図書室の番人【解決編】

 図書室の番を僕に任せて、椅子を持って望月さんとともに出ていった斬鴉さんが、帰ってくるなり教えてくれた。

「あいつらは、

 斬鴉さんは二脚の椅子をもとの位置に戻してどかっと腰を下ろす。

「踏み台、ですか……。やっぱり」

 そのくらいは先ほどのやり取りから察せられた。本と椅子で互換性のある用途はそのくらいである。

「ああ。だから分厚い本ばかり選んでいたってわけだな。積み上げて、少しでも高さを稼ぐために。あいつらは一周目で分厚い本を探し、二周目でいくつか目を付けていた本から二冊を選択して借りていたんだ」

 だから貼り紙などお構いなしだったということか。いや、納得するところはそこではないだろう。

「どうして踏み台なんて必要としていたんでしょうか?」

「野球部の部室から高梨ってプロ野球選手のサインボールが消えた。さっき話していたよな?」

 僕は手元の校内新聞に目を落とす。

「はい。梅木さんが書いた記事ですよね。発覚したのは昨日だとか」

 斬鴉さんは頬杖を着き、うんざりしたような声音で語る。

「それがなくなったのは、あいつらのせいなんだよ。昨日の朝練のとき、あの三人ともう二人の計五人が早くに学校に来たらしくってな。前日のプロ野球の試合で高梨があんまりにも不甲斐ないミスをしたもんだから、小馬鹿にしようと部室に飾ってあったサインボールで遊んだらしい。その結果、桜の木の枝にボールが引っかかってしまったんだ」

 斬鴉さんが窓辺から見たのは、やはりグラウンドの奥の木だったのか。

「ちょうどそのタイミングで他の部員たちが集まり始めたから、取る機会を失った。すぐにばれるかと思ったが、発覚したのは放課後になってからだった。都合よく誰もサインボールを最後に見た正確な日時を憶えていなかったから、五人は知らぬ存ぜぬを決め込もうとした。けど、今日の校内新聞にサインボールが消えたことが載り、話題になってしまった」

 その続きは僕が貰うことにしよう。

「それで怖くなってボールを取ろうとした、というわけですか」

「ああ。グラウンドに転がして翌朝誰かに発見させるつもりだったらしい」

「小賢しいなあ。……でもそれなら、肩車すればよかったじゃないですか」

「五人うち一番背の高いコンビが肩車しても届かなかったんだよ」

 苛立ち混じりの声音だったが、これは僕に対してではなく、五人の野球部員に対して向けられているのだろう。

「だからさらに高さを上げるための踏み台が必要になった。椅子を踏み台にしてもいいけど、教室や部室からグラウンドまで椅子を持ってくるのは目立ちすぎるからな。……ボールがなくなったとして、一番怪しいのは誰だ?」

「最後にボールがあった日に一番遅く帰った人か、その翌日に一番早くきた人たちでしょうね。そういえば真壁たちは……」

 斬鴉さんはこくりと頷き、

「最初に部室にきたせいでボールを盗んだと疑われていたんだろ? そんな一味の誰かが、校舎や部室から椅子を抱えてグラウンドをうろつくなんて不自然な行動を取ってみろ。行動の意図がわからなくとも、怪しいにもほどがある」

 まあ、確かに。教師に見られたら何やってるんだ案件だ。

「何か別の、便がいる……。そこで分厚い本が選ばれたわけだ」

「なるほど。それで図書室に……」

 納得できる話だが、気になることもある。

「でも、全員分のノートや教科書をありったけ積み上げれば、それなりの高さになりますよね。それでも届かないほど、ボールは高い枝に引っかかったんですか?」

 本ならば僕たちはたくさん所持している。わざわざ図書室の本を持ち出す必要があったのか。

 斬鴉さんはため息を吐いた。

「最初はそうしようと思ったらしいが、考えても見ろ。肩に重い人間担いで、教科書やノート程度の面積の足場で安心できるか?」

 言わんとすることがわかった気がした。僕は一人が本を踏み台にする光景を想像していたが、そうか。肩車が前提になるのか。

「ある程度ちゃんとした足場がないと危ないから、本の束を複数に分割する必要があったわけですね。そうすれば足場が広くなる」

 斬鴉さんは頷き、

「その代わり高さはなくなる。だから図書室の本を使おうとした。少しでも高さと安定性を稼ぐためには、足場となる本は多いに越したことはない。野球ボールと図書室の本に因果関係なんてないからな。だから多少不自然に思われてでも、借りられる上限の二冊を借りていった」

