借りる男たち

 真壁が企んでいるよからぬことというのは、一体何なのだろうか。あの二冊の本がどう関わっているのだろうか。今のところ、僕には見当もつかない。

「あの真壁って奴は、どんな男なんだ?」

 斬鴉さんが『夏の俳句集』の表紙を見つめながら尋ねてきた。……真壁とはどんな男か、か。裏表のあるやつではない。心の中で改めて振り返ることでもないだろう。

「簡単に言うと、気のいいお馬鹿ですね。野球部に所属していて、中学の時のポジションはサードでした。根っからの体育会系気質なのか先輩には従順です」

「体育会系で先輩に従順、か……。あたしとは真逆のタイプだな」

 確かに、文系であり先輩にも平気で噛みつく斬鴉さんとは真逆かもしれない。真壁を反転させれば斬鴉さんになるという情報は、正直なところまったくいらなかった。今後、奴をまともな目で見られなくなるかもしれない。

 いやそんなことはどうでもよく、真壁が何かをしでかすつもりならば、それは頭が回らない彼ではなく、ブレーンとなる上級生がいるのではないかと推測できるのだ。先輩に利用されるというのは、まあいかにも真壁らしい貧乏くじと言えるか。

 真壁のことを悶々と考えていると、扉が開いてまた男子生徒が入ってきた。さっぱりしたスポーツ刈りで、薄いリュックを背負っている。今度は斬鴉さんが眉をひそめて反応する。

野上のがみ、何しにきたんだ?」

 名前を呼ばれた野上さんとやらは余程驚いたのか、ほとんど飛び跳ねるようにこちらを向いてきた。

「あ、ああ、夜坂か。どうした、こんなところで」

 完全なデジャヴ。

「あたしは図書委員だよ。それよりもここに何の用だ? お前この間、活字を見ると頭がくらくらするとか言っていたよな」

 斬鴉さんは首を傾げながら不思議そうに尋ねた。

「い、いや、ちょっとな。たまには読書もいいかなと思ってよ」

 野上さんはどこか焦り気味に呟くと、本棚を見回しながら図書室を周り始めた。

「知り合いですか?」

「クラスメイトだ。確かあいつも野球部だったな」

 奇妙な来訪者が二人。いずれも野球部。おまけに野上さんは図書室中の本棚をじろじろと物色している。先ほどの真壁と同じではないか。

 そんな野上さんを、斬鴉さんは興味深そうに注視している。彼も途中でそれを察したのか露骨に動きが鈍くなった。

 野上さんは真壁と同じく図書室内を一周すると、二周目で本を選択し、学術書コーナーから二冊をカウンターへ持ってきた。簿記と会計学の本だった。これはまた……どちらも分厚い。大学とかのレポートに使うような本じゃないの、こういうのって。

 斬鴉さんは不信感を含んだ視線を野上さんに向けながら貸出手続きを行っていく。

「いや、何だ? 将来、会計士の資格でも取りたいと思っててな。うん。ちょっと勉強中というか、なんというか……」

 こちらは何も訊いていないのに、凄いペラペラ喋ってくるな。

 斬鴉さんは無表情で受け答えする。

「そうなのか。なら貸借対照表と損益計算書の違いを教えてくれ」

「え、なんて?」

 困惑する野上さんに対して、斬鴉さんはうんざりしたようにため息を吐いた。

「去ね」

 と、ドスの利いた声で二冊の本を野上さんに押し付ける。彼は背負っていた軽そうなリュックを背中から胸部へ翻す。風圧でふわりと浮き上がるそれのファスナーを開けると、二冊の本をしまい込んだ。

 僕たちは青い顔で逃げるように図書室を出ていく野上さんを見送る。

「おかしい……。絶対におかしい」

 斬鴉さんは寝癖がついたままの長い髪をいじり始めた。彼女が考えごとをするときの癖である。

 僕も斬鴉さんの言葉に頷く。

「普段本をまったく読まない人たちが、揃いも揃って分厚い本を二冊借りていく……。確かに妙ですね。しかも二人とも野球部」

 流石にこれは何かあると考えるのが自然だろう。斬鴉さんは頷き、

「ああ。しかも野上に至っては読書をしたい気分と言いつつ、勉強のための本を借りていった。決定的に変だろ」

 言われてみれば……。迂闊すぎるでしょ、あの人。

 斬鴉さんは自問自答するように呟いていく。

「……何かある。あの二人は明らかにあたしにびびっていた。つまり、あいつらはあたしが怒りそうなことをするつもりなんだ」

 斬鴉さんに見られたら誰でも恐ろしくなるとは思う。目つきが鋭いもの。

 けれど、それがいい。そこがいい。斬鴉さんの目つきは国宝に指定するべきだ。それほど流麗で鋭利で美しい。そのためだけに政治家を目指そうかと思ってしまう。

 さて、彼女を褒め称えるのは一旦ストップして、僕も少しばかり考えてみよう。……とはいえ、たかだか分厚い本四冊で何ができるというのだろうか。そりゃあ、できることはあるだろうけれども、あの四冊でできることなど他のもので代替できそうだけど。

