最っ低です!」

「い、いや、まだそうと決まったわけじゃ――」

 秋富士さんの肩を持つのは良い気はしないが、それでも烈火の如く憤慨する彼女を宥めようとした。そのとき、被服室の扉が開いた。中からおかっぱ頭の女子が現れる。

「落ち着きなって彩華。証拠はないんだから」

楽子らっこさん……でも……」

 香澄さんが不満そうに唇を尖らせる。楽子さんなる人物は僕たちに笑いかけた。

「ごめん、話聞いてた。雨宮あめみや楽子、二年生。よろしく」

 雨宮さんはため息を吐き、

「瞬も悪気があってやってるわけじゃないんだ。なまじ顔がいいだけに、何もせずともモテたから、自分から女性に対するアプローチをしたことがないのよ。だから変な感じになっちゃってて」

 一般的に羨ましいのか羨ましくないのか、判断に迷う悩みだ。僕は斬鴉さんに嫌われたくないから、全然羨ましくないけれど。

「幼なじみだからって、楽子さんはあの人に甘すぎです。変な感じにも限度がありますよ。……あんな人にプレゼントなんて、渡したくないんですけど」

 香澄さんがぷくりと頬を膨らませた。こんな表情の彼女は見たことがない。秋富士さんとは異なり、雨宮さんにはかなり心を開いているようだ。

「私、御手洗いにいってきます」

 香澄さんは僕たちに頭を下げるとトイレへ向かっていった。

「プレゼントって、何のことですか?」

 僕は残された雨宮さんに尋ねる。

「あれ、聞いてないの? 瞬、七月の頭に転校しちゃうのよ。部員のみんな、お別れ会で渡すプレゼントを作ってるの。彩華はあんな調子だけどね」

「へぇ、あいつ転校するのか。わざわざプレゼントなんて、大変だな」

 他人事のように呟く斬鴉さん。雨宮さんは肩をすくめ、

「瞬は顔もだけど、愛想もいいから、あれで普通に人気者なんだよ」

「他人の借りた本を調べて借りる変態だがな」

 やはり斬鴉さん、相当怒ってらっしゃるようだ。雨宮さんも頭を抱える。

「私、あいつから恋愛相談受けてるんだけど、ずれまくってて大変なのよ。これでも色々と改めさせたんだけど……。でも彩華はあんな調子だから、とっくに見限られてるのよね……」

 憐れ……でもないか、秋富士さん。

 斬鴉さんは壁に左肩を預け、

「雨宮的には、秋富士がこんなことをすると思うか?」

「いやあ……どうだろう」

 雨宮さんは悩ましげに唸り声を上げる。

「やりかねない危うさはあるけど、あいつ、押し花のこととか詳しく知らないだろうし」

「本の趣味的にはどうだ? あの手の本を自発的に借りそうか?」

「神話には興味ないと思うよ。瞬が好きなのはSF系だから」

 彼女がなんと言おうと、秋富士さんが怪しいことに変わりはあるまい。

 僕たちは香澄さんが戻って来るのを待って、その場をあとにした。


 二人と別れて図書室へ戻る途中、僕は斬鴉さんに訊いてみた。

「この一件、どうしますか?」

「調べないわけにはいかないだろ。本の染みもそうだが、何者かが他人の名義で勝手に本を借りた疑惑があるからな」

 確かに香澄さんの言い分を信じるならば、犯人は利益こそ得ていないけど、やってることは詐欺と変わらないのだ。

 階段を下りていたところ、その踊り場にて渦中の人物と遭遇した。

「秋富士……」

「あれ、夜坂に古町? どうした、こんなところで」

 侮蔑の表情を向ける斬鴉さんと、能天気な笑みを浮かべる秋富士さん。

「手芸部員にちょっと話があっただけだ。……お前も手芸部員だったんだな。意外だ」

「何を言う。夜坂、お前、黒いハンカチを使ってるよな? 白鳥の刺繍がされた」

 したり顔で言う秋富士さん。斬鴉さんはスカートのポケットから、まさにそのハンカチを取り出す。

「それ、俺が去年編んで、文化祭で売ったものだぞ。俺の目の前で買ったじゃないか」

「あー……そうだったか。お前、いたか?」

「いたよ。俺はわざわざあのクソ立地の悪い手芸部まで買いに来てくれた相手は、絶対に忘れないぜ」

 あの階層は他に部室がないと考えれば、文化祭でも確かに盛り上がりにかけるだろう。……しかし、少し気になることがある。まあ、今回の事案とは無関係なので心の中に留めておくこととしよう。大したことでもない。

それはそれとして、

「出来いいですね」

 ハンカチを間近で見ながら垂直な感想を述べる。

「だろ? 手先は器用なんだ」

「香澄への接し方は不器用どころじゃないけどな」

 斬鴉さんの一言に、秋富士さんの顔が一気に青くなった。僕たちが全てを聞いたことを悟ったのだろう。

「い、いや、それは、違くて……」

「秋富士さん、斬鴉さんがいない日を見計らって、まだ懲りずに香澄さんが借りた本借りてますよね?」

 斬鴉さんの目つきがいっそう鋭くなった。……素晴らしい。

「ら、楽子からは、せめて本人には報告するな、としか言われてないし」

「それはお前に呆れているだけで、やっていいってことではない」

 斬鴉さんは冷徹に吐き捨てると、

「香澄はお前のお別れ会でプレゼント渡す気はないらしいぞ。残念だったな」

 瞬間、弱腰だった秋富士さんの雰囲気が変わり、途端に余裕の笑みを見せ始めた。

「俺もそう思ってたんだけどなあ。ふふ。んじゃな」

 彼は得意げに右手を挙げて階段を上っていく。

 何なんだ、あの態度は……。

 斬鴉さんがむっつりした顔で階段を下りる。僕は急いで後を追い、

「一つ、今回の件における仮説ができました」

「ほう。どんなだ?」

 興味深そうにこちらを向く斬鴉さん。その手は長い髪をいじっていた。

 僕は唇を湿らせ、

「これは、秋富士さんの歪んだ同一化願望が引き起こしたことなんじゃないでしょうか」

「歪んだ、同一化願望? なんだ、それは……」

「好きな人の名義で本を借り、好きな人と同じ趣味をする……いかにも、ストーカー的じゃありませんか?」

 斬鴉さんは呆れたようなため息を吐いただけで、否定も肯定もしなかった。その態度に、僕も少し思うところがある。

「斬鴉さんには、何か推理はないんですか?」

「推理は特にないな。三つほどわかっていることはあるが」

 結構わかっているではないか。

「どんなことですか?」

「単純なことだから、自分で考えろ。どっちにしろ、犯人の真意には見当もつかない」

 そこまで断言するからには、そうなのだろう。しかし、意外だ。

「斬鴉さんにも、わからないことがあるんですね」

 僕の戯言に、斬鴉さんは自嘲げに目を細めた。

「当たり前だろ。わからないことだらけだ。あたしにはな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る