 しかし、斬鴉さんが抱いた違和感は多少などという枠内には収まらなかった。その結果が、これだ。流石は図書室の番人。

 ふと気づく。

「でも、高さと安定感が目的なら真壁がサイズの小さい文庫本を借りていったのは……」

「愚策だな。それを差し引いても魅力的な厚みだったんだろうが。おかげで推理を確信するのが遅れた」

 誇れ、真壁。残る疑問としては……、

「斬鴉さんは、どうして真壁たちの計画に気づけたんですか?」

「あいつらのバッグの様子が妙だったからだ」

 意味がわからず首を傾げてしまう。

「バッグ……?」

「真壁がバッグに本をしまったとき、バッグの底にダイレクトに衝撃が伝わっていた」

 そういえば、バッグの底が本の角の形に膨らんでいたか。

「野上もリュックがかなり軽そうだったな。背中から前に持ってくるときの風圧に煽られていたくらいだ。望月に至ってはバッグを脇で潰していた。これはどういうことなのか……」

 斬鴉さんの言わんとすることがわかった。先ほど僕が言及したことだ。

 僕は野上さんが去った段階で借りられた四冊にしか目がいっていなかったが、斬鴉さんはあの段階でここまで読んでいたのか。

 斬鴉さんは軽く頷いた。

「そういうことだ。あいつらは二冊の本の他に、既に大量の本を使っていた。本が足りなくなったから図書室に来たのは想像に難しくない。大量の本はページ数の多い本とほぼ同じ特性を持つ。用途としては重石にするか踏み台にするかってところだろ。けど、重石にするならミットやバット、ボールのような、野球部が自由に使える備品に代わりはいくらでもある。だから踏み台に利用しようとしていたのがわかった。あたしに怪しまれてでも高所に手を伸ばそうとしたってことは、それなりに重大な出来事だと予想がつく」

「野球部が今抱えている重大なことと言えば……サインボール騒動ってわけですね」

「ああ。古町から真壁が件の事件の容疑者だと聞いていたのも大きい」

 僕の世間話もたまには役に立つものだ。

 斬鴉は首を回しながら軽く伸びをした。

「ま、ここら辺はあくまで推測だった。グラウンドの木の下にあいつらがたむろしていたから、自信はあったが」

 あ、やっぱりあれは真壁たちだったのか。

「何にせよ、本を踏み台にするためだけに借りたのは明白だった。サインボールは関係なく、その時点で、あたしからしたらギルティだ」

 正確な動機など、斬鴉さんには関係なかったということか。

「結局、ボールはどうなりました?」

「あたしの持っていった椅子に乗ってちゃんと取ったよ。けど、その光景をサッカー部の連中に見られていた。生徒指導を呼ばれて、五人とも連れていかれた。後のことは知らん」

 真壁……大丈夫だろうか。というか、その分なら本を台にして取っても、ばれてそうだな。

 友のことを心配しつつも、とりあえず一件落着したようでよかった。

 斬鴉さんは二人から取り返した四冊の本と望月さんに貸し出さなかった二冊の本を優しく撫でていった。

「来月のオススメ図書は決まったな。この六冊だ。梅木にこの件を話せば面白がるだろ。『サインボールの行方を明らかにした素晴らしき本たち』みたいな見出しで」

「彼女のセンスだと『名探偵は、本だった!』みたいな感じになりますよ」

 来月の校内新聞を予想して、僕たちは苦笑した。


       ◇◆◇


 我が校の図書室は五時半に閉まる。理由は知らない。尤も、ただでさえ利用者は少ないのだ。たぶん誰も困ってない。

 五時半が近づき、僕と斬鴉さんは返却された本を本棚に戻す作業を行っていた。

もともと静かだった図書室はもちろん、この時間になると学校中から喧騒が消え入る感じがする。それを寂しいと感じるほどまだこの学校に愛着を持っていないけれど、高校生の僕たちにとって学校の終わりが一日の終わりなのだ。多少の感慨は湧く。それに斬鴉さんとの別れが近づくのは普通に寂しい。まあ、明日また会えるのだけれど。

利用者は普段通り少なかったが、今日は一悶着あったため分厚くて重い本が多い。今になって真壁に怒りが湧いてきた。余計なことしおって。

 野上さんが借りていった会計学と簿記の学術書を本棚に戻し、扉の右から出っ張っている返却ポストへ向かう。図書館よろしく、利用者はこれを利用すれば室内に入らずとも本を返却できるのだ。

 あの中の本にはまだ一冊も手を出していないので、数は多くないだろうが辟易した。

 ポストの前には斬鴉さんが一冊の本を手に立ち尽くしている。彼女が手にしているのは文庫本のようだ。厚くも薄くもない、三百ページ前後と思しき普通の文庫本。タイトル的に小説のようだ。

 斬鴉さんはパラパラとページを捲り、すぐに閉じた。どこか神妙な面持ちである。返却された本をチェックするのはいつもしているが、それでも普段と少し違う気がした。

「どうしました?」

 訊ねると、斬鴉さんの肩が驚いたように震えた。彼女はごまかすように素早く身体を反転させて、カウンターにてバーコードを読み取った。

「何でもない。探していた本に似ている気がしただけだ」

「はあ……」

 言っている言葉の意味がピンと来ず、間抜けな返事になってしまった。

 このときの僕にはまだ、斬鴉さんが本当に探していたものがなんだったのか、知る由もなかったのだ。

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