アクノハナ【解決編】

 数週間が経ち、現在は七月の頭……手芸部にて秋富士さんのお別れ会が行われる日となった。

 梅雨はとうに過ぎ去り、連日三十度超えのむしむしとした暑さが僕たちに牙を剥いてきている。七月の上旬でこれだ。一体、八月はどうなってしまうのだろうか。不安は募るばかりである。

 あれから色々あったせいで、僕はこの一件のことを完全に忘れてしまっていた。斬鴉さんに自分で考えろとはぐらかされてすぐのころには、結構気になっていたのだが、やはり色々ありすぎた。僕からしたらやや過去のことになってしまっている。

 僕と斬鴉さんは、夏凛さんに図書室の番を任せて二、三年生の下駄箱が見える階段の影に隠れていた。夕方にも関わらずじっとりとした暑さは健在で、額に汗をかいてしまう。

 見れば、涼しい顔をしている斬鴉さんの頬にも一筋の汗が伝っていた。

 何故こんなことをしているのか、この期に及んでも僕は斬鴉さんから何も聞かされていない。

 尤も、こうして付き合っているのは僕の自由意志によるものなので、斬鴉さんを責めることもできないが。僕が正解の推理を用意できなかっただけの話だ。

 渡り廊下のある方向から足音が聞こえてきた。現れた人物に僕は目を見開く。

 その人物は周りをきょろきょろと見回すと、下駄箱の一角を開けてポケットから取り出した手紙らしきものと、黄色い花の押し花をその中へ――

「そんなことしても意味ないぞ、雨宮」

 階段の影から身を晒した斬鴉さんが声を張り上げた。雨宮さんの方がびくりと震え、こちらを振り向いてくる。彼女は咄嗟に手にしていたものを後ろへ隠した。引きつった表情で口を開く。

「あなたたち、ど、どうして……」

 対する斬鴉さんは誇るようでも責めるようでもない、淡々とした口調で述べる。

「今回の一件、秋富士のストーカー行為の延長でも、香澄の自作自演でもないことはわかっていた。図書委員と図書室の常連であるあいつらは、あたしのことをよく知っているだろうからな。本を借りるのも、染みのついた本を返すのも、あたしが不在の金曜日にしたはずだ。現に、秋富士はあたしのいないタイミングでしか、香澄が借りた本を借りていない」

 まあ、斬鴉さんがいたら、そんなこと許すはずないからね。

「香澄に関しても、あたしが本を貸し出す際は必ず本の状態をチェックしているのは何度も見ている。となれば、返却された本でも同じことをするのは予想がつく。本の染みは発覚する可能性が高い。あたしに本の染みを見つけてほしいなら、もっと上手いやり方はいくらでもあるからな。香澄は図書室の本で押し花なんてしないし、金曜日に返却したはずだ」

 そうか……。斬鴉さんが気にしていた、押し花の痕跡が見つかることを犯人が予期していたか否かは、ここに繋がってくるわけだ。犯人にとって押し花の痕跡が見つかることは本意ではなかった。ならば、斬鴉さんを知るあの二人が、斬鴉さんの目が届くタイミングで本を返すわけがないのだ。

 斬鴉さんは続ける。

「犯人は本を借りるのこそ金曜日だったが、これは偶然だろうな。……二人が犯人じゃないことはわかっていたから、のこのこ現れたお前にかまをかけてみた。雨宮、

 雨宮さんが訝しげな表情になる。

「あなたたちが話しているの、聞いてたから……」

「あのとき『ギリシャ神話大全』というタイトルは誰も口に出していなかった」

 そうだっただろうか。そうだったかも。

 斬鴉さんがスマホで撮った本の写真を香澄さんに見せながら説明していたのだ。その写真は雨宮さんが現れる前に、斬鴉さんがスマホごとしまっていた。扉越しに話を聞いていた雨宮さんに、『ギリシャ神話大全』を知ることはできない。犯人ないし、犯人を知り得ない限り。けど、会話を録音していたわけではないから、これを追及しても水掛け論にしかならない。だからこの現場を押さえたのか。……まあ、僕は雨宮さんが何をしにやってきたのか知らないのだが。

 ……そうだ。思い出した。あの日、被服室から図書室へ戻る際に言っていた、わかっている三つのことはそれか。香澄さんと秋富士さんが犯人ではないこと、雨宮さんが最有力容疑者であることがわかっていたんだ。

 斬鴉さんは無表情で続ける。

「とはいえ、雨宮が怪しいとわかったところで、目的はさっぱりわからなかった。けど、被服室から帰る途中、秋富士と出会ってな。香澄からプレゼントは貰えないぞと話したら、あいつは何故か余裕の雰囲気を醸してきた。そして、そのすぐ後に目次に挟まっていた花弁を見つけた。察しがつくには十分だ。……秋富士は、『香澄はああ言っているがちゃんと押し花をプレゼントするつもりだ』云々という嘘を吹き込まれていたんだな」

 僕はさっぱり付いていけていないが、確か秋富士さん、俺もそう思ってたんだがな、的なことを言っていたか。

 俺もそう思っていたということは、貰える自信はなかったが今は事情が変わった……つまり、信頼できる人間から良い情報を得たということか。

 まさか香澄さん本人が、周りにはああ言っているが実は秋富士さんのことが好きで、当日ちゃんとプレゼントを用意してるんです、みたいなことを言ったわけではあるまい。自分の名義で本を借りた容疑者として、真っ先に秋富士さんの名を挙げている辺り、本当に嫌っているのは明らかだ。