 隣の番人をちらりと見る。長い髪を人差し指でくるくる巻き取っていた斬鴉さんだったが、ふとした瞬間に巻いていた髪を弾くように指をピンと伸ばした。

 瞬間、国宝が勢いよく僕の顔を射止めてくる。突然のことに、不意に首を跳ね飛ばされたような感覚に襲われた。……なかなかの快感。

「古町。やきゅ――……お前今、気持ち悪いこと考えてたろ」

「いいえ。ごく一般的な物思いに耽っていただけです」

 斬鴉さんの目線が冷たくなる。それはゲームに登場するような、冷気をまとった氷属性の刀を想起させた。

「まあいい。野球部の部室がどこにあるかわかるか? あたしの周りには野球部員がいないんだ」

「あー……確か、東棟の一階にあるはずですよ。たまにグラウンドから東棟へ向かう野球部員を見ます」

「東棟か。グラウンドからはそう遠くないが……」

 斬鴉さんは立ち上がるとカウンターから正面奥――図書室の端にある南側の窓に寄った。僕も何となく付いていく。

 窓からはグラウンドが見える。サッカー部が練習しているようだ。しかし、斬鴉さんが注目しているのはそこではなく、遥か先――学校と外部を隔てるフェンスの傍に生えている桜の木々だった。

 ん? そのうちの一本の下に、男子生徒が何人か集まっているのが見える。あれは……。

「ふんっ。やっぱりそういうことか」

 斬鴉さんは不快げに鼻を鳴らすと、カウンターに戻っていってしまう。

「何か、わかったんですか?」

 僕も椅子に戻りつつ、恐る恐る尋ねた。

「ああ。……まだ野球部が何人か来るぞ。そして全員が分厚い本を二冊借りていく」

 そう断言するからには彼女には真相が読めたということなのだろう。

 直後、図書室の扉ががらりと開いて男子生徒が現れた。どこかで見覚えがある。この人は確か……そうだ。真壁と一緒にいたところを見たことがある。確か野球部の望月もちづきさんだ。彼は左肩にかけたスクールバッグを脇でぺちゃんこに潰していた。

 望月さんは一瞬だけ斬鴉さんを警戒するように見つめると、すぐに本棚へと向かい、前の二人と同じように二周目に本を選んだ。

 望月さんがカウンターに持ってきたのは四六判の単行本だった。二冊とも小説で、表紙には美しくも不気味な少女が描かれている。タイトルは『Other』と、その続編。僕でも聞いたことのある作品だ。単純にページ数が多いのもあるが、形態がハードカバーだけあってどちらも厚い。

 ……斬鴉さんの言った通りになった。

 望月さんが口を開く。

「この二冊を借りた――」

「駄目だ。貸せない」

 言い終わる前に、斬鴉さんがぴしゃりと言い切った。

「ど、どうしてだ?」

 望月さんは平静を装ってはいたが、顔から溢れ出る冷や汗と全身からほとばしる緊張をまったく隠せていなかった。

 斬鴉さんは侮蔑するような視線を目の前に男子生徒に送りつつ、

「読む気のない奴に貸す本はないんだ。それも、読む気がないだけじゃなくて、本の製作に関わったすべての人を冒涜するようなことをしようとしているクソ野郎どもには、尚更な」

 斬鴉さん……かなり、怒ってらっしゃるようだ。これ以上近づいたら彼女の発する雰囲気だけで微塵切りにされるだろう。

「な、何のことだか……俺にはさっぱり……」

 シラを切っているが、言葉は震えている。

 斬鴉さんは目を冷徹に細めた。

「さっき来た真壁と野上とお前の他に、あと何人いる? 二人か、三人か……。そのくらいはいないと、やろうと思わないだろ」

「だ、だから……何がなんだかわからないっての」

 斬鴉さんは立ち上がり、いままで自分が座っていた椅子と、誰も座っていなかったもう一脚の椅子の背もたれに手をかけた。

「お前らとしては不本意だろうが、この椅子を使って貰うぞ。本を使われるのはあたしが不本意だからな」

「…………」

 ごくり、と望月さんの喉が鳴った気がした。

「本を使ってみろ。顧問やコーチ、生徒指導に全部ばらすぞ」

 その恫喝により、望月さんは観念したようにぶはっと息を吐いた。どうやら斬鴉さんのあまりの圧によって呼吸を忘れてしまっていたらしい。

「ほ、本当に、わかってるんだな……」

 望月さんは観念したかのようにうなだれた。

 斬鴉さんはつまらなさそうに鼻を鳴らす。

「当然だ。本については、お前たちより造詣が深いんだよ」

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