 他に秋富士さんにそんな嘘を吐けて、尚且つ信用される者は……まあ、一人しかいない気はする。香澄さんと仲がよく、おまけに彼から恋愛相談を受けていて、何故か本について知っていた雨宮さんだ。

「推理の起点になるのは、香澄の名義で本が借りられるとどうなるか、だ。答えは簡単。。染みに図書委員が誰も気づかなかった場合、起こり得る事象はこのくらいだ。香澄が借りた本ならば野草図鑑でも読む男だから、あのニッチな本でも必ず食い付く」

 また思い出した。犯人が香澄さんの生徒手帳を使っている可能性があることに、僕は用心深いとしか思わなかった。けれど、彼女の名前で借りることも計画の一部に組み込まれていたわけか。

 というか秋富士さんの生態、なんか普通に気持ち悪い。

「本を読んだ秋富士は黄色い花弁と、いかにも押し花をしましたとばかりの染みを発見することになる。それによって秋富士は、香澄がプレゼントをくれるという情報は事実なのだと、胸を高鳴らせるだろう。そしてお別れ会の日、下駄箱に『これが私の気持ちです』的なことが書かれた手紙とともに押し花が入っていたら……筒抜けのサプライズでも、秋富士からしたら嬉しくて堪らないはずだ。けど、騙して喜ばせるつもりなら、。だから犯人は秋富士に伝えるつもりなんだと予想がついた。黄色いカーネーションの花言葉をな」

 僕は首を傾げる。

「カーネーションの花言葉って、母親への愛じゃないんですか? 母の日にプレゼントするイメージがありますけど」

「それは赤いカーネーションの花言葉だな。花は基本的に種類が同じでも色で花言葉が変わる。カーネーションも例外じゃない。で、黄色いカーネーションの花言葉は……だ」

 うわあ……えげつない。上げて落とす、ということか。

「これを計画できるのは、秋富士のストーカー行為が現在まで続いていることを知っている者だけだ。秋富士はさっき言った理由から除外。残ったのはお前だな。自分で言ったんだぞ、秋富士が今も香澄の本を借りていることを知っているのは、秋富士と自分だけだって」

 あの最後の質問は、犯人を確定させるためのものだったのか。

 雨宮さんは俯いたまま何も答えない。

「押し花の染みや花弁は、いわば伏線だな。期待を高める効果はあるが、絶対必要なものじゃない。けど、どうせ落とすならより高所から落とした方が効果的だ」

 酷いこと考えるなあ。……けど、その不必要なことをした結果、番人に見つかりこの様というわけか。

 雨宮さんが斬鴉さんについて知らなかったのか、はたまた舐めていたのかは定かではないが、いずれにせよ甘いとしか言えない。

「カーネーションは水分が多いから、ちょうどいい染みもできた。まあ、あの本でその押し花を作ったわけではないんだろうが……。まったく乾燥していないカーネーションが、たった五日で立派な押し花になるとは思えない」

 行われていたことはわかった。しかし、腑に落ちない点がある。

「斬鴉さん。どうして雨宮さんはそんなことを? 嫌がらせにしては回りくどすぎますけど」

「振られて弱った異性にすることなんて、一つだけだろ」

 斬鴉さんはつまらなさそうに吐き捨てた。

 ああ……そういう。これは、僕が鈍かったかな。

 斬鴉さんは静かに歯噛みする雨宮さんに、努めて冷たく言葉を投げかける。

「そんなことに図書室の本を使うな。『ギリシャ神話大全』を借りたのはサイズがいかにも押し花向きの本だったから以上の理由はないんだろうが、なかなか面白い内容だったぞ」

 読んだんだ、斬鴉さん……。

「それから、その方法で願いが成就したとして、誰が傷ついて、誰が惨めな思いをするか、よく考えてみることだ」

 斬鴉さんは吐き捨てるように言うと踵を返し、図書室へ戻ろうとするが、

「……どうすればよかったのよ」

 雨宮さんから放たれた掠れた声に足をとめた。

「ずっと、好きだったのに、あいつは私のことを、異性と認識してくれなくて……」

 雨宮さんは拳を堅く握り締め、目に涙を溜めて斬鴉さんを睨んだ。

「そんなの、どうすればいいのよ⁉ これくらいやんなきゃ、こんなの……どうしようも……」

 彼女は膝から崩れ落ちかけるのを、下駄箱を支えにどうにか踏ん張った。

 斬鴉さんは振り返ることなく、静かに呟く。

「思い出にするしかないだろ。それが自分にとって良いか悪いかは別としてな。当たって砕けても、秋富士からの目は変わる。……最初から諦めているお前は一度でも、それをしたのか?」

 雨宮さんが喉の奥で呻いた。

「何もしないのは簡単だ。何もしないんだから当然だな。けど、それじゃ自分にも相手にも、何も残らない。……気づいたときには全部が手遅れってこともある。そのときには伝えたくても、もう何も伝えられないかもしれない。だから、後悔しない選択をしろ」

 斬鴉さんは再び歩を進め出した。振り返ることも、立ち止まることもなさそうだ。

 ……きっと、創作物の中では、腐るほど溢れているニュアンスの台詞なのだと思う。けど、この数週間で斬鴉さんの抱えていたを知った身には、その言葉の重みが鉛のように心にのしかかってきた。 